改修中の足場から出火。尖塔と屋根が焼失したノートルダム大聖堂
2019年4月15日の夕方、セーヌ川に浮かぶシテ島に建つノートルダム大聖堂(以下大聖堂)で火災が発生。世界の人たちが無事を祈る中、96mの尖塔が焼け落ち、その周辺の屋根の3分の2ほどが焼失した。出火の数ヶ月前から現場では尖塔などの改修工事が行われており、屋根に設置された金属の足場部分から出火、燃え広がった可能性があるという。
最初の警報で場所が特定できなかったなどの不幸もあり、消防隊への第一報が入った時点では13世紀以来の樫の梁からなる木組み構造の屋根は炎を吹きだすまでの状態になっていたと新聞は伝えている。
すぐにパリ消防旅団(パリ市消防局と訳す場合も)が出動、鎮火にあたったが、作業が難航したことはその後の報道で何度も伝えられた。火元が屋根の上で出動時点では手がつけられないほどの火勢になっていたことに加え、中世に建てられた石造りの建物に外から水を噴射するのは建物の損壊に繋がる危険がある。ましてや13世紀に造られた薔薇窓が水圧に耐えられるとは思えない。
そのため、消防旅団は外から水を浴びせるのではなく、建物内部から鎮火にあたらなければならなかったのである。
パリ消防旅団はパリ市周辺の消防・救急活動を実施する消防組織で、フランス陸軍に所属する消防工兵部隊。1793年に創設され、パリのオーストリア大使館で催された舞踏会で放火犯の襲撃を受けたナポレオン・ボナバルトによって1811年以降活動が拡大、部隊が拡張されている。平均年齢の若い、日々肉体の鍛錬を課された隊員から構成されており、地元の子どもたちにとっては身近なヒーローだと聞いた。
ちなみにマルセイユの消防大隊はフランス海軍の消防組織となっており、同じ消防に当たるセクションでも歴史的背景によって所属が異なるのは興味深い。
同日、11時30分、まだ完全に鎮火はしていないものの、大聖堂崩落の危険は去ったと判断された。大聖堂内の美術品、歴史的遺産その他は救出され、パリ市庁舎に保管された。そのノートルダム大聖堂の前でエマニュエル・マクロン大統領は大聖堂の再建を宣言する数分の演説を行い、全世界に協力を求めた。
5年という短期間で再建したノートルダム大聖堂。その背景にあったもの
その時の演説を「ノートルダム フランスの魂」(アニエス・ポワリエ著/白水社)から紹介したい。5年という短期間で公開できるまでに再生した背景にはこの大聖堂がフランスのアイコンであり、人々の心のよりどころであったことが大きいと思うが、その心情を見事に表現しているからである。
「中略 ノートルダムは我々の歴史であり、文学であり、すべてのひとの心に生きており、我々は偉大な瞬間のすべてを、戦争も、解放もノートルダムとともに生きたからであります。ノートルダムは我々の人生の震源地、フランスの起点にほかなりません。数えきれない書物であり、数えきれない絵画でもあれば、フランス国民全員の聖堂であり 後略」
歴史的建造物が歴史を共有する人たちに対してどのような意味を持つか。マクロン大統領の演説にはそうしたエッセンスが込められている。
演説では寄付の募集も呼びかけられているのだが、これも早期の再建に寄与した大きな要因のひとつ。
2019年4月24日、NHKは焼失後わずか1週間で1200億円もの寄付金が集まったと報じている。このうちにはグッチやサンローラン、バレンシアガなどのファッションその他のブランドを擁するケリング、ルイ・ヴィトンやディオール、ティファニーなどのブランドを傘下に持つLVHM、化粧品大手のロレアルなどの大口寄付も含まれている。
多くの人たちの関心の高さが分かるというものだが、この多額の寄付については反対の意見も出た。大聖堂の再建より貧困層の支援、格差解消のほうが大きな問題ではないかというものである。だが、最終的にはこうした寄付金が再建を後押しした。
デジタルの力も早期再建に大きな役割を果たした。火災の4年前、2015年にゴシック建築を研究していた建築史家のアンドリュー・タロンさんが聖堂内外をレーザースキャナーでデータ化、非常に精巧な3Ðモデルが作られていたのである。
同氏は2018年末に亡くなっていたが、彼が残したデータをに加え、新たに大聖堂の周りにスキャナーを設置して実物大のデジタルモデルを作成するためのデータを収集。併せてドローンによる映像を重ねることで全体の詳細にわたる3Dモデルを構築。大聖堂はそれを基に再生された。データ構築のために1年以上かかったとのことだが、従来の建造物の記録方法に比べればはるかに早く、正確で詳細であり、今後はこうしたやり方での改修、再生が主流になっていくのかもしれない。
森林大国フランスには再建のための材が豊富だった
この再建の早さは当時同様の材、技術が残っていたことも大きい。
