人口が減少する津和野町左鐙で始まった子どもを育てる活動

かつての小京都ブームで全国で知られるようになった津和野町。中心部から少し離れた地域に「うしのしっぽ」があるかつての小京都ブームで全国で知られるようになった津和野町。中心部から少し離れた地域に「うしのしっぽ」がある

山の急斜面を年齢の違う子ども達が走り回って育つ場所があると聞いた。体幹が弱いと大人でも椅子取りゲームで跳ね飛ばされるんだよと楽しそうに語る友人の言葉に惹かれて島根県津和野町左鐙(さぶみ。読めない)にある「山のこども園うしのしっぽ」を訪ねた。

津和野町といえば島根県南西、山口県との境にある、小京都とも呼ばれる街並みで知られる町。左鐙はそこから細い山道を登った先にある地域で、島根県が作っている「しまねの郷づくり応援サイト」で見ると2023年時点の人口は243人。緩やかに人口が減少している地域である。

かつての小京都ブームで全国で知られるようになった津和野町。中心部から少し離れた地域に「うしのしっぽ」がある遠くに見えているのが「うしのしっぽ」の園舎。市街地に比べると気温もいくぶん低い
「うしのしっぽ」のある山中には牧場もあり、名称の通り、牛がいる「うしのしっぽ」のある山中には牧場もあり、名称の通り、牛がいる

「うしのしっぽ」などを運営しているNPO法人さぶみのが2022年に10周年を迎えた時に作成された記念誌によると活動のきっかけとなったのは2007年時点での地元の左鐙小学校の児童数。同誌には「当時、左鐙小学校の児童は10名。このまま何もしなければその8年後の2015年には1名となっていた」と書かれている。

小学校、つまり子どもがいなくなることは地域の消滅にも繋がる。地元の人たちは2006年に「左鐙の将来を考える会」を立ち上げて活動をスタート。全国の小学生や大人たちを集めての「夏休みサブミ宿泊体験」、地域の人達を対象にした「映画左鐙パラダイス製作」を年に1回、近隣地域の子ども、大人を対象に「サブミ牧童探検隊」を月に1回、近隣小学生を対象に「放課後学童」を週1回開催するなど、地域の大人、子どもに全国の人達が交わる機会を創出し続けた。

小規模校には人数が少ないために競争心、社会性が育ちにくい、教育方法の選択肢が限定される、学校行事に過度な負担が生じるなどのデメリットがあると言われる。だが、それは一人ひとりに向き合う教育ができる、地域、そこにいる人達が学びの場になる、特色、機動力のある教育ができる、人数が少ない分、役割が多いために責任感が育つなどのメリットに転換することもできるはずで、地域の人達はそれを意識した活動を行ってきた。

かつての小京都ブームで全国で知られるようになった津和野町。中心部から少し離れた地域に「うしのしっぽ」がある子ども達のお友達、ヤギもいた

園舎無し、遊具無しからスタートしたこども園「うしのしっぽ」

子ども達の送迎を担っているのはこのバス子ども達の送迎を担っているのはこのバス

その活動の主体となっていた「左鐙の将来を考える会」が解散、NPO法人さぶみのが設立された2013年、「山のこども園うしのしっぽ」もスタートした。左鐙の里山、人をフルに生かして子どもたちの育つ場を作ろうという思いからである。

最初、園舎はなかった。立地しているエリアには牧場があり、炭焼き小屋もあったが、それ以外は自然のまま。子ども達は雨の日も雪の日も毎日、森の中で活動。当然、おもちゃや遊具もなく、大人たちが時間割を決めることもなく、子ども達の毎日は森の中にある葉っぱや枝、蔦を使って遊ぶことだった。

子ども達の送迎を担っているのはこのバス子ども達の遊び場。周囲には崖もあり、子ども達は好きにあちこちを走り回る

と聞くと知らない人は驚くかもしれないが、こうした自然体験活動を基軸にした子育て・保育・乳幼児・幼少期教育を行う活動「森のようちえん」は北欧諸国で始まり、現在は日本でも300近い団体が加盟するネットワークがあるほど。活動は必ずしも幼稚園、保育園などに留まらず、学童保育、自主保育、自然学校、育児サークル、子育てサロンなどと幅広く、対象は0歳から小学校入学前後の子どもとされている。

「この地域は津和野町を構成する旧日原町の中でも周辺部にあり、左鐙という地名は落人が騎乗中に左の鐙を落としたという平家伝説から来ています。標高は450mほど。市街地からすると気温も2度、3度低いくらいの山奥で、こんな人里離れた場所で子育てを支援する場を作るのは無謀と言われたものです」と2024年3月まで園長を務めていた京村まゆみさん。

