寂れた故郷・帯広を盛り上げたいと一人の弁護士が立ち上がった
北海道帯広市の市街地を、馬車BARというユニークな乗り物が走る。発着地点は「HOTEL NUPKA(ホテル ヌプカ)」という2016年に開業したホテルの前だ。待ち時間を利用して、ヌプカでクラフトビールを飲んでいる人もいて、これから始まるアトラクションを楽しみにしているようだ。
このヌプカは、帯広市出身で東京在住の弁護士、柏尾哲哉さんの思いでスタートしたプロジェクトのひとつだ。柏尾さんの実家は帯広市の中心市街地で眼鏡店を営んでいた。しかし1980年代以降、世の中が自動車社会に変わって中心市街地から客足が遠のき、実家の商売が湿りがちになっていくのを柏尾さんは目の当たりにしてきた。柏尾さんは1985年に高校卒業後、京都大学に入り、そのまま道外で就職して、弁護士資格を取り東京で暮らした。しかし40歳になった頃(2006年の頃)から、故郷が寂れていく現状に何かできないかという思いが募り、その思いを果たすことが人生後半のライフワークだと考え、活動を始めたのだ。
柏尾さんはまず、東京で「とかち東京クラブ」というコミュニティに参加した。20年以上も地元を離れていたので、人脈も無かったからだ。その会合で後にヌプカの共同創業者となる坂口琴美さんとも出会う。彼女も衰退していく故郷帯広の現状を何とかしたいという思いを持っていた一人だった。
柏尾さんまず、2010年に「Green Neighborhood」というアメリカのポートランドに関する書籍を読み、感銘を受けて実際にポートランドまで足を運んだことで、街の活性化の具体的なイメージをつかめたという。ポートランドは、民間企業と住民、そして行政が三位一体となって、寂れた倉庫街エリアを全米屈指の魅力的な街(※)に押し上げ、世界のまちづくりのお手本にもなっている都市だ。
帯広に戻った柏尾さんが最初に仕掛けたのは、アジアの経済発展を取り込んで帯広の高いポテンシャルを生かすため、海外へ十勝の魅力を伝える活動だ。その一環として「マイリトルガイドブック」という映画を制作し、動画共有サイトで配信。自身での出資のほかに、クラウドファンディングで200万円を超える支援を集めた。
※ 米U.S.Newsによる「住みやすい都市ランキング(Best Places to Live in the U.S. in 2022-2023)」全米8位
宿泊者と地域が出会えるホテルを目指す
映画の撮影で帯広の街を歩いているとき、空き家になっているホテルを見つけた柏尾さん。ポートランドで滞在したエースホテルが街づくりの拠点となっている景色を思い出し、思い切って購入を決断した。それが現在のヌプカの建物だ。
「購入した際に、帯広市から声がかかり、経済産業省の中心市街地再生事業の補助金を紹介されました」(柏尾さん)。補助金は調査事業と建築事業の2段階に分かれていて、まずは調査事業が採択となり、「Green Neighborhood」の著者である吹田良平さんなどの協力を得て100ページ近くの報告書をまとめた。これが宿泊者と地域の交流でホテルから街を作るという理論的なベースになった。
そして調査に基づく建築事業も採択となり、報告書の内容をデザインに落とし込んでいった。「設計は東京のUDS株式会社に依頼しました。彼らは独自に宿を経営していて、デザインだけではなく収支計算に基づいて運営も実践していることに共感したのです」と柏尾さんは続ける。
ヌプカのデザインはアグレッシブだとよく言われたと柏尾さん。トイレとシャワーを含め8m2の面積におさめるため、ベッドだけのような部屋になっている。宿泊ニーズと意匠性を踏まえ、思い切ってコンパクトな客室とし、空間を有効活用している。
ヌプカの工事期間中である2015年の夏、古い内装を全部剥がしたことで、廃墟のような見た目のタイミングがあった。その際、アーティストに空間を開放し、地元の作家による個展や現代アートの作家50人ほどによる共同展示が行われた。その中から柏尾さんが買い取った作品が、現在もヌプカの入り口付近に展示されている。ヌプカの建物内には他にも地元のクリエイター作品が並ぶ。
