近隣住民が楽しんでいた横須賀市の野比海岸が若者が集まる人気スポットに
駐車場は目的地ではない。どこか、ヨソに目的地があり、そこに行くために車を置いていく場所というのが一般的なのだが、横須賀市の野比海岸に駐車場自体が目的地という、これまでにない考え方の駐車場が誕生した。名付けて「#ジハングン ヨコスカ」(以下#ジハングン)。それだけを聞いただけでは何を言っているのか分からないという人も多いだろう。順に説明しよう。
#ジハングンが最初に生まれたのは福岡市西区と糸島市の境界に位置する県道45号に面した糸島エリア。海辺に約1万m2という遊休地があり、2018年それを借りた人がいた。株式会社ブルースカイの貞末真吾さんである。
貞末さんは福岡に「泊まれる立飲み屋」という、聞いた途端に「なんだそれは!」と思うような店舗や、「動くスナック アポロ号」というこれまた行ってみたくなるような場を作ってきた人。実は、本当は海の家を作るつもりだったという。鎌倉生まれで海辺に仕事を作りたいという気持ちがあったのだ。
ところが借りた土地には上下水道が通っていなかった。シャワーもトイレも使えないのでは海の家は成り立たない。というより、たいていの商売は成り立たない。頭を抱えていたところにこの地域には駐車場が足りていないという情報を耳にする。駐車場なら上下水道がなくてもできるが、駐車場だけでは面白くないし、だいたい、それほど儲からない。だったら、これまでの常識を打ち破る目的地となる駐車場が作れないか、それが#ジハングンの始まりである。
#ジハングンという名称になったのはマネタイズと面白さを兼ねてさまざまな自販機をたくさん、まるで迷路のように置く計画があったため。自販機が束になって置いてある、つまり、群になっているから#ジハングン。分かるような、分からないようなネーミングである。糸島では本物の自販機が2台、フェイクが3台置かれていた。
実際に作られたのは「海の美術館」。若い女性が思わず写真を撮りたくなるような海と空を背景にアーティスティックなオブジェが点在する空間で、当初は駐車料金ではなく、入場料という表現をしていた。対象になる若い女性たちに意見を聞き、3週間ほどで作り上げた空間だったが、しばらくは誰も来なかった。知られていないのだから当然だろう。
だが、翌年の春になり、ふと気づくと一日に50台、週末には100台もの車が駐車するように。若い女性たちが集まり、行列を作って#ジハングンで写真を撮りまくるようになったのである。その不思議な行列の風景が相次いでテレビで取り上げられ、行列はさらに伸びるようになった。
砂が減少、海水浴場として成り立たなくなった海岸をどうするか
その後、何度か駐車場料金を値上げしたものの、何人かで同乗してきて写真を撮ると考えると一人あたりの料金はたいした額ではない。それ以上に映える写真が撮れる他にない空間であること、コロナ禍中に野外で楽しめる場であったことなどが幸いして、#ジハングンには2022年までの5年間で150万人以上が来場、ハッシュタグ2.8万件以上、2019年にはSNS分析会社による「インスタ映えスポットランキング」で全国3位(3年連続でトップ5入りも!)という成果を上げた。
が、5年間の定期借地契約で借りていた土地で、所有者は更新を望まなかった。かくして貞末さんはせっかく収益を上げるようになった#ジハングンを手放さざるを得なかった。
糸島での成功を聞いてウチでやらないかという声も複数かかっていたそうだが、2024年に横須賀市の野比海岸で新たな#ジハングンをスタートすることになったのは、2021年に鎌倉に拠点のあるまちづくり会社エンジョイワークスの福田和則さんに出会っていたため。福田さんから横須賀市を紹介されたのである。
横須賀市内で複数の候補地を見た中で、野比海岸にある2カ所の駐車場が指定管理者を公募していた。同地では2006年から指定管理者制度で運営をしていたが、赤字続きで、市はもう続けられないという状況にあったのだ。そのひとつの理由は海岸の砂の浸食にある。
今回、新たな#ジハングンが登場した北下浦海岸はもともとは海水浴を楽しめる場であった。横須賀市が2011年に改訂版として作った「北下浦漁港海岸等浸食対策基本計画の抜粋」なる資料の表紙を見るとパラソルが並ぶ海岸の写真が掲載されている。
ところが、徐々に砂が減少、砂浜が痩せてきた。その後、離岸堤ができたことで浸食自体は落ち着いてはいるものの、現在の海岸は海水浴ができるような場所ではない。駐車場の利用が減り、赤字が続くのも当然だろう。
そこで横須賀市は駐車場の管理が主業務ではあるものの、海岸沿いの遊歩道の一部、施設などを利用しても構わないという条件で新たな事業者を募集していたのである。
地元の人たちも出資、クラウドファンディングで資金を調達
「#ジハングンのことは聞いていたので、一例としては考えていました。それ以外では海を利用したレジャー、スポーツ、バーベキューなどを想定、実際、応募のあった2社のうちの1社はSUPなどのマリンレジャーを中心とした利用を提案されていました」と横須賀市港湾部港湾管理課の八木宏道さん。
最終的に選考委員会が選んだのは#ジハングン。選考委員会が決めたことなので、なぜ選ばれたかは推測するしかないが、ひとつには糸島での実績、そしてもうひとつはこれまでにない新しい取組みだったからではないかと思う。
管理受託が決まったところで2024年1月からは不動産ファンド「ハローリノベーション」を利用、クラウドファンディングを実施して2000万円を集めた。
