不動産IDとは?

近年において、「不動産ID」に関する議論が再開されている。
「不動産ID」、または「不動産EDI(Electronic Data Interchange)」については、2006年の国土審議会不動産投資検討小委員会で、私が座長代理を務めた際に提案し、その後に研究会が設置され、最初の議論が行われた。それは、米国と英国の不動産投資市場で整備が進められていた情報流通の仕組みを参考にしたものであった。
それから15年が過ぎた今、その議論が再開されているため、その比較が行われることがある。当時は、不動産証券化市場の黎明期であり、投資市場を健全に、そしてさらなる成長をしていくために、投資主体間での取引コストを高めていた情報流通コストを低減させるとともに、投資対象不動産間の比較可能性を実現することを通じて、市場の透明性を高めるための一つの制度インフラとして、「不動産ID」または「EDI」を提案したものであった。
当時は国土交通省に事務局が設置されたが、不動産IDは実現できなかったものの、その思想は金融庁や日本銀行からも支持を受け、その後の公的不動産価格指数の整備へとつながっていった。さらには、証券化不動産の鑑定評価基準の別表2として結実し、情報流通の仕組みの制度化に貢献した。

また、近年においては、統計委員会の中で「不動産ID」を検討した経緯がある。それは、統計審議会、または統計委員会で国土交通省が所管する「法人土地統計調査」のパネルデータ化を進めるために、統計委員会主体で議論をしたものであった。
パネルデータ化というのは、法人が持つ土地・不動産が、次の調査年においてどのようになっているのかを把握することができるようなデータ形式のことをいう。つまり、地域横断的な横並びの比較と、時系列上での比較を同時に可能とするデータ体系である。
現在の調査票では、前回の調査においてある企業が保有している不動産が、継続して保有されているのか、売却されたのかがわからない状況にある。それでは、法人が保有する個別の土地や不動産の状況を把握できても、その時間的な変化が捕捉できない。このような問題に対応するために、統計委員会として、それを実行できる体制や調査票の変更を提案することが要求されたことから、その問題解決の方法を検討し、その一つの手法として、「不動産ID」を導入することを提案したものである。

しかし、現在、議論されている「不動産ID」は、個人住宅をも含む不動産市場全体に、一気に適用させようとするもので、不動産投資市場での議論や統計調査のパネルデータ化の議論とは、「不動産ID」という名称は同じでも、全く非なるものである。その導入の手順を含めて、多くの困難や、簡単に言えば無理があるものと考える。何を実現するための制度インフラなのかといったビジョンが見えてこないためである。
かつて、Edgeworth(1888)は、「ある集合の平均は何かと問われたときに、平均値を必要とする目的が何であるのかが与えられなければ、一般に求めることができない」といった。不動産にIDまたは番号を付けるということは、その目的が何であるのかということが明確でなければ、そのあるべき姿を求めることはできない。
また、Edgeworth(1888)はこのように続けている。「価格の問題でも、論者の数だけ目的があるといっていいであろう。そのため、目的を誤解している人の間では多くの無駄な論争がある」と。つまり、「不動産ID」についても、その目的を誤解している人の間で、多くの無駄な論争がなされてしまっていないか。

読者に誤解がないように筆者の立場を明確にしておけば、「不動産ID」の整備は、全面的に賛成するものである。本稿は、不動産IDが整備されていくために、どのような論点が必要とされるのか、という視点を、筆者自身の私見を交えてまとめるものである。

「不動産ID」とは何か…「不動産ID」とは何か…

手段として不動産IDが最適なのか?

情報の非対称性が存在するといわれる不動産業界。「不動産ID」はどのような役割を果たすのだろうか情報の非対称性が存在するといわれる不動産業界。「不動産ID」はどのような役割を果たすのだろうか

不動産市場には、「情報の非対称性」が存在しているために、とりわけ買い手にとっては不利な市場になっているといわれてきた(Shimizu, Nishimura and Asami(2004))。
「不動産ID」が、この非対称性をどのようなメカニズムを通じて解決していくのか、その問題を解決するために、「不動産ID」そのものが最適な手段なのかということの議論が見えてこない。「不動産ID」を導入することが目的化してしまっているが、仮に、不動産市場に情報の非対称性などの問題があるのであれば、その課題解決のためには別の手段がふさわしいかもしれない。

そもそも「不動産ID」の導入を議論の対象にするのではなく、「目的」として言われている課題そのものを議論し、その議論の中から、「不動産ID」という手段が浮かび上がってくるのであれば、導入すればいいし、別の手段がいいのであれば、その手段を選択すべきである。
前述の議論でも理解できるように、不動産投資市場の投資家間での情報交換コストを低下させる、または統計のパネルデータ化を実現する、といった目的に対応した手段として、たまたま「不動産ID」が提案されただけであり、「不動産ID」そのものの導入を議論したわけではない。
2006年の国土審議会後に、この問題に焦点をあてた研究会が設置されたが、それは明確な目的を設定するための審議があったのちに、その諮問に基づき設置されたものであったことは、現在の議論と大きな違いがある。当時の議論は、目指すべき市場のデザインがあり、その手段としての「不動産ID」に関する議論であった。

情報の非対称性は解消されるのか?

一般に、不動産市場に潜む「情報の非対称性」問題といったときには、不動産の品質に関する情報の欠如を連想することが多い。そのために、履歴情報の整備の重要性が指摘されたり、重要事項説明書に内包すべき情報の充実が求められたりしてきた。

不動産取引活動は、不動産の所有者である売り手が売却希望を持ち、不動産仲介会社に売却依頼を出すところから始まる。売り側の仲介会社は、売り手からの申告と物件調査によって、不動産の品質を見極めた上で初期の売却可能価格を設定する。そして、ポータルサイトなどに掲載して、売却活動を行う。
一方、買い手は、それぞれの欲求をできる限り満たすように、予算制約のもとでのトレードオフを行う。例えば、住宅を購入したいと考えている家計においては、大きく地域選択と住宅属性選択を予算制約の中で最適化しようと行動する。地域選択は、通勤地または通学地までの距離などの立地、教育サービスの水準、商業集積や自然環境などのアメニティ、災害に対する耐性、犯罪などのリスク要因などを考慮している(Shimizu, Nishimura and Watanabe (2016))。

不動産IDが整備されれば、ポータルサイトなどのおとり広告防止や、物件の名寄せなどに貢献できるといわれているが、これはIDの副次的な効果にしかすぎず、別の手段をもっておとり広告をなくし、名寄せを行えばよいかもしれない。その方が、社会的なコストは小さいと考えた方がいいであろう。
また、不動産とさまざまな情報との接続コストが低下されるといわれるが、不動産は点情報であるのに対して、地域情報などは面情報であるため、かつて「不動産総合データベース」といわれたような地域選択に関わる情報との接続への貢献はない。むしろ座標データの方が有効である。

さらには、電子取引への期待も寄せられるが、そのためには不動産の権利を確定し、保全できる仕組みが要求される。
不動産の権利を確定していこうとすると、分離されている土地と建物を結合していかなければならない。筆者が四半世紀前に固定資産評価実務に関わっていたときには、納税通知書を作成していく手続きで、権利と所有者を結合するためには、土地の名寄せと建物の結合といったことを実務的に行う必要があった。それは、極めて複雑かつ人為的な作業が必要とされた。つまり、単純なIDの作成やデジタル空間上での結合ができるほどに、情報基盤が整備されていなかった。そのような状況は依然として変わっておらず、権利と紐づけたID化は、現段階では、情報インフラの整備状況から見て、技術的に困難であると考えた方がいい。
それを進めるためには、解決しなければならない問題を特定し、各種制度改正が要求されるであろう。そうすると、現在の議論の対象となっているIDとは、どのような社会、不動産市場を実現したいのかというデザインが不明確であるというだけでなく、情報インフラの制限と技術的制限が加わることで、実効性が欠如しているように映ってしまう。

新しいテクノロジーと地域価値創造

すべての情報に接続可能になることで、実現するものとはすべての情報に接続可能になることで、実現するものとは

「不動産ID」と「不動産EDI」は、情報結合のコストや流通・交換コストを低下させることは確かである。すべての情報に接続可能なIDが存在すれば、情報接続コストは格段に低下する。さらに、生産された情報が更新時間と併せて改ざんが不可能な台帳へと記録していくことができれば、電子取引も可能となる。
このような新しい技術は、次々と登場してくるであろうし、その導入費用も低下していく。何よりも、社会全体で発生している費用を押し下げることを通じて、今まで流通ができなくなっていた地域でも住宅取引の連鎖機能が作用するようになることが期待される(清水(2022))。

新しい情報インフラやテクノロジーは、物件の流通量が多い都市部で導入していくことは、極めて社会的なコストが高く、一方で便益が小さい。その一方で、住宅流通などが滞り、空き家の増殖が止まらない地方部の不動産市場こそ効果が大きくなっているものと考える。
中古住宅をも含む住宅への投資は、住宅という情報の塊に投資をしているということを考えれば、さまざまなレベルでの情報を生産していくことが重要であり、さらに、その情報を流通させていくことで住宅の取引連鎖が起こり、地域の衰退を抑制し、その価値を高めていくという効果も期待される(清水(2020))。
しかし、縮退する地方部では、宅地建物取引士がいなくなる地域が増加してきており、その結果として、利用可能な住宅までもが放置され、空き家となっていくメカニズムが解明されつつある。

「不動産ID」を含む新しい情報インフラやEDIは、かつては、市場環境が未整備であった不動産証券化市場で導入し、実験を行い、不動産市場全体へと普及させていくという道筋を描いた。
現代においては、そのような情報インフラがなければ市場機能が停止してしまっているようなところで実験をし、導入効果を検証して、未来の不動産市場の在り方をデザインしていくということも一つの案ではないかと考えている。

すべての情報に接続可能になることで、実現するものとは流通・交換コストの低下は、空き家問題解決の一助になる

【参考文献】 
[1]. Edgeworth, F.Y. (1888), "Some New Methods of Measuring Variation in General Prices", Journal of the Royal Statistical Society 51, 346-368.
[2]. Shimizu, C., K. G. Nishimura and Y. Asami (2004), “Search and Vacancy Costs in the Tokyo housing market: Attempt to measure social costs of imperfect information,” Regional and Urban Development Studies,16(3), 210-230.
[3]. Shimizu,C, K.G.Nishimura and T.Watanabe(2016), “House Prices at Different Stages of Buying/Selling Process ,” Regional Science and Urban Economics, 59, 37-53.
[4]. 清水千弘(2020), 「不動産市場分析のデータ資源」日本不動産学会誌、 No.131、 58-63.
[5]. 清水千弘(2022), 「高度不動産専門人材と地域未来創造」REITO125号(近刊).

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