焼失した木組みはフランス全土の森から伐採された樫の木で造られた。フランスは農業国として知られているが、ここ100年以上に渡って森林が拡大している森林国でもある。1908年にはフランス本土の19%を占めていたが、さらに2021年には31%に及んでいるとか。しかも大都市圏の森林が国土の約3分の1を占めるなど都市の近くに森があることが特徴。搬出しやすいのである。
樫の木自体はフランスの森林に豊富な樹種で、ヨーロッパでもっとも美しいといわれるオークの森のひとつ、トロンセの森(フランス中央部、オーヴェルニュ地方)には樹齢数百年という樫の木もあるそうだ。
1836年にシャルトル大聖堂の屋根が焼失した際には再度の火災を懸念してか、鉄の骨組みに置き換えられているが、大聖堂では従来通り、樫の木を充てた。だが、当然ながら再生後にはかつてなかったスプリンクラーや消防設備なども見えないように配されており、再度出火、大事になる懸念はかなり薄くなっている。
職人に関していえば焼失当初、不足が取り沙汰されたようだが、最終的には国内外から集められた500人を超す職人が携わったという。フランスは1830年頃に歴史的建造物監察総監が文化財管理の任にあたったことから始まり、1887年に歴史的建造物保護に関する法律が制定されるなど古くから文化財保護には熱心に取り組んできた。そのためか、技術が、職人が残されていたのである。
また、ヨーロッパでは職人自体の地位、評価が高いということもポイントかもしれない。フランスでは国家最優秀職人章(M.O.F.)などの制度でその技術を賞賛し続けてきており、そうしたことが職人を続ける、継承する人が絶えない状況に繋がっているのだろう。
ちなみにフランスにはヨーロッパで唯一の職人育成制度「コンパニョナージュ(職人組合)」がある。これは各地を回りながら修行をして若手職人を育てていくというもの。パン職人から大工、石工、左官、屋根職人、建築設計などとさまざまな職種があり、職業別、得られる卒業証書、地域別で選べるようになっている。年間数百人がこのやり方で修行をしているそうで、これから海外で手に職を…という人なら面白いかもしれない。
「ゴシック様式は野蛮だ」と改装されていたノートルダムの過去
さて、こうしたいくつかの背景からわずか5年で再生、美しい姿を取り戻した大聖堂だが、過去の歴史を見てみると常に大事にされてきたわけではない。
1160年に司教となったモーリス・ド・シュリ―によって計画され、1世紀近くかけて建築された大聖堂ではいったんの完成を見た後も数限りない改修、増築が続けられ、一時は全く違う姿に変えられたこともある。今ではフランスのアイコンとなっているが、現在の姿がかっこ悪いとされていた時期すらあったのだ。
それがよく分かるのがルーブル美術館に収蔵されているナポレオン1世の首席画家ジャック=ルイ・ダヴィッドにより描かれた油彩画「ナポレオン一世の戴冠式と皇妃ジョセフィーヌの戴冠」。1807年に完成した幅10m、高さ6mほどの大作で「ナポレオンの戴冠式」として知られているが、この舞台は大聖堂。
だが、絵を見ると現在の大聖堂とは明らかに違っている。建築の知識がなくてもぱっと見て分かるのは現在は円柱になっている柱が角柱となっていることだ。ゴシック様式の特徴である尖頭アーチ(先の尖ったアーチ)は半円のアーチになっており、どうやら材は2色の大理石のようだ。
これは1715年に行われた改変の結果。17世紀の人たちはゴシックは野蛮だと断じ、ルネサンス的な姿に改修してしまっていたのである。しかも、ナポレオンの戴冠以降、時代はフランス革命を経て大きく変化。大聖堂は廃墟さながらの状態だったという。
その大聖堂が元の姿を取り戻すことになったきっかけは1831年に発表されたヴィクトル・ユゴーの小説「ノートルダム・ド・パリ」だった。日本では「ノートルダムのせむし男」で知られるこの小説は大聖堂を舞台にジプシー女のエスメルダ、せむしの鐘撞きカジモドなどが登場する。何度も映画やバレエ、ミュージカルなどにもなっているからご存知の方も多いだろう。
この小説は大ヒット。それとともに中世の建築物の見直しが始まる。ユゴーが熱く訴えたフランスの歴史的建造物の置かれた惨状、放置されてやがては不動産開発事業者の手で取り壊されかねない現状への怒りが多くの人の心を動かしたのである。この経緯、資料を読みながら日本でも同じことが起きてくれないかとつい思ってしまったが、歴史的建造物はどこの国でも危機に遭いやすいものらしい。
20年、3つの政権にまたがる改修を経て今の姿に
その約10年後の1843年に大聖堂の修復計画のための設計競技が開催される。そのコンペを勝ち取ったウジェーヌ・ヴィオレ・デュクとジャン=バティスト・ラシュスの2人によって大聖堂は20年かけて往時の姿を取り戻すことになる。
ヴィオレ・デュクは建築家を志望しながらも、中世の建築をデッサンすることでキャリアをスタートさせたという異色の人物。デッサンを通じて得た美意識、知識が評価され、親族による推挙もあって歴史建造物局で職を得、古い建物の修復にあたることになり、その経緯から大聖堂に関わることになった。独学の人だったわけである。
面白いと思うのは彼らが修復に当たっていた20年間のうちに政権は君主制から共和制、さらに帝政へと変化しているということ。にもかかわらず、修復作業は当初決めた通りに続けられ、完成した。
日本であれば政権が代わるたびに事業は見直され、時には途中でストップすることすらある。だが、フランスでは政権と事業は必ずしもリンクするものではないらしい。そのあたりが国による文化の違いというものだろうか。
どちらが良いかは事業の内容次第だが、こと大聖堂に関しては良い結果になったと思う。
ところで、2019年の火災で焼失した尖塔はこの時にヴィオレ・デュクが復元したもの。以前より高く造られており、土台に12人の使徒と4人の伝道者の銅像が飾られた尖塔は当時の近代的な工業技術によって構造のバランスと安定感を高めたものだった。
中世の建築を修復するというのに現代の工業技術を用いるのは違うのではないか。ヴィオレ・デュクの没後、論争が巻き起こり、彼の評価は一時地に落ちた。その後1980年代には再評価されているが、いまだに模倣芸術家という評価も残っていると聞く。修復といえば一言で済むが、実際には歴史的な建造物は幾多の変遷を経ており、どの時点にどういった技法で戻すのかについては今も議論がある。そして一度流布した偏見を払拭するのは容易ではないのだ。
非常に端折って大聖堂の変化の大きな部分だけを書いたが、実際の大聖堂はその誕生の時から今に至るまでさまざまな変遷を経てきた。ヴィオレ・デュクについてはちょうど大聖堂再開のすぐ後だったからだろう、パリ市内の多くの博物館のブックショップには彼に関する書籍が並んでいた。大聖堂中興の祖として、歴史を振り返るよすがとして興味がある方はぜひ、読んでみてほしい。
ノートルダム大聖堂の見学のために知っておきたいこと
さて、再生された大聖堂だが、再生後の公開にあたっては以前から根強い有料化の案が出たが、現在のところ、以前同様無料で入れる(宝物館は有料)。ただし、来訪者増を見込んでフランス語、英語の予約サイトがつくられた。予約自体はそれほど難しくはない。
だが、予約はなくても予約のある人と異なる列に並べば入れる。午前10時以降や週末などは多少並ぶ必要があるが、朝早くに行けばそれほど並ばずに済む。入れる時間は曜日によって少しずつ違うので事前にチェックのこと。ミサ、コンサートなどが開かれる日もあるのでそちらもチェックしておきたい。
また、大聖堂ホームページ内のUnderstand(理解する)というページ内には大聖堂の歴史、建築、彫刻、絵画、音楽その他についての詳細な説明(フランス語、英語)があるので事前に読んでおくと見学が楽しくなる。オンラインショップもあり、ガイドブックや修復に至るまでの記録、お土産品などが買える。
大聖堂横の壁には修復に関する展示があり、材はどこから手配したか、尖塔部分の構造はどうなっているか、どのような職人が関わっているのかなどが写真も交えて図解されている。展示自体はフランス語だが、壁にあるQRコードを読み取れば英語、スペイン語、イタリア語、ドイツ語での表示が可能。保存しておけば後で読むこともできる。
また、市内左岸にあるクリュニー美術館は、かつて打ち壊された大聖堂の中世の彫刻装飾の大部分を保存しており、時間があればあわせて見ておきたい。フランス革命時、短期間ではあるがカソリック信仰が廃止、禁止されたことがあり、その前後に大聖堂の彫像が断頭形に処せられるなど彫像たちにも苦難の時代があったのである。
以上、復活したノートルダム大聖堂を見てきた。
ノートルダムという言葉自体は「われらの貴婦人」つまり聖母マリアを指す言葉。そのため、世界中には「ノートルダム」と冠した聖堂は数多くある。だが、その中でも飛びぬけて人気、認知度が高いのはシテ島に立つノートルダム大聖堂だ。広壮さ、豪華さなど建築もすばらしいノートルダムであるが、それらを凌駕する魅力がある空間があり、歴史があるため、人々を惹きつけるのであろう。
改修前よりも少し明るくなった印象があり、多くの人が見学していても静謐な雰囲気があるのは不思議。訪れる人の敬意が行動に影響しているのだろう。時間の余裕を持って訪れ、空間と歴史を味わってみていただきたいものである。
■参考資料(書籍のみ)
「ノートルダム フランスの魂」(アニエス・ポワリエ著 白水社)
「広葉樹の国フランス 『適地適木』から自然農業へ」 (門脇仁著 築地書館)
「時がつくる建築 リノベーションの西洋建築史」(加藤耕一著 東京大学出版会)
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