世界で活躍する妹島和世氏を「建築」へと導く
菊竹清訓(きよのり)の設計で1958年、東京・音羽に完成した「スカイハウス」。おそらく20世紀後半の日本の建築界に最も影響を与えた住宅だ。現在にもその影響は続いており、例えば、国内外で活躍する妹島和世氏は、2022年にスカイハウスをテーマにした展覧会を企画した際、こんなことを語っていた。
「子どものとき、母親が読んでいた雑誌でスカイハウスの写真を見て、建築って面白そうだと思った。そのことはしばらく忘れていたが、大学時代にそれが菊竹さんのスカイハウスだと知り、強く惹かれるようになった」。
なんと、建築を意識した原点がスカイハウスだというのだ。妹島氏が大学を出て師事したのは建築家の伊東豊雄氏。その伊東氏が師事したのが菊竹だ。伊東氏もまたスカイハウスの登場時に衝撃を受けたと語っており、この住宅なしに現在の日本建築界を考えることはできない。
「スカイハウス」。ネーミングからして力強い。当時の写真を見ると、まさに空へ飛び立とうとする飛行機のようだ。
もちろんネーミングは最後のひと振りであって、この家には建築上のトライアルがびっしりと詰め込まれている。
「メタボリズム」の先を行く「ムーブネット」
トライアルを1つずつ細かく説明していくと大論文になってしまうので、菊竹には申し訳ないが、ポイントをざっくり箇条書きにしてみる。
①崖地にメインの床(3階)を4枚のコンクリート柱によって浮かばせる。前面道路のある地上2階レベルから階段で上る。
②床は正方形で、中心には正方形の居間(7.2×7.2m)、その四周をバルコニーのような廊下が取り巻く。
③屋根はコンクリート製のHP(双曲放物面)シェルを4枚組み合わせ、柱のない大空間とする。
④外側の木製雨戸と内側のガラス引き戸によるダブルスキンとして室内環境を安定させ、外観上は日本的な印象も与える。
⑤木製雨戸は壁柱の陰に完全に収納される。
⑥キッチンやバス、トイレなど水まわりの設備をユニット化し、居間の外側に取り付ける(これを「ムーブネット」と呼ぶ)。
⑦将来は子ども部屋をムーブネットとしてつくり、居間の下にぶら下げる。
「メタボリズム」という言葉を聞いたことがあるだろうか。「新陳代謝」という時間的な概念を導入することで、可変性や増築性に対応した建築・都市空間を目指す考え方だ。1960年に、評論家の川添登を中心に、菊竹や黒川紀章、大高正人、槇文彦らによって「メタボリズム」が提唱され、世界的なムーブメントとなった。スカイハウスはその運動に先駆けて、菊竹がメタボリズムを実践したものでもあった。
歴史上、挑戦的な住宅は数あれど、筆者は複数のトライアルがこれほど見事に1つの形に収斂している住宅を他に知らない。ただ、あまりにも筋が通っているがゆえに、「建築家として名を上げるための実験でしょ」とも思えてしまう。特に、キッチンが廊下に置かれた「ムーブネット」であると聞くと、「夫人がなんだかかわいそう」と勝手に思ってしまうのだ。
ムーブネットで実際に暮らした菊竹清訓の長女 菊竹雪さん
筆者は幸運なことに2度、この家にお邪魔したことがある。
1度目は菊竹の生前。2度目は菊竹が亡くなった後に、長女の菊竹雪さん(デザイナー、東京都立大学名誉教授)に話を聞くためだった。1度目は菊竹本人に話を聞いたので、やはり「実験」という印象が強かった。しかし、2度目に雪さんに話を聞くと、この住宅が違うものに思えてきた。
上述したトライアルの⑦、「将来は子ども部屋をムーブネットとしてつくり、居間の下にぶら下げる」は、竣工から4年後の1962年に本当に実施された。その「ぶら下がった子ども部屋」で過ごしたのが雪さんだ。雪さんはこんな思い出を話してくれた。
「私が生まれた年にこの家が竣工しました。それから30年近くここで暮らしました。今でもここが私の原点『ふるさと』だなあと、つくづく感じます」
「(ムーブネットの子ども部屋が取り付けられたのは)「おそらく幼稚園の頃だと思います」
「はしごで上り下りしていました。子ども部屋に下りる部分は蓋が閉まるので、私が下りたあと、はしごを上げて蓋を閉めたと思います」
「(窮屈な印象は)全くないです。私が独占していました。妹が生まれた頃から、ムーブネットではなく、少しずつ下(地上)に増築していきました」
「私はもしタイムカプセルがあったらもう一度あの部屋に行ってみたいです」
なんだかすごく楽しそうだ。
まるで家の中の秘密基地。菊竹が子ども好きだということは、以前に取材した「黒石ほるぷ子ども館」(1975年、青森県黒石市)でも感じていた。この施設は全体が子どものための基地のよう。スカイハウスは公開されていないので、青森方面に行く人はぜひそちらを見てみてほしい。
菊竹は「子ども、大人という意識がなかった」
では、夫人にとってスカイハウスはどうだったのだろう。雪さんが言うように、生活の中心は、増築された地上部分へと徐々に移っていった。筆者が最初に訪れた2000年代の初めには、廊下のムーブネット(キッチンや浴室)は存在しなかった。だから、使い勝手や使う人の気持ちを想像することは難しい。だが、雪さんの話を聞いて、これも夫人は楽しんでいたのではないかと思えてきた。
「父は、孫に対しても同じですが、子ども、大人という意識がなかったと思います。上からものを言うということが本当にない人でした。例えば、自分は今、この仕事をやっているんだと。こういうコンペをやっているんだけどどう思うか。子どもにも聞いてきました」。
「この家を変えるときは、みんなで相談しながら、あれがいいこれがいいと決めました。子どもの頃、私たち兄弟がピロティにプールをつくりたいと言い出して。さらに、今の駐車場のところからプールに向けて滑り台をつくってほしいと。父は『やろうやろう』です。そこに止めに入るのが母です(笑)。誰が掃除をするのか。やめてほしい。母は非常に現実的でした。この家は父がつくりましたけれど、母が育てていったと思います」。
そんな現実的な夫人が、本当に嫌ならムーブネットに反対しないはずがない。きっと、子どもたちと対等に話し合ったように、夫婦間で徹底的に話をして生まれたのがムーブネットであり、空に浮かぶ住宅だったのだろう。
「夫人がなんだかかわいそう」と筆者が思ったのは、当初の家に夫人が1人になる場所がないからだ。だが、考えてみると、菊竹の書斎もない。夫婦が対等だ。設計したのは雪さんが生まれる前。その時点では、2人だけで気兼ねなく暮らせる大きなワンルームの家だったのだ。
その瞬間を全力で楽しむということに、夫人も共感したのだろう。改めて、完成時の『新建築』1959年1月号の記事を読むと、冒頭に「設計:菊竹清訓、菊竹紀枝」と記されている。連名となっているのは夫人だ。そして、建物名は「スカイハウス」ではなく、「菊竹自邸」。決して机上での考えを押し通した実験住宅ではない。
■概要データ
スカイハウス(菊竹自邸)
所在地:東京都文京区
設計:菊竹清訓、菊竹紀枝
階数:地上3階
構造:鉄筋コンクリート造
延べ面積:247.34㎡
竣工:1958年(昭和33年)
■参考文献
『菊竹清訓巡礼』(磯達雄・宮沢洋共著、2012年、日経BP)
BUNGA NET「応募倍率10倍、伊東豊雄×内藤廣×妹島和世のスカイハウス座談会を見た!」
新建築1959年1月号
公開日:













