貞奴にとって思い出深い木曽川の河畔に別荘を建設

各務原市街地と木曽川の風景各務原市街地と木曽川の風景

長野県を源に岐阜、愛知、三重へと流下し、伊勢湾へと注ぎ込む木曽川。とうとうと流れる大河は水質の良さでも知られる。その木曽川の岐阜県各務原市にある河畔に、日本初の女優とうたわれる川上貞奴の別荘が佇む。

川上貞奴は東京生まれだが、1920(大正9)年から1924(大正13)年までの約5年を名古屋で暮らした。そのときの二葉御殿と呼ばれた邸宅を移築・復元した「文化のみち二葉館(名古屋市旧川上貞奴邸)」を取材した折り、この旧川上貞奴別邸「萬松園(ばんしょうえん)」について教えていただいた。

二葉御殿で過ごした後、東京に戻っていた貞奴が、なぜ各務原市の木曽川河畔に別荘を建てたのか。萬松園の広報を務める西田壽さんによると、二葉館で共に暮らし、木曽川上流でのダム開発の事業パートナーであった福沢桃介への追慕の念あったからとのこと(※二人の歴史の詳細は先の記事「名古屋『文化のみち二葉館』。日本初の女優 川上貞奴と電力王 福沢桃介が暮らした邸宅を移築、復元」のご参照を)。

桃介はダム開発(大正8~15年)を終えたあと、木曽川の美しい景観のあるこの地に”大遊園地計画”を立てていた。そのために1921(大正10)年に土地を購入していたものの、病のため計画を断念した。「貞奴さんは、桃介さんとダム開発した木曽川河畔、そして桃介さんが所有していた土地であったことから、ここに別荘を建てられました」(西田さん)。

萬松園の西側に信心深かった貞奴が私財を投じて建立した寺院「貞照寺(ていしょうじ)」がある。夫・川上音二郎らの弔いや信仰する不動明王を祀るためだ。萬松園と貞照寺は同時進行で建築が進められ、共に1933(昭和8)年に完成した。

各務原市街地と木曽川の風景萬松園の外観。家の裏手には木曽川の清らかな流れ、そして対岸にそびえる山の緑豊かな木々と、風光明媚な土地に立つ

2018年に国の重要文化財に指定

芸者時代に伊藤博文ら政財界の要人が贔屓筋だった貞奴は、”明治の三大女相場師”の一人とうたわれたという。二葉御殿の押し入れには株券があふれていたという逸話も。そんな株などで得た資産から、現代の金額にして約20億円という大金をかけて造られたのが萬松園。

1,000坪という広大な敷地に建つ母屋は150坪あり、一部2階建ての部屋数は26にも及ぶ。どれ1つとっても同じ意匠の部屋がなく、私的空間と多様な接遇空間を併せ持つ。貞奴の自由な着想と意匠に伝統技術を駆使した、モダンな数寄屋造りの建物となっている。

完成したとき、貞奴は62歳。ここで晩年の多くを過ごしたかと思いきや、そうではないという。菩提寺である貞照寺へのお参りと合わせて来るのは年3回。祈祷月とされる1月、5月、9月と決まっており、それぞれ1週間から10日間の予定だったというから、1年のうち、およそ11ヶ月は主の姿はなく、使用人だけが住んでいたそうだ。しかし、思い出深い木曽川のほとりで過ごすひと時は、大切な時間だったと想像できる。

1945(昭和20)年に各務原市に住む個人に売却されたあと、地元企業に所有が移ってからもそこの迎賓館として大切に活用、保存がされてきた。2004(平成16)年、愛知県と岐阜県で写真館や結婚式場を手がける会社のオーナーが買い取り、現在は結婚式場「迎賓館サクラヒルズ川上別荘」の施設として活用しつつ、保存に努めている。

2006(平成18)年に国の登録有形文化財、2007(平成19)年に各務原市の指定文化財の登録を経て、表門と主屋、庭の茶室が2018(平成30)年に国の重要文化財に指定された。優れた意匠の建物であると認められてのことだ。

今回、月に1~2回開催されている一般公開に参加。26部屋すべてのデザインが異なるということですべてを網羅できないのが残念だが、西田さんが案内してくださったなかから厳選してご紹介したい。

表門は、結婚式場の一部とするにあたって動線の関係で正面玄関前から北側へ移築された表門は、結婚式場の一部とするにあたって動線の関係で正面玄関前から北側へ移築された
表門は、結婚式場の一部とするにあたって動線の関係で正面玄関前から北側へ移築された主屋北側の庭にある茶室は、もともと1884(明治17)年に岐阜に建てられたものを貞奴が購入し、名古屋の二葉御殿に移築したもの。二葉御殿を売却することになり、気に入っていたこの茶室を萬松園へと移した。そのため外観は建築当時のものとは異なっているが、十分に趣のある造り

「源氏物語」に由来する雅な意匠が施された部屋

室内の大きな特徴となっているのが、平安時代に紫式部によって書かれた「源氏物語」にちなんだ意匠が随所に施されていること。

客をもてなすための最も広い部屋である「桐の間」は、源氏物語の最初の帖「桐壺」にちなんでいるとされる。書院造を基調にして、女優として海外に滞在して建築物を見た経験から、ゲストに天井を高く感じてもらえるようにと、壁上部の視覚的な意匠と折り上げ天井で空間を広く見せている。

「桐の間」。床の間の壁紙は、短歌などを書く短冊などに使われる打雲紙(うちぐもがみ)が貼られている。紙と紙をつなぐのりしろが少ないにもかかわらず、さざ波の絵柄がぴたりと合っており、職人の高い技術が感じられる仕上がり「桐の間」。床の間の壁紙は、短歌などを書く短冊などに使われる打雲紙(うちぐもがみ)が貼られている。紙と紙をつなぐのりしろが少ないにもかかわらず、さざ波の絵柄がぴたりと合っており、職人の高い技術が感じられる仕上がり

欄間は部屋の名を表すように、桐の一枚板に桐文様が描かれている。葉の部分は浮き上がってみえる彫り方で、花の部分には螺鈿(らでん)がはめ込まれた豪華なものだ。一段高くなった床の間の横にある花頭窓(かとうまど)は、紫式部が源氏物語を執筆したと伝説が残る滋賀県の石山寺にあるものを連想させる。

そして、襖の引手は、香木の香りを聞き分けする香道の組香のひとつで、源氏物語の各帖の名が付けられた源氏香(げんじこう)の香図が描かれている。

そんな雅な世界が広がるなか、襖絵は力強い水墨画。北側4枚、東側2枚からなる襖絵は「木曽桃山飛泉」と銘打たれ、北側は桃介と造った長野県にある桃山発電所の風景を、東側は桃山発電所の上流にある景勝地、寝覚めの床が描かれている。

先の花頭窓は、貞奴がアメリカでの初舞台で踊った演目、道成寺に出てくる釣鐘を連想させるものである。このことから西田さんは「貞奴の人生にとって大切な思い出であった桃介とのダム開発と女優デビューを、一番大切なお客様をお招きする客間で見せた、貞奴流の意匠です」と語った。

「桐の間」。床の間の壁紙は、短歌などを書く短冊などに使われる打雲紙(うちぐもがみ)が貼られている。紙と紙をつなぐのりしろが少ないにもかかわらず、さざ波の絵柄がぴたりと合っており、職人の高い技術が感じられる仕上がり桃山発電所の風景を水墨画で描いた「桐の間」の襖絵。描いたのは、岐阜県中津川市出身の成木星州(なるきせいしゅう)

海外滞在経験を生かした造り

「桐の間」の天井高にみるように、海外公演経験を生かした意匠はほかにも。和洋折衷の“洋”のひとつが、サンルームだ。

建物の東側に位置するサンルームは、貞奴思い出の木曽川と対岸の山を望む、素晴らしい景観を誇る。たっぷりと光が降り注ぐ二面に備えられたガラス戸は、ひし形に桟が組まれている。ガラス自体もひし形にカットしてはめ込まれており、ステンドグラスと同じ趣向だという。また、サンルームのひさしもガラス製となっている。

貞奴は、このサンルームと隣り合う2つの和室で主に過ごしたといわれる。和室のひとつ、「ガラス障子の間」は、サンルームに面した障子がすべてガラス入りで、一体化した雰囲気になっている。ここの次の間の押し入れもぜひご覧いただきたい。天袋にタータンチェックの布が貼られているのだが、これは貞奴が女優として公演で訪れたイギリスをイメージするもの。貞奴はビクトリア女王に謁見しているそうで、その思い出が込められている。

モダンな雰囲気のサンルーム。床はタイル貼りモダンな雰囲気のサンルーム。床はタイル貼り
モダンな雰囲気のサンルーム。床はタイル貼り「ガラス障子の間」の次の間の天袋に施されたタータンチェックの布。萬松園では紙の代わりに布が貼られているところも多く、名古屋で川上絹布株式会社という絹織物の会社を立ち上げた貞奴にとって親しみのあった布を多用したといわれる

「藤袴の間」と名付けられた部屋は中国風の設えが見られる。この部屋も木曽川に面しており、ガラス戸が配されているのだが、戸の縁には雷文(らいもん)といわれる文様が使われている。「窓が大きく取られ、中国風の唐子組子のガラス障子は、まさに煎茶趣味あふれる意匠の部屋です」と西田さん。

ガラス障子の上のガラス窓や欄間には羅漢竹で氷が割れる文様が入れられていたり、襖の引き手に麒麟が描かれていたりと、異国情緒がある。名古屋の二葉御殿にも「志那室」という中国風の小部屋が造られていた。大正から昭和初期には中国風の様式を取り入れる流行があったというから、その流れだろうか。

萬松園に足を踏み入れて感じるのは、多くの部屋に自然光が届き、明るいことだ。これは雁行型(がんこうがた)といわれる造りに由来する。雁(かり)が群れで飛んでいくときの形に似せて各部屋をずらして配しているので、窓から光を取り込める。現在は木曽川に面した庭に植えられた木が育って川の流れを部屋から直にはほぼ見られないが、涼やかな川風は届き、実に心地よい空間となっている。

モダンな雰囲気のサンルーム。床はタイル貼り「藤袴の間」。電気の笠は白無地のシンプルなものだが、電気コードの付け根にはさりげなく象牙のあしらいがあり豪華!

貞奴が眠る地

これまで取材を含め、歴史的建築物を見学してきたが、これほどに各部屋で意匠が異なった贅を尽くした造りは、ほかにあまりなかったように思う。木曽川で貞奴が舟遊びをしていた写真が残されているが、室内でも屋形船に乗っているような雰囲気になる遊び心のある造りの部屋もある。天井ひとつとっても、網代、竿縁、船底天井などとあって、襖の引手や電灯の笠もそれぞれの部屋に合わせて設えてある。一軒に伝統的な建築技術や美しいデザインがぎゅっと詰められていて、楽しい。

「来場者はリピーターの方が多くて、また新しい発見があったとよく言われます」という西田さんの言葉にもうなずける。

堂々とした風格の表門をくぐり抜け、玄関を正面に見て立つと、赤茶けた色味の屋根に目が行く。瓦がとても珍しい鋳鉄製で、さびの色なのだ。これは、桃介の水力発電による電気事業に大きく関わっている。電気の溶鉱炉で鋳型を造り、精巧な瓦ができることを証明し、電気の力を見せた。鉄というと重いイメージだが、予備のものを持たせてもらったところ、薄いのもあって、比較するために置かれていた陶磁器製の瓦よりも軽かった。さびは表だけで、それがコーティングのような効果となって中は傷みがないそうだ。建てられてからおよそ90年経っても建物を守っているということからも丈夫さが分かる。

桃介と貞奴が事業の支援者と集うための迎賓館的な役割を果たしていた二葉御殿も、電気の設備が整えられていたが、萬松園も事業に関連するモデルハウスのようなものでもあったと考えられている。

日本初の女優としてだけでなく、桃介の事業パートナーや起業家として女性の社会進出の一翼を担った貞奴。2021年で生誕150年を迎えた。1946(昭和21)年に亡くなった貞奴の墓所は貞照寺にある。萬松園でその足跡と美的センスに出合ってみてはいかがだろうか。

旧川上家別邸「萬松園」 https://sakura-hills.jp/history

現在は北東にある「茅葺きの洋間」は、もとは玄関の南側にあった離れだった。この離れで身づくろいやお茶を楽しんでもらっている間に、客間にたくさんの料理を準備したという。「貞奴流のお客を喜ばせる仕掛けのためにわざわざ離れを造ったんです。お金持ちのぜいたくさがよく分かります」と西田さん。もともと北東にあった部屋は、あるとき炬燵の火がふとんに燃え移り、火事に。漆喰でできた部屋だったことが幸いし、主屋に延焼しなかったが、取り壊して一時的に離れを移し、そのままになった。鉄瓦の主屋と茅葺きの屋根の建物が混在した状態になっている理由だ現在は北東にある「茅葺きの洋間」は、もとは玄関の南側にあった離れだった。この離れで身づくろいやお茶を楽しんでもらっている間に、客間にたくさんの料理を準備したという。「貞奴流のお客を喜ばせる仕掛けのためにわざわざ離れを造ったんです。お金持ちのぜいたくさがよく分かります」と西田さん。もともと北東にあった部屋は、あるとき炬燵の火がふとんに燃え移り、火事に。漆喰でできた部屋だったことが幸いし、主屋に延焼しなかったが、取り壊して一時的に離れを移し、そのままになった。鉄瓦の主屋と茅葺きの屋根の建物が混在した状態になっている理由だ