「うれしかったのは集まった出資のうちの約35%は地元横須賀市の企業や方々からのものだったこと。期待を感じます。また、すでに地元の飲食店からはここを使って街コンをやりたい、キッチンカーを出したいなどという声を頂いています。
都心から1時間圏内で周辺には横須賀美術館や長井海の手公園ソレイユの丘、猿島その他三浦半島エリアにある観光・集客施設もあり、あちこちを回って楽しめる立地でもあります。#ジハングンをきっかけにこのエリアを訪れる人が増え、地元の人たちと一緒に地域を活性化できればと思っています」と貞末さん。
さて、長々と#ジハングンが横須賀に誕生するまでを綴ったが、ここからは実際の#ジハングンを紹介。何がすごいのかをお伝えしていこう。
ピンクと白が基調。思わず写真を撮りたくなるスポット多数
#ジハングンが立地するのは横須賀市野比2丁目。東京湾口を望む野比海岸・北下浦海岸通りで、海沿いには約1キロにわたる遊歩道がある。早春には200万株もの水仙が咲き誇る水仙ロードでもあり、地元の人たちが大事に手入れしてきた場所である。
#ジハングンがあるのはそのうちの500mほど。京急線YRP野比駅から緩やかに坂を下り、海に向かっていくと最初に目に入るのがピンク色のブランコの頭の部分だ。ブランコの高さは6mあり、これは遠くからでもまず目につく高さということで検討した結果。確かにいきなり現れる周囲と異なるプリティな色合いは目を惹く。
糸島では黄色が基調だったが、野比海岸はピンクになっており、これは「絶対失敗したくない」と選んだ色。ピンクにもいろいろなバリエーションがあるが、野比海岸はもうひとつの色、白とのコントラストが絶妙なピンク。ピンクがメインではあるものの、そこに白が加わることで印象的な色合いになっているのだ。
ブランコは2台あり、どういうわけか、取材で訪れた日は順にずっと誰かが座り続けていた。人がこんなにもブランコが好きとは知らなかった。
ブランコから少し上がったところにあるのが通称「どこにも行けないドア」。ドアは海辺の強風を警戒して固定されているが、どこにも行けないと分かっていても行けそうな気がするのが不思議なところ。貞末さんにはにこやかな笑顔でドアから顔を出してほしいとリクエスト、かわいい写真を撮らせていただいた。
その先にはカタカナの箱文字、ヨコスカ。ただ、文字があるだけといえばそれだけなのだが、文字の中に座ったり、顎を乗せたり、もたれかかったりと、訪れる女性、子どもは誰も何も言わなくても勝手にポーズをとり、主人公となってカメラに収まる。
箱文字の先、海辺への階段はピンクに白でアルファベットが描かれており、自分や好きな人のイニシャルと一緒に写真に納まるというのが正しい(?)使われ方。初めての人なら自分のイニシャルを探してうろうろするだけでも楽しい。
ヨコスカの箱文字の先にあるのが#ジハングンの名称のもととなった自販機。その先にもわざと情報が公開されていない秘密の壁があるなどエリア内には複数の撮影スポットが点在する。同様にブランコとは反対側にも「!」という場所が多数用意されている。
時間もお金もかけずに24時間働いてくれる地方活性装置、#ジハングン
簡単に言ってしまうと若い女性や子どもたちが勝手に写真を撮りたくなるスポットを作るというだけなのだが、#ジハングンがすごいのは何もないところにいきなり観光名所を作ってしまえること。
野比海岸は海水浴ができなくなってしまった海岸、糸島も水が使えない海辺だったが、きれいな空と海がある場所ならどこにでも#ジハングンは作れる。なんだったら、山でも、森でも、川辺でもよい。背景があり、絵になるモノを置いて写真が撮りたくなる場が作れれば、どんな場所にも可能性が生まれるのである。
といっても建物を作るわけではないので費用も時間もかからない。野比海岸の場合には全体で6,000万円ほどかかっているのだが、それは駐車場設備や塗装その他の工事があったためで、そのうち大きかったのは駐車場の整備費。以前は白線と有人用の小屋のみだったところを、フラップ式の自動駐車場に整備したためだ。そのため、オブジェだけで考えればそれほどの額にはならない。建物を作ることを考えれば、ほとんどかからないと言ってもよい。
建物を作らないので用途地域も限定されない。どんな場所でも使える。
収益は駐車場料金から得ることになるが、駐車場は無人で運営できる。初期費用として設備投資は必要だとしても、それがあれば人件費は不要。機械が24時間、365日稼ぎ続けてくれるのである。
加えて地方の、これまで使えていなかった土地を利用するので地代は安くて済む。その上、価値のあまり高くなかった土地を#ジハングンとして使うことで土地の価値を上げることができれば、地域には大きな貢献にもなる。糸島の場合には周囲に新たな駐車場や映えるスポット、回遊できる店舗などができ、地域が変わり始めたとか。そう考えると#ジハングンは日本のあちこちで役に立つ、使える仕組みといえる。
実際、現在は野比海岸だけだが、今後、他の場所にも違う形の#ジハングンが誕生するはず。この仕組みを使わないなんて考えられない。
ところで、この仕組みを他に先んじて導入した横須賀市には敬服である。おそらく地元からはいろいろな声があっただろうし、世にないことをやるには障壁はつきもの。それを乗り越え、これだけ楽しい場を作った。これまで人口減少だけが取りざたされてきたが、この勢いが今後の横須賀市を変えるかもしれない。
■取材協力「#ジハングン」
https://jihangun.jp/
https://www.instagram.com/jihangun
「#ジハングン」は株式会社ブルースカイの登録商標です(登録番号6682700)
公開日:














