前回記事では、再開発計画が進行中の池袋駅東口エリアを取り上げました。今回は西口エリアの今昔をご紹介します。東口エリアとはまた違った表情をみせ、新たな魅力をつくり出すための取り組みも始まっています。

■過去記事
【山手線の魅力を探る・池袋駅1】原野の中の秘境の駅だった? 池袋駅の歴史
【山手線の魅力を探る・池袋駅2】再開発事業が進行中。東口エリアの今と昔

池袋駅西口
池袋駅西口。JR駅と東武鉄道の駅が並ぶ。東武百貨店と東武会館別館をつなぐ回廊が印象的
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1843年(天保13年)の地図

江戸時代後期、1843年(天保13年)の地図。図の中央上部が中山道板橋宿(現在のJR板橋駅付近)、中央下部やや右が護国寺。その左に「雑司ヶ谷」、さらに左に「池袋村」の文字が見える。雑司ヶ谷と池袋村との間は山林が広がっている

 

「池袋」の地名は、1559年(永禄2年)の『北条氏所領役帳』に登場するのが、文献上では初出となります。江戸時代には江戸郊外の農村地帯でした。

 

「池」の文字が入る地名はその池の固有名詞に由来することが多いのですが、この場合は「千束池」「不忍池」など「○○池」となるのが自然です。しかし、「池袋」は「池袋」であって「袋池」ではありません。

 

「池袋」の地名は、長野県富士見町と、茨城県石岡市にもあります。長野県富士見町池袋は、釜無川上流の湧水の多い地勢です。茨城県石岡市池袋は、台地崖下の低湿地帯。実は、「袋」の文字が入った地名は、全国的に低湿地であることが多いのです。

 

「池袋」と似た地名に東京都中野区の「沼袋」があります。ここは江古田川と妙正寺川が合流するところで、かつて川が氾濫した低湿地であったことが想像できます。つまり、「沼袋」は「沼のある湿地」であり、「池袋」は「池のある湿地」といった意味。

 

このあたりには「丸池」と呼ばれる池があり、そこから池袋の地名が付いたといわれています。丸池から湧き出た水は弦巻川となって池袋から雑司ヶ谷、目白台方面の水田を潤していたのでした。

 

元池袋史跡公園

元池袋史跡公園のフクロウのモニュメント

その丸池があったとされる場所が、ホテルメトロポリタンの近くにある元池袋史跡公園です。池袋駅西口から徒歩3分、メトロポリタン口からなら徒歩1分ほど。

 

園内には池袋のキャラクターでもある「いけふくろう」にちなんださまざまなフクロウのオブジェなどが設置され、ちょっとした広場といった趣。

 

昭和初期まで丸池は枯れず、あたり一帯は秋には月見が楽しめ、夏には蛍が飛び交う風流な場所だったと伝えられています。

 

弦巻川は昭和初期に暗渠化、池は第2次世界大戦後には枯れてしまうのですが、元池袋史跡公園には、「池袋地名ゆかりの池」の石碑がたち、その歴史を今に伝えています。

 

この公園にはもうひとつ、「成蹊学園発祥の地」と記された石碑があります。現在は東京都武蔵野市にある成蹊学園ですが、創設の地は池袋でした。

 

1912年(明治45年)、成蹊実務学校(当時)として開校し、1924年(大正13年)に現在地の吉祥寺へ移転するまで、池袋に学び舎があったのです。ちなみにその頃の成蹊の学生たちは夏には丸池で泳いでいたという逸話が伝えられています。

 

フクロウは池袋のシンボルキャラクター「いけふくろう」として駅の周辺あちこちで目にします。西口には緑化と結び付けた「モザイクカルチャー」のフクロウが

フクロウは池袋のシンボルキャラクター「いけふくろう」として駅の周辺あちこちで目にします。西口には緑化と結び付けた「モザイクカルチャー」のフクロウが

 

このように創設期は池袋にあった成蹊学園ですが、明治から大正にかけての頃に池袋で開校した学校はほかにもあります。そのひとつが1909年(明治42年)に開設された東京府豊島師範学校。東京学芸大学の前身にあたる学校です。

 

かつては農村地帯だった池袋ですが、1903年の日本鉄道豊島線(現在の山手線)池袋駅開業を機に駅の西側には学校が次々に開校し、文教のまちへと変わっていったのです。地元の人々の熱心な誘致によるものといい、この豊島師範学校に続き、その隣接地に開校したのが前述の成蹊学園でした。

 

その後、1914年(大正3年)に東上鉄道(後の東武東上線)が開通し、1915年には武蔵野鉄道(後の西武池袋線)が開通。交通の利便性が向上した池袋には、1918年(大正7年)には立教大学が移転してきて、さらに1921年(大正10年)には自由学園が創設され、今にいたります。

 

1919年(大正8年)の地図

1919年(大正8年)の地図。「師範校」「立教大学敷地」の文字が読める。師範校の右下にある「文」の記号が成蹊学園。師範校と成蹊学園の境界あたりに丸池があったと思われる

 

文教都市池袋の先駆けとなった豊島師範学校は、1943年(昭和18年)に官立(国立)への移管によって、東京第二師範学校となりました。

 

しかし、1945年(昭和20年)年4月の空襲により、校舎の大半を焼失。焼け跡の一帯には、ヤミ市と呼ばれる露店やバラック建ての長屋式の市場が建ち並び、戦後の混乱期を生きる人々に物資を供給する場となったのです。こうした池袋駅西口のヤミ市は、戦後復興とともに徐々に縮小されながらも、1961年(昭和36年)まで続きました。

 

そんななか、師範学校は1946年(昭和21年)に東京都小金井市へ移転。附属小学校だけがこの地に残りましたが、1964年(昭和39年)に閉校。跡地は1970年(昭和45年)に池袋西口公園に生まれ変わりました。

 

池袋西口公園と東京芸術劇場

池袋西口公園と東京芸術劇場

 

そして、1990年(平成2年)、当時の池袋駅西口再開発の核としてこの公園に建設されたのが東京芸術劇場です。

 

ガラス屋根のアトリウムが印象的な建物で、設計は旧ソニービル(銀座)などを手がけた建築家・芦原義信。東京芸術劇場は開館から28年が過ぎ、今ではクラシックなどのコンサートホールとして日本でも有数の音楽ホールとなっています。

 

さて、池袋西口公園といえば、テレビドラマ『池袋ウエストゲートパーク』を連想する方も多いでしょう。原作は石田衣良の小説シリーズで、その舞台となったのが池袋西口公園です。数々のオブジェや野外ステージがあり、イベント会場としても親しまれていますが、老朽化が進んでいるため、新たに整備することになりました。

 

目指すのは劇場公園というから驚きます。大小のステージや大型ビジョンなどを備え、オーケストラのコンサートができる野外劇場となる計画で、2019年秋頃に完成する予定。池袋の新たな文化発信拠点になりそうです。

 

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池袋西口エリアに現在も校舎がある自由学園と立教大学。ともに歴史的建造物を保存・活用していることでも知られています。

 

自由学園明日館

自由学園明日館。館内の見学のみも可能

 

池袋西口公園から徒歩5分くらいのところにあるのが自由学園。日本初の女性新聞記者で教育家でもあった羽仁もとこが「真の自由人を育てる」ことを目標に、夫の吉一とともに開校した学校です。

 

校舎を設計したのは、20世紀を代表する世界的建築家のひとり、アメリカのフランク・ロイド・ライトとその弟子の遠藤新。ライトは、日本ではほかに旧帝国ホテルなどの設計を手がけました。

 

1927年(昭和9年)、校舎は東京都東久留米市に移転しましたが、池袋の校舎は明日館(みょうにちかん)と名付けられ、卒業生の活動の場として使われてきました。

 

ライトの建築は日本では数が少なく、希少な存在ということで、1997年(平成9年)、国の重要文化財の指定を受けました。約3年間の保存修復工事を行ない、現在は結婚式やコンサートなど一般の人たちにも幅広く利用されています。

