備前市伊部地区は歴史ある備前焼の聖地

「備前焼」の産地として知られる、岡山県東南部の街・備前市。その備前市の西部にある伊部(いんべ)地区に2023年10月、宿泊施設がオープンした。その宿泊施設は「備前ホテル陶(すえ)」。宿泊を通じて備前焼の良さを感じられることがコンセプトになっている。

その備前ホテル陶を企画し、建設から運営まで行っているのが、地元・伊部にある老舗の工務店・株式会社 有本建設だ。工務店なので宿泊施設を建設するのは一般的だが、工務店が宿泊施設の運営まで行うのはめずらしい。長い歴史がある備前焼の街で、老舗工務店が宿泊施設を企画し、運営するに至ったのにはどんな経緯や思いがあったのだろうか。

旧西国街道(近世山陽道)沿いに備前焼の窯元や陶芸品店、ギャラリーなどが立ち並ぶ伊部の街並み。この西国街道は「備前焼本通り」の通称が付けられている旧西国街道(近世山陽道)沿いに備前焼の窯元や陶芸品店、ギャラリーなどが立ち並ぶ伊部の街並み。この西国街道は「備前焼本通り」の通称が付けられている
旧西国街道(近世山陽道)沿いに備前焼の窯元や陶芸品店、ギャラリーなどが立ち並ぶ伊部の街並み。この西国街道は「備前焼本通り」の通称が付けられている伊部駅から北へ西国街道まで続く駅前通りは「炎の里大通リ」とも呼ばれている。沿道には備前焼の窯元や陶芸品店、ギャラリーなどが並ぶ

備前焼は日本六古窯(ろっこよう)のひとつに数えられる焼き物である。備前国(びぜんのくに)で盛んに生産され、とくに現在の備前市を中心とした地域で多くつくられていた。このあたり一帯は、古代より須恵器(すえき)と呼ばれる焼き物の製造が盛んであった。その須恵器から発展したものが、備前焼だとみられている。その後、12世紀ごろに備前地域特有の焼き物がつくられるようになった。これが備前焼のルーツである。そして鎌倉時代から安土桃山時代にかけて、現在の備前焼のスタイルが徐々に確立されたといわれている。

備前国の中でも備前焼の製造が集中していたのが、現在の伊部地区である。そのため備前焼は、別名「伊部焼」とも呼ばれている。少なくとも室町時代には、伊部に多くの窯が構えられていた。現在でも伊部には多くの窯元や工房、陶芸店、ギャラリーなどが存在。また備前焼伝統産業会館や備前ミュージアムなど備前焼関連の施設もあり、伊部は備前焼の街として知られている(備前焼ミュージアムは2025年3月31日までの予定で、リニューアル工事のため休館中)。

備前焼の特徴は、釉薬(ゆうやく=素焼きの陶磁器の表面に塗る薬品)を使わないこと。また絵付けも行わず、そのまま1200〜1300度の高温で焼くのも特徴だ。そして土の性質や温度変化、灰や炭の影響などにより、備前焼特有の模様が生まれるのである。そのため備前焼の模様は一つひとつ違っており、同じものはない。備前焼は国の伝統的工芸品に指定されたり、日本遺産に認定されたりしており、多くの人を魅了している。

旧西国街道(近世山陽道)沿いに備前焼の窯元や陶芸品店、ギャラリーなどが立ち並ぶ伊部の街並み。この西国街道は「備前焼本通り」の通称が付けられている備前焼のマグカップや湯飲み。一つひとつ微妙に表情が異なる
旧西国街道(近世山陽道)沿いに備前焼の窯元や陶芸品店、ギャラリーなどが立ち並ぶ伊部の街並み。この西国街道は「備前焼本通り」の通称が付けられている伊部地区に残る市指定文化財「天保窯」。江戸時代後期の1832年(天保3年)につくられ、なんと1940年(昭和15年)まで約120年にわたり備前焼の製造に使用された

備前焼の里に誕生、地元の老舗工務店が手がける「備前ホテル陶(すえ)」

歴史ある備前焼の里に登場した宿泊施設、備前ホテル陶。敷地のすぐ北側を国道2号線、南側をJR赤穂線が走る。JR伊部駅から東へ約250mという場所だ。備前ホテル陶について話を聞いたのは、支配人の有本 祐子(ありもと ゆうこ)さん。

