瀬戸大橋のたもとにある長い歴史を持つ港町・下津井地区
岡山県倉敷市にある下津井(しもつい)地区。ジーンズをはじめとした繊維産業で知られる、同市内の南東に位置する児島エリアにある。下津井は児島エリアの南端にある海沿いの港町だ。
港町としての歴史は非常に古く、現在も下津井地区の中心部にはかつての港町としての歴史を感じさせる建物が多く残り、岡山県指定の町並み保存地区になっている。また下津井の東部は、本州と四国を結ぶ瀬戸大橋の本州側の起点でもある。
2024年(令和6年)、下津井で活動する「下津井シービレッジプロジェクト」が、「地域づくり表彰」の「全国地域づくり推進協議会会長賞」に選定された。地域づくり表彰とは国土交通省や全国地域づくり推進協議会、一般財団法人国土計画協会などが主催する、地域間の連携と交流による地域づくり活動を奨励するための表彰である。
下津井シービレッジプロジェクトはしもついシービレッジ株式会社による、地域おこし・地域活性化の活動。「問題解決に持続可能性と広がりを付与するため起業し、地区外の人も巻き込み、地域でお金が回るシステムの構築等の明快な経営理念のもと、地区の賑わいを生み、移住者の増加を実現した」といった理由で、今回の受賞が決定した。
下津井は、古くから瀬戸内有数の港町として繁栄。とくに江戸時代末から明治30年ごろにかけて、北前船の寄港地となって多くの人が行き来した。さまざまな商品の取引が行われるとともにニシン粕の商取引が盛んになる。
現在の岡山平野の大部分は干拓地であり近世以降、急速に干拓が進み、干拓地では塩害に強い綿花栽培が行われた。綿花の肥料としてニシン粕が重宝され需要が拡大したため、ニシン粕の商取引が盛んになったのである。下津井には廻船問屋が多く建ち並び、ニシン粕取引で財を成した豪商が多く生まれた。
また江戸時代には本州と四国を結ぶ航路の拠点でもあり、海の玄関口としても栄えた。かつては児島エリア北部にある由加山(ゆがさん)と、讃岐国の金毘羅(こんぴら)さんを参拝する「両参り」が盛んだったという。下津井の港町は両参りの参拝客などで、大いににぎわっていた。
明治中期以降、下津井はおもに漁港を中心とした水産業が盛んな漁師町としてにぎわった。とくに「タコ」や「鯛」は有名であり、下津井の名産として知られるように。しかし昭和の高度成長期以降、下津井の繁栄は陰りを見せ始めた。自動車社会の到来により、郊外や大きな街中へと人が移っていったためである。
さらに1988年(昭和63年)に瀬戸大橋が開通。1991年(平成3年)には下津井と児島エリア中心部を結んでいた下津井電鉄の鉄道路線が廃止となった。若者は不便さから下津井を離れるようになり、高齢化・過疎化が深刻になる。下津井の地場産業である水産業も、存続が危ぶまれるようになった。下津井地区の2022年(令和4年)時点の人口は約4,300人。そのうち高齢者率は40%台に上っている。
歴史ある町家の存続問題で出会った3人のキーパーソン
過疎化・高齢化が深刻になった下津井で、地域活性化の活動を展開する下津井シービレッジプロジェクト。同プロジェクトの発足に関わった、しもついシービレッジ株式会社の取締役・センター長だった矢吹 勝利(やぶき かつとし)さんに話を聞いた。
矢吹さんは「下津井シービレッジプロジェクトの活動が始まるきっかけは、2017年ごろに下津井に残っていた歴史ある建物が取り壊されるかもしれないと聞いたことでした」と振り返る。
もともと矢吹さんは2015年より、下津井にある観光施設「むかし下津井回船問屋」の館長を務めていた。むかし下津井回船問屋は、下津井町並み保存地区にある元廻船問屋の中西家が商家としていた建物を、当時に近い形で復元し資料館・観光施設としたもの。
矢吹さん「同じ町並み保存地区の通り沿いにある、旧中西家の住居だった建物を取り壊し、分譲地として売却されるという話を聞いたのは、ちょうど館長の任期が終わるころでした。旧中西家取り壊しの話は、まさに寝耳に水です。また同じく歴史ある建物だった、旧荻野家住宅の行く末も心配されている状況でした」
中西家は北前船とニシン粕などの商取引をした廻船問屋、荻野家は蔵貸業・金融業で財を成した豪商である。「旧中西家・荻野家の建物は下津井の中でもとくに古い歴史を持つ、地域を代表するような非常に重要な建造物。いっぽうで現在は所有者の方は住んでおらず、老朽化が進んでいました。所有者の方の維持・管理が難しいということも理解できます」と矢吹さん。
旧荻野家は、所有者が持っていた数々の美術品を展示し「荻野美術館」として営業していた。しかし諸事情があって所有権が他者に移る。新しい所有者の厚意もあって旧荻野美術館は、若手芸術家たちに貸し出され「吹上美術館」と名称を改めて運営されていた。
しかし吹上美術館は二年足らずで閉館となってしまう。矢吹さんは何とか活用法を探っていたが、建物の老朽化が進んでしまい、残念ながら大部分が解体されてしまった。
旧中西家については所有者の方と相談し、取り壊しについて1年間の猶予期間をもらった。そして旧中西家のさまざまな活用法を模索することになったのである。矢吹さんは旧中西家の有効な活用法を探し奔走する中、地元・児島を拠点にレンタカー事業を展開する企業の代表・牧 信男(まき のぶお)さんに出会う。
牧さんは下津井地区の出身。ずっと「故郷ににぎわいを取り戻すために、何か尽力したい」という気持ちがあった牧さんは、矢吹さんから旧中西家の取り壊しの話を聞き、全面協力を申し出た。その後、牧さんとSNSなどで面識のあった、地元・児島で工務店を経営する正田 順也(まさだ じゅんや)さんにも話が伝わる。そして正田さんも協力を申し出た。
矢吹さんたちの行動は、やがて下津井の住民や地域の団体、さらに倉敷市も巻きこんでいき、地域の合同会議の結成に至る。旧中西家の活用法について幾度となく諸方面への働きかけや交渉を行ったが、有効な活用法の結論は出なかった。答えが見つからないまま旧中西家はいったん正田さんの会社に引き取られることになり、取り壊しを免れ、当面は維持存続することになったのである。
矢吹さんは「建物の取り壊しは免れたので、まずは一安心でしたが、いっぽうで無力さを感じていました。正田さんの工務店の引き取りは一時的な処置。旧中西家の活用法は決まっていません。また個人の活動には限界があります。そこで同じ思いを持つ人たちみんなで下津井の地域活性化や地域の課題について話し合い、活動していく必要があると考えました」と話す。
そして旧中西家・荻野家の存続問題を機に出会った矢吹さん・牧さん・正田さんの3人により、下津井地区の地域活性化を図り、地域に元気を取り戻す活動が始まったのである。矢吹さんらの活動は次第に地域の人にも広がり、活動の賛同者は少しずつ増えていく。
矢吹さんたちの活動は、やがて大手旅行会社のJTBの耳に入る。JTBのスタッフより農林水産省の「農山漁村振興交付金」の活用を提案された。そして2017年10月に地域活動を行う団体として、矢吹さん・牧さん・正田さんらを中心に「下津井シービレッジプロジェクト」が始動したのである。2019年にはプロジェクトの運営母体として「しもついシービレッジ株式会社」も立ち上げた。
目指すのは持続可能な地域活動
下津井シービレッジプロジェクトを運営するしもついシービレッジ株式会社は、4本の経営理念を掲げる。
● 地域を元気にし誇りの持てる街にする
● 次世代を担う人材の育成をする
● 地域でお金が回るシステムをつくる
● 観光振興や移住促進に取り組む
ポイントは単に地域を活性化するだけではない点。地域で金が回り、地域を担う新たな人材を育てることにも力を注ぎ、持続可能な地域活動を目指しているという。
そんな下津井シービレッジプロジェクトが手がける事業のひとつとして、多くのイベント開催がある。これまでも「しもつい国際マルシェ・ まだかな夜市」や「行商朝市」などのマルシェイベント、地元物産の展示販売、地元アーティストの作品や絵画の展示販売、下津井映画倶楽部による映画鑑賞会、数多くの音楽イベントなど、多種多様なイベントを行ってきた。
また、プロのアーティストと一緒に壁画を描くワークショップイベント、移住者交流会なども開催。地域住民はもちろん、地域外からも多くの人を呼び込んで、にぎわいを創出している。
ほかにも下津井シービレッジプロジェクトでは、空き家・古民家の利活用や移住促進の事業を行う。空き家や古民家を斡旋したり、移住者移住相談や移住者の支援活動を展開。中でも注目されているのが「せとうち古民家お試し住宅(下津井シービレッジハウス)」の運営だ。
「移住希望者と移住希望地域との相性がいいかどうか、希望に添っているかどうかは、暮らしてみないと分かりません。短期間でもお試しで住んでみて、地元の方と交流したり、買い物をしたりするなどし、地域が自分に合うかどうかを肌で感じられることが大きなポイントです」と矢吹さん。
せとうち古民家お試し住宅は町並み保存地区の通り沿いにある元豆腐店だった町家をリノベーションし、2023年(令和5年)にオープンした。そして実際にこの住宅に宿泊し、実際の暮らしの雰囲気を体感するプログラム「トライアルステイ下津井」を実施している。
せとうち古民家お試し住宅のリノベーションは、プロジェクトの設立メンバーである正田さんが経営する工務店が手がけている。矢吹さんは「仲間に工務店の方がいるのは非常に心強く、私たちの強みでもあると感じています」と語る。
※参考:
トライアルステイ下津井 l 瀬戸内古民家で移住体験
プロジェクトとは別に自発的に活動を始める人が現れる
プロジェクトチームの立ち上げ前から、下津井への移住希望者はいたという。矢吹さんは「海沿いの静かな港町ですから、このような雰囲気や景観に引かれる方も多いのだと思います」と推測する。プロジェクト発足以降は、矢吹さんたちの尽力もあり、若者を中心に移住者やUターン者が増えている。
さらにプロジェクトとは別に、若者たちの手によるさまざまな活動や起業が多くなってきているという。たとえば2024年7月にオープンした一棟貸しのゲストハウス「下津井宿 風待潮待(かぜまち しおまち)」だ。同ゲストハウスは、下津井町並み保存地区の旧中西家の隣にある民家をリノベーションしている。
風待潮待を運営する株式会社 あかつきの代表は移住者であり、プロジェクトメンバーである正田さんの工務店の従業員。工務店の従業員としてプロジェクトに関わり、矢吹さんや牧さん・正田さんの下津井にかける熱い思いを感じ、地域を盛り上げるために自ら行動を起こしたものだ。
また、しもついシービレッジ事務所の近くにある株式会社 吉又商店も注目の施設である。吉又商店は古くは廻船問屋だったが、その後はワカメやノリなどの海産物の小売店として営業。長く地元で愛されてきた店だが、2024年3月に「しもつい横丁」として生まれ変わった。
店舗を大きく改装し、これまで販売していた水産加工品に加え、鮮魚も販売。さらにテナントブースを設置し、朝市などのイベント開催ができる場所になっている。調理場も設けており、料理教室なども実施できる。なお吉又商店を運営するのは地元出身の余傳(よでん)さんという女性。地域を盛り上げるために私財を投じて活動している。地域を盛り上げるために動いたのは、若者だけではないのだ。
ほかにも下津井の地域活動に参加している3人によって創業されたのが、握り飯やデザートを無店舗販売する「下津井むすび さんかくや」だ。おもにイベントに出店している。タコ・ワカメ・ノリをはじめとした下津井の水産加工品を具材に用い、塩は下津井沖の海水から手づくりするなど、下津井の魅力を味わえるこだわりの握り飯をつくっている。
しもついシービレッジの事務所が入る建物には、Uターン者により洋菓子店「洋菓子工房 エクラタン」がオープン。個性的で写真映えのするおいしいケーキが人気だ。
紹介した施設はいずれも、下津井シービレッジプロジェクトが設立・運営しているものではない。
「現在の下津井シービレッジプロジェクトは空き家・古民家の利活用や移住促進など、いわば『ハード事業』がメイン。いっぽう『ソフト面』の活動に関しては私たちが前面に出て行うよりも、地域を盛り上げようと活動する人のサポートが活動の中心になってきています。理念に掲げている『次世代を担う人材の育成』が現実のものになってきたと感じていますね」と矢吹さんは感慨深げだ。
プロジェクトの成果がひとつの形として見てきた
地域住民からは「下津井シービレッジプロジェクトの活動によって、下津井の町がにぎやかになってうれしい」「新しく人がやって来て、町の盛り上がりを感じる」といったような喜びの声が数多く聞かれるようになったという。
矢吹さんは移住者の方々の力も大きいと話す。「下津井は海に向かって開かれた港町で、昔からさまざまな人が行き来していました。だから下津井の町には、他所から来た人を受け入れやすい気風があるのだと思います。このような土地柄だからこそ、移住者の人たちに空き家や古民家という地域の財産を有効活用してもらいたいのです」
「地域づくり表彰はこれまでの私たちの活動の、ひとつの成果だと思います。ただ、あくまで道半ばです。これからの展開が重要だと考えています。具体的なことは決まっていませんが、下津井を今以上に観光地として知られるようにしていきたいですね。その後押しをシービレッジプロジェクトができればいいなと。2024年10月に実施した『下津井宵灯り』のようなイベントや海産物を使ったお土産といった商品開発など、できることはまだまだたくさんあると思います」と矢吹さんは話す。
下津井シービレッジプロジェクトは先に紹介したように、持続可能な地域活動にこだわってきた。現在、地域の若者を中心に、プロジェクトチームとは別の新たな活動が始まっている。この現状について「下津井シービレッジプロジェクトの理念が、ひとつの形になって見えてきつつある」と矢吹さんは言う。
「シービレッジプロジェクトの発足のきっかけとなった旧中西家の活用法は、まだ決まっていません。しかし自発的に地域のために活動をしている人がたくさん生まれました。その人たちによって、近い将来きっと旧中西家の活用法も決まるのではないでしょうか」と矢吹さんは期待を寄せる。
※取材協力:
下津井シービレッジプロジェクト
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