 

立教大学本館(1号館/モリス館)

立教大学本館(1号館/モリス館)

そして、池袋駅西口から続く大通りから1本外れ、立教通りを進んでいくと、ほどなく立教大学。

 

アメリカ人宣教師ウイリアムズ主教が、1874年(明治7年)に東京・築地の外国人居留地に設立した私塾が始まりです。先述のように1918年に池袋に移転し、今日まで長い歴史を刻んできています。

 

立教大学第一食堂

立教大学第一食堂

キャンパスには赤レンガにツタのからまる校舎が並び、時計台のある本館(1号館/モリス館・1919年落成)、チャペル(礼拝堂・1920年建造)、第一食堂(学生食堂・1918年建造)など、東京都選定歴史的建造物に指定されている建物も見られます。

 

大学正門近くにあるメーザーライブラリー記念館も東京都選定歴史的建造物で、1919年落成。2階は立教の歴史を紹介する立教学院展示館となっていて、一般の人も入館できます。

 

自由学園・明日館も、立教の赤レンガ建築群も、関東大震災や第2次世界大戦の戦禍をくぐりぬけて現在まで残り、使われているということで、貴重な事例といえるでしょう。

 

旧江戸川乱歩邸

旧江戸川乱歩邸。建物内には入れないが、窓越しに室内を見ることができる

 

第2次世界大戦の戦災を免れた建物といえば、もうひとつ、見逃せない散策スポットがあります。立教大学6号館の隣にある旧江戸川乱歩邸です。

 

『怪人二十面相』などで知られる推理作家、江戸川乱歩が1934年(昭和9年)から住み、1965年(昭和40年)に71歳で亡くなるまでの31年間をここで過ごしました。

 

その家ととともに土蔵(書庫)が今も残り、豊島区指定有形文化財となっています。現在、立教大学が所有し、一般公開も行なわれています。

瑞鳳山祥雲寺

瑞鳳山祥雲寺

さて、池袋西口エリアにも複数の古寺があります。そのひとつが、アゼリア通り(要町通り)の要町1丁目交差点の近くにある祥雲寺です。16世紀前半に江戸城の城内で創建し、その後、何度かの移転を繰り返し、1906年(明治39年)に現在地へ移転してきました。

 

境内には桜やカエデ、イチョウなどの木々が茂り、豊島区保護樹林に指定されているとのこと。本堂左手は墓地になっていて、「首斬り浅右衛門」の名で知られる7代目山田浅右衛門の墓があります。

 

時代劇が好きな人ならご存知かもしれませんが、山田家は江戸幕府より刀剣の試し斬り役を任命された「御様御用(おためしごよう)」。代々、世襲名の「浅右衛門」を名乗り、罪人の死刑執行人の役割も担っていました。

 

祥雲寺の石ノ森章太郎の墓

祥雲寺の石ノ森章太郎の墓

 

また、昭和を代表する漫画家のひとり、石ノ森章太郎(1938~1998)の墓があるのもこの祥雲寺の墓地。彼の作品である「仮面ライダー」「サイボーグ009」などの主人公が描かれた石碑がたっています。

 

若き日の石ノ森章太郎は、「トキワ荘」の住人でした。「トキワ荘」は手塚治虫、藤子不二雄、赤塚不二夫といった、戦後日本の漫画界に大きな足跡を残した漫画家が住み、青春時代を過ごしたアパートですが、1982年(昭和57年)に老朽化のため、取り壊されてしまいました。

 

建物こそなくなりましたが、トキワ荘のあった豊島区南長崎にはトキワ荘記念碑(南長崎花咲公園内)がたち、漫画の聖地として知られています。祥雲寺から直線距離で500mほど離れた西武池袋線東長崎駅近くにあり、興味のある人は足をのばしてみるのもいいでしょう。

 

この南長崎花咲公園では、2020年3月開館を目指してトキワ荘を復元したミュージアムの整備計画が進められているので、楽しみです。

 

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更新日: / 公開日:2018.08.24