砂浜が、まちそのものが美術館という考え方
時間帯にもよるが高知市から鉄道利用だと2時間半から3時間半。高知県黒潮町は砂浜美術館が始まった1989年当時も今も都市からは遠い場所にある。バブル経済期の、だれもが都市に憧れ、都市化を考えていた時期に砂浜美術館は黒潮町に生まれた。
きっかけとなったのは自分の写真をTシャツにプリントして砂浜で風になびかせたいという写真家・北出博基氏のアイディアを高知在住のデザイナー梅原真氏が町役場の職員に持ちかけたこと。梅原氏は都市化こそ正義とする考えには疑問を抱いており、都市とは遠い土地に暮らす地元の人たちは自分たちの地域でいかに楽しむかを考えていた。そんなところに持ち込まれた砂浜を使うアイディアに関係者はこれをそれまで地域で行われてきた他のイベントのように一回限りに終わらせないためにはどうすれば良いかを考えた。
そこで練り上げられたコンセプトが砂浜美術館である。
「砂浜でTシャツをひらひらさせるのは手段であり、伝えたいことは砂浜が、さらにはこの町そのものが美術館であるというモノの見方、考え方です。そこを熟慮してのスタートであったこと、さらに手段としてのTシャツひらひらが分かりやすく、共感を生んだことが以降30年以上続く活動になったのだと思います」とNPO砂浜美術館の村上健太郎理事長。
また、黒潮町には砂浜美術館の考えに通ずる先人がいた。黒潮町は2006年に大方町、佐賀町が合併して誕生したのだが、旧大方町は昭和期を代表する私小説家・上林暁の出身地で地元には大方あかつき館(上林暁文学館)がある。
「彼の作品の中には地域の風景の描写があり、梢に咲いた花よりも散った花を美しいと思うといったような繊細な感覚が特徴です。その美意識、センスはこの土地に受け継がれているように思います」
当初は理解されないことも
最初は役場職員、商工会、商店主などを中心に30人ほどが実行部隊となり、ボランティアで活動がスタートした。初年は北出氏の作品をプリントしたTシャツ200枚ほどが太平洋に面した全長4キロの入野の浜に翻っただけだが、2回目からは作品を公募、参加料をもらって展示し、その後にTシャツを返還するという仕組みになった。
最近は他の土地でも同様のイベントが開催されていることもあり、既視感を持つ人もいるだろうが、始まってしばらくは誰も見たことのない風景だったはず。その面白さ、地域に美を見出す、自分たちの足元を大事にするという考えが継続につながり、初めて6~7回目で1,000枚のTシャツが集まるようになり、コロナ禍前には3万人が集まるイベントになった。
面白いのは一般的な美術館と違い、砂浜美術館の楽しみ方が人それぞれという点。自分の作品を見たいから来る人もいれば、風景として美しい、気持ちいいからと来る人、写真を撮りに来る人、砂浜で遊ぶことを目的に来るファミリーとてんでばらばらで自由なのである。美術館という言葉に感じるハードルの高さはなく、誰もが楽しめるのだ。
現在、作品を寄せる人はほぼすべての都道府県に及んでいるそうだが、当初は地元の参加が少なかったと村上氏。現在は全体の2割ほどが地元からの応募だそうで、高知県内からの応募も多いそうだ。このあたりは地方創生あるあるで、意外に地元の人ほど地域の情報に疎かったりするものなのである。だが、それが増えてきたということは地元での認知度が大きく上がったということだ。
だが、「当初は一部の人たちが勝手にやっている」「砂浜に洗濯物を干す活動に公金が使われるなんて」と非難めいた声もあったそうだ。補助金が出たり職員が参加していることから、行政のお金で遊んでいるように見えたのだろう。
ボランティアからNPOに移行、考え方が雇用も生んだ
しかし、10回目の開催を機に活動を辞める話が出た際には町長から「勝手に辞めてもらっては困る」と待ったがかかった。その頃にはすでに砂浜美術館による来訪者増、町のイメージブランドとしての砂浜美術館の効果が見えるようになってきていたのだ。
そこでボランティア活動ではなく、人に予算を付けて独立させようということになり、2003年に活動主体をNPO化。町が業務委託をする形になった。現在はTシャツアート展、漂流物展、潮風のキルト展など砂浜を生かした事業以外にも隣接した公園、スポーツ施設の指定管理など幅広い業務を行っている。フルタイム、パートタイム合わせて30人くらいが働いているそうで、砂浜美術館の考え方は雇用も生んだことになる。
活動を続けているうちに社会が変化、期待されるものも変わってきている。
