黒田日銀のバズーカ以降“住宅ローン超低金利時代”が10年超継続
政策金利をゼロもしくはマイナスに誘導するという異次元の緩和を徹底的に継続した黒田日銀の10年が終わり、植田新体制が始まった。植田日銀ではどのような金利政策を実現するのか、そして住宅ローン金利はどのように推移するのか、新体制の動向に関心が高まっている。
黒田日銀の10年間を振り返ると、2022年以降の世界情勢の急激な変化に伴うコストプッシュおよび円安による物価上昇を除けば、残念ながらインフレ目標2%の達成はかなわなかった。それでもこの異次元緩和の影響は長短金利操作:イールドカーブ・コントロール の実施によって民間金融機関のさまざまなローン商品の貸出金利の低下に表れ、なかでも主力の住宅ローン金利の大きな低下を招くこととなって、住宅市場の安定的な拡大、および現状まで続く住宅価格の上昇を後押しした。
日銀の異次元緩和によって、住宅を購入して、長期のローンを組むには絶好の環境ができ、住宅市場はリーマン・ショックによるミニバブル崩壊で失った勢いを短期間で取り戻した。新築マンション分譲価格も、2013年には東京都平均で5,290万円、2016年に6,038万円、そして2022年に7,521万円に達しているが、この10年で2,000万円以上もの価格上昇を記録した最大の要因は、異次元緩和による住宅ローン金利の低下と断言できる。物件価格が高騰しても、0.3~0.4%台の住宅ローン金利であれば35年間毎月の返済額はごくわずかしか増えないため、超低金利を追い風として住宅を販売し続けることが可能な状況をつくり出した。
ポイントはいつ異次元緩和を終了し通常の金融政策に転換するかだろう。
金融緩和策は、将来の消費や投資を現在に前借りする政策であり、本来は高い生産性がなければ前借りする意味がないのだが、低金利政策が続いたことで経済の新陳代謝が鈍り、潜在成長率は0%台に縮小している。この財政規律の緩み(日銀の国債買入額は6月現在で約577兆円に積み上がっている)を引き締めなければ、将来に大きな禍根を残すことになるから、財政の健全化に着手するためには適正と考えられる金利水準まで緩やかにかつ極めて慎重なプロセスを経て引き上げること(90年バブルを突如終わらせた総量規制のような失敗は許されない)、何よりも確実な将来の成長戦略が求められる。
6月に開催された金融政策決定会合では、長短金利操作目標を設ける現在の大規模な金融緩和策を維持することを全会一致で決定していることから、当面は政策金利および住宅ローン金利に大きな変動はないものと推測されるが、足元のインフレ率は3%台半ばと、4月の展望レポートから上方修正されており、円安による“悪いインフレ”を抑制するために政策金利の引き上げを決定してもおかしくない状況にあることも事実だ。
今後、植田新体制で国債金利および住宅ローン金利は上昇する可能性はあるのか、あるとすればそれはどのタイミングや要因で上昇するのか、金融市場に詳しい有識者に意見を聞いた。
23年度内に金融政策が大幅に変更される可能性は低い ~ 榊原 渉氏
榊原 渉:
1998年3月早稲田大学大学院理工学研究科建設工学専攻 修了。1998年4月株式会社野村総合研究所 入社。2017年4月グローバルインフラコンサルティング部長。2020年4月コンサルティング人材開発室長。現在 コンサルティング事業本部 統括部長 兼 サステナビリティ事業コンサルティング部長 兼 コンサルティング事業本部 DX事業推進部長、北海道大学客員教授。専門は建設・不動産・住宅関連業界の事業戦略立案・実行支援
23年4月の就任以降、植田総裁の発言を見ていると、全般的には拙速な金融政策の修正は行わず、「物価の安定の達成というミッションの総仕上げ(23年4月の就任会見より)」に向けて、慎重に判断する姿勢が強調されているようである。「過去25年にわたる異例の金融緩和(非伝統的金融緩和)について、1年から1年半程度の時間をかけて、多角的にレビューを行う」としていることからも、23年度内に金融政策が大幅に変更される可能性は低いだろう。つまり、マイナス金利解除やイールドカーブ・コントロール(YCC)廃止などの本格的な見直しは、24年後半以降になると考えられる。ただし、異例の金融緩和がもたらす副作用を減らすような細かい見直しは、「レビュー」を踏まえながら随時実施されていくだろう。
インフレの高止まりと金融部門の混乱を受け、世界経済の見通しは再び不透明に
