山陰地方の里山集落にある1組限定の古民家宿へ向かう

「日貫一日(ひぬいひとひ)」という古民家宿を訪ねた。場所は山陰地方の山間にある島根県邑南町で、同町の中心市街地から車で西に約15分の日貫(ひぬい)地区にある。途中、段々畑が連なり、美しい里山の光景を見ることができる。伝統的な赤瓦の家が点在し、豊な緑とのコントラストが鮮やかだ。

さて、日貫にたどり着き、川を渡った先にある宝光寺というお寺の入り口に車を停めた。参道の階段があり、その脇には大きな窓が特徴的な小屋がある。廃材を活用した建物だ。「一揖」(いちゆう)という名前の「日貫一日」の建物の一つで、宿の鍵を受け取るフロント機能を担っていて、カフェとギャラリーも併設している。

スタッフに案内され、「日貫一日」の古民家宿「安田邸」へ向かう。一揖から歩いて1分もかからない場所にある1階建ての建物だ。

玄関を開けると高い天井が目に入る。中に足を踏み入れると、土間のままのダイニングキッチンが迎えてくれて、正面の窓からは、赤い瓦屋根のある里山の景色が一望できる。靴を脱いで上がった小上がりは畳の居間スペースで、その奥の寝室には、低いベッドが並んでいる。

「日貫一日」プロジェクトを立ち上げた「一般社団法人弥禮(みらい)」の 徳田秀嗣代表理事に話を伺った。

安田邸の外観。赤い瓦が印象的だ安田邸の外観。赤い瓦が印象的だ
安田邸の外観。赤い瓦が印象的だ土間から居間スペースを望む

地区のまちおこし企画を邑南町が奨励

プロジェクトを立ち上げた徳田さんに一揖で話を伺うプロジェクトを立ち上げた徳田さんに一揖で話を伺う

古民家宿をつくったきっかけは、邑南町の独特の地域づくりだったという。それは、各集落の声を反映したボトムアップの地区戦略のことだ。

邑南町には、12の公民館単位の集まりがあり、そこに年間数百万円の補助金が町から提供され、地域おこしのために活用される。各エリアの特色を生かしながら、例えばソバを栽培している地区であれば、蕎麦店をやってみる。またはパンを作る職人さんがいる地区では、パン店を始めてみるなど、地域の人材や環境を活用した取組みを、地区から提案する。企画が通れば町から補助金が出て、実行へ移すのだ。

ここ日貫地区では、3つのテーマについて取組んだ。一つは新しい特産品を作るというもの。一つは地元保育所の園児が4人にまで減ってしまっていることから、地区存続の危機に対応する施策。そしてもう一つが集客につながる観光という切り口だ。産業と生活と観光の3部門に、補助金の300万円をざっくり3等分して分配。徳田さんは、その観光部門のリーダーになったのだった。

近くに茅葺き屋根の大きな家があり、徳田さんは最初、そこを宿やイベントスペースにできないかと検討した。しかし延床面積が500m2を超えて、大きすぎて断念した。ほかにも空き家古民家はたくさんある。進め方を模索する中、インターネットで丹波篠山の古民家を改築して宿にした一般社団法人ノオトを知った。連絡してみると、ちょうど出雲に来る予定があり、そのタイミングで日貫にも立ち寄ってもらうことに。アドバイスとしては、まず小さいところから始めたほうがいいということだった。

プロジェクトを立ち上げた徳田さんに一揖で話を伺う日貫地区は、赤い瓦の家並みと田んぼのコントラストが美しい

理想の古民家に出合い、外部のデザイナーに依頼して新しい視点を加えた

コンパクトな空き家を探していたところ、安田邸の建物に出合った。また、計画を進める中で、古民家宿のリノベーション工事は費用がかなり必要だとわかってきたと徳田さん。そのため、農泊推進事業にもチャレンジして、補助金申請をすることにした。
当時の農泊推進事業は建物などハード面の投資への補助率が上限なしの2分の1だった。古民家を高いクオリティでリノベーションしようとすると、費用が青天井で、このような補助金は大いに助かったと当時を振り返る徳田さん。また、邑南町には地区別戦略事業の別枠で500万円という補助金があり、コンペティションを経て採択された。