「地元では以前から『伊部は備前焼の街という観光地であるけど、宿泊施設が少ない』という声がありました。遠方から観光で伊部に訪れる方は、備前市でも東端にあたる日生地区や、岡山市・倉敷市といったほかの観光地に宿泊されることが多かったのです。そしてほかの観光地から移動して、伊部を訪れるというパターンでした。伊部に宿泊施設があれば、ほかの観光のついでではなく、伊部が観光の拠点となるのです。伊部には備前焼の陶芸教室もあり、伊部に滞在できるようになると利便性が増します」と有本さんはホテル建設の経緯を話す。

「弊社・有本建設の代表は、岡山市内でゲストハウスを展開する不動産会社の代表と知り合いでした。その事業からヒントを得、伊部で空家を活用してリノベーションして宿泊施設にするという計画を考えました。しかし伊部地区という範囲に限定すると、なかなか活用できる空家が見当たりません」

「そこでコロナ禍による事業再構築補助金を活用し、新築で宿泊施設を建てる計画に変更。補助金の申請が通り、ホテル建設が決まりました。伊部地区内に放置された状態の土地があったので、不動産会社と交渉して購入。それが現在、備前ホテル陶がある土地です」と有本さん。

なお有本建設は、木の特性を最大限生かした家づくりを得意とする、木にこだわる工務店。もともと伊部の地で1967年に大工として創業。現在は二代目が経営し、いまも伊部で営業を続けている地域密着の老舗工務店だ。

話を聞いた備前ホテル陶の有本祐子支配人話を聞いた備前ホテル陶の有本祐子支配人
話を聞いた備前ホテル陶の有本祐子支配人備前ホテル陶の外観。左の建物が本館で、右の建物が別館(提供:備前ホテル陶)

有本さんによると「ちょうど備前ホテル陶の計画が生まれるころ、『伊部本』という伊部の街歩きのガイドブックをつくるという話がありまして、私も制作に携わりました。伊部の備前焼の作家さんなどへ取材し、伊部を盛り上げるためにどんなことをしたいという話を聞いたりしたんです。作家さんとの繋がりも生まれました。このときの経験を生かし、"備前焼を身近に感じられるホテル"というコンセプトが生まれたのです」と語る。

「伊部本の取材を通じて、作家さんやギャラリーの方など備前焼に関わる方の思いに触れ、備前焼の魅力を多くの人に知ってもらいたいと考えるようになりました。備前焼という名前は知っていても、実際に買うには少しハードルが高いと感じる人も多いと思います。ホテルで備前焼を実際に触れてもらい、備前焼の良さを体感し身近になってもらうことで、伊部の街での備前焼の購入に繋がるのではと考えたのです」と有本さん。

なお「陶」というホテル名は、備前焼などの「陶器」を意味する「陶」に由来している。ほかにも陶という漢字には「楽しむ」「うっとりする」という意味もあるという。

話を聞いた備前ホテル陶の有本祐子支配人本館の様子。本館の一部には有本建設の事務所がある
話を聞いた備前ホテル陶の有本祐子支配人別館は一棟貸しとなる

個室と一棟貸しの2タイプの客室で、木造住宅の気持ちよさを楽しめる

備前ホテル陶の客室は、個室と一棟貸しの2タイプがある。いずれも、無料のWi-Fiを完備している。個室は本館にあり、全部で5室。いずれも2名向けの個室で、シングルベッド2台の部屋が3室とダブルベッド1台の部屋が2室ある。個室には全室、室内にシャワールームが設置されている。

一棟貸しは、本館の横にある別館となる。別館は、まるで一戸建てのようなたたずまいだ。一棟貸しは、4〜6名の宿泊に適している。2階建てで、1階には広いリビングやキッチン、トイレ、浴室などが設置されている。2階は寝室で、ダブルベッド1台の部屋が2室、セミダブルベッド2台の部屋が1室ある。

本館の個室の様子。シングルベッド2台の部屋とダブルベッド1台の部屋がある本館の個室の様子。シングルベッド2台の部屋とダブルベッド1台の部屋がある
本館の個室の様子。シングルベッド2台の部屋とダブルベッド1台の部屋がある一棟貸しとなる別館の1階。ダイニングルームには、テーブルのほか、書斎風のデスクも

「別館は貸切別荘のような気分でご利用していただき、リフレッシュしていただきたいです。また弊社は工務店ですので、この別館をモデルハウスのようにして、実際に宿泊いただいて、ご自身が家を建てる際の参考にしてもらえたら幸いです」と有本さん。

備前ホテル陶を建設し運営する有本建設は、木を使った建築を得意とする工務店である。そのため、備前ホテル陶も木造建築だ。木の良さを知り尽くした工務店ならではの、木の温かみや質感の美しさ、居心地の良さなどを感じさせる館内となっている。有本さんは「木の良さが感じやすいよう、木材以外は白と黒を基調にしたものにしました。個室は自分の部屋のように、一棟貸しは別荘のようにご自由にお過ごしください」と話す。

また備前ホテル陶が立っている土地は、もともと北から南へ向けての傾斜地である。この傾斜した地形をうまく取り入れた設計となっているのもポイントだ。

本館の個室の様子。シングルベッド2台の部屋とダブルベッド1台の部屋がある別館1階のキッチン。広々とした流し台や電子レンジ・オープンなども備えている
本館の個室の様子。シングルベッド2台の部屋とダブルベッド1台の部屋がある別館 2階 寝室のダブルベッド。寝室は3室あり、ダブルベッド1台の部屋とセミダブルベッド2台の部屋がある

備前焼タイルの浴室も!備前焼が感じられるホテル

備前ホテル陶のコンセプトは「備前焼の良さが感じられる」ということ。その最大の目玉が「備前焼タイルの風呂」だろう。本館と別館にそれぞれ1室ずつ設置されている。なお本館の備前焼風呂は1日1組限定の予約制で、宿泊料とは別途料金が必要だ。

備前焼風呂は、浴槽に備前焼のタイルが敷き詰められている。有本さんによると「浴槽自体を備前焼でつくるのは備前焼の性質上、難しいそうです。そこで備前焼でタイルをつくり、並べていくというアイデアが生まれました。備前焼の模様は、ひとつとして同じものはありません。その備前焼の特徴が、一目見てわかるお風呂です」とのこと。ちなみに、備前焼風呂の浴室の壁にはヒノキが張られている点もポイントだ。

「お風呂ですので、備前焼が直に肌に触れます。入浴を通じて、備前焼の質感や触り心地などを体感できるのも特徴です。ぜひ備前焼の良さを肌で感じていただきたいですね」と有本さん。

本館と別館にそれぞれ設置してある、備前焼風呂。浴槽の内側に備前焼のタイルが並べられている本館と別館にそれぞれ設置してある、備前焼風呂。浴槽の内側に備前焼のタイルが並べられている
本館と別館にそれぞれ設置してある、備前焼風呂。浴槽の内側に備前焼のタイルが並べられている一つひとつ表情が異なる備前焼タイル。見るだけでなく、実際に入浴して肌に触れて備前焼の質感を体験できる

また各部屋には、備前焼のマグカップを用意してある。部屋でくつろぎながら、備前焼を楽しめる。またマグカップとともに、備前市の西隣・瀬戸内市の人気珈琲店「キノシタショウテン」が焙煎したオリジナルコーヒーも置いている。地元の味を備前焼で味わえるのである。

有本さん「今後も館内に、備前焼の設置を徐々に増やしていく予定です。また現在、本館1階に共用キッチンを準備中なのですが、キッチンにも備前焼の食器をいろいろ取りそろえたいと考えています」

「備前焼の風呂や館内に備前焼を置くことに関して、伊部本の取材を通じて知り合った備前焼関係者の方に協力をお願いしたところ、快く協力をしていただけました。伊部という地域の連携により、備前ホテル陶は生まれたといえるでしょう」と有本さんは話す。

本館と別館にそれぞれ設置してある、備前焼風呂。浴槽の内側に備前焼のタイルが並べられている備前焼風呂の手洗い場も、備前焼製になっている
本館と別館にそれぞれ設置してある、備前焼風呂。浴槽の内側に備前焼のタイルが並べられている客室に置かれる備前焼のマグカップ。個室は2人分、一棟貸しは6人分の備前焼マグカップが備え付けられている(提供:備前ホテル陶)

「無人の完全セルフのホテル」として効率化し、建設業との両立を実現

有本建設の本業は、もちろん建設業である。そのため建設業を行いながら宿泊施設を運営するため、備前ホテル陶は基本的に無人で運営されている。

予約はWebで行い、予約すると電子メールで鍵番号が送信される。ホテル到着後、出入口で鍵番号を入力することで、24時間いつでもホテルに出入り可能だ。チェックイン・チェックアウトは、館内出入口付近にあるタブレットを操作して行う。チェックイン後、部屋に行って入口で鍵番号を入力すれば入室できる。また食事の提供はしておらず、宿泊客が各自で用意したり、外食したりする。現在準備中の共用キッチンでの自炊も可能になる予定だ。

「システム化とセルフ化によって効率的な運営を行い、建設業と両立できるようにしました」と有本さん。

ナンバー入力式の鍵を使用している、備前ホテル陶の出入口ナンバー入力式の鍵を使用している、備前ホテル陶の出入口
ナンバー入力式の鍵を使用している、備前ホテル陶の出入口出入口をくぐるとすぐのところにある無人受付。タブレットを使用して、チェックイン・チェックアウトを行う

備前焼体験や伊部の飲食店との連携も。今後は海外観光客も視野に

当初、観光客をターゲットにしてオープンした備前ホテル陶。オープンしてみると観光客も多いが、予想以上にビジネス客も多いという。有本さんは「ビジネスの方は1名で宿泊される方が多いのですが、個室は2名での宿泊を前提としています。このあたりの価格設定は、今後再考していく必要があるかもしれません」と話す。

「新型コロナウイルス感染症の流行前までは、伊部は備前焼に興味をもたれた海外の方も訪れていました。コロナ禍になって海外客は減少しました。全国的に海外観光客の方もふたたび増加傾向にありますが、伊部ではまだまだこれからです。しかし海外向けの観光関連サービスの方からの問い合わせがあったりしていますので、今後は海外対応に力を入れていきたいですね。英語サイトの制作や、料金設定を海外の方にもわかりやすいものに改定するなどです」と有本さん。

本館南側の客室の目の前には、JR赤穂線が走っている(提供:備前ホテル陶)本館南側の客室の目の前には、JR赤穂線が走っている(提供:備前ホテル陶)
本館南側の客室の目の前には、JR赤穂線が走っている(提供:備前ホテル陶)客室に置かれるアメニティー類

有本さん「また館内に備前焼を置くだけでなく、つくった方がどんな人なのかという説明なども用意する必要があると感じています。それをもとに、実際に伊部の街に備前焼を買いに行かれる方もいるでしょうから。それと伊部の街には備前焼をつくったり売ったりするだけでなく、備前焼づくりを体験できるところもあるんです。備前焼体験施設と連携し、当ホテルの宿泊と備前焼体験をセットにしたプランなども用意したいですね」

「同じく、食事の面でも提携ができたらと思います。当ホテルは、食事の提供がありませんので。宿泊者への、伊部の飲食店の割引サービスなどです。また一棟貸しだと、ケータリングサービスとの連携もできるのではないかと思います」

「当ホテルを利用する方の中には、伊部から近い刀剣の里・瀬戸内市長船町に足を運ぶ方もいらっしゃいました。ほかにも備前市内に閑谷学校や日生などといった観光地もありますので、将来的に当ホテルや伊部地区を東備エリア(岡山県南東部)の観光の拠点にしていければと思います」と有本さんは今後の展望を語った。

備前焼は1000年以上の歴史を誇る、備前の郷土の伝統文化である。国内はもとより、海外にも愛好家は多い。備前焼の魅力を広めながら、備前焼の街・伊部を盛り上げる備前ホテル陶の今後に注目だ。


取材協力:
備前ホテル陶
https://bizenhotel.jp/
株式会社 有本建設
https://www.k-arimoto.com/

本館南側の客室の目の前には、JR赤穂線が走っている(提供:備前ホテル陶)客室に置かれる備前焼のマグカップ
本館南側の客室の目の前には、JR赤穂線が走っている(提供:備前ホテル陶)ホテル名が書かれた名板も備前焼製

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