活動を始めて4年後の2017年に園舎を建てた時にも「あんな奥地に」と言われたそうだが、京村さんは奥地だからこそ、少人数だからこそ子どもが育つ場が作れると考えた。群れて何も考えずに右に倣うことを良しとするのではなく、自分で考え、判断できる力を養うためには子ども一人ひとりに向き合える、子ども自身が考える場が必要と考えたのである。

「ここは何もないから良いのです。何もないけれど、蔓や葉っぱ、竹などといった素材に溢れていて、子どもは自由に自分の想像力で遊びを生み出し、いつも楽しそうです。ところが、おもちゃは与えられるものと思っている、おもちゃに遊ばされている子どもはここでは遊べない。これは子どもだけの問題ではなく、おもちゃを与えておけば手間がかからないと考える、便利さを求める大人の問題でもあります」

子ども達の送迎を担っているのはこのバス「うしのしっぽ」の園舎。この裏手に冒頭の写真にある広場が

自然と遊ぶ中で育つ、人としての「根っこ」

木の枝を持って走り回る子ども。とにかく、みんな楽しそうである木の枝を持って走り回る子ども。とにかく、みんな楽しそうである

子ども達が遊んでいるところを見学させていただくと木の枝を何かに見立てて振り回したり、見つけた虫を大人の鼻の穴に突っ込もうと企んだり(悲鳴を上げて逃げました)、実に楽しそう。山の斜面も楽々上り、下り、走り回る。

「崖っぷちを走る子どもに大人はついていけません。それにここの子どもは斜面を上り下りしていても地面や周囲をちゃんと見ていて、野イチゴがあるとか、何か落ちているとかにすぐに気づきます。ところが、外から来た子どもは目の前しか見ておらず、目的地に着くことだけを考えてしまう。いつも早くしなさいと言われているからでしょうか、寄り道ができないのです」

木の枝を持って走り回る子ども。とにかく、みんな楽しそうであるトカゲを捕まえた子ども。誇らしげに見せてくれるのは良いが、とかげは鼻に入れるものではない

子ども達は自然の中でただ遊んでいるだけだが、それが体だけでなく、想像力や自発性、社会性その他いくつもの人として大事な根っこを育て、鍛えているのだろう。子どもの仕事は遊びとはよく言われる言葉だが、根っこが育っていなければ木は育たないと考えると納得できる。

スタッフ2人、園児2人からスタートしたうしのしっぽだが、地域の人だけではなく、県外から移住してきた家庭からも選ばれ、すぐに定員12名がいっぱいになった。その後、地域型小規模保育園となって定員を19名に増やし、さらに22年には幼保一体型の地方裁量型認定こども園となり定員は23名に。周辺では子どもが減っているというのにうしのしっぽに集まる子どもは増えている。子育て世帯に選ばれているのだ。

だが、そんな中、2024年春からうしのしっぽは大きな転換をした。

「10年間、社会や子どもの姿を見てきて考え方が変わりました。最初は本物の自然の中でこそ、子どもの生きる力が育まれると考え、それを養うための場を作ってきました。その考えは今も変わっていませんが、自然環境の前に家庭内や保育の場での人の環境があった上での自然環境と考えるようになったのです」

木の枝を持って走り回る子ども。とにかく、みんな楽しそうである京村さんもとかげに襲われていた。園長先生(当時)だからといって子どもに容赦はない

10年やって気づいた、自然に加えて大事なもの

京村さんが考える「人の環境」のうちでも大事なものは主に親と子の間の、愛し愛される中で育まれる温かい安心感、信頼感のこと。愛されていることを認識できている子どもは自分を認め、他人を認められる。それが自分らしく、でもみんなと一緒に生きていくために幼児保育が目指すべき重要な目標ではないかと思うようになったというのだ。

「人口、子どもが減る中、女性にも働いてもらいたいという社会の要望があり、保育は外部でという流れがあります。女性が働き続けるためには保育の外部化は必要なことですが、一方で子どもと向き合う時間も大事です。

このところ、行政の子育て支援が無償化に向かっていることもあり、それを利用しないといけないと考える人が出てきているように感じます。となると子どもと向かい合うより、無償化された制度の利用が優先されがち。確かに子育て真っ最中にはそのほうが効率的かもしれませんが、そもそも子育ては効率で考えるべきものかという疑問があります」。

そこでうしのしっぽ以外にも親と子、そして地域の人たちが関われる場を増やし、親が子育てに関わり、子どもに向かい合える時間を増やそうと考えたのである。以前から年に1回、親たちが保育士の代わりに保育に参加、子どもの一日を見てもらう日を作ってきたが、それをもっと広く、日常的に行うようなものということだろう。

具体的には現在のうしのしっぽの園舎の隣に子育て支援センターを建設。そこを屋外型保育の拠点とし、ゼロ歳から2歳までの子どもに外遊びの楽しさを教える場とする。ここはうしのしっぽと違い、子どもを預かるのではなく、親子で利用できるもの。入園しなくても気軽に屋外遊びが経験できるようになるのだ。

