町をひとつの「家」と捉え、空き家を活用した「部屋(店)」をつくるプロジェクト
三重県度会郡南伊勢町は、紀伊半島に位置する総人口1万人ほどの町。平成の大合併で南勢町と南島町が合併して、現在の南伊勢町となった。町の面積のうち約60%が伊勢志摩国立公園の区域になっており、ほとんどが森林であるため、人が住める面積は、なんと1%。その1%は、山村集落や「浦方(うらかた)」と呼ばれる漁村集落、「竈方(かまがた)」と呼ばれる平家ゆかりの塩づくりの集落など、それぞれ異なる歴史や文化をもつ38の集落が点在している。高度経済成長期真っ只中の1960年から人口減に転じており、過疎化が進んでいる地域だといえる。
そんな南伊勢町の中心市街地「五ヶ所」で始まったのが、「うみべのいえプロジェクト」だ。南伊勢町には鉄道が通っておらず、集落間の移動手段はほとんど車であることから、目的地以外の集落に立ち寄る機会が少ない。このプロジェクトは、「車で通りすぎてしまうまちから、歩いてみたくなるまちへ」をコンセプトに立ち上がった。
うみべのいえプロジェクトは、町全体をひとつの「家」と捉え、町の中にキッチンやリビングなどの「部屋」の機能を持つ店をつくっていくというもの。家の機能を町に拡張することで、みんなで自分の暮らしをシェアして生活するという構想だ。店となる物件は空き家を活用している。
過疎化の進む南伊勢町では、空き家問題もさることながら、町の小売店舗が減少していることも課題だ。現に、38ある集落のうち、28の集落で小売店舗がなくなっている。住む人がいなくなった家に、町から減っていく店の機能を町の「部屋」として開くことで、滞在を増やそうというものだ。
「焼き芋ファンディング」で資金を集め、ひとつめの「部屋」がオープン
うみべのいえプロジェクトの発起人は、移住者の西岡奈保子さん。きっかけは、役場と株式会社エンジョイワークスが開催していた「空き家再生プロデューサー養成プログラム」に参加したことだったという。「大学院時代に建築分野の研究をしていた時、"どれだけ占有するかではなく、どれだけ共有できるかが豊かな暮らし方なんだ"と感じたことが頭の中にずっと残っていた」という西岡さん。プログラムでは、大学院時代の構想をもとに、町をひとつの家を見立てるアイデアを発表。ワークショップでアイデアを考えただけで終わってしまうのは嫌だと思った西岡さんは、アイデアを実現するために、町を歩いて見つけた空き家物件を借りてみることにしたそうだ。
物件のリノベーション資金を集める手段は、クラウドファンディングならぬ「焼き芋ファンディング」。焼き芋ファンディングという形をとった理由について西岡さんは「クラウドファンディングという手段もありましたが、まだ信用がない中でクラウドファンディングをしても集まらないだろうなと思いました。そして、お金をもらって終わりというのは好きじゃなかったので、"焼き芋を売った利益で物件をDIYして、町の活性化のために使います”というストーリーを作ってスタートしました。空き家×地域活性化×若者×焼き芋屋というキーワードがキャッチーじゃないですか(笑)」と話す。また、キッチンカーをリノベーション物件の前に停めて焼き芋の販売を行うことで、地域住民にプロジェクト自体のPRをするという役割も果たした。今でも、新たな「部屋」をつくる際は焼き芋を売ることで資金を集めており、地域住民からは「焼き芋が始まったということは、また新しい部屋がオープンする」と認識してもらっているとのことだ。
資金集めとリノベーションを経て、2021年の6月にオープンしたプロジェクト初の「部屋」は、「うみべのいえキッチン」となった。
地域で挑戦するプレーヤーを増やす「うみべのいえキッチン」
プロジェクト第一号の「うみべのいえキッチン」は、日替わりでテナント出店のお店が開かれるシェアキッチン。
取材日には、伊勢市周辺で最近お弁当・惣菜・お菓子屋を始めたという方が出店していた。知人から紹介してもらい、うみべのいえキッチンに初出店することになったという。次回の出店も決まっており、うみべのいえキッチンとのコラボメニューを提供する予定とのことだ。
町外からの出店もあるため、地域住民は町内では普段食べられないような料理を日替わりで楽しむことができる。地域からお店が減っていく中でも、日替わりのシェアキッチンという形で「食の楽しみ」が残ることは、町の大きな魅力となっているだろう。現に、うみべのいえキッチンを目的に町外から訪れるお客さんもいるという。うみべのいえキッチンのオープンによって、「車で通りすぎるまちから、歩いてみたくなるまち」が実現されている。
そして、うみべのいえキッチンは出店者のチャレンジの場としても大きな役割を発揮している。出店者はオープンから約3年で70事業者を超え、これまでの出店者の中から、3店舗が町内で自分の店を構えることになったとのことだ。過疎化が進み、町内のお客さんが人口的には減っていく地域でいきなりお店を構えるのはハードルが高い。町内外から人を集めるシェアキッチンは、お店が減っていく町に新たなお店が開かれるきっかけにもなっている。
うみべのいえプロジェクトチームとしてキッチンの運営をするのは、舌古(ぜっこ)さくらさん。もともとは10年ほど専業主婦をしていたが、コロナをきっかけに旦那さんの営む養殖漁業の会社を手伝うように。しかし、コロナが落ち着くと手伝う仕事がなくなり、時間を持て余すようになったという。
「コロナきっかけでちょこっと働きだしたら、もう働きたいスイッチが入っちゃって。それで仕事を探しているときに、たまたま夫と知り合いだった西岡さんから夫に『奥さんは今何してるの?よかったら話聞きに来ない?』と話があり、それで会ったのが初めましてでした。うみべのいえキッチンの運営は、課された業務を効率よくこなすというものではなく、自分で考えながらつくっていく仕事で、最初は戸惑いもあったものの、日々勉強しながらやりがいをもって楽しく働けています」(舌古さん)
より深く関わるサードプレイスとしての「うみべのいえリビング」
続いて2023年4月にオープンしたのは、廃業した和菓子屋の住居付き店舗を活用した「うみべのいえリビング」だ。店舗部分には「うみべのいえキッチン」の出店者だった洋菓子屋が入店。住居部分の1階はフリーリビングとして地域の人に開放し、2階は2部屋の個室と1部屋の共有スペースからなる中長期賃貸として貸し出している。国道沿いで人が出入りしやすい立地にある物件を見て、「ここはリビングだ」と直感的に思ったんだそう。
リビングの住居部分には子ども同士を遊ばせる親子連れもいれば、パソコンを開いて仕事をしている人、ご飯を食べる2階賃貸の住人など、それぞれが思い思いに過ごしていた。うみべのいえキッチンは「買ってから食べるまで」の単発的ななつながりである一方で、うみべのいえリビングは、キッチンよりも長期的に、深く関わることができる場となっている。まずは来やすいキッチンから利用してもらい、リビングでより深く知り合ってほしいとのことだ。
こうした地域のサードプレイスのような場が、中長期賃貸と共存していることで、さらなる効果も生まれている。取材時には、町外から来た画家の方が滞在しており、リビングに地域の人たちを招いて晩御飯を一緒に食べるなどして交流をしていた。町外から来た人が自力で地域住民とつながるのは難しさがある。地域住民からの信頼ある「居場所」を住まいとすることで、自然に地域住民とつながりやすくなり、地域住民にとっても町外の人を受け入れることに対するハードルが下がるだろう。ワーケーションやお試し移住との相性が良い場所だと感じた。
また、料理教室や編み物教室、英会話教室など習い事の場としての利用や、「おとなりさん食堂」という、いわゆる子ども食堂も開かれている。取材に訪れた際には「おとなりさん食堂」が開かれていたが、100食ものカレーとお惣菜が提供されていた。料理を作るのは、地域のお母さんたち。朝からリビングに訪れ、井戸端会議に花を咲かせながら、100人前の料理をてきぱきと仕込むお母さんたちは「西岡さんのような若い子が地域の頑張ってくれているんだから、私たちシニア世代も何かできることがあれば協力したい」と、はつらつと話してくれた。午後になると子どもたちが続々とカレーを受け取りにきており、幅広い世代が支え合う共助の場にもなっている。
手仕事や物のシェアを促進する「うみべのいえクローゼット」
そして2024年4月には、「うみべのいえクローゼット」がオープン。キッチンでは食べる空間、リビングでは居場所と、暮らしの「空間のシェア」に取り組んできたが、まだ文化的に浅かった「物のシェア」にも取り組みたいと開かれたのがクローゼットだ。季節ものの服や、着なくなった服、子ども服などをシェアする雑貨屋としての機能を持つ。
