小さな里山に、起業する若い移住者が増加中
埼玉県中央部にある比企郡ときがわ町は、面積の約7割が山林で、里山のゆったりとした景観が広がっている。JR八高線の明覚駅が町で唯一の駅だ。約1万人が暮らし、人口は減少しているものの、若い人が移住して起業しているケースが目立つという。その仕掛け人ともいえる「比企起業大学」の総長、関根雅泰さんを訪ねた。
地元の不動産事業者によると、移住希望は約100世帯あるというが、残念ながら物件の供給が追い付かず、移住が実現していない人も多い。そこには若い世代も多く含まれるそうだ。
ところで、若い人はどんな起業をしているのだろうか。関根さんによると、フリーランスでのデザイン業、空き家活用にも取り組む不動産業、ときがわ町産の木を活用する製材業、夫婦で日本初の「キャンプ民泊」を始めたケースもあるという。ほかに、古民家を改修し、民泊とライター業を生業としている男性、熟成肉を使用した料理を提供する飲食店を営む夫婦など、数え上げればキリがない。
このように、ときがわ町では新しい仕事が生まれていて、それが移住希望者の興味を引いているのではないかと関根さんは見ている。実際に比企起業大学の卒業生が、ときがわ町で起業しているケースも多い。
県の起業プロジェクトがきっかけで、民間主導の取り組みが始動
実は、比企起業大学の関根さんも町外からの移住者だ。自然環境が豊かなところで子育てをしたいと引越してきた。毎週、県内各地を訪ねた末、2008年に現在の住まいに出会った。「自然の匂いを感じた」とご夫人が感動したという。また子どもの見守りなど、地域のコミュニティがあったことも安心につながったと当時を振り返る。
関根さんは既に会社員をやめて独立していて、ときどき東京都心のクライアントへ打ち合わせに向かうという仕事のスタイルだ。 この辺りは「トカイナカ」と言われる場所で、田舎ではあるが東京までのアクセスは悪くなく、2時間以内に都心へ着けるのも魅力だとか。
会社員時代の関根さんは、企業の人材育成の仕事をしていて、独立後は企業研修などを手がけつつ独立支援にも携わっていた。一方で、地元に貢献できる仕事をしたいと模索もしていた。そんなとき、2017年に埼玉県から県の起業支援プログラムの業務を請け負うことになった。当時はふるさと起業塾というネーミングで、移住促進の文脈から起業を盛り上げたいと埼玉県 川越比企地域振興センターが企画したものだった。
しかし事業は1年で終わってしまった。「起業は1年で簡単に軌道に乗るわけではない」と関根さん。そこで独自に立ち上げたのが、比企起業塾(現 比企起業大学・大学院)だった。
比企起業大学では、小さく始めて長く継続することを大切に
埼玉県の事業の終了直後の2018年に、参加者から費用を徴収して比企起業塾を始めた。
2020年度までに4期を実施した後、新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、2021年度から新たにオンライン主体で起業について学ぶ比企起業大学をスタートさせた。
対象は、起業について真剣に学びたい人で、高校生、大学生、会社員、専業主婦、新規事業を検討する既存事業者などと門戸が広い。埼玉県民限定でもなくなった。目的は、地域での起業の仕方を学び、修了時までに起業家マインドを獲得することだ。期間は5ヶ月間で、春学期が4~8月、秋学期が10~2月になっている。現在はネットを活用した自己学習と、月1回2時間のオンライン意見交換会を実施している。
なお、ときがわ町役場の横にある起業支援施設に集まって対面型で実施していた比企起業塾は、現在は比企起業大学大学院として位置づけている。
参加者は毎回6名から7名ぐらい。「少人数のほうがちょうどよい」と関根さん。
「半年間やっていく中で、6名ぐらいであれば目が行き届き、またチームとしてのまとまりもちょうどよいです。私の経験値として適当な人数です」と関根さんは胸を張る。
講師は2人体制でやっている。これまでの参加者は、ときがわ町在住者はもちろん、近隣の比企郡エリアがボリュームゾーンだ。オンラインになったことで、埼玉県以外からの参加者も増加傾向で、東京都や富山県在住者もいる。
理念は、「小さく始めて、大きくせずに、長く続けること」と関根さん。長く続けるために重視することとして、「自分の健康」「家族との時間」「仲間との協働」を挙げる。従業員は雇わず、自分の力と仲間との協働で仕事を遂行できるようアドバイスをする。「顧客作り」「商品作り」そして「現金残し」の3つの柱を据え、深掘りしていくカリキュラムだ。
卒業生のコミュニティや大学院制度で継続して学べる
これまでの参加者で、最初から明確な起業ビジョンを持っている人とそうではない人の比率は、半々ぐらいだったという。「具体的ではなくても十分可能性がある」と関根さん。何か新しいことに挑戦してみたいという人が、ここで刺激を受けて起業したケースも多い。
例えば、将来のために何かしたいと思っていたパート勤務の女性がいる。彼女は自分には強みがないと思っていて引っ込み思案だったが、実家に古くて使っていない蔵があり、それをみんなの力を借りて清掃し、レンタルスペースにした。すると引き合いがあって収益が出てきたのだ。最初こそ家族も反対していたが、生き生きとした表情になっていく彼女を見て、考えも変わっていったそうだ。
比企起業大学の特徴は、参加期間が終わったらサヨナラではないことが挙げられる。先輩と後輩のつながりを大事にしていて、コミュニティとしてのつながりが維持できる設計になっている。卒業生は、実際の現場での悩みをお互いに相談し合う機会もあり、関根さんのカウンセリングも受けられる。
さらに学びを深めたい人には、大学院制度もある。“大学院”は、比企起業大学卒業生で半年以内に起業する具体的な予定がある人、または起業した人が対象だ。高い本気度が求められる。
卒業生が講師に。広がる起業の学び
比企起業大学の卒業生で、「おうち起業部」という特別講座を立ち上げた女性がいる。 SNSに特化し、いかにデジタルで情報を発信していくかを教えている。家から出ないで商売するという発想だ。彼女にとって比企起業大学は土台作りで、大学院は「実践」だった。彼女は「一人では成長できない。地方での起業はチームプレイ」だと言う。「地方で起業したいという人が、地方で学ぶ手助けができれば」と、この講座を立ち上げたのだ。
関根さんの現在の目標は、応援団づくりだという。関根さんが発行する「ときがわカンパニー通信」を読んで比企起業大学の活動を知った人が本を寄付してくれたことがあり、関根さんは「町内には起業家を応援したいという人が少なからずいるのでは」と思った。仕組みとしては、クラウドファンディングの地域版のようなイメージだ。町内で新たに農業や空き家活用などに取り組む若い人をお金で応援すれば、巡り巡って自身の老後の安心にもつながっていくはずだと関根さんは考えている。
最後に、ときがわ町の入り口付近の道路沿いに「比企起業大学キャンパス」の看板を立てるのも目標ですと関根さん。
「現在、町内には高校も大学もないので、看板を見た人が不思議に思って検索してくれるといいなと思っています」
もともと、ときがわ町にある慈光寺は、奈良時代に創建された由緒あるお寺で、ここから学問が関東に伝えられた歴史がある。「ときがわ町の学びの伝統を復活させたい」、関根さんはそう語ってくれた。
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