また、親も他の親やスタッフと交流でき、人と知り合う、遊びを知る機会が生まれる。

島根県津和野町左鐙にある「山のこども園うしのしっぽ」では自然体験活動を基軸にした保育が行われてきた。自然の中で年代を超えて自主的に遊ぶ活動を通じて子ども達は想像力を養い、社会性、自主性その他さまざまな生きる力を身に付けていく。山中で行われてきた保育のこの10年、そしてこれからを聞いた。園舎の隣が新しい施設。ここを拠点にこれまで以上に幅広い世代の人達が関わる場が生まれる

よその子ども、親や地域の人と出会う子育て支援センター「でこぼこ広場」

一般的な子育て支援センターは親と子が向かい合って遊ぶ形式が多いが、それでは家にいるのと同じ。新しい子育て支援センター「でこぼこ広場」では他の親子、親同士が交流する。一緒に子どもを外に連れ出し、遊ぶ。こうすることでセロトニンの分泌が活発になり、子どもは良く眠れるようになるのだとか。子どもにとっての睡眠は成長のために重要だ。

「4月からは園長を辞し、子育て支援センターに関わるので、赤ちゃんの心や体、育ちについてもっと勉強しなくてはと考えています」

京村さん(右)と新しく園長になる斉藤繭子さん。京村さんと長く一緒に園を切り盛りしてきた人である京村さん(右)と新しく園長になる斉藤繭子さん。京村さんと長く一緒に園を切り盛りしてきた人である

でこぼこ広場は毎週、火曜日、木曜日、金曜日に開かれ、子ども達が屋外遊びをする以外に親たちに向けての取組みもある。木曜日には助産師が常駐、母乳、育児の相談に乗ってくれ、金曜日には隔週でお母さんがリラックスできる足湯、ヨモギと生薬の入ったもぐさで全身をほぐすテルミーという温熱刺激療法が用意されているのだ。子どもと向き合い、愛情を注ぐためにはお母さんにも余裕が必要ということだろう。

また、でこぼこ広場に加えて毎週水曜日に、閉校した地元の旧左鐙小学校で委託運営してきたフリースペースさぶみ(主に不登校の児童を受け入れる場)の開所日にあわせて、そこをでこぼこ出張広場と位置づけ、そこでも子ども達を受け入れている。家庭以外の居場所ということで、いずれは2つの施設が交わる場にしていきたいと京村さん。こども園に通う年代だけでなく、その周囲の年齢の子どもたちも含めて広く地域に関わっていこうということである。

こども園の人数構成も変わった。これまで保育園認定20人、幼稚園認定3人だったところをそれぞれ10人ずつとしたのである。ゼロ歳から3歳は愛着を育む、子どもの人生にとって大事な時期である。その時期にもし、子どもと向き合えるならできるだけ向き合えるように家族で話し合って欲しいという意図である。

自然の中で遊ぶことへの不安を払拭する場所に

時期によっては雲海に包まれることもあるという。東京しか知らない身としては圧倒的としかいいようがなかった時期によっては雲海に包まれることもあるという。東京しか知らない身としては圧倒的としかいいようがなかった

もうひとつ、新しい拠点には役目がある。左鐙も含め、このエリアは市街地でも十分に自然に恵まれた地域だが、そんな自然に恵まれた地域でも四角いフェンスに囲まれた園庭を安心・安全で良いと考える人が少なくない。

「子どもの安心・安全は本来、そうした場の安全からではなく、心理的な、どんな自分でも大切にされていると感じ、自分も周りを信頼できると感じられる安心・安全が根底にあるものと考えています。それがあれば環境は危険でも大丈夫。実際、自然物の中では子どもは怪我をせず、逆に人工物のほうが怪我しやすいものです。

でも、大人としては自分が経験したことがない、自然の中での遊びには不安を抱きます。特にそれが自分でなく、子どものための場となると子どもを守りたいという意識が強く、より不安に。新しい拠点はそうした人たちの意識の中に大丈夫だよという種を蒔く場になればと考えています」

都会では自然は求められるものだが、周囲に豊富にあると逆にその力が軽視されることもあるということだろうか。

うしのしっぽの子ども達を見ていて自然の中で育つ逞しさに気づかされたのだが、こうした力は変化の激しいこれからの時代には大きな助けになるのだろうと思う。右向け右の命令に盲従する時代は終わったと考えると、自発的に動ける、自分で遊びや仕事を生み出せる、他世代と協調できるなどといった力のある人はどこにあっても生きていける。そうした人がいる地域には可能性も生まれるだろう。

子どもの減少をきっかけに始まった地域の活動が、そのうち、この土地を変える人を生み出すかもしれない。教育にはそういう力があると信じたい。

公開日: