10年間満員御礼が続く名物ツアー

砂防堰堤といわれても想像できないという方のためにまずは見ていただこう。こちらは栂池沢第3号砂防堰堤。斜面に左右178mのコンクリートの塊が作られている。8年かけて作られたものだ砂防堰堤といわれても想像できないという方のためにまずは見ていただこう。こちらは栂池沢第3号砂防堰堤。斜面に左右178mのコンクリートの塊が作られている。8年かけて作られたものだ

長野県小谷村、朝8時。役場はまだ開いていない時間だというのに、この時間になると役場前には人が集まってくる。一般社団法人小谷村観光連盟(以下観光連盟)が主催する各種ツアーに参加する人たちである。

都道府県はもちろん、最近では市町村でも観光協会あるいは観光連盟を設置しているが、そのなかでも自分たちでその地域ならではの観光資源を活用した観光商品や体験プログラムを企画、運営している事例はまだまだ少ない。

小谷村はその数少ない「着地型観光」(行った先、つまり着地側が企画・運営する体験プログラムなどを指す)を手がける自治体のひとつ。目玉プログラムである砂防堰堤(=ダム。以下ダム)ツアーは募集と同時に定員が埋まってしまうほどで、この10年間ずっと満員御礼が続く。

10年目の節目に向けて新たに作った「新」小谷村砂防ダムツアーは定員20人(2回開催)が一瞬で埋まったと観光連盟の観光シニアコーディネーター伊藤嘉一さん。時間的に首都圏から日帰り参加ができないため、前泊しての参加となるが、それが瞬殺。すごい人気である。

砂防堰堤といわれても想像できないという方のためにまずは見ていただこう。こちらは栂池沢第3号砂防堰堤。斜面に左右178mのコンクリートの塊が作られている。8年かけて作られたものだコンクリートの堤体のところどころにこうした鋼材の大きな網状の空間がある。これは透過型砂防堰堤といわれ、高さ14.5m。豪雨時にある程度以上のものはここで止め、それ以外は流して下流の被害を防ぐ。ダイナミックで確かにアート作品にも見える

だが、内容を聞き、現場を訪ねると人気の理由が分かる。旅をするのはそこに行かなければ見られないもの、食べられないもの、体験できないものなどがあるからだと思うが、小谷村のツアーはここにしかないもの揃いなのだ。

特に砂防ダムや崩落地を巡るツアーは他の土地ではあり得ない。わざわざ行かれなければ絶対に見られないのである。

砂防堰堤といわれても想像できないという方のためにまずは見ていただこう。こちらは栂池沢第3号砂防堰堤。斜面に左右178mのコンクリートの塊が作られている。8年かけて作られたものだ砂防ダムはひとつずつ形が違うので、どういう意味があってこの形かの説明を聞きながら見学する。ここに写っている橋のように見えるものも実は暗渠型の砂防ダム
砂防堰堤といわれても想像できないという方のためにまずは見ていただこう。こちらは栂池沢第3号砂防堰堤。斜面に左右178mのコンクリートの塊が作られている。8年かけて作られたものだ5m以上のものを堰堤(ダム)、以下のものを床固工(とこがためこう)と呼ぶとか。川の傾斜をなだらかにし、土砂災害を防止する役割がある。こちらは日かげ沢床固工群

中学校で習った「フォッサマグナ」を思い出してみよう

お隣、糸魚川市にあるフォッサマグナミュージアム。小谷村に向かう前に予習のために寄ると理解が深まる。首都圏からだと新幹線で糸魚川まで行き、車あるいは大糸線で小谷村へ向かうのが早いお隣、糸魚川市にあるフォッサマグナミュージアム。小谷村に向かう前に予習のために寄ると理解が深まる。首都圏からだと新幹線で糸魚川まで行き、車あるいは大糸線で小谷村へ向かうのが早い

その超絶人気の観光資源の元となっているのは災害である。砂防とは土砂災害を防止する手段であり、砂防ダムはそのために作られた建造物。小谷村は日本でも有数の土砂災害多発地域で、そのため、村内には多数の砂防ダムが作られている。地形に合わせてそれぞれに工夫を凝らして作るため、村内の砂防ダムは形状その他がひとつずつ異なっており、アートとしても楽しめる。そのため、地形、土木に関心がある人はもちろん、アートに関心がある人も多く集まってくるという。

しかし、なぜ、それほどに土砂災害が多いのか。ここで少し、子どもの頃に習った(はず)の言葉を思い出してみよう。中学校の地理の授業で「フォッサマグナ(Fossa Magna)という単語を聞いた覚えはないだろうか。これは日本地質学の父と呼ばれ、のちにナウマンゾウと呼ばれる小型の古代ゾウの化石を発見したドイツ人、エドムント・ナウマンが発見した東北日本と西南日本の間にある巨大な溝のこと。

ナウマンは甲府盆地から諏訪湖に続く低地帯の向こうにそびえる南アルプスの風景から日本列島の中央には東北日本と西南日本を分断する南北の大きな溝があるのではとの着想を得て、ドイツに帰国後、論文として発表している。それから100年以上にわたり、地質学者たちはフォッサマグナとはなんであるか、どうやってできたかについての研究を続けてきた。残念ながらいまだにその謎は解明されていないが、大きな溝があること自体は広く知られるようになった。

お隣、糸魚川市にあるフォッサマグナミュージアム。小谷村に向かう前に予習のために寄ると理解が深まる。首都圏からだと新幹線で糸魚川まで行き、車あるいは大糸線で小谷村へ向かうのが早いお隣、糸魚川市内のフォッサマグナパーク。断層が見学できる。国道148号からしばらく歩いた先にある

当然、なぜそんなところに溝があるのかと思われるだろう。非常に雑に説明すると日本列島はもともとはアジア大陸の一部だった。その時点では東北日本も西南日本も一続き。その後、日本海の形成とともに日本は大陸から分かれて遠ざかっていくのだが、その時点で西南日本は時計回りに、東北日本はその逆方向に回転しながら南下。そこで溝が生まれてしまったのである。

現在では諏訪湖の北側はその時にできた溝であり、そこから南側の溝はもともと火山列島だった伊豆半島が本州に衝突、付加することによって作られたものとも分かっている。

その北部フォッサマグナの西の端にあるのが糸魚川-静岡構造線。簡単に言うともともと大陸の一部だった古い土地と大きな溝を埋めた新しい土地の境目ということになる。小谷村はその構造線上、北端の糸魚川市の隣の、新しい土地にある。新しいといっても人間が誕生するはるか以前にできた土地ではあるが、それでも新しい土地は柔らかく、崩れる。それが小谷村で土砂災害が多い理由である。

お隣、糸魚川市にあるフォッサマグナミュージアム。小谷村に向かう前に予習のために寄ると理解が深まる。首都圏からだと新幹線で糸魚川まで行き、車あるいは大糸線で小谷村へ向かうのが早い随所にこうした解説があり、フォッサマグナ、糸魚川-静岡構造線について学べる。フォッサマグナミュージアムでは資料も多く販売されている
お隣、糸魚川市にあるフォッサマグナミュージアム。小谷村に向かう前に予習のために寄ると理解が深まる。首都圏からだと新幹線で糸魚川まで行き、車あるいは大糸線で小谷村へ向かうのが早い浦川と姫川の合流地点。置かれた石がガードレール代わり。このあたりでは毎年橋が流されていたため、7~8年前に方針を転換。流されてもいいように道は舗装せず、洗い越し(道路と川が平面に交差している構造のこと)にした

豪雨発生でも犠牲者がいなかった村

実際、小谷村は何度も大きな災害に見舞われている。比較的新しいところでは1995年7月に長野県・新潟を襲った豪雨が甚大な被害をもたらした。このときには白馬村に発し、小谷村、糸魚川市を流れる姫川の全流域で山地崩壊・土石流・地すべり・渓岸崩壊等が発生して19集落、425世帯が孤立。大量に流れ込んだ土砂で河床が10m以上も上昇した場所があるほか、大糸線も基礎から破壊され、その後、2年4ヶ月にわたって不通となった。下流の糸魚川市でも堤防が決壊、全半壊の家屋54棟、浸水家屋450棟の被害があった。

だが、これだけ川が荒れ、土地が崩れる被害にあながらも白馬村、小谷村ではこのときの土砂災害による犠牲者は一人も出ていない。

1995年の豪雨災害で被災した大糸線の現場。同線はトンネル部分が多く、写真右奥に見えているのが線路部分。中央の谷に2つの堰堤と流路を作って川に流しているそうだ1995年の豪雨災害で被災した大糸線の現場。同線はトンネル部分が多く、写真右奥に見えているのが線路部分。中央の谷に2つの堰堤と流路を作って川に流しているそうだ
1995年の豪雨災害で被災した大糸線の現場。同線はトンネル部分が多く、写真右奥に見えているのが線路部分。中央の谷に2つの堰堤と流路を作って川に流しているそうだ 松本市から糸魚川市を繋ぐ大糸線。のどかな風景だが、途中にはトンネルも多く、自然の厳しさも実感できる。時間があればローカル鉄道の旅も楽しい
小谷村8代目の村長、中村義明さん。南小谷郵便局長を務め、2019年から村長に 撮影/三橋さゆり小谷村8代目の村長、中村義明さん。南小谷郵便局長を務め、2019年から村長に 撮影/三橋さゆり

「小谷村では崩れる山を背負っているところには家はありません。あそこに建てると危ないということをみんな知っているから建てないのです。水が来たからといって田んぼを見にいくような行動もとりません」と、中村義明 小谷村村長。水量が上がり、ごうごうと流れる川はモノを吸い込むそうで、1995年の豪雨時には石がぽんぽんと川に吸い込まれていったという。そんなときに田んぼが心配だからと川に近寄ると人もまた吸い込まれてしまうというわけだ。

小谷村が災害を知り、災害と一緒に生きてきた地域と考えると、砂防ツアーの意味も分かってくる。自然は災害をもたらすが、同時に恵みも与えてくれる。小谷村、隣の白馬村は全国的にも知られたスキーのメッカだが、スキー場は地滑り地形を利用したもの。であれば砂防ダム、崩壊地もまた、地域にとっては恵み、財産のひとつなのである。

ただ、災害と一緒に生きてきた一方で、小谷村の砂防ツアーからは人の力が及ばないものがあることも分かってくる。それを実感させてくれる代表的なものが日本の三大山崩れのひとつとされる稗田山崩れである。

自然には人の力は及ばない

姫川左支川・浦川の上流部にある稗田山は1911(明治44)年8月に最初の崩落を起こしており、それによって発生した土石流で23人が犠牲になったほか、北小谷村(当時)の中心地だった来馬河原集落の多くの民家、役場、郵便局や駐在所などが埋められてしまった。このときには土砂が前述の姫川本川を塞ぎ、上流側に「長瀬湖」と呼ばれた水深60mもの湖が形成され、それによって上流の集落が浸水してもいる。

翌年には4月、5月と立て続けに崩壊が発生、さらに7月の豪雨で長瀬湖が決壊して来馬河原を濁流が襲い、わずかに残っていた人家もすべて流失した。現在の来馬河原は石ころだらけの河原だが、その下、20m以上もの深いところに集落が埋まってしまったと考えると、それだけでぞっとする。

