スタートアップだった鉄道会社。不景気などで数々の未成線が誕生

品川駅は、日本で最初に開業した駅のひとつ。当時、現在の港南口側は海だった品川駅は、日本で最初に開業した駅のひとつ。当時、現在の港南口側は海だった

「未成線」とは、計画されながらも実現せず、幻となった鉄道路線のこと。1872(明治5)年に新橋(旧 汐留駅)~横浜(現 桜木町駅)に日本初の鉄道が開通して以降、鉄路は全国に延び、明治末期になると、都市間を結ぶインターアーバンの高速電車路線や、有名神社仏閣への参詣鉄道などが相次いで開業した。特に好景気に沸いた大正時代にはさながら鉄道ブームとなり、鉄道や軌道を敷設する免許・特許が続々と申請される。こうして計画は目白押しとなったものの、その後の関東大震災や昭和恐慌で、当時はまだスタートアップ企業ともいえた鉄道会社は新線の建設どころではなくなった。またこの頃、取得した免許を高値で売る投機目的の会社も出現したが、これらの路線は買い手が付かなければ当然実現せず、数多の未成線を生み出すこととなった。

戦後には、高度経済成長を背景に、増大する通勤需要の受け皿となる路線やニュータウンへの乗り入れ路線が計画されたが、経済情勢の変化や国鉄の経営悪化、計画の変更、ニュータウンの過大な人口予測といった事情で、やはり未成線が誕生した。

LIFULL HOME'Sでは、このような「未成線」のなかから「実現してほしかった未成線」のアンケート調査を実施した。鉄道は住まいや暮らしに大きく関わるもの。「実現していれば便利だったかもしれない」という未成線も多いのではないだろうか。本稿では関東地方で上位にランクインした路線を紹介しよう。

品川駅は、日本で最初に開業した駅のひとつ。当時、現在の港南口側は海だった東急池上線の五反田駅は、さらに都心方面へ延伸する計画があったことから、高架で山手線を乗り越える構造となっている

1位は、羽田空港と成田空港をリニアモーターカーが15分で結ぶ構想

1位:羽田・成田リニア新線構想(378票)

首都圏には、国内線中心の羽田空港と国際線中心の成田空港という二大空港があり、国内線と国際線を乗り継ぐときなどに両空港間を移動することがある。その場合、電車であればエアポート快特・アクセス特急で約1時間40分、途中乗り換えが必要だが京成スカイライナーを利用しても1時間10分以上はかかる。
今回1,100人が回答(複数回答)したアンケート調査で、「実現してほしかった未成線」の1位となったのは、そんな羽田空港~成田空港をリニアモーターカーが15分で結ぶ「羽田・成田リニア新線構想」だ。アンケートでは、「乗り継ぎが楽になりそう」「成田空港が使いやすくなり、羽田空港の混雑緩和につながる」といった声が寄せられた。

2009年に神奈川県が調査結果を取りまとめるなどした羽田・成田リニア新線構想は、両空港間のアクセス強化はもちろん、首都圏各地からの空港アクセスも大幅に改善することで、東アジアの大規模ハブ空港に負けない国際競争力をつけようというものだった。しかし、1兆3,000億円にのぼる事業費などから計画は進展していない。また、国土交通大臣の諮問に応じて将来の鉄道の在り方を示した交通政策審議会答申第198号(2016年)では、両空港間のアクセスを担う「国際競争力の強化に資する鉄道」として、リニア新線ではなく押上駅~東京駅~泉岳寺駅を結ぶ新線(都心直結線)が取り上げられるなど、近い将来の具体化は見込みにくい状況となっている。
ちなみに横浜市、さいたま市への路線のほか、首都圏第3の空港として横田飛行場への路線拡大も構想されていた。

羽田・成田リニア新線構想羽田・成田リニア新線構想
羽田・成田リニア新線構想2022年度には5,972万人の旅客が利用した羽田空港

山手線の外側に計画された“第二山手線”

2位:東京山手急行電鉄(342票)

今の小田急を創業した実業家・利光鶴松が発起したのが、山手線の外側に半環状の鉄道を通す「東京山手急行電鉄」だ。1927(昭和2)年に免許を取得し会社を設立。同じ環状線の山手線の盛況を引き合いに出し、「都市の串刺電車」「水陸連絡電車」「花柳電車」などと謳い、「二割三割の配当も可能」な近郊電車(実際は5%の利子配当で募集)だとして資金集めに奔走した。しかし、昭和初期の不況で十分に資金が集まらず、計画は頓挫した。

現在東京都市圏では、都心を走るJR山手線・都営大江戸線のほかに、「東京メガループ」と呼ばれるJR武蔵野線・京葉線・南武線などが環状路線の役割を担う。しかし両者は約20km以上離れており、その間に放射状の各路線をつなぐ鉄道はほとんどないことから、「東京西部は南北の移動が困難」「城東地区は縦の路線が無く不便」(アンケートより)という声が寄せられる。もし東京山手急行電鉄が開業していれば、現在バスでの移動や、一度都心のターミナル駅を経由しなくてはならない移動も、今より便利で、さらに山手線の混雑も緩和されていたかもしれない。
なお、前述の交通政策審議会答申198号では、ルートこそ異なるが、環七通りおよび環八通りの地下を走る地下鉄(メトロセブン・エイトライナー)として、山手線外周の環状鉄道計画が残っている。

東京山手急行電鉄東京山手急行電鉄
東京山手急行電鉄東京山手急行電鉄は、明大前駅付近で現在の京王井の頭線と並行して建設される計画だった

3位:成田新幹線(278票)

新幹線の未成線である「成田新幹線」は、東京駅と成田空港を30分で結ぶことで、都心から離れた成田空港へのアクセス向上を期待された路線だ。1971(昭和46)年の改正鉄道敷設法に基づく整備新幹線として建設の指示がなされたものの、実現には至らなかった。成田新幹線の計画ルートは、東京駅(現在の東京駅京葉線地下ホームの場所)から現在のJR京葉線のルートで八丁堀駅の先まで進み、地上に出て営団地下鉄(現 東京メトロ)東西線に並走する形で東へ。東西線と分かれてそのまま直進し、小室駅の東から北総鉄道と並走、中間駅となる千葉ニュータウン中央駅に至る。
現在も北総線に沿って残る土地は、成田新幹線と、これまた未成線である千葉県営鉄道北千葉線のために確保された鉄道用地である。また、そこから印旛沼を通り抜けた先の成田市土屋地区や、当時開通前だったJR武蔵野線が新幹線を跨ぐ箇所では、一部の施設が完成していた。しかし、反対運動などによって多くの区間で工事は行われず、1987(昭和62)年の日本国有鉄道改革法等施行法附則の成立で成田新幹線の基本計画は失効。建設は中止された。
都心から成田空港へは「現状、時間がかかりすぎる。街から距離がある以上、特別感を持って移動をしたい」(アンケートより)という意見もあり、成田新幹線が未成に終わらなければ、所要時間の短縮と移動のエンターテインメント化が実現していたかもしれない。

東京山手急行電鉄成田新幹線
東京山手急行電鉄2010年に開業した京成成田スカイアクセス線を通り、日暮里と成田空港を最短36分で結ぶ京成スカイライナー。隣接する成田新幹線の建設用地には、現在ソーラーパネルなどが設置されている

幻の三浦半島一周路線も。鉄道空白地帯に計画された私鉄路線

4位:湘南電気鉄道(現 京急)三浦半島循環線(265票)

京急久里浜線にはかつて終点・三崎口駅からの延伸計画があったのは有名な話だが、それだけでなく三浦半島を一周する壮大な鉄道が計画されていたのをご存じだろうか。京浜急行電鉄の前身となる湘南電気鉄道は1923(大正12)年、横浜市蒔田から、三浦半島にある横須賀市、長井村、逗子町、六浦荘村(金沢八景付近)をつなぐ循環線と、長井村~三浦町と逗子町~鎌倉町の2つの支線の免許を取得(1925年にも追加路線の免許を取得)。蒔田を起点としたのは、付近に国鉄京浜線の延長が計画されていて、貨車を国鉄に直通させる計画だったからだ。しかし免許を取得した5日後に関東大震災が発生し、さらには景気の悪化で資金繰りも悪化。国鉄京浜線の延長も中止となったことで計画変更を余儀なくされ、京浜急行電鉄につなげることで品川方面へと直通した。しかし、三浦半島を循環する部分は多数の未開通区間を残したまま昭和初期に免許を失効。京浜急行と合併してからも三崎口~油壷のみ免許を維持していたが、こちらも2005年に免許を廃止。2016年には事業化の凍結を発表した。

マグロの町として知られる三浦半島西南端の三崎港や、保養地として知られる葉山などへは、現在、車やバスで行くのが一般的。アンケートでは、「三浦半島は車でないと回れないので不便」「三浦半島の交通渋滞も緩和されそう」などと、地元住民や観光客から計画の頓挫を惜しむ声が寄せられた。

湘南電気鉄道(現 京急)三浦半島循環線湘南電気鉄道(現 京急)三浦半島循環線
湘南電気鉄道(現 京急)三浦半島循環線京急久里浜線の終点三崎口駅からは、油壷への延伸が計画されていた

5位:池上電気鉄道(現 東急)国分寺線(239票)

池上電気鉄道は、現在の東急池上線を開通させた電鉄だ。池上線の全通を目前にした1927(昭和2)年に雪ヶ谷駅(現 雪が谷大塚駅)から、多摩川に沿って国分寺駅までの免許を取得したが、五島慶太が専務を務める目黒蒲田電鉄がルート上の用地を買い上げるなどしたため、通れなくなってしまった。そこで、1928年に雪ヶ谷駅~新奥沢駅(新奥沢線)の1.4kmを部分開通させるが、その先は断念。のちに五島慶太が池上電気鉄道の代表取締役となり目黒蒲田電鉄の傘下に入ると、五島は国分寺線の免許を失効させ、新奥沢線も開通から7年余りで廃止した。目黒蒲田電鉄は池上線に並行する路線(現在の東急目黒線および東急多摩川線)を先行開業するなど、池上電気鉄道のライバル的存在であった。
実現してほしかった理由に「中央線の利用者として価値があると感じた」(アンケートより)ともあり、全通していれば、国分寺駅で中央線と接続することで中央線沿線から東京都区部への新ルートとして、また多摩川左岸の鉄道空白地帯を結ぶ交通手段として機能していたかもしれない。

湘南電気鉄道(現 京急)三浦半島循環線池上電気鉄道(現 東急)国分寺線
湘南電気鉄道(現 京急)三浦半島循環線3両編成の列車が走る東急池上線は“都会のローカル線”とも呼ばれる

鉄道網は完成していない

2023年3月に東急・相鉄直通線が開業し、横浜市西部から東京都心部への利便性が大きく向上したように、東京都市圏では郊外鉄道と地下鉄の相互乗り入れなどで世界的にも充実した鉄道網が築かれてきた。上記で紹介したほかにも、都営新宿線へ直通し千葉ニュータウン住民の通勤の足となるはずだった「千葉県営鉄道北千葉線」、新京成線の都営浅草線への直通を目指した「新京成松戸柴又線」、中央線に乗り入れることで、小田急・京王に次ぐ第三の多摩ニュータウン通勤路線として計画された「西武多摩川線 多摩ニュータウン延伸」など、他社線への乗り入れを前提とした多くの路線が計画されていた。

そのほか、川崎市西部の新百合ヶ丘と川崎を結び、川崎市内の移動を便利にすることが期待された「川崎縦貫高速鉄道」や、東武大師線を延ばし、西新井と上板橋をつなげる「東武西板線」といった、少し不便な移動が便利になりそうな路線も構想されていた。

都市の鉄道はネットワーク化することでその真価を発揮する。本稿で紹介した路線は残念ながら未成に終わったが、東京圏の鉄道では、さらなる路線網の充実を目指し今も新たな鉄道計画が進められている。興味がある人は、最新の交通政策審議会答申などを調べてみるといいだろう。東京の鉄道はこれからも進化を続ける。

現在、多摩ニュータウンには小田急と京王が乗り入れている現在、多摩ニュータウンには小田急と京王が乗り入れている

■調査概要
回答者:東京都・神奈川県・埼玉県・千葉県在住の20~60代男女1,100人
調査対象:関東の主要な12の未成線(※)
※鉄道事業法・地方鉄道法・私設鉄道法・軽便鉄道法による許可・免許・認可および軌道法による特許が取得されたものの、すでに失効している路線。交通政策審議会(運輸政策審議会を含む)および近畿地方交通審議会によって1度以上答申されたものの、最新の答申に記載されていない路線。自治体から構想が公表されたもの実現していない路線

■参考
天夢人『全国未成線徹底検証 [国鉄編]』川島令三著 2021年5月発行
天夢人『全国未成線徹底検証 [私鉄編]』川島令三著 2021年9月発行

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