惜しまれながらも解体、姿を消した大橋眼科

足立区千住(駅としては北千住だが、宿場町としては千住宿)は江戸時代から日光街道、奥州街道の宿場町として栄えた歴史のあるまち。このエリアには街道沿いを中心に古い家屋、店舗、蔵や銭湯などが残されていたが、ここ10数年ほどで姿を消した建物も多く、風景はだいぶ変わった。

そのひとつが2022年秋に惜しまれながらも解体された大橋眼科である。取り壊された洋館は二代目で、初代は1917(大正6)年に竣工した三角屋根が特徴的な建物だったそうだ。その後、老朽化のために取り壊され、1980(昭和55)年にそのイメージを引き継ぐ形で再建。昭和後期から令和に至るまでまちのランドマークとして愛されてきた。築年は2022年時点で42年だった。

築年数だけでいえばそれほど古くはないのだが、レトロ感たっぷりの人目を惹く姿だったのには理由がある。所有者が建物好きで、実際の建替えを検討する以前から他で取り壊された明治、大正期の建物のパーツを蒐集。再建時にはそれらが随所にあしらわれた。全体としてはそれほど古くはないものの、所有者が30年もの時間をかけてコレクションした部品への愛情が随所ににじみ出し、建物に風格を与えていたのである。

北千住駅の近く、商店街沿いにあった大橋眼科。途中で建替えられており、それほど築年数は古くはなかったが、まちのシンボルだった(写真提供/MINGLE Design Office)北千住駅の近く、商店街沿いにあった大橋眼科。途中で建替えられており、それほど築年数は古くはなかったが、まちのシンボルだった(写真提供/MINGLE Design Office)
北千住駅の近く、商店街沿いにあった大橋眼科。途中で建替えられており、それほど築年数は古くはなかったが、まちのシンボルだった(写真提供/MINGLE Design Office)細かいところにまで様々な意匠の部材が使われていた(筆者撮影。2022年)

初代から数えると100年以上この地にあった大橋眼科だが、2021年に閉院。その後、隣地でマンション建築計画を進めていたデベロッパーと大橋眼科所有者との協議を経て、2022年7月には建物内からモノを運び出す様子がSNSで拡散され、地元では大騒ぎに。閉院後、建物がどうなるかを気にしている人達が多かったのだ。

デベロッパーとしても地域で長年愛されてきた建物を何もせずに取り壊すわけにはいかないと考えたのだろう、地元の人達と顔を合わせる場が用意された。そこで生まれたのが大橋眼科移築再建プロジェクト実行委員会(以下実行委員会)である。発起人となったのは解体の話を聞いてすぐにデベロッパーを探して連絡、建物を移築再生したいと申し入れた株式会社阿部養庵堂薬品の阿部朋孝さんだ。

【関連リンク】北千住・大橋眼科が解体の危機から移築再建へ。動き始めたプロジェクトを聞いた(2022年公開記事)

北千住駅の近く、商店街沿いにあった大橋眼科。途中で建替えられており、それほど築年数は古くはなかったが、まちのシンボルだった(写真提供/MINGLE Design Office)2022年時点の現地。現在はここにマンションが建ち、角にはコンビニエンスストアが入っている(筆者撮影。2022年)
北千住駅の近く、商店街沿いにあった大橋眼科。途中で建替えられており、それほど築年数は古くはなかったが、まちのシンボルだった(写真提供/MINGLE Design Office)今回話を伺った阿部さん(左)と青木さん(筆者撮影)

クラウドファンディングは成功したものの、土地探しが難航

この時点で各種図面の復元、建築物の保存から移築再建までの予算は概算で1億2,000万円が見込まれていた。それ以外にも移築再建までの倉庫賃借料、劣化したパーツの保全作業その他さまざまな費用が見込まれたが、それは発起人が負担するということで、急ぎ、2022年11月12日をデッドラインに2,000万円を目標に9月14日からクラウドファンディングが行われた。

本来であれば移転先の土地を探す、図面を作成するなどの準備があって、それから実際のプロジェクトということになるのだろうが、大橋眼科の場合は2022年11月の取壊しがすでに決まっており、とにかく動き始めるしかなかったのである。

クラウドファンディングをしながら移築再建するための作業も始まった。図面が残されていなかったため、3Dスキャンをして図面を復元。同時に部材を確認、残すものを選定して保存する作業が行われた。2022年9月に取材に現地を訪れた時には古い部材を慎重に確認、取り外す作業が黙々と行われていた。

クラウドファンディングは短期で高額を集めるという難易度の高いものではあったものの、1,224人という多くの支援者から2,300万円以上の支援を得て無事に終了した。取り外した部材なども無事に倉庫に収められたが、そこから現在までは波乱が続いている。最初の問題は移転先の土地探しだった。

解体を目前にクラウドファンディングが始まり、塀にはその告知が掲出された(筆者撮影。2022年)解体を目前にクラウドファンディングが始まり、塀にはその告知が掲出された(筆者撮影。2022年)
解体を目前にクラウドファンディングが始まり、塀にはその告知が掲出された(筆者撮影。2022年)クラウドファンディングの呼びかけ時には多くの人が見たことのなかった内部の写真も(筆者撮影。2022年)

「クラウドファンディング中からさまざまな情報が寄せられましたし、足立区もいくつも候補地を出してくれました。土地だけでなく、公園に移築、そこでパークPFI(都市公園の整備・管理に民間資金やノウハウを活用、カフェ、売店などの便益施設を設置できるという制度。公募設置管理制度)を使うなどという手も検討してくださいましたが、他の用途で使うことになってしまったりするなどで、どれもうまくいきませんでした」と阿部さん。

千住大橋でまちづくりにも関わる大手企業が土地を貸してくれることに

状況を説明する阿部さん、青木さん(編集部撮影)状況を説明する阿部さん、青木さん(編集部撮影)

土地探しが難航していた時期には江戸東京たてもの園や明治村にもアプローチしたという。とにかく、どこかに移築再建したいと考えたのだ。

「現在、千住エリアの土地価格は駅近くで1坪800万円以上、千住全体で考えても350万円ほど。それが最低でも80坪必要と考えると、土地を買って建てるのは現実的ではなく、安価に貸してもらえなければ再建は難しい。最初から他の事業者などとの連携を模索しており、その過程では千住以外の場所でもいいからと思いかけた時もありました。でも、せっかく守ったモノを千住から出すのは忍びなく、やはり、なんとか千住でと奔走を続けました」

阿部さん自身も足立区生まれで千住に愛着のある身。なんとか千住で再建をと考えたのだ。その甲斐あって、救いの神が現れた。北千住駅から北に京成本線の千住大橋という駅があるが、そのエリアに本社のある株式会社ニッピが好条件で土地を貸してくれることになったのである。

状況を説明する阿部さん、青木さん(編集部撮影)貸してもらえることになった土地はちょうど文化・歴史ゾーン(川沿いのオレンジの部分)だった(画像/足立区ホームページ)

「同社は製靴のリーガルコーポレーションと資本的、歴史的に非常に親密な関連会社でゼラチン、コラーゲン、皮革などを主力事業とする上場企業。その昔は千住大橋に工場があり、その工場の土地利用転換を契機に同エリアで地域、足立区と一緒になってのまちづくりが進められています。
そのために2006年11月に『千住大橋駅周辺地区地区まちづくり計画』を策定されているのですが、その中に1ヶ所、文化・歴史ゾーンとして位置付けられている場所があります。隅田川にも近い一画で、長年使われていない土地です。これまでにもいろいろ活用したいという事業者は来ていたそうですが、事業として特徴がないとなかなか貸すところまで行かなかったとか。そこを非常に良い条件で貸していただけることになりました。2023年10月のことです」

阿部さんの熱意が通じたのである。

状況を説明する阿部さん、青木さん(編集部撮影)貸してもらえることになった土地。周辺には建物がなく、開放的で明るい(写真提供/阿部朋孝さん)

建築費高騰で当初予算の2.5倍以上に

ようやく、土地が決まったことで計画は再度動き始めるのだが、今度は建築費の問題が勃発した。クラウドファンディングを始めた頃の概算は1億2,000万円で、そこでカフェなどをするための内装その他の予算を合わせても1億5,000万〜1億6,000万円の予算を見込んでいたのだが、土地を探している間に建築費が高騰。とても、その予算では建たない状況になってしまったのだ。

「土地が決まったことで2024年の前半に数ヶ月かけて建築計画を検討しました。当初は大橋眼科だけを再建するつもりでしたが、予定地が大きくなったことでまわりに他の建物を増築、カフェだけではなく、レストランを設置、また、隅田川と近いことから東京都の川てらす事業を利用してテラスを作れないかと検討してみたところ、予算が3億円以上、外構などを入れると4億〜5億円にもなることが分かりました」と実行委員会のメンバーの一人で移築復元プロジェクトをマネジメントする株式会社ARCO architectsの青木公隆氏。

では、当初の予定通りにすれば良いと思うかもしれないが、そもそも単価が上がっており、大橋眼科だけの再建でも予算は大幅にオーバーする。

「2022年の夏の時点で想定していた建設費は1坪(約3.3m2)あたり150万円。ところが、現在では一般的な建物でも200万~250万円。大橋眼科のように古い部材を使う場合には現行の法令に適合させるための配慮をし、クオリティを担保するために丁寧に作業を進めるとなると300万円ほどに及ぶことも想定されます。となると大橋眼科だけでも当初の2.5倍以上の費用がかかることになります」

それだけの費用をかけてカフェを作ると考えると当然、収支は合わない。銀行からの融資も難しい。今の状態は言葉通り、八方塞がりである。その一方で部材を保管している倉庫代などは否応なくかかってくる。

「昭島市の倉庫に部材は保管しており、保管料は月額7万円。すでに3年以上保管し続けています」と阿部さん。このままだとあと何年も保管し続けなければならないかもしれないのだ。

北千住駅の駅前通り商店街の途中にかつて大橋眼科という三角屋根の洋館があった。取壊し直前に移築再建プロジェクトを立ち上がり、クラウドファンディングを実施。部材をレスキュー、建物を3Ðスキャンするなどして再建を目指しているが、再建への道はまだまだ遠い。現状を聞いた。部材は丁寧に取り外し、ひとつずつナンバリングをして保存されている(筆者撮影 2022年)
北千住駅の駅前通り商店街の途中にかつて大橋眼科という三角屋根の洋館があった。取壊し直前に移築再建プロジェクトを立ち上がり、クラウドファンディングを実施。部材をレスキュー、建物を3Ðスキャンするなどして再建を目指しているが、再建への道はまだまだ遠い。現状を聞いた。外観は洋館だったが、内部には和室もあった(筆者撮影 2022年)

大橋眼科の再建で足立区を目的地に

だが、阿部さんも青木さんも移築再建を諦めてはいない。可能性がありそうなところへは自作のプレゼン資料を持って説明に回っており、まだ、可能性は残されているという。

「2025年12月に国土交通省が、地域で受け継がれてきた歴史的建造物を活用した地域再生のまちづくり支援を強化するという方針を出しています。そうした仕組みが利用できないか、これから検討したいと思っていますし、まちづくりの中で地域のクラブハウス的な存在として位置づけ、そこに活路を見いだせないかとも考えています。まだまだ、諦めるわけにはいきません」と阿部さん。

これまでの取材でも歴史的な建造物を残し、それを中心にした宅地開発でその一角の価値を上げた事例もある。数年前、10年前に比べると古い建物に価値を見る人達も増えている。かつてよりは歴史的、文化的な価値のある建物を残しやすくなっているのは確かだが、だからといって容易でないことも明らかである。

今回、お二人に話を伺った「せんつく」。青木さんは長らく千住エリアの空き家活用に取り組んできており、せんつくもその1軒だ(筆者撮影)今回、お二人に話を伺った「せんつく」。青木さんは長らく千住エリアの空き家活用に取り組んできており、せんつくもその1軒だ(筆者撮影)

「足立区には現状、ランドマークといえるような建物がありませんし、地元の名物といえるような手土産もない。でも、大橋眼科ならそうした存在になれると思っています。今、足立区民はハレの日には浅草や銀座に行きますが、そうではなく、大橋眼科に行くようにしたい。ハレの日の食事を大橋眼科で楽しみ、足立区を、東京を代表するような名物お菓子を大橋眼科で購入して土産に持って帰る。そんな日を夢見ています」(阿部さん)

足立区を、大橋眼科を目的地にというわけである。阿部さんは大橋眼科の壁に掲げられていた愛らしい天使の顔をした最中の画像まで作ってプレゼンをしているそうで、そのリアルさは驚くほど。最中としてだけでなく、あの笑顔をリアルで見るためにも一日も早く大橋眼科再建開始のニュースを聞きたいものである。

今回、お二人に話を伺った「せんつく」。青木さんは長らく千住エリアの空き家活用に取り組んできており、せんつくもその1軒だ(筆者撮影)阿部さんが最中のモチーフにと考えている天使。かつては壁に掲げられていた(筆者撮影 2022年)