“緑の魔術師”と称えられた庭園デザイナー・石原和幸さんと三原
長崎市の中心部から北東寄りの高台に三原という地域がある。
長崎駅からバス、車で向かうと道は曲がりくねり、ひたすら上へ、上へ。辿り着いた高台にあるのがエリザベス女王からも“緑の魔術師”と称えられた世界的な庭園デザイナー・石原和幸さんが2020年から造り続けている三原庭園だ。
長崎市三原は石原さんの出身地。
古くは潜伏キリシタンが居住していた土地で、明治になって当初キリシタンを禁制にしていた政府によって三原の住民は流刑になり、その後、明治初期に帰郷。1945年には2キロほど離れた地点に投下された原子爆弾で焼け野原になった苦難の多い地であり、当時、石原さんの両親は生き残った人たちの面倒を見るために牛を飼い、農業を始めたという。
「私が生まれた1958年はそれから13年ほど経っており、三原は復興していました。見渡す限りに棚田が広がっており、湧水も。夏になると蛍が飛び交うような自然に溢れた地域でした。ところどころに巨木があり、その下のベンチにみんなで集まったり、瓦葺の屋根の家にはステンドグラスがあったりと洋風の文化があり、まち全体がひとつの家族のような感じでした。花も身近で、誰かが亡くなったら家から花を集めてきて棺の中に入れていました」
だが、戦後の経済復興はそんな牧歌的な風景を変えていく。
棚田は団地になり、道が通り、人が増え、牛が飼えなくなり……。そんな中、父が畑に花を植え始めた。
兄弟姉妹のほとんどがシスター、神父となる中で石原さんは試験に落ち、バイクに熱中。20歳頃まではモトクロスのレーサーを夢見ていたものの、目が悪なり断念。大学卒業後、就職したものの1年ほどで退職し、父の花の仕事を手伝おうと華道池坊に入門した。そこで「花こそが(私の)一生の仕事」と思うようになったという。モータースポーツには体力の限界があるものの、花なら続けていくほどに技術やアイディアその他の蓄積が武器になる。
すぐに路上販売の生花店に飛び込んで花を売り始め、24歳で牛を飼わなくなった後の牛小屋を改装して開業する。ところが、1982年の長崎大水害で店舗も、造ったばかりの温室も流失。水害だけでなく、斜面地の多い長崎では土砂災害の被害が大きかったのである。
石原さんの人生は、ここまででもすでに波乱万丈だが、その後も浮沈は続く。市内の花屋に勤務した後、29歳で再び独立を果たすのだが、時は折しもバブル期。花は飛ぶように売れ、石原さんは市内に30軒もの支店を開き、一時は長崎市内の花卉類の消費量が日本一になったほどだという。
イギリス王立園芸協会主催「チェルシー・フラワー・ショー」でゴールドメダル授与
それを見込んで声をかけてきた商社と九州各地にフランチャイズで店舗を拡大、中国やベトナムに農場をつくって花卉を栽培するが、そんなタイミングでバブルが崩壊。
8億円という巨額な借金を抱えることになる。借金は最終的には4億円に圧縮できたものの、それを10年間で返済しなくてはいけない。石原さんは再度花屋を始め、自ら仕入れて売り始めるのだが、そのタイミングで顧客からたまたま庭づくりを頼まれた。
「やったことのない仕事でしたが、花屋だけで毎月500万円の借金を返し続けるのは難しいと思っており、受けることにしました。その時の報酬は10万円。花屋にとって1日10万円の売り上げは天地がひっくり返るくらい高い客単価。しかも、それが高く評価され、以降、長崎市中心部の思案橋というところで花を売る傍ら、庭園を造るようになりました」
その後、1999年にテレビ東京の「TVチャンピオン🄬〜春のガーデニング王選手権」に出場したことで、有名となり、日本中で庭造りをするようになったものの、石原さん自身は満足していなかった。もっと大きなアーティストとしての仕事をしたいと考えていた時にスタッフが見つけてきたのが毎年5月にロンドンで開かれるチェルシー・フラワー・ショー。イギリスの王立園芸協会が主催する100年以上の歴史を持つ世界的に有名なガーデニングイベントである。
「2003年にこうしたイベントの存在に気づき、2004年に思い切って出展することにしました。スポンサーがいるわけではない自腹での参加なので、スタッフ20人ほどとイギリスに行って滞在、庭を作って展示、終了後に解体してと考えると往復の飛行機代、滞在費、庭のための材料その他で5,000万円くらいはかかります。そこで三原の実家を2,500万円で売り払い、加えていろいろ工面して初参加。銀賞を受賞しました」
