街には「場所」はあっても「居場所」がない?
2022年6月16日、「住まいの“本当”と“今”を伝える」をコンセプトとするWebメディア「LIFULL HOME'S PRESS」は、「街に場所でなく居場所をつくる仕掛け」と題したオンラインセミナーを開催した。
大規模再開発などが増えるにしたがって、ビルやマンションなどの敷地内に、一般に公開された公開空地(こうかいくうち)が設けられることが多くなった。これは「総合設計制度」に基づくもので、この制度を利用して建てられたビルやマンションは、公開空地を設ける代わりに、容積率や高さ制限の緩和といった特例を受けられるメリットがある。公開空地では本来、そこに人が居る光景を考え設計されているはずだが、そういった「場所」は、街の人々の「居場所」として機能しているのだろうか。基調講演を行った、ノートルダム清心女子大学人間生活学部教授の深谷信介氏がそう投げかけて、セミナーは幕を開けた。
そもそも「居場所」と「場所」はどう違うのか。セミナーで語られた「喫茶ランドリー」と「道草アパートメント」での取組み事例を通じて考えてみたい。
場所は「制度」、居場所は「運動」
基調講演を行った深谷氏は、大学教授である一方で、マーケティングやブランディング、行政アドバイザーや企業コンサルタントなども手掛け、自らを多業家と名乗る。セミナーでは街の話に入る前に、自身が勤める大学での居場所づくりについての説明があった。
築90年の登録有形文化財を有するノートルダム清心女子大学には、その建物に囲まれた中庭や、教室外でも「ちょっとした集える場所」が設けられているという。
「大学や学校などの学生生活においては、そのような場所をどれだけ豊かにするかが重要だと思っています」(深谷氏)
では街においてはどうか。今や公開空地を設けたり、歩道を広げたり、さらにはそこにベンチを置くなど、人が集うきっかけ作りはさまざまに計画・実施されているように見える。しかし深谷氏によると「場所を作るのは居場所を作ることだが、それが必ずしもうまくいく例ばかりではない」という。
都市計画とまちづくりを例にあげて、その説明がなされた。都市計画は、国や政府による統一的連続的な環境形成制度である。一方のまちづくりは、地域における、市民による、自律的連続的な環境改善運動だという。一言で言えば「制度」と「運動」の違いがあるというのだ。
アプローチは違うものの、どちらも居場所を作りたいという考えは同じはずだ。
しかし深谷氏は「機能や役割を定義し、それにあったデザインをするという方法を取るのが場所づくり。一方の居場所づくりは、目的よりも“居心地がいい”などの情緒や感情に訴えるものであり、そこに行って気持ちが良い、安心できるということが大事」と説明する。
どちらも居場所を作りたいと思っているのだから、そのためには、そもそも「なぜ人は居場所を求めるのか」という本質的なことをとらえる必要がある。その点については、次に紹介される2つの取組み事例にヒントがあるだろうと、深谷氏は話を締めくくった。
街の居場所「喫茶ランドリー」と「道草アパートメント」の事例
続いて、居場所づくりに取組む2人の経営者が登壇。偶然にもふたりとも田中氏であるため、以下それぞれ、元子氏と雄一郎氏とする。
最初の事例紹介は「喫茶ランドリー」から。
「1階づくりはまちづくり」をモットーに株式会社グランドレベルを設立した田中元子氏(以下、元子氏)。2018年に、築55年のビルの1階に開業した「喫茶ランドリー」は、もとは工場や倉庫が多い地域だった東京都墨田区にある。
もともと私設公民館を作ってみたいと考えていたこともあり、喫茶店とコインランドリーではあるが、コーヒーを飲んだり、洗濯をしに来るだけでなく、さまざまな形で利用してもらえるように作られた。オープン半年で、空間を利用した100件以上のイベント利用があったというが、元子氏や店側が開催したものはひとつもなく、すべて、まちの人たちの「あんなことがしたい」「こんなことをしてもいい?」という思いから行われたものだという。まさに公民館的といえる。
注目を集めるようになると「あなただからできたのだ」「東京だからできたのだ」「他で再現はできないだろう」など、半ば悪口のような声もよく聞くようになったそうだが、ならばと、元子氏はそれらを逆手にとる。
「そのスタッフたちだからこそ、そのオーナーだからこそ、その場所だからこそ、という要素が発露するように展開しました」(元子氏)と、全国各地で1階づくりを展開したという。
他にも「ベンチを一つ置くだけで、多様な人々が多様に過ごすことになる」という考えから、街にベンチを置くプロジェクトも実行。東京ガーデンスクエアの公開空地にベンチ置いたTOKYO BENCH PROJECTでは、京橋の中央通りにさまざまに過ごす人がいる風景をもたらしている。
続いて、「道草アパートメント」の事例が紹介された。
