有田川町では、まずウェブで顔合わせ、移住者が求めるものを聞いていく
和歌山県有田川町では過疎地域を中心に行われてきた移住支援が町内全体の移住推進に変わったのは2018年から。当初は東京、大阪などで開催される和歌山県の移住フェアに担当職員が出張、そこで移住相談に乗ったり、現地を訪れる人を案内したりというやり方だった。それが変わり始めたのはコロナ禍の2020年から。
「オンラインミーティングのツールが充実したことからウェブ相談を開始、移住後の仕事や暮らし、近所付き合いへの考え方などについて意見交換をした上で地域を訪問してもらうようにしています。こちらからも町の良さや特徴は説明するのですが、それよりも希望者の方が移住に際して何を重要視しているのか、それらは町の色にマッチするのかを大事に相談を受けています」と有田川町産業振興部商工観光課の上野山友之さん。
フランスから移住してきたロリュ・ポールさんと光石有希子さん家族の場合もきっかけはウェブ上での出会いだった。
「生まれ育ったのは東京ですが、大学を出て以降は名古屋、大阪に2年ずつ暮らし、その後にバカンスのつもりで訪れたフランスに10年ほど滞在、結婚したのですが、コロナ禍で移住を考え始めました。夫はもっと自然の多いところをと考えており、1年ほどは夫の郷里であるシャンベリー周辺で土地や家を探したものの、なかなかこれというものと出会えませんでした。
それでは日本はどうだろうと、地図を見ながらあちこち探していたところで和歌山県に目が留まりました。海が近くて山もあるし、有田川町なら和歌山市からもそれほど遠くはなく、高速道路、特急が利用できる。内陸部にあるので津波の影響もありません。それ以外にも共感した点、ここならと思った点がありました」と有希子さん。
共感した点は有田川町の環境面での取組み。過去の記事でも紹介しているが、有田川町では県営ダムから放水される河川維持放流水を活用して水力発電を行うとともに、ごみの徹底した資源化にも取り組む独自のエコ政策「有田川プロジェクト」が知られており、有希子さんはそこに共感した。コロナ禍でまとめ買いをせざるを得なくなったところからごみの減量化に目覚め、そこから環境に目が行くようになったのだ。
若い人たちが活躍していることも有田川町の移住の決め手に
もうひとつ、有希子さん夫婦がこの町ならと思ったのは若い人たちが活発に活動をしているという点。移住者として紹介されている人たちに30代などの若年層が多くいたのである。
有田川町で人気のガイドブック「shiyola」や先輩移住者へのインタビューパンフレット「sumola」などは地元のまちづくり団体「有田川女子会」が作成しているのだが、この集まりには移住者も参加しており、暮らしてみてどうかというリアルな目線で情報を発信している。そこに同年代が多いことが安心感につながったわけである。
家探しもオンラインで行った。
「まだ実際にお会いしたことはなかったのですが、先輩移住者がいろんな家をリストアップしてくださり、オンラインで内見、最初は賃貸を借りて住むことになりました。親身になって相談に乗っていただき、本当にありがたかったです」
「有田川町内でも藤並駅に近いエリアには賃貸住宅が少なからずあるため、最初はそこを借りて住まれる方が多い印象です」と上野山さん。町の中には空き家も点在しているが、仏壇がある、倉庫代わりに使っている、年末年始には使っているなどの理由で貸そう、売ろうという人は多くなく、暮らしに慣れるという面も踏まえて、賃貸暮らしを選択する移住者が多いのだという。
「移住者にとっても最初から家を購入するのはリスクが大きくなります。まずは賃貸を借りて移住、そこで人間関係を作っていけば知り合いづてに物件を紹介してもらえることもあると説明しています」
実際、有希子さん夫婦も移住してから培った人間関係がプラスに働いた。ご近所の人からの情報で現在の住まいを手に入れたのだ。
「現在の家に引っ越して1年ほど。有田川町に着いてから知人に紹介してもらった賃貸に住んでいたのですが、大家さんから売却されることを急に知らされました。当時第三子も妊娠していましたが、急遽家探しをする必要に迫られました。まだ小さい息子2人プラスこれから生まれてくる赤ちゃんがいる中、集合住宅に住むのはイメージできませんでした。戸建ての賃貸がなかなか見つからずに困っていたところに近所の人がこの家を紹介してくれました」
20数年、セルフビルドされてきた家をご近所情報で知って購入した光石さん
現在の住まいは柱、梁の堂々とした一戸建てだが、実はこれ、ご近所に住んでいた方が20数年前からセルフビルドで延々と作り続けてきたもの。完成する前に亡くなってしまい、そのままになっていたものを購入することになったのである。
こうした事情のある物件の場合、一般の売買市場に出てくることは少なく、ご近所からの情報として得られたことを考えると人間関係の大事さがよく分かる。
「移住では移住者、地元の人が互いを知ることが大事だと思っています。でないとミスマッチが起きやすい。そこで最初にオンラインで話を受けた後、地域を訪問してもらった際には行政で現地案内、説明をした後は先輩移住者とマッチング。現地のカフェやゲストハウスなど行政の手を離れたところで地元の方と関わってもらい、地域の肌感を知ってもらうようにしています。その上で最終的に移住するかどうかを検討してもらえればと思っています」
ある程度の人間関係があってからの移住になるため、こんなはずじゃなかったとなりにくいのだ。実際、光石さん夫婦も期待以上の生活が送れているのは人の部分が大きいという。
ポールさんは以前フランスの証券会社の日本支社に勤務していたことがあり、3年ほど東京で暮らしていたことがある。その時には地域に溶け込めない、打ち解けられていないという疎外感を感じていたそう。
「会話では持ち上げてくれたし、皆さん、優しかったのですが、生活を共有することはなく、理解できないものと思われていると感じていました。でも、ここでは変な目もなく、よくしてもらっています。ちょっとした会話の中で困りごとの話をすると、じゃあ、こうしてあげようと具体的に返事が返ってくる。
今年から長男が小学生なのですが、上級生が下級生の手助けをするのが当たり前という意識が根付いている様子。人を手助けする余裕があるのだろうなと思っています」
フランスでも困っていれば手助けをしてくれる友達は多かったそうだが、有田川町ではそれに加えて有希子さん家族のことを気にかけてくれているご近所の方が多いのが心強く思っているという。
「私は染まりやすいタイプなのか、すでに関西弁になりつつあり、子どもたちは有田弁に。すっかり地元に慣れ親しんでいます」
起業も、複業も可能。有田川町は独自施策で移住者にアピール
以前から起業を考えていた有希子さんは来年年明けを目標にかつての鉄道跡地を遊歩道にしたポッポみち沿いの空き家を利用し、市場には出せないみかんを利用したジューススタンドを作ろうとしている。光石さん夫婦は最初に紹介された先輩移住者を通じて町内のさまざまな人と繋がっており、そのうちには町内で事業をやっている人も多数いる。
初めての起業ではそうした関係があることは大きなプラス。情報も入ってくれば、アドバイスも得られるし、販路もそこから開けていくかもしれない。また、行政との距離の近さもうれしいポイント。起業する人にとっては心強いはずだ。
移住では仕事も不安材料のひとつだが、有田川町ではいくつかの仕事を掛け合わせた働き方を提案。それも移住希望者の背を押すことになっている。
「有田川の東部の名産のひとつに町が発祥の地であるぶどう山椒があります。近年、ヨーロッパなどでも日本独自のスパイスとして注目を浴びているのですが、山椒農家としてだけで生活していくのは収入面で難しいところがあります。一方で山椒の繁忙期は春から夏で、秋・冬は時間的に余裕ができると聞いています。
そこで山椒+Xという複数の仕事を掛け合わせた働き方を提案、2020年にブックレットを発行し、同年から農業部局では就農インターンシップを開催しています。先輩移住者の中には実際に、山椒と秋・冬にできる複数の仕事を掛け合わせて家族で生活している方もいらっしゃいます」
副業ならぬ、複業というわけだが、あらかじめそこまで想定、提案されているのであれば移住者も安心である。2023年には人口2万5000人強だった町に25人の移住者があったのはそのあたりが評価されたからだろう。
同年からは移住、関係人口増加などに幅広く取り組む拠点「しろにし」が稼働し始めており、今後も一層官民連携や移住推進が進むことが想定される。今後は町のカラーを生かした独自イベントを大阪方面やオンラインなどで開催していく予定という。特産物はもちろん、共感を生む独自施策のある町の強みがさらに生かされていくと思う。
ところで最後に光石さん宅である。
購入時点では住める状態ではなく、フリーランスの大工さんに急ピッチで断熱材を入れてもらい、壁、天井、床そしてキッチン、トイレ、水回りを仕上げてもらった。引越し後はポールさんの遠隔で行っているフランスの仕事の合間に少しずつ壁の色塗りをしたり、棚を作ったりして徐々に手を入れてきたという。
まだ、手を入れるところは残っているが、かなり完成は見えてきている。今後は庭にも手を入れていくそうで、こうした家が手に入るのも都市以外に暮らす魅力かもしれない。かなりうらやましく思ったものである。