一方で、23年4月に国際通貨基金が公表した「世界経済見通し」によれば、世界経済の成長率は22年の3.4%から23年は2.8%へ鈍化した後、24年には3.0%に落ち着くとされている(特に、先進国では成長の減速が顕著となり、22年の2.7%から23年は1.3%になると見込まれている)。「23年初頭には、インフレ率の低下と着実な成長によって世界経済が軟着陸に成功する兆しが一時的に見られたが、インフレの高止まりと最近の金融部門の混乱を受け、そうした兆候が消えつつある。中央銀行が利上げし、食品とエネルギー価格が抑制される中、インフレは落ち着いてきたものの、基調的な物価圧力が根強いほか、多くの国・地域で労働市場が逼迫している」ことが指摘されている。
24年度以降も持続的に賃上げ率を維持できるか? がチェックポイントに
日本の金融政策と世界経済の状況を鑑みると、最近の円安と株高の同時進行は、必ずしも国内経済の先行きや企業収益の回復期待によるものと楽観視できない。世界的に利上げ傾向にあるなかで、日本が金融緩和を続けているという内外の金融政策の「差」が、円安の進行と日本株高の背景にあると捉えることもできる。植田総裁が目指す「物価の安定の達成というミッションの総仕上げ」に向けて、約30年ぶりの高い賃上げ率が23年度は実現しつつあるが、人口減少問題の抜本的な解決策が見えない中、人件費増加を財・サービス価格に転嫁することができるか、世界経済とりわけ欧米が長期低迷に戻らないか、が今後のチェックポイントになるのではないだろうか。
日本の段階的利上げは既定路線。焦点は時期と上げ幅、市場の反応 ~ 平松 健一郎氏
平松 健一郎:株式会社不動産経済研究所、日刊不動産経済通信編集部チーフ・記者。横浜市中区出身、東京都江東区在住。出版社、新聞社などでの勤務を経て18年から現職。3・11後は東北の被災地で震災復興の取材に没頭し、現在は国内外の大手不動産・金融各社の取材を担当する。趣味は25年続けているジョギングと、世界の僻地を巡るバックパック旅行異次元緩和の出口を探る日銀の動きが注目されている。昨年12月にYCCの運用改定で長期金利の変動許容幅を広げ、固定金利が一段上昇。緩和策の持続性を高める措置だが、低金利の恩恵を受ける住宅業界には潮目が変わる「警報」として響き、需給両側が慎重姿勢を強めることになった。日本経済の潜在成長率は0%台前半と低く、脱緩和の前提となる賃金と物価の上昇も力強さを欠く。植田和男総裁は緩和継続を説く一方、早期の政策変更も示唆する。7月27、28両日の日銀会合で何らかの変更もあり得るが、現行の緩和路線を大きくそれる内容にはならないだろう。来年の春闘で賃金上昇が鮮明になれば日銀は夏にも金融引き締めに入る……。そうしたシナリオが現時点で優勢だ。
日銀が目指す「消費者物価の前年比上昇率2%」が具現化すれば金融緩和は出口に向かうが、その壁は厚い。5月の消費者物価指数は前年5月よりも3.2%高い104.8%と足元で企業らの価格転嫁が進むものの、数値は来年にかけて下がりそうだ。すでに物価が高い前年との比較では上げ幅が小さく出るうえ、コストプッシュ型のインフレは持続性が低い。長期デフレの日本では米国のような賃金と物価の連動的上昇を期待しにくく、大胆な金融引き締めへの道のりは長い。
米国でデフレ転換と利上げ収束が見えてきたことも日銀の舵取りに影響する。6月の米生産者物価指数は前年同月比0.1%上昇と鈍い伸びが続く。米国の利上げがやめば日銀は急激な円高回避などの名目で金融正常化策を先送りしやすくなる。ただ長期金利を力技で低く抑え続けた結果、日本経済にはさまざまなひずみが生じている。銀行間の金利競争が過熱するなか、みずほ銀行は利幅が減った住宅ローン事業の縮小を決めた。日銀による軌道修正は、長期金利の変動上限を0.5%から0.75%へとさらに引き上げ、マイナス金利解除、ゼロ金利解除に進むなどの手順が想定される。国内で金利が上がるのは既定路線であり、焦点はその時期と上げ幅、そして市場がどう反応するかだ。
7月下旬、三菱地所の中島篤社長にマンション市場の先行きを問うと「金利が一番大きな要素だ。建築費の上昇は販売価格が上向くなかで吸収できたが、住宅ローン金利の上昇は(消費)行動を変える」と答えた。金利の上げ幅については「政策的に急に上げるのは難しいと思うが、日本だけが低い状況がいつまで続くか分からず、多少の上昇は覚悟している」と応じた。別の外資系アナリストは「長期金利は1%が分水嶺だ。今は0・5%弱で、0・25%ずつ小刻みに上がる分には不動産市場に大きな影響はない」と読む。
住宅金融支援機構によると住宅ローンの金利別利用内訳は「変動型」が72.3%、「固定金利選択型」が18.3%など(調査対象期間22年10月~23年3月)。約40%が1年以内にローン金利が上がると回答した。金利が上がれば変動から固定への借り換えが進みそうだが、金利調整の時期と数値変化は読みにくく難易度は高い。日本のデベロッパーの多くは「当面は大きな政策変更はない」との見方で一致するが、土地高と建築費の高止まりに、たとえ微増でも金利上昇が加われば、特に実需層が主体の郊外マンション市場への影響は不可避だ。利上げで株価や市場への信頼が下がれば富裕層の購入意欲にも響く。新築マンションの価格は低金利と旺盛な需要に支えられ、ゆっくりと上昇してきた。その経緯を踏まえると、この先金利が「多少」上がっても市場が大きく崩れる事態は想定しにくい。金融政策には常にサプライズがあるとの前提で一次情報にあたり、客観的に判断する目を持ちたい。
変動金利の上昇に至るまでの期間に、日銀の若年層との”対話”を期待 ~ 室 剛朗氏
室 剛朗:J-REIT草創期より金融機関系シンクタンクで不動産証券化関連業務に従事。現在、(株)価値総合研究所にて、不動産投資市場・低未利用不動産再生・被災地復興まちづくり事業・駅周辺再開発・既存住宅流通に係る調査・コンサルティング業務に従事。麗澤大学経済社会総合研究センター客員研究員結論から言えば住宅ローン金利の上昇は、中期的には不可避とみる。そして、市場の楽観論より筆者はリスクを重くみている。当然のことながら、金利の問題は不動産市場のみに起因するものではなく経済全般の問題であり、コロナが需供両面に影響し、世界的に強い物価上昇圧力を及ぼしたことや地政学リスクの顕在化が相まって、先行き不透明感が高まっていることなど、さまざまな要因が関連している。
現在、起きているインフレは海外発のコストプッシュ・インフレーションといえる。海外発のインフレの部分については、輸入物価のインフレ率はマイナスに転じており、当該部分の上昇圧力は弱まっている。しかし、イールドカーブ・コントロール(YCC)で長期金利上昇が抑制されているため、内外金利差の拡大で円安に振れている。諸外国は基本的には引き締め姿勢を維持しており、短期的には金利差が拡大した状況が続く公算が大きい。つまり輸入物価の大きな調整は期待しづらい環境が続く。そのため、YCCの修正への圧力は強まっており、長期金利が上昇する可能性は大いにある。一般に、住宅ローンの固定金利は長期金利に、変動金利は短期金利に連動する。YCC修正が起きた場合、長期金利が上昇するため、短期金利には影響はないため、固定金利から変動金利にシフトする可能性がある。国土交通省によると、令和3年度の新規貸出額における変動金利の割合は76.2%である。変動金利の割合が8割を超えるような状況になることも考えられる。このような変化は1~2年以内というスパンで起こり得る。
中期的には日銀は金融政策の正常化を目指している。つまり短期政策金利のプラス圏への引き上げである。現行の金融政策を維持することで過大なインフレを引き起こすリスクと、金融政策の正常化を速やかに行うことで、インフレ率を下げ、結果として目標未達の状況になるリスク、双方に目配りをした難しい舵取りが求められている。植田新総裁の6月の定例会見でもこのポイントに関して、どちらかといえば目標未達という状況に陥った場合のほうが難しい対応を迫られるという主旨の発言があった。つまり、金融政策の正常化=短期政策金利のプラス化にはかなり慎重な姿勢がうかがえる。国内インフレの状況が来年まで継続すれば正常化に踏み切るとみる向きもある。しかし、日銀が目標とする安定的な物価上昇には持続的な賃上げの実現が不可欠であるにもかかわらず、足元では実質賃金の上昇が図られておらず可処分所得も減少している状況にある。需給ギャップが改善し、企業の価格・賃金設定行動の変化により、中長期的な予想物価上昇率や賃金上昇率も高まっていく形が理想的であるが、かなりの時間を要することが予想される。また、欧米のリセッションの回避や地政学リスクの落ち着きという条件を考えると、日本の金融政策の正常化は容易ではなく、少なくとも2~3年程度の時間を要するのではないか。
仮に、このような状況が起きた場合、短期金利上昇局面において大きな影響が出る。前述のように8割を超える変動金利の借り手の利払い増が起き、可処分所得の低下が起き、デフォルト増加が生じる可能性がある。主に住宅ローンの借り手となる若年層の貯蓄・負債額(二人以上世帯)の比率では、29歳以下・30代で貯蓄の倍以上の負債を抱えている(家計調査)という構造もある。また、三井住友信託銀行 三井住友トラスト・資産のミライ研究所「令和の“住まい”と住宅ローン事情」によれば、30代では、頭金ゼロ・1割で住宅購入した方が65.5%と「ゼロもしくは1割」など、若年層の「耐性」は強いものとは言えず、慎重な対応が望まれる。金融政策を正常化し、市場機能を取り戻してほしいと思う一方、こうした状況を含め、日銀は市場・国民との対話を重視する必要が強まっている。難しい課題である。日銀には不動産市場のハードランディングにつながらない政策運営を期待するとともに、若年層が安心して住宅を買うことができる政策パッケージを期待する。
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