イギリスはガーデニング関連消費が日本の20倍ほどに及ぶというガーデニング大国だそうで、テレビでは朝から晩までガーデニング関係の番組があり、人口の90%超がガーデニングファンなのだと言う。
そんな国で評価されたいと石原さんはチェルシー・フラワー・ショーに出展し続けることを決意。以来、2025年までの21年間で17回出場、全回受賞しており、うち、13回はゴールドメダルを授与されている。加えてフィラデルフィア、シンガポールなどの同種のショーでも受賞しており、この20年ほどで世界で知られるようになった。
永遠に造り続ける、できあがらない庭「三原庭園」
そんなところにコロナ禍となった。そろそろ、東京を永住の地にと考えていたが、この時期、長崎に帰郷する機会が相次いだ。
「昔お世話になった方が亡くなる機械など帰ってくる度に、自分が住んでいた、あれだけ美しくて愛されたふるさとを空き家が増える、寂しい状態にしておいて良いのかと。父がつくってきたこのまちを次の世代に渡すことができないか。2003年、初めてイギリスに行く時に実家を売ったことがトラウマでもあり、なんとかしたいと強く思いました」
その時に想起したのがスペイン・バルセロナにある世界で唯一、建設途中でありながら世界遺産になっている教会、サグラダ・ファミリアだ。
「サグラダ・ファミリアは建設が始まった頃、バルセロナ市は財政が危機的状況にあり予算がなかった。でも、多くの信者からの喜捨で長年にわたり現在まで造り続けられてきています。逆に予算が無かったからみんなの工夫でここまで造られてきたし、市民の希望であり続けることができた。
だったら私はそれを庭でやろうと考えました。世界の人が見たいと思う庭を自分が生きている限り造り続け、あとは子ども達、そして地域に渡していこうと考えたのが、永遠にできあがらない、造り続ける庭、三原庭園です」
長崎市の平均年収は県平均よりも少なく、全国平均から見ても低い水準にある。一方で日本で最初の児童施設(現在の浦上養育園)が生まれてきた地でもあり、石原さんの両親も地域の子ども達のための活動をしていた。
三原庭園にはそうした現状に寄与するという意図もある。介護や子育てをしながらちょっと三原庭園で働く、空き家を使って自分の仕事をしたり、収益の場を作ったり。見てきれいな場所というだけでなく、仕事も生む場所。三原庭園は一般の人が庭というときにイメージするよりもはるかに広い意味が込められた庭なのである。
庭は人を笑顔にする、笑顔は人を呼び、仕事、お金を生む
実際、2020年8月7日(花の日)のオープン以来三原庭園の地域での役割、存在感は広がり続けている。細長く伸びる庭園を中心に階段を上がったところ、下がったところには雑貨や子ども服、靴などを売る小さな店があったり、ケアプランセンターや建設会社のモデルハウス、ゲストハウスなど点在しているのだが、これらを運営している人達の多くはもともとは庭園を散策に来る、行ってみればお客さん。それがここで何かをやってみたいと思うようになり、店を持つに至ったという。
「店を持つ以外にもすでに5組が移住してきており、周辺に靴屋さん、バラの栽培などを行っています。まちづくりはどれだけ面白い人が集まってくれるか、人づくりでもあると思うので、もっといろいろな人に来ていただきたい。
息子が建築家なので周辺の空き家を利用して安く住める家、安く泊まれる宿も作っており、一番安く住める家は月額3万6000円。仕事は長崎自体にも多くありますし、もちろん、三原庭園にも。ここは市内中心部にも15分、20分ほどでもあり、この地の利を生かして二拠点、多拠点をする人にも来てもらいたいところです」
宿はもともと普通のアパートだったところを利用しているが、高台にあるので窓を開けると眺望は抜群。住居として考えると不便な場所になるため、家賃は月額で3万円ほどと安くせざるを得ないが、それを眺望の良い宿として貸すと途端に単価はあがり、2人で泊まってもらえば2日で家賃分を稼ぐことになる。また、宿があれば宿内はもちろん、周辺にも仕事が生まれる。そして、こうした活動が徐々に地域を潤している。