「道草アパートメント」は、大阪・黒門市場の裏手にある、木造の文化住宅だ。もともとは、経営するGUM株式会社専務取締役の田中雄一郎氏(以下、雄一郎氏)の祖父が所有する建物で、雄一郎氏はその建物を引き継いだそうだ。都心部にもかかわらず、奇跡的に残った木造三階建ての文化住宅。解体の話も出る中、「解体するにしても費用はかかる。それ以上に、本能的に『残すべきだ』という思いがあった」と雄一郎氏。そこで仲間の一級建築士の監修により、人の居場所を作ろうということになった。
建築士、職人、アーティストらにより再生された道草アパートメントの中では、小さな区画にさまざまな店舗が展開される
「それぞれが副業しながらでも、週末は店のオーナーになれるようにという思いで、家賃を手ごろに抑えています」(雄一郎氏)
道草アパートメントにはユニークな店舗が複数入っているが、最初の店舗は、廃材を利用した家具を販売する「フランケンファニチャー」という家具店。その後少しずつ店舗が増えていった。1階にあるもともとはゴミ置き場だった区画に入るコーヒー店は、今では事業を拡大して4店舗になっているという。
雄一郎氏自身は「自分が何をやっている人かと聞かれても、答えるのが難しい」といい、実際、映画監督、不動産会社、飲食業や空間プロデュースなど、幅広く活躍中だ。大家である限界を超えていくという意味で、自分自身を「スーパー大家」と言っているという。
再生された「道草アパートメント」では、雄一郎氏監督により映画撮影も行われ「大家である限界を超えて」を発揮し続けている。
トークセッション「街に場所はあるのに、なぜ居場所がないのか」
事例紹介のあとのトークセッションでは、これまでの登壇者3名に、LIFULL HOME’S総研所長の島原万丈氏も加わった。島原氏は「喫茶ランドリー」「道草アパートメント」をこう評する。
「(元子氏、雄一郎氏の取組みは)役割や機能は明確ではないかもしれないが、いるだけで楽しい。もっと言えば、前を通るだけでも楽しくて、まさに居場所だと感じる」
では元子氏、雄一郎氏はそれぞれ、「居場所」をどう考えているのだろうか。
「公開空地や公園、公民館などへの社会課題を私なりに感じていました。そんな中で、自分で『公』のつくものをやってみたいという思いから、縁あって喫茶ランドリーをやることになりました。私の考えでは、都市計画は、居場所づくりを目的にしているとは感じられません。制度を遵守し、建物を作ることが目的になっているからです」(元子氏)
公開空地などは、実際には公開された「居場所」づくりにはなっていないと感じるとしつつ、管理面など複雑な問題も出てくるためであろうと、実情に理解を示した。
また「私や雄一郎さんが行っていることは、お金にならないことに多くの労力を費やしています。行政では難しいことでしょうが、長い目で見るとみんなのためになり、ひいては自分のためになります。何を優先順位の上位にもってくるかで、結果は違うものになるのだろうと思っています」とも語った。
一方の雄一郎氏は、こう話す。
「家と職場を行き来するだけが人生ではなく、人間らしい状態でいられる別の地点にも居場所を求めて、そこで人は生きていると感じるのだと思います」
道草アパートメントという名称は、人生自体が道草みたいなものという考えから名付けられたものだということに触れながら「居場所は肉体が居る場所ではなく、心が居る場所。行かなければならない場所ではなく、居ていい場所。そういう居場所をつくりたいという思いがあります」とも語った。
司会者の紹介の通り、元子氏、雄一郎氏、ともに人を引き付ける魅力的な人物で、会いにいきたくなる人も多いだろう。しかし居場所づくりにおいて、元子氏は「私がそこに居なければいけない、ということからは脱却しなければいけない」と言う。
「私が手掛ける空間では、店舗ごとにオーナーやスタッフの属人性を露出することを心掛けています。居場所づくりとしての仕掛けがあるとするならば、その空間に携わる人の属人性をいかに出すかということが大切だと考えます。つまり、そこにいる人が何者なのかを出していくということ。嫌われるかもしれないリスクも一方ではあると思いますが、自分が何者かを出していけば、そこに人は集まります」(元子氏)
雄一郎氏も「限られた人生で“自分はこっちを選んだ”ということを体現するだけと思います」と語る。
雄一郎氏にとってのその積み重ねが、道草アパートメントに反映されているのだろう。
両者とも、そもそも居場所づくりが目的ではないと話すが、こういう考えの下、結果として誰かの居場所になっているということなのだろう。
居場所づくりが今回のテーマであるものの、居場所をつくること自体にフォーカスしすぎると、本質を置き去りにしてしまうということだろうか。
セミナー参加視聴者からも寄せられた多くの質問
セミナーは、320名を超える人が視聴申込みをしたといい、当日も参加者から多くの質問が寄せられていた。
ここではその中からいくつかの質問と回答を紹介したい。
Q:どのように(施設に)人集めをしている?