コロナ禍を転機にワーケーション施設を新設
ヌプカは2016年の3月にオープンしたが、地域発の小さなホテルへの集客は簡単でなく、最初は苦戦したそうだ。その後、ゴールデンウィークに旅行需要が高まった際、他のホテルが満室だったためにあぶれた旅行客がヌプカに流入してきた。「彼らの口コミ評価が高かったんです。その効果によって本格的な夏の観光シーズンでにぎわいを創り出すことに成功し、ようやく手応えを感じました」と柏尾さん。
ホテルを基点に、周辺の飲食店など地域全体で宿泊者をもてなすという考え方から、「日本まちやど協会」に2018年に加盟した。さらに宿泊者のコワーキングスペースとして、近隣の古い商業ビルの一室を借りた。「内装について、地元アーティストさんにプロデュースを担当してもらいました。レトロな雰囲気に仕上がって、利用者からも好評です」と柏尾さんは嬉しそうに語る。
運営が軌道に乗ったころ、従来のコンパクトな部屋に加え、家族連れでも泊まれる広い部屋を整備しようと、近隣の物件をあたっていた。そんななか、2019年11月に第一生命保険株式会社の本社から、柏尾さんのもとに突然電話があった。「ヌプカ近くの帯広営業所の建物が老朽化していて、全面改修をする予定で、地域貢献できる不動産活用のために地元の事業者と連携したい」という話だった。まさに渡りに船で、柏尾さんはホテル施設としての活用を提案。帯広市も交え三者で施設活用の企画を協議してまとまった段階で、世の中がコロナ禍となり、事業はいったん中止となってしまう。
しかし2020年の7月、国の観光戦略実行推進会議で「新たな旅のスタイル」として、ワーケーションを推進する方針が示され、その第一生命保険のビルをワーケーション滞在施設とする方向で事業を再開した。設計は同じくUDSが手掛け、「NUPKA Hanare(ヌプカハナレ)」として翌2021年4月にオープン。建物の1階は、オンライン会議用の個室ブース3室をすべての宿泊者に無料開放する「Hanare LOUNGE」、同2階と3階は、ビジネス滞在や家族連れも快適に宿泊できるホテル施設だ。街につながるワーケーション施設が誕生した。
特注の馬車BARが新しい夜の風景を創り出す
ヌプカの1階には、十勝の食の魅力を体験できるカフェ&バーが設けられている。メニュー作りやイベントの開催などでヌプカらしさを出す取組みを共同創業者で総支配人の坂口さんが中心となって進めている。坂口さんは、すでに東京で数多くの飲食店の開業を経験し、自身でも千駄木のカフェを経営してきた実績もある。培った広い人脈を活かし、多くの人がヌプカを訪れ、単なる宿泊施設ではないというイメージが広がっていった。
独自カラーの一つとして、1階のバーには、12種類のクラフトビールがタップで提供されている。しかもその一つは、地元の農家が作った大麦を原料としてヌプカが造ったオリジナルの「旅のはじまりのビール」だ。クラフトビールへの取組みは、柏尾さんが訪れたポートランドを参考にしているそうだ。ポートランドでは、マイクロブルワリーによるクラフトビール造りが盛んで、60もの醸造所がある。柏尾さんによると「ホテルのお客さんに飲んでもらうビールを自分たちで造りたいと思い、ホテルづくりと一緒にビールづくりのプロジェクトをスタートさせました」と言う。「十勝産の大麦を素材に自分たちのレシピでビールを委託製造し、新しいビールを造り出したのです」と続ける。
「旅のはじまりのビール」は、ホテルがオープンした2016年に提供を開始し、同じ年に農林水産省のフードアクションニッポンアワードを受賞。2022年からは東京駅、品川駅、上野駅などの新幹線ホームでの販売もはじまり、日本の「旅のはじまり」を象徴するビールに育っている。
また2019年に運行を開始した馬車BARも帯広を代表する人気コンテンツの一つとなりつつある。馬車BARは、ヌプカを発着地点に、夜の帯広を馬車に乗って約2キロを50分ほどで巡る。ドリンクおつまみセットが付き、参加者はお酒を飲みながら景色を楽しめる。
「馬車BARの企画者は、東京から移住した永田剛さんで、十勝の馬文化を観光資源にしたいと、馬車BARのアイディアを思いついたそうです」と柏尾さん。当初はヌプカ前の場所を永田さんに提供するだけの予定だったが、運行受付や調理などの業務運営や資金調達の課題を解決するために、ヌプカが馬文化事業部門を新設し、そこに永田さんが参画する形で事業を開始することになった。馬車BARは新しい街の風景となり、約4年の運行実績を通じて飛躍的に知名度も上がった。今や帯広を代表するナイトタイムコンテンツの一つとして、観光の目玉になってきたと柏尾さんは手ごたえを感じている。
「ホテルから街を創る」を次のステージへ
柏尾さんはここ最近、ヌプカでの取組みの捉え方が変わってきたという。「事業のきっかけは幼少期を過ごした地元の中心市街地の賑わいを取り戻したいという個人的な思いでした。しかし、コロナ禍でテレワークが普及すると、超過密な東京を出て地方へ暮らしの拠点を移す動きが広がり、域外からの来訪者の滞在拠点となる中心市街地は、新しい地域の可能性を切り開く重要拠点となると考えるようになりました」と柏尾さんは言う。
「東京一極集中から地域分散の流れを加速させる地域側の取組みは、少子高齢化という日本全体の大きな課題を解決するきっかけになるのではないか」と柏尾さんの意識が変わったそうだ。
自動車依存で中心市街地が空洞化した地方都市で「都市機能を回復」することが鍵と柏尾さんは訴える。例えば、北海道の場合、政令指定都市の札幌市へは人口流入が続くが、旭川市や帯広市などの中堅都市は人口が減少して投資も進みにくい。「他地域でも、東京や全国の政令指定都市に人口が集中し、自動車依存度の高い人口10万人規模の多くの都市が活力を失っています」と柏尾さん。
そこで柏尾さんは、海外の取組みについてもリサーチをしている。例えば、ドイツでは人口数十万人の都市だけでなく数万人規模の都市であっても、中心市街地に車が入れないようにして、人中心の街を作り、それが魅力となって人が集まるという好循環を生んでいる。またオランダでは、ワーヘニンゲン大学を中心に農業や食産業の研究を行う企業の研究施設が密集する「フードバレー」がある。人が集まる研究地域を拠点に、科学者やマーケティングのプロなどの人材が集まっているという。市場価値の高い作物や製品を作る知恵を集合させることで、オランダは、農業を素材産業から知識産業へ転換することに成功。九州ほどの小さな国土面積にもかかわらず、農業生産品の輸出額が世界でも2番目の高さだという。(国連食料農業機関(FAO)調べ) 。
「『食と観光』をテーマに、全国・全世界から人が集まり、新しい事業が生まれる拠点として、帯広中心市街地の新しい役割と可能性が拓けます」と柏尾さんは言い切る。明治・大正の北海道開拓期、中心市街地は周辺の農村地域に商業機能や都市機能を提供し農業や酪農の産業化を後押しした。柏尾さんの取組みはある意味、その時代への原点回帰だが、現代の情報技術や交通インフラの発達を活かし、観光産業と融合した発展を目指す新しさが面白い。
柏尾さんは、2022年11月から自ら「帯広中心市街地の将来構想と行動変容を考える会」という会合を主催し、毎月実施している。この会には、地元の自治体、商工会議所、金融機関、民間企業や大学関係者などに加え、全国規模のIT企業や公的団体なども参加しており、帯広での街づくりに注目が集まっている。
「ホテルから街を創る」柏尾さんたちの取組みは、次のステージを目指している。まずは国土交通省が創設した「歩行者利便増進道路(通称:ほこみち)」の制度を活用し、ヌプカの近隣事業者と共同して「食べ歩き」を楽しめるストリート創りを始める。人間中心の「歩く」空間と帯広の豊かな「食体験」を融合させ、馬車BARなどのオンリーワンコンテンツを活かし、帯広の中心市街地が観光目的地として自立できる段階を目指すそうだ。「旅行者」を増やし、そこから地域に継続的に関わる「関係人口」「移住人口」へ転換・拡大する取組みを行っていきたいと柏尾さんは言う。北の大地で始まった新しい動きに今後も注目していきたい。
公開日:















