デザイナーズを探していた人が借りてしまう不思議な物件

緑の豊富な敷地。手前は駐車場なのだが、グリーンブロックという芝生などの植物が生育できる特殊な舗装用ブロックを使っているため、一見緑地に見える。真夏のアスファルト駐車場の灼熱を嫌っての設計側からの提案という緑の豊富な敷地。手前は駐車場なのだが、グリーンブロックという芝生などの植物が生育できる特殊な舗装用ブロックを使っているため、一見緑地に見える。真夏のアスファルト駐車場の灼熱を嫌っての設計側からの提案という

8月に渋谷ヒカリエで行われたイベントでこれからの賃貸住宅はどうあるべきだろうという話が出た。そこでデザイナーズ物件のポータルサイトRストアの浅井佳氏がある物件を取り上げた。地名すら知らなかった埼玉県越谷市の蒲生という街にある物件への申し込みが相次いでいる、都心からは距離がある場所なのに、どうしてだろうと不思議に思っているというのである。見た目のかっこいい物件なら他にいくらでもある。もっと都心近く、利便性の高い物件も少なくない、それなのに蒲生である。なぜだろう?

その物件、蒲生WAnest(がもうワネスト)は東武スカイツリーライン蒲生駅から歩いて4分、ごく普通の住宅街の中に突然現れる。塀のない、緑に覆われた贅沢なほど広い敷地の中に建つ2階建ての木造集合住宅である。赤い屋根、遠目に見ても本物と分かる木の質感が印象的で、知らなければ賃貸住宅と思う人は少ないかもしれない。

この土地は元々墨田区で工場を経営していた現オーナーの父親がランドセル工場をしていた場所。工場自体は昭和40年代に廃業、更地に。28年前、越谷市が区画整理を行った際、税金が高くなるからと半分には3階建てのマンションを建てたものの、残りの900坪はその後も更地のまま。当然、何社からもアプローチがあったそうだ。

「マンションはもちろん、店舗、スポーツジム、スーパー銭湯など、いろいろな営業を受けました。バブルの終わり頃には最上階に近代建築の巨匠フランク・ロイド・ライト風のペントハウスのあるマンションの計画があり、建築申請まで進んでいたものの、建築費があまりに高額になり、減額を検討してもらったら、今度はとても貧相な建物になることが分かって取りやめたということもありました。また、10階建てのマンションの話には父が蒲生で10階からの景色はそれほどすごくないだろう、高いところに住んでいる人が偉そうなのは嫌いだと言い、それでおしまいになりました」(WAnestオーナー・大和徹行氏)。

50年、100年先にも残る、多様性を備えた住宅を

屋上緑化された1階の屋根。2階住戸からは緑を楽しむことができる。散水には井戸水を利用している。夏の熱い時期には芝屋根に散水することにより、蒸散作用で涼も取れるという一石二鳥。オーバーフローした水が犬走に滴り落ちるのを眺めるのは目にも涼しい屋上緑化された1階の屋根。2階住戸からは緑を楽しむことができる。散水には井戸水を利用している。夏の熱い時期には芝屋根に散水することにより、蒸散作用で涼も取れるという一石二鳥。オーバーフローした水が犬走に滴り落ちるのを眺めるのは目にも涼しい

いずれは何かを建てようという意図はあったものの、それが一般的なマンションでないことは確かだった。では、何か。長い模索が続いた。そんな中、出会ったのが益子にある複合施設スターネットである。「都内の賃貸物件を見学するなどしているうちに、他にもあるものではなく、蒲生らしいものができないかと思うようになっていたのですが、そこで古民家を再生、アートとおいしいものを提供する複合施設スターネットに出会い、作るなら低層の木造だなと思うようになりました」。

その後、東京芸術学舎の「古民家から学ぶエコな暮らし」という講座で建築家の峯田建氏に出会い、建築を依頼することになる。「東日本大震災の2日後、敷地内にあるカフェで待ち合わせをしたのですが、その時に私が描いたイギリスの片田舎風のスケッチが良いと言っていただき、ショップと住居、癒しの空間が木々の中に点々とあるような、環境に配慮した物件を目指すことになりました」。

建築に当たって意識した点がいくつかある。ひとつは50年、100年残るものを目指すということ。「時代が変わっても残るものを作ろうと思いました。もちろん、建物だけが残っていてもダメで、ずっと住みたい人、住み続けたい人がいる物件という意味です。いずれは重要文化財になったらいいねなんて夢のようなことを思っています」。

多様性も大事にした点。静かに暮らしたい人、周囲と交わりたい人、趣味の幅を広げたい人などいろんな人が住める住宅にしたいと考えたのである。加えて「父は地域や若い人に貢献したいという強い意識がありました。収益性よりも、蒲生らしく、他にない良いものを作って残したい。この物件はその意に沿ったものになっています」。

生活と仕事の場を兼ねる育ちの場という意図も

実際の物件を見てみよう。建物は東、西の2つの中庭を囲むように配されており、中庭の周りには広い、屋根のある通路が巡らされている。住戸は通路に面して作られており、通路に面して趣味室、背後に住居のあるタイプ、防音室があって2階に住居のあるタイプ、玄関のない、テラスから入るタイプのロフトがある2階の住戸など、いくつもの間取りがあり、非常に説明がしにくい。だが、いずれにも共通しているのは趣味や自宅で仕事をする人のための空間が設けられているという点だろう。

たとえば、西の中庭に面した一画には通路沿いに9畳の趣味室、その背後に6畳の住居がある住戸がある。趣味室は外からも見えるように(もちろん、ブラインドなどで隠すことも可能)作られており、趣味の作業場、自宅で作業をする人の仕事場、作品を披露するためのギャラリー的な空間として使えるようになっている。

「若い人たちが起業する、趣味を仕事にしていきたいなどと考えた時に生活と仕事の場を2カ所借りるのは負担が重い。だったら、それを一度に叶える空間を提供できれば若い人たちの役に立てるのではないかと考えました。ここがインキュベーションの場になってくれたら面白いかなと」。

エントランス脇にあるカフェにもその考えが生きている。「元々は集会室をイメージして作った空間ですが、今は日替わりで飲食店をやってみたい人がチャレンジする場になっており、現在は5人で曜日ごとに営業しています。昼間のカフェタイムが終わると、違うメンバーが来てその後にバータイムをやる日もあります」。

左上から時計回りに1階に防音室、キッチンのあるDタイプ住戸の1階部分。壁面は一面収納。2階リビング、エントランス脇にあるカフェ、コンパクトながら窓のあるバスルーム左上から時計回りに1階に防音室、キッチンのあるDタイプ住戸の1階部分。壁面は一面収納。2階リビング、エントランス脇にあるカフェ、コンパクトながら窓のあるバスルーム

オーナー自らの掃除姿に「手伝います」という入居者も

どの住戸もセンスよく暮らしているようで、敷地内はどこを撮っても絵になるどの住戸もセンスよく暮らしているようで、敷地内はどこを撮っても絵になる

趣味室という変わった空間を作ったのは、敷地自体が広く、大和氏一人での管理の大変さを懸念したためでもある。「SOHOや工房として利用する人に入居してもらうことで昼間、閑散とした場所になることが避けられ、加えて自分が借りている場所の周辺にゴミが落ちていたら拾うなどの自治も期待できるのではという思いもありました。先日も草むしりをするという呼びかけに、手伝い可能な住民が出てきてくれ、一緒にひと仕事。その後は参加者にランチをごちそうしたりということもしています。これからの季節には落ち葉掃きの後に外の暖炉で落ち葉で焼き芋を焼いてみんなで食べたいなと思っています」。

大和氏が毎日せっせと掃除している姿を見ているからだろう。ご褒美に関わらず、手伝いますよという入居者も多いのだとか。竣工から1年ちょっとではあるが、すでに良好な人間関係が築かれているのだ。

その人間関係の源になっているのは毎日の掃除だけではない。入居の申し込みがあった時には大和氏が入居希望者全員と面談、この住宅について思いを語り、それに共感できる方々が入居を決めているのである。良い関係が築けているのは当然といえば当然かもしれない。

2つの中庭、3つのスタジオも魅力のひとつ

住戸の中心にある中庭、建物中央部に配された3つのスタジオも魅力のひとつ。個人の専用部分は必要最低限だが、豊かな共用スペースがあることで、それをみんなでシェアするという楽しさがあるのだ。

中庭のある住宅だけなら他にもあるが、これだけの広さを取ったところは少ない。歩いているだけでゆったりした気持ちになれる空間である。そのうち西の中庭はイベント会場として使われてもおり、「柱の間にテーブル席を作り、ジャズやクラシックのライブを行ったり、七夕に笹を飾り、集まった子どもたちにスイカをふるまうなどして利用しています」。

体育館のように高い天井のあるスタジオ1はヨガなど体を動かすアクティビティに、アトリエとして作られたスタジオ2は美術教室として利用されており、もうひとつのスタジオ3はセミナーや上映会などに使われている。「当初は入居者のための施設と考えていたのですが、住民以外でも借りたい方が多く、特にスタジオ1は夕方からの時間を中心にほぼ全日利用されています」。

2015年10月1日現在、空いているのは防音室がある住戸1室のみで、入居を希望する人が4人、空きを待っている状態。当初はリタイア層も想定していたそうだが、実際には20代、30代の入居者が多く、海外での生活経験のある人も少なくないとか。アメリカ西海岸の研究所に似ていると言った人や軽井沢への移住を考えていたものの、この環境が得られるならと引っ越してきた人もいると聞いた。越谷エリアの木造アパートの相場は38m2で6万円台というが、そこで10万円を超す賃料を出しても住みたい人が列をなす。たぶん、この文章、写真だけでは魅力は伝えきれていない。機会があれば、ぜひWAnestを訪れていただき、「シュミグラシ」の良さを体感していただきたいものである。

蒲生シュミグラシ WAnest
http://wanest.jp/

スタジオ・アーキファーム一級建築士事務所
http://www.archifarm.jp/

左上から時計周りで西の中庭。東の中庭、共用部のうち、左が体育館、右がアトリエ。アトリエ内部左上から時計周りで西の中庭。東の中庭、共用部のうち、左が体育館、右がアトリエ。アトリエ内部

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