上記の補助金申請には運営母体となる法人が必要であったことから、一般社団法人を立ち上げ徳田さんが代表理事となった。メンバーはほかに、町の公民館の担当者と一級建築士資格を持つ役場職員だ。感度が高く、情報も広く持っている。そして町の外部からの戦略アドバイザーや地元の若手大工もメンバーとなった。

資金調達のめどが立ち、大阪から外部のデザイナーを入れて進めることに。
デザイナーは「赤い石州瓦」がいいなと言い、石州瓦を軸にプランが検討された。地元の人だと石州瓦が当たり前だと思ってしまい特段強調はしない。外部の人の目が、魅力を発信できるきっかけになった。

窓から見える赤い瓦屋根を軸に設計を進めた窓から見える赤い瓦屋根を軸に設計を進めた

コンセプトについての議論では、日貫地区は、何もないことがいいところじゃないかとアドバイスがあり、のんびりとこもる宿、過ごしやすい場所、楽しい時間の場所という方向性が見えてきた。キーワードは「食べる」「くつろぐ」そして「休む」に決まった。
具体的にデザインに落とし込むと、入り口付近にキッチン、小上がりのリビング、そして奥にベッドルームとなった。キッチンがある土間は昔、そこでご飯を炊いたという歴史があり、泊まってご飯を作ることで追体験ができる。

窓から見える赤い瓦屋根を軸に設計を進めた「食べる」「くつろぐ」そして「休む」を具現化した空間。土間のキッチン、畳の居間、そしてベッドルームへとつながる

集落をまるごと宿と見立て、チェックインカウンターは別の建物に

廃材で造った「一揖」は、レセプションになっている廃材で造った「一揖」は、レセプションになっている

2017年に建物のリノベーションを開始。翌年の工事終了後、まずは地域の人に「泊まりませんか」と声をかけ、モニター宿泊を半年にわたって実施した後、本格稼働となった。

また、一棟貸し宿ではあるが、セルフチェックインではなく、フロントから建物へ案内したいと考え、フロントの役割を持つ別棟として「一揖」を建てた。一揖とは、神社に入る際に鳥居で一礼することをいう。まさに日貫滞在の始まりの一礼ということだ。

開業を前に徳田さんは、チェックイン対応ができるスタッフを探し始めたが、すぐには見つからず、結婚して千葉県から日貫に引越しをしてきた女性にお願いすることにしたという。さらに日貫出身の20代女性にも、スタッフとして頑張ってもらったそうだ。しかしその女性も結婚を機に県外へ引越しすることとなり、ちょうど山本将士さんが隣の宝光寺副住職として日貫にUターンするタイミングだったので、声をかけてみたという。現在山本さんは、副住職のほか、日貫一日のスタッフとしても活動している。

廃材で造った「一揖」は、レセプションになっている「一揖」はカフェスペースにもなっている

日貫の日常は、旅行者には非日常。地域を巻き込むプロジェクトに

現在はまだ国内からの予約のみだが、ファミリーが多く、なかには4回目のリピート客もいて、徳田さんは、そのゲストには自分たちの理想とする使い方をしてもらったと喜ぶ。ゆっくり連泊しながら、観光地へも足を延ばす滞在スタイルだ。先日の滞在時には、1日目は出雲大社へ、2日目は広島の厳島神社へ、3日目は日貫近辺でのんびりとして、川遊びなどをしたそうだ。
ほかにも、若いカップルが日貫一日でプロポーズしたという話もあった。特別な日の利用である。

安田邸のある里山は散策も楽しそうだ安田邸のある里山は散策も楽しそうだ
「一揖」では地元の作家さんの作品が販売されている「一揖」では地元の作家さんの作品が販売されている

一方、一揖ではカフェスペースとしての用途以外に、デザイン性の高いグッズの販売もしている。特に目を引くのは地元の作家さんたちの一品物で、コースターなどの木工品も売っている。「作家さんの作品を通して地域を知るきっかけになり、魅力的な小物をもっと扱いたい」と徳田さん。
しかしスペースに限りがあり、今後は別に古民家を改装してグッズの店をつくりたいと抱負を語る。さらに近隣の年配者との接点も持てればという。

日貫一日は、古民家宿としてだけではなく、その概念が地域の暮らしをも巻き込むプロジェクトになっている。今後の広がりに注目だ。

安田邸のある里山は散策も楽しそうだ日貫一日のロゴマーク

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