みんなで「おうちのはなし」をしよう
経済の専門用語と数学の公式があって、600ページを超えるトマ・ピケティの『21世紀の資本』は、とても素人に太刀打ちできるものではない。でも、「私たちは、99%!」「格差社会は拡大する!」と言われれば、気にしないわけにはいかない。
とりあえず目を通してみた。正直、まだまだとても読んだとは言えない。でも、議論しようと誘ってくれているのだから、勇気をしぼって、住宅・不動産業界の目でオピニオンを発してみる。
本の結論は、民主主義で資本主義を制しようという事だ。マルクス以来、資本主義はしっかり制御しないと暴走しかねない。そのキーワードが、【r>g】だ。
このキーワードが、格差が拡大することを表している。
でも、民主主義・資本主義・格差社会という経済学が、どれくらい住宅に関係あるのか。
このことは、最も明確に本の中に表されている。
第3章~4章にある、各国の資本のグラフを見ればわかる。ほとんどの先進国の資本は、農地が減少し、住宅の資本が増加することによって蓄えられてきた。どの国のデータでもそれは明確だ。その意味では、この本は、住宅の本と言っても過言ではない。そして、住宅が格差社会とも結びついているのだ。
住宅というより「おうちのはなし」といえば、もっと身近な話しになる。
ピケティの本を通じて、さぁ、もっと「おうちのはなし」をしてみよう。
【r>g】 を、つるかめ算で考える
とは言っても、格差の話を経済で語るのには、数学という抽象化の技術を使わざるを得ない。だからこそ、人は難解に感じてしまう。もっと具体的な言葉で、考えられないかと思った。せめて算数レベルの話しで解決したい。
格差と住宅を関係付けるのには、大昔に習った『つるかめ算』が最適だと思った。
忘れている人のために・・・
「ツルとカメが10匹いる。足の数は合わせて30本。それぞれ何匹いるか?」
xやyという代数を使わないで解く方法を、小学校で習った。とっても簡単な方法だ。「もし、すべてがカメなら、すべてがツルなら」と考えれば良い。足の数が違っている分がそれぞれの頭数となる。
そこで「もし全国民が住宅を持っていたら?」どんな社会であるかと考えてみる。家賃もなくて慎ましやかにも暮らせる場所が確保できていることは、少なくとも格差が小さい社会になると考えられる。つまり住宅の有無が格差の縮図になると言うことだ。
家を持つことの他に、全国民が国に家をあてがわれるという考え方もある。それでも平等だと考えられる。
でも、それは社会主義で、事実、東西ドイツ統合の時には、旧東ドイツの住民は家に住むのにお金がかかることに驚いていた。この社会主義が失敗したことは歴史が証明する。
みんなが持ち家になる方向は資本主義で、持ち家率が高まることは格差社会から遠ざかると考えられる。国の資本でも大事な住宅が、分配されているのだから当然なことだ。ただし相応の格差はあるかもしれない。そして全国民が資本を持てば、経済成長「g」が低迷しても格差は広がりにくいと考えられる。やはり住宅は、格差とも深い関わりがある。
ところが日本では、持ち家率は低下の傾向にある。それは格差が広がろうとしていると見ることができるのではないか。新築であれ、中古であれ「おうち」を容易に取得できることは平等に生活するためにも肝要なことだ。平和な世が続く限りは…。
【r>g】と所有価値・使用価値
なかなか住宅を取得できなくなると、ささやかれるのが「所有価値より使用価値」という言葉だ。しかし、これが間違えていることも【r>g】 は明確にしてくれる。
なによりもピケティは、文末を「大きな資本家は自分の利益を守り、貧者の利益は守らない」と締めくくっている。使用価値といって貸家に住んでも、それを所有する資本家は、税や金利に加えメンテナンス費など、自分が損をしてまで貸そうとする人はいない。結果的には、高い資本収益率「r」は、間違いなく借りている人が負担しているのだ。
ピケティが提唱する通り資本累進課税を強化しても、じつは資本家は回収手段を持っている。家賃を値上げすれば良いのだ。それを考えれば持ち家率が低下するほど、資本家への課税を厳しくしても、逆に格差は広がりかねない。
つまり所有価値の方が、使用価値よりも大きいのだ。【r>g】 をそのように読み変えることができるかもしれない。(ちょっと乱暴だが)
そもそも所有価値と使用価値は比較するものでもない。最も良い結論は、使用価値を知って所有することだ。そして最悪の事態は、使用価値を知らずに所有することだ。
たとえば、使用価値が見えないために安値になっている物件を所有して、住みながらリノベーションして使用価値を高めるのが良い。自分だけが気付いている使用価値を、みんながわかるように体現できれば間違いなく資本価値は上がる。それは、買手や借り手がいることで、まさに資本になったのだ。これは多くの資本家が最初に資本を蓄えたパターンのひとつだ。
減価償却も【r>g】?
ところが日本の住宅には特殊な事情がある。国民が毎年資本投資してきた住宅資産が、累積されていないことだ。資本累進課税に賛成しても、自分の持ち家の課税は少ない方が良いとは誰でもが願うことだ。だから資本が大きくないことは良さそうな気もする。
また、資本課税の対象は資本価値からローン金額を引いたものが良いというのは、ピケティの書く通りだ。しかしローン残高よりも減ってしまっては、資本を持つことにはならない。日本ではこの事例を上げればきりがないが、バブルのせいだけでもない。影響が大きいのは、減価償却によるものと考えられる。資本が失われることを考えれば、より大きな資本家ほど価値が失われて不利になるので、格差は小さくなると考えられないこともない。でも、そんな制度が普及するはずもないことは、先のピケティの文末にもあることだ。どうやら逆の考え方があるはずだ。
これを理解するのにも、やはり【r>g】で考えてみる。
本にもよく出てくる、象徴的な資本収益率「r」5%と、経済成長率「g」1%で、資本価値が2倍になるまでの期間を計算してみる。その期間は、それぞれ14年3か月と69年8ヶ月だ。
つまり資本家は14年も経てばすっかり回収して、資本価値が下がるほど資本収益率は上がることになる。
それに対して90%の庶民の資本は、70年かかる。(もっとも家賃が無いので、もっと短くなるとは考えられるが…)その上、減価償却した資本価値にすると、持ち家が不利になるため、貸家暮らしが増える。貸家の市場が活気づくことになれば、喜ぶのは資本家だ。これはまるで、原油価格のとシェールガスのような巧みな構図にも見えて、資本家が有利な状況が日本にはあるということだ。
だからこそ日本では、13%以上も家が余っているのに、新築注文住宅よりも多く貸家住宅が建てられるようになる。しかも世界的にも狭い貸家で、高い賃料の市場だ。
かくして減価償却によって、持ち家で資本価値が減る状況と、貸家に誘導される両面で格差への誘導が行われる日本は、住宅では格差社会を誘導しているとしか思えない。住宅においては民主主義が機能していないのだ。
透明性が住宅を救う
これらの答えも、ピケティが用意してくれているように思える。経済学の答えが、資本累進課税の国際協調だ。でも、住宅でどのように国際協調ができるのか。
このピケティの施策のいちばんのポイントは、資産のディスクロージャーにある。これだけ情報技術が進化した時代に、透明性を高めるのは可能な時代になった。透明性が民主主義の大前提として、国際協調が語られている。
住宅のあり方も、これとまったく同じなのではないか。日本の住宅価格は高いと、以前から言われ続けている。世界の価格に準じなければならないのだ。建築業法20条をみれば、日本の建築価格だけに透明性がないのが分かる。TPPの問題に、住宅も深く関わっているということだ。そして住宅価格は、民主化されていないということでもある。材料費と労務費と経費を明確にすれば、素人だけではなくインスペクションでも金融機関でもわかるようになる。さらにはローコストと称して、客を集める企業にもしっかりとした説明責任が発生する。
たとえば住宅の性能も分かりにくくしているとしか思えない。住宅の省エネ性能も消費エネルギーから考えれば、給湯器や省エネ家電を推進する方が早い。しかもこれらは材料費が明確だ。この材料費にエコポイントを推進すれば、新築だけではなく既存住宅にも対応できる。断熱性能だって、断熱材を入れない家は今や建っていない。それであれば、断熱材の材料費に対するエコポイントだけで、住宅の評価などは充分なはずだ。家全体の議論をするから、対応できない人たちが出てくるのだ。
住宅価格がディスクローズされれば、特に新築の場合は、将来への資本価値が明確になる。とにかく、家は面倒な規制を取り払って、適正価格で誰でもが手に入るようにした方が良い。そして同時に、住宅価格を釣り上げることにつながることは、正しいとは思えない。
先の性能も住宅価格を釣り上げる施策のひとつだ。また住宅ローン減税も、ローンをたくさん抱えるほど有利になるのは、明らかに価格を釣り上げる方向にある。とにかく買いやすくする税制と同時に、住宅価格を明確にして適正化することを同時に行わないといけない。
たとえば建築業法20条に従った住宅では、ローン金利を安く補助すればよい。その見積書を見れば、少し経験を積めば金融機関も資本価値を評価できるようになるだろう。そして資本が明確になると、住宅も国際価格に近づき、自虐的に資本価値を下げることが抑えられるだろう。
また自分が住む資本としての家は、原価償却もできないし、なによりも消費財ではない。消費税も検討しなければならないはずだ。しかし減価償却できる貸家なら10%の消費税が掛かるのはあたりまえだ。それでも資本累進課税を考えれば低すぎるかも知れない。この点でも現状の税制は、資本に有利な制度にしているとしか思えない。
最後に、ピケティに教わった最も大事なことは、夢でも良いからまずは投げかけてみること。「下手な考え、休むに似たり」と自己批判すれば、読んで下さった方々に失礼になるが、批判がたくさんあることが、いちばんの喜びかも知れない。
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