A:
「集まってほしい、集まってくださいなどとは、あまり言わないほうがいいです。それよりも、スタッフなどの属人性がしっかり発揮されていれば、人は集まってくるものです」(元子氏)
「ワクワクがあること。自分が本当にそれをしたいのかを考え賛同してくれる人がどれくらいいるかで違ってくるのではないでしょうか」(雄一郎氏)
Q:コミュニケーションが濃くなってくると、外から見ると内輪で盛り上がっているように見え、入りにくく感じられる。盛り上がりつつも、常に新しい人が入ってくるようにするには?
A:
「確かに仲間内の結束がどんどん強くなって排他的になるリスクは感じます。しかし万能とはいきません。そもそも誰にとっても違和感のないものを作ろうとすると、誰も夢中にならないものになってしまうのではないでしょうか」(元子氏)
「近所の人で、道草アパートメントに入ってこられるようになるまで1年かかったという人もいます。それまで警戒していても、入ってみると普通の場所だったと言われます。工夫とまではいきませんが、値段表を表に出すなど、シンプルなことを実践しています」(雄一郎氏)
トークセッションの最後は、元子氏、雄一郎氏が、それぞれがこの先に見ているものを話して締めくくられた。
「いろいろな働き方をして、いろいろな暮らし方をする。もっと多様になって、誰も文句を言わないで、いろいろで当たり前ということに早く慣れてほしいと思います。いろいろあって当たり前だと思ってもらえるにはどうしたらいいか、一刻も早く進めていきたいですね」(元子氏)
「居場所の定義は、一言では言えない感覚的なものだと思います。コロナ禍以前は、誰もが止まらない暴走列車に乗せられているような感覚がありましたが、今はコロナ禍やロシアとウクライナの戦争など、大きく価値観が動いている時です。それをどう見つめたかという人の多数決で、何かが大きく変わっていくのではないでしょうか。先のことはわからないけれど、こっちがいいなと感じたことはやっていこうと思っています」(雄一郎氏)
そこに居てもいいと思える場所の感じ方は、人それぞれ。居場所づくりの答えはひとつではない
街の場所と居場所の違いを「制度」と「運動」と説明した深谷氏が、2つの事例を聞いた後にこんな感想を述べていた。
「居場所づくりは活動だからこそ、一過性であり、属人的であり、また特殊解だからこそ魅力があります。好きな人もそうじゃない人もいるからこそ人間らしい。そういった活動がさまざまな場所に発生しつつある世の中になってきているのではないでしょうか」
つまり居場所づくりについて、答えはひとつではないということ。同じスタイル、同じ手法を、どんな地域でも同じように展開しようとすることはそもそも無理があるということが、このセミナーで明らかになったのではないだろうか。
また、居場所づくり=コミュニティづくりと捉えられがちだが、「居場所づくりはコミュニティづくりの強要ではない」ということも、今回のセミナーで語られていた注目ポイントだろう。強要されないからこそ、人は“ここに居ていい”と思えるものだ。前回のセミナーでLIFULL HOME’S総研所長・島原氏が語った「寛容性」もここに通じる。
本セミナーを通じて、居場所はつくるもの、または意図的につくられるものというより、その場に居る人の案や体感によって柔軟に物事が形成され、その積み重ねの結果「居場所になっていくもの」なのだろうと、筆者は感じたのだった。
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