丘の上の武蔵ワイナリー
埼玉県の北部、小川町は「有機・発酵の里」として注目されている。食や農ある暮らしをテーマに、東京都内からの移住者も増加傾向だ。
そんな小川町に、有機栽培でブドウを育ててワイン造りに励む「武蔵ワイナリー」がある。オーナーの福島有造さんも、東京から移住してワイナリーを起業した。
武蔵ワイナリーがあるのは、東武東上線の小川町駅からバスに乗って十数分の丘の上。坂を上がるとまず、併設のカフェテリアが見える。オープンデッキには、テーブル・椅子が配置され、ワインを飲みながらの食事も可能。丘の上から小川町の自然豊かな景観を見渡せて、優しい風を感じる。ワインがすすんでしまいそうだ。
武蔵ワイナリーがオープンしたのは、2019年と比較的新しい。さらにオーナーの福島さんは、金融業界出身で、45歳で就農したという変わり種でもある。
福島さんは、開口一番、「農業は肉体的にキツイですが、大好きな酒造りに関われて、以前の金融の仕事のようなストレスがまったくありません」と言う。
「農業は、人間力というか、さまざまな知識が求められ、総合力が試されます。作業手順の改善で倍の効率を生むこともあります」と福島さんは満面の笑みを見せた。
「好きなことで働きたい」と酒造りにライフシフト
福島さんの就農のきっかけは、銀行を辞めた後にコンドミニアム事業で起業したものの、トラブルで行き詰まり、他の仕事へのシフトを模索するなかで閃いたことだった。あえて一番縁遠いと思っていた農業に関心を寄せたと福島さんは言う。「振り返ると、半分、やけだったかもしれませんね」と続けた。
たまたま見た農業雑誌の中に、小川町にある「マイクロブルワリー」という地ビール工房が特集されていて、さらに小川町の有機農業をけん引してきた金子美登(よしのり)さんを紹介するテレビを見た。その後2010年3月、急にマイクロブルワリーを訪ねたくなり小川町に足を踏み入れたのをきっかけに、翌4月には農業研修を開始することになった。
小川町では、新規就農者をサポートする仕組みがあり、福島さんは、小川町有機農業学校2期生として「ぶくぶく農園」での研修を受けた。
小川町移住サポートセンターの担当者によると、就農の希望から週末農業や家庭菜園に至るまで、幅広い問合せがあり、ニーズに沿って紹介先を選定している。行政がこのようなマッチングに長けていることも、移住者や2拠点生活者が増えている理由だろう。
小川町だから、目指すワイン造りができた
さて、福島さんは2011年に研修先のぶくぶく農園から農地を貸りて、さっそくブドウ作りにチャレンジ。さらに耕作放棄地を利用してどんどん畑を広げていった。自身が栽培したブドウでワインができたのが2013年で、その時は栃木県の醸造所に持ち込んで造った。
日本は湿度が高くカビの多い国であり、カビ由来の病気に弱いブドウは日本では栽培しにくい作物であるといわれる。さらに小川町は標高も低いため、夏の昼夜の寒暖差が小さく品種によっては栽培に適さないものもある。厳しい条件で健全なブドウを作るために、しばらくは苦難の連続だった。試行錯誤の結果、雨に弱いブドウには雨よけが必要との結論に至り、独自の雨除けを開発し設置した。これをきっかけに収穫量は初の1トン超えを達成し、「これでイケる」と確信したと福島さんは当時を振り返る。
小川町には「小川町有機農業生産グループ」があり、所属するたくさんの有機農家が当たり前のように農薬や化学肥料を使わずに農作物を栽培している。有機JASでも使用が認められているボルドー液すら使わない完全無農薬でのブドウ栽培に成功したのは、小川町という、農薬を使わないことが当たり前の環境に身を置いたことが最大の要因と言い、この地を選んだことが正しかったと福島さん。
福島さんが目指すワイン造りには、健全なブドウが重要である。
現在はワイン用のブドウを全量自社栽培で生産している。今後、周辺でブドウの有機農家が増えれば、小川町が有機ワインをリードする場所となるかもしれない。福島さんは、そう期待している。
ワイナリー造りには地元の素材を活用
ブドウの有機栽培に成功し、いよいよワイナリー造りだ。
2018年に、小川町は最低製造数量基準が緩和されるワイン特区に認定され、ワイナリーを開業しやすい環境が整った。それが追い風になったと福島さんは言う。
福島さんは金融機関に、1億円を超える建設費用の融資を申し込んだ。「半額でも建設は可能」と金融機関は渋い反応だったが、福島さんは「ただのワイン工場を造ったって大手には勝てない。僕は、ここを観光拠点にしたい」と説得し、全額融資を取りつけた。
地域の雇用につなげ、人々が集う場所にしたかったそうだ。
いろいろな候補地があったが、市街地ではなく郊外のブドウ畑と隣接した場所、よく言えば景色のよい、悪く言えば交通の便の悪い現在の場所に決めたと、福島さんは当時を振り返る。
さて、いよいよ設計施工。福島さんは、酒造りは人間も微生物も気持ちよく過ごせる場所がいいという考えから「土壁」に着目した。壁を土壁にすることを前提に、施工は古民家のリノベーションを手がけていた地元・小川町の工務店に依頼することに。
地域とのつながりを意識した建物で、埼玉産の木材を使用し、土壁のワラは地元の有機農家から譲り受けたものを使用。 販売場の天井には全面的に小川町の手漉き和紙が張られ、テラスの柱はかつて小川町で採掘されていた青石(緑泥片岩:現在は採掘されていない秩父産の石)をモチーフにするなど、小川町の象徴をちりばめた。
数千人を集めるイベントを開催。観光拠点としてのワイナリー
武蔵ワイナリーのカフェテリアを含めた施設は、2019年に完成。その春に同ワイナリーで開催した「小川のワイン祭」では、土・日曜日の2日間で数千人規模を集客した。
会場では、有機野菜やこだわりの食材を提供する飲食店がブースを出していた。ある参加事業者は、ダチョウ肉やジビエ肉を扱い、「食べることの無駄をなくしたい」をコンセプトに活動している。自然環境に配慮して、体によいものを扱いたいと料理人は言い、自然に寄り添う武蔵ワイナリーの活動に共感したのだ。「おいしい食材はワインと相性がいい」とイベントにも好反応だ。
福島さんが目指す観光拠点としてのワイナリーの活動は広がりを見せている。イベント以外でも、週末にはキッチンカーなどがやってきて、おいしいワインとコラボしている。景色を見ながら話ができる広いテラスは、交流の場所になっている。
「小川町は有機農業が盛んなことで知られているが、有機野菜を買いにわざわざ小川町に来る人はまだ少ないだろう。武蔵ワイナリーを目指して来てもらった人に、有機野菜を買ってもらうという流れができたらいい」と福島さんは言う。
福島さんは、小川町の酒蔵「武蔵鶴酒造」で蔵人として酒造りを学び、2015年からは同蔵の杜氏も務める。酒と地域観光の掛け合わせを目指し、小川町全域で観光を楽しめるよう、駅前ではレンタカー事業、飲食店など、新しい施策も始めている。武蔵ワイナリーだけではなく、地域全体で盛り上げたいという思いからだ。
移住者が活躍し、小川町という有機の町が新しいフェーズに入ろうとしているのだろう。今後の展開が楽しみだ。