ここでは、手仕事が好きなコミュニティづくりのために手仕事スペースも備えている。アトリエ用に用意されている布はすべて貰い物。うみべのいえプロジェクトメンバーとしてクローゼットを運営する羽根珠実さんに教えてもらいながら、服を直したり、物を作ったりできる空間だ。やってみると痛感するが、初心者にとって服のお直しやリメイクは、一人で取りかかるとなかなか難しい。アドバイスをもらったり、他愛のない世間話をしながら取り組める環境やコミュニティがあることで、楽しく継続的に取り組んでいけるだろう。まだオープンしたばかりだが、これからより多くの人に使ってもらうべく、建物の改修もしていくそうだ。
お金を払えば新しい物が買える時代だからこそ、自分で作ったり、今あるものを長く大切につかっていくという文化が薄くなってきているように思う。そうしたなかで、手間暇かけて手仕事をしたり、物を循環させていく楽しみを共有できる場が地域に開かれていることの意義は大きいのではないだろうか。
うみべのいえクローゼットを運営する羽根さんは「縫いごと屋」という屋号を掲げて、うみべのいえクローゼットで洋服のお直しやリメイクなどを行っている。自分の店を持つのが夢だったという羽根さん。息子経由でこのプロジェクトの存在を知り、西岡さんと知り合ったという。クローゼットをつくる構想を持っていた西岡さんに一緒にやらないかと誘われ、うみべのいえプロジェクトに参画することに。羽根さんは「地域に長く住んでいるけど、挑戦の機会がなかったんです。ずーっと挑戦してみたかった長年の夢が実現したのよ」とうれしそうに話してくれた。
ちなみに、うみべのいえキッチンで「おとなりさん食堂」の手伝いをしていたお母さん方は、羽根さんの紹介で手伝うようになったという。
「彼女たちもこの頃、この歳でも刺激が欲しいと言っていたんです。そこで『おとなりさん食堂』の話があったので、『料理上手だから行ってみたらどう?』と言ったら、『行く行く!』と言ってもらえました」(羽根さん)
羽根さんをきっかけに、プロジェクトの輪がシニア世代にも広がっている。
なにもない町から、チャレンジに溢れる町へ
ここまでプロジェクトに関わる女性たちについても意識的に紹介してきたが、うみべのいえプロジェクトメンバーは、舌古さんをはじめ、「一次産業の嫁」と言われる女性たちが活躍しているのが特徴だ。かくいう発起人の西岡さんも、いちご農家の「嫁」である。一次産業就業者が多くを占める南伊勢町。女性は一次産業を支える仕事をしている場合も多く、自分自身のやりたいことを実現する機会が少ないのも現状である。さらに、「嫁入り」という形で別の地域から移住している女性も多く、コミュニティづくりの必要性も高い。
当初は「車で通りすぎてしまうまちから、歩いてみたくなるまちへ」をコンセプトに始めたプロジェクトだったものの、続けているうちにコンセプトが変わってきていると話す西岡さん。最初は自分がプロジェクトにチャレンジしていたのが、プロジェクトメンバーや「一次産業の嫁」といわれる女性たち、地域住民にもチャレンジの輪が広がってきている様子を見て、外から人を呼ぶだけでなく、地域住民のチャレンジや自己表現の場にしていきたいと考えるようになったという。うみべのいえプロジェクトは「家の機能を町に拡張する」というテーマだということもあり、それぞれのチャレンジを家族のように当事者性をもって応援しあえる関係性をつくることで、一人ではできないことが実現できる場にしていきたいとのことだ。
取材冒頭に、「なにもない地域だけど、いいところだよ」と話す地域住人が多いと教えてくれた西岡さん。なにもない地域だからこそ、チャレンジの余白が「ある」ともいえる地域。取材を通じて、いつか「なにもない地域だったけど、チャレンジする人がたくさんいる町になった」と言われるような町の未来が見えた。これからは、うみべのいえの「部屋(店)」だけでなく、「チャレンジする人」に会うことを目的に、歩いてみたくなる町になっていくのではないだろうか。
書斎やショートステイなど、これからも空き物件が出てくる都度、「部屋」を地域に拡充していく予定とのこと。今後どのような「うみべのいえ」になっていくのか、そして、どのようなチャレンジが生まれていくのか、楽しみだ。
■取材協力
うみべのいえプロジェクト
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