お隣の白馬村にある姫川源流。美しい流れなのだが、急流で荒れやすいお隣の白馬村にある姫川源流。美しい流れなのだが、急流で荒れやすい

さらに怖いのは稗田山崩壊の現地。浦川にかかる金谷橋から望むと一目では全貌が見えないほど広範に崩れているのである。人間の視野は約120度(両目で同時に見える範囲)と聞くが、それでは入りきらないほどぐるりと山が崩れており、しかも露頭(野外で地層、岩石が露出している部分)にはいまだ草が生えていない部分もある。100年以上経ってもまだ崩れ続けており、だから草が生えないのだ。

案内いただいた砂防ツアーをガイドする和澤伊久夫さんによると、今でも崩れているどころか、永遠に崩れ続けるのではないかという。これだけの規模の山がある日突然崩落するとしたら人は逃げようがない。しかも、稗田山の場合、最初の崩落の何日か前に雨が降ったことは分かっているが、何が崩落の原因になったかまでは分かっていないという。

お隣の白馬村にある姫川源流。美しい流れなのだが、急流で荒れやすい稗田山の崩壊地が望める金谷橋。1973年に架橋された関門海峡大橋の試作として作られたもの。稗田山は写真の左手にあるが、それ以外もこの周辺の山はあちこち崩壊している
お隣の白馬村にある姫川源流。美しい流れなのだが、急流で荒れやすい100年以上前に崩壊したというのにいまだに露頭のまま。自然の恐ろしさを感じると同時に、自然と人間とでは時間の概念が違うということを実感する

国土はどのように保全されているのか

どうしてこの風景が生まれたかの解説。知って見るのと、知らないで見るのでは見え方が異なるどうしてこの風景が生まれたかの解説。知って見るのと、知らないで見るのでは見え方が異なる

ぞっとしつつも、見学を通じてもうひとつ分かるのは、もともとは脆弱な国土がいかに守られてきたかということ。小谷村ではもうひとつ、1502年(室町時代)に新潟西南部で起きた地震の影響で崩壊した真那板山の現場も見学したのだが、こちらも大規模な崩壊で土砂が新しい山を作ってしまっているほど。

崩壊当時はその山がさらに崩れることを防ぐことはできなかっただろうが、今の技術を持ってすればそれができ、そして実際の山の法面(人工的に作られた傾斜面)はコンクリートとブロックでカバーされ、崩壊は防がれている。

「この地域の砂防は国直轄の砂防事務所が担っており、国土はどのように保全されているかが目に見えます。自然のままにしておくと水は土地を削り、どんどん国土は細ってしまう。それを保全するために何が行われるか、これはぜひ見ていただきたい。新しい教育要領では国土を知り、愛することの大事さが謳われていますが、そのために小谷村に来ると分かることがあります」と中村村長。

どうしてこの風景が生まれたかの解説。知って見るのと、知らないで見るのでは見え方が異なる右が真那板山。川を挟んで向かい合うのが真那板山からの土砂で生まれた葛葉峠。新しく山を作ってしまう山崩れ、規模が想像できない

小谷村にとって各種ツアーは大きな意味を持っているわけだが、そのツアーのために小谷村では見えないところも含めてさまざまな努力を重ねている。たとえば砂防ダムへ続く道の草刈り。砂防ダムはツアーがない限り、一般の人が立ち入る場ではないため、普通は草刈りは必要ない。だが、ツアーがあれば刈らないわけにはいかない。

小谷村では役場の職員や観光連盟スタッフのほか、砂防事務所やボランティアにも依頼、定期的に手を入れている。大きなダムの1ヶ所の草刈りではなく、村内の傾斜地に点在する砂防ダムの草刈りである。それだけでも一大事だろうと思う。

もちろん、やるべきことは草刈りだけではない。ツアーによっては国や県の施設を借りたり、地元の建設事業者に協力を仰いだりする必要もあるそうで、連携も重要。首都圏では一般的に思えるインフラツアーが地方に行くと少ないのは、こうした作業、連携などが大変だからなのかもしれない。

どうしてこの風景が生まれたかの解説。知って見るのと、知らないで見るのでは見え方が異なる2021年に誕生したガン沢砂防堰堤。写真で見るとそれほどの傾斜地には見えないが、実際に現地に立ってみると転げ落ちるかと思うほどで血の気が引いた。そんな場所を人が入れるように整備する大変さといったら、である
どうしてこの風景が生まれたかの解説。知って見るのと、知らないで見るのでは見え方が異なる小谷村では村内の風景のあちこちに自然の影響が見てとれる。こちらは姫川にかかる小谷橋。橋桁の太さが違うことに注目。川の増水の度に激しい水流にさらされた橋を復旧するための方途なのだとか

わざわざ行く価値は体験にあり

和澤さんお手製の分厚い資料。これだけの情報量からの説明が面白くないわけがない和澤さんお手製の分厚い資料。これだけの情報量からの説明が面白くないわけがない

最後に砂防ツアーの魅力について。ここでしか見られないものがあることに加え、魅力は案内人の方々。ガイドしてくれる和澤さんは長野県の土木事務所の職員だった人で経験、知識ともに豊富の一言。分厚い手作りのパンフレットを示しながらの解説は分かりやすく、地形、砂防ダムに知識のない人でもなるほど! と思うはず。「ここに何があります」ではなく、「なぜ、ここにこれがあるのか」から始まり、その意味、役割その他広い視野での解説は他ではなかなか聞けない。

もう一人、企画を担当する観光連盟の伊藤さんも地理、地学に造詣があり、しかも、山のガイド、旅行学会一筋の経験がある。砂防ダム、山体崩壊というマニアックになりがちな内容を一般の人にも分かりやすく伝えるための工夫をされており、それがあるから多くの人を呼べるのだろう。

参加者目線では普通には入れない場所に入れてもらえるのが楽しいところ。取材では最新の、絵になる砂防ダムということでガン沢砂防堰堤に行ったのだが、ここで急傾斜のダム直下をよじ登る経験をした。登ろうと足を出しても足が止まる平らな場所のない斜面で一瞬、このまま谷底に落下するかと思ったほど怖い経験だったが、だからこそ、ここに砂防ダムが必要なのだということが身体で理解できた。

和澤さんお手製の分厚い資料。これだけの情報量からの説明が面白くないわけがないガイドしていただいた伊藤さん(左)と和澤さん。和澤さんは前村長と同期で、その縁から小谷村に関わることになったそうだ 撮影/三橋さゆり

小谷村では砂防ダム、新砂防ダムツアー、橋と大崩落巡りといったインフラ、災害関連のツアー以外にも萱刈体験、塩の道などを含めた各種ハイキング、登山その他さまざまなツアーを実施しており、いずれもかなり面白そう。砂防ダム以外も募集開始と同時に満員になるツアーがあるそうなので、行ってみたいツアーがある場合には定期的にチェック。悔しい思いをしないようにしたい。

特に今年は冬場のインフラツアー「人々の生活とインフラを守れ! おたりの防雪設備めぐりと雪崩の痕跡をたどる」も新しく予定されているそうなので、希望者は見落とさないように。しかし、防雪設備ってマニアックだ……。


長野県小谷村観光連盟
https://www.vill.otari.nagano.jp/kanko/

和澤さんお手製の分厚い資料。これだけの情報量からの説明が面白くないわけがない糸魚川から松本・塩尻を結ぶ千国街道は塩や海産物を内陸に運ぶ塩の道のひとつで、それを歩くツアーも開催されている。写真は村内に唯一残る牛方宿(物資を運ぶ牛と牛方が泊まった宿)
和澤さんお手製の分厚い資料。これだけの情報量からの説明が面白くないわけがない土砂災害、山体崩壊と怖い話ばかりではなく、小谷村には美しい風景も多数広がる。スキーに登山にハイキング、そして地形、土木を楽しみにぜひ