「当初は地域にある資源を面白がったり、楽しみながら新しい価値を生み出すことが中心で、まちづくり、町の活性化をそれほど意識していなかったと聞いていますが、近年はよそから来た人にファンになってもらいたい、地域への波及効果なども考えるようになりました。実際、Tシャツ展やその他海辺でのさまざまな活動が町を知る、移住先を決めるひとつのきっかけにもなっています」
実際、このときの取材では町役場の職員の方々にも話を聞いたのだが、他地域から黒潮町に入庁した方々にはいずれもTシャツ展の記憶があった。Tシャツ展そのものがきっかけになっているわけではないが、他の地域にはない印象的な風景がある町という記憶は強いと思ったものである。
そこにしかない風景があるまち
外向けの効果だけではない。30年以上も続いていることで、砂浜にTシャツひらひらの風景は自慢できる、地元になくてはならないものになってもいる。日本の田舎はどこも美しい風景があるが、黒潮町にはそれだけではなく、どこにもないオンリーワンの活動があるのだ。これが自分たちのまちに対する誇り、シビックプライドにつながっているのである。
特に影響が大きいのは子どもたちだ。黒潮町では小学校4年生がTシャツを作り、それを海外で行われるTシャツ展に送り出すという独自授業がこの10年ほど行われている。Tシャツ展自体はロープ、杭、クリップとTシャツがあればどこでもできる。無から美術館を作れるわけで、そのため、現在では国内はおろか、海外でも行われるようになっているのだが、そこに子どもたちが作ったTシャツが送り出されているのだ。
「授業は3回構成で、最初はTシャツ展の紹介をし、GWに行われる2回目ではひらひらする風景を見てTシャツを作り、それを海外に送り出します。3回目はTシャツが戻ってきたタイミングでその国の話をする。子どもたちを海外に送り出す授業はなかなか全員に経験してもらうわけにいきませんが、これなら町内8校の50~60人全員に経験してもらえ、国際理解を深められます。
この町には仕事、職種が少なく、大学も高知市までいかないとありません。そのため、進学、就職で出ていく子どもが多いのですが、こうした経験を通じて自分の中に町がある、自分の町を自分の言葉で語れるようになることがいずれ帰りたいと思う気持ちにつながってくれればと思います」
継続の強さ、変わることを恐れない強さ
砂浜美術館ではTシャツアート展のほか、前述したように砂浜を利用したさまざまなイベントを開催し続けてきた。そのうちで個人的にTシャツ展と並んで砂浜美術館らしさを感じるのがらっきょうの花見だ。今、らっきょうの花見で検索をかけると観光サイトに情報が掲載されており、季節の風物として認知されていることが分かる。しかし、1990年の開始時には花見といえば桜であり、らっきょうの花に美を見出す人はいなかった。
らっきょうは夏に植え付けられ、春に収穫されるため、開花は毎年11月。Tシャツアート展が開かれる入野海岸沿いにはらっきょう畑が広がっており、その時期になると紫色の小さな花が一面に咲き、まるで紫のじゅうたんを敷き詰めたような風景が広がる。それを砂浜美術館の秋のイベントとし、以降10数年継続。今では高知県の秋の俳句の季語としてらっきょうの花見が定着しているとか。
何気ない身近なものに美を見出す姿勢、継続する強さ。人も地方も砂浜美術館には学ぶことが多いのではないかと思う。
だが、だからと言ってこれからも同じことを続けるかと言われれば、そうでない可能性もあると村上氏。砂浜美術館は考え方である。だから、その時々、その人の考え方で他分野に展開していく可能性はあるというのだ。
現在の砂浜美術館は前述した通り、公園の指定管理や公園にあるスポーツ施設を使ったスポーツツーリズムなどアート以外の分野も手掛けている。当初の主旨と違うのではないかという声もあったそうだが、考え方であるとすれば他分野への越境は十分にあり得る。
「福祉や教育、環境の分野でも何かできるのではないのでしょうか。関わった人が形にしていけばアイテムは増える可能性があります。逆にこれだというものが他に現れれば今やっているものを捨ててもやるかもしれません」
30余年前に練り上げたコンセプトの強さがここでも生きているのである。
ちなみに黒潮町では2006年の合併後、2018年度に初めて転入者が転出者を上回り、29人の社会増となった。ここにしかない風景のある、風景を作れるまちに引かれる人が増えているのである。
*地域の写真以外はNPO砂浜美術館
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