「外資系のテーマパークが上げた収益はそのままその国に行ってしまいますが、ここではそれぞれの経営者の収益になり、それが地域に還流されています。バーに入った収益が地元のマッサージ店に流れ、それが他の飲食店を潤しという循環です。この5年ほどでそうした流れが出てきました」
花や緑には人を笑顔にする力があり、笑顔は人を呼び、人が仕事を、仕事がお金を呼んでくるという石原さんの説が実証されているのである。
昔の三原の風景を庭に再現、それが魅力の源
キッズワークショップや子ども食堂、花、庭をテーマにしたセミナーやパフォーマンス、ライブ、学生の国際交流の場としての活用、ガーデンウェディングなども開かれており、広く使われるようにもなってきた。
もちろん、庭園自体の評価も高い。取材時、ネット上の評価を見せて頂いたが、評点は長崎の観光名所であるハウステンボス、平和公園、グラバー邸、眼鏡橋などよりも高く、訪れた人達の満足度が伝わる。
実際の庭園は急な階段あり、坂ありの長崎の典型的な斜面に造られているのだが、だからこそ、魅力的だ。なんとなれば、石原さんの造園は三原で父がつくった風景をベースにしたものだからだ。
「造園は習ったわけではなく、父が先生。大きな石があったら動かすな、木があったら影ができるからそこにベンチを造ろうとか、自然に逆らわず盛らずにいかに楽しく、美しい空間をつくるかを父から学びました。ここで育ちましたから、斜面の立体的な使い方、遠近法、道のつくり方などが体に入っているのでしょうね」
和と洋の植物がバランスよく自然に混ぜ合わされているのも幼少時代からの経験から。庭園自体、石庭があったり、中国風の東屋があったり、一方で地中海を思わせる白い小屋があるなど洋の東西を縦横に行き来する自由さがあり、その変化が楽しい。曲がりくねった道を抜けたところにこれまでと違う風景が広がる驚きは平坦な庭にはないものだろう。
実のなる果樹など食べられる植物が多く植えられているのも目を惹く。水辺にクレソンが繁茂し、みかんが実る庭は石原さんの幼少期の三原の風景そのものであり、それが石原さんの庭のスタイルでもある。
「西洋の庭はgarden。これはgardした内部に作る別世界、edenという意味ですが、日本の庭は家庭からイメージされるものだと思っています。家があり、庭がある、生活があり、緑がある。自給自足の、日本の昔の和の風景ですが、今考えても、そうした50~60年前の暮らしは豊かだったと思います。庭園ではその風景を再現していますが、三原でならリアルにもそうした生活が可能。海外に移住するより三原に移住していただきたいものです」
地域と連携、まち全体を花と緑でいっぱいに
開園から5年、施設、関わる人は増え続けているが、今後はさらに地域との連携を深めていく予定。6000坪(約19800m2)ほどの三原庭園内だけでなく、周辺にも花、緑を増やし、風景をまちの財産に、まち自体が観光になるようにしていきたいと考えている。
「庭園の敷地内だけでなく、地域の人にも呼びかけ、苗を寄付してそれを植えてもらう、市場から花卉類を買い付けられることを利用、園内で販売する花の苗もできるだけ安くして地域で花が増えるようにもしたい。
被爆から80年となる2025年春からは地域の学生団体と連携して長崎市の花であるあじさいを植える『ながさきあじさい12キロプロジェクト』に取り組んでいます。12キロは長崎の被爆地域半径12キロに由来。ここは70年は草木も生えないといわれていた地域ですが、そこを花で満たすことで平和をアピール、世界に誇れるまちにしていきたいと思います」
三原庭園から周囲に、市内に花と緑が広がっていく情景が想像できる。これからの姿を楽しみにしたい。
最後に三原庭園を訪れてみたいと思った方へ。
市内中心部からは車で約15分ほど。長崎駅からは県営バスも利用でき、6循環、12循環で寺井田バス停下車、徒歩5分ほど。バス停付近からはところどころに道案内の掲示もある。
庭園の営業時間は10時~20時、入園は無料。駐車場も無料で利用できる。園内には眺望が楽しめるカフェレストランがあり、ランチ、ディナー(1週間前に要予約)が頂ける。花柄の壁紙、リースに彩られた宿は全4室。キッチンや洗濯機なども揃っており、市内に比べると比較的お手頃な料金で宿泊できる。急ぎ足で観光地を巡るのではなく、のんびりまちを味わいたいという旅ならお勧めの宿である。
■取材協力
三原庭園
https://www.miharagarden.com/




















