観光スポットとしておなじみの犬山城下町にたたずむ2棟の古民家
愛知県の最北端、岐阜県との県境に位置する犬山市。豊かな自然と木曽川の恵みに育まれた風光明媚な町だ。
この町のシンボルといえば、日本最古の木造天守を有する国宝「犬山城」。江戸時代に城下町としてにぎわった風情ある町並みは今も色濃く残り、国内外から多くの観光客が訪れる人気スポットとなっている。
そんな犬山城下町に今年3月、2棟の古民家を活用した分散型ホテル「宿-SHUKU-」と日本料理店「古今」がオープンした。
1棟は400年以上続く銘酒をつくり続ける「小島家住宅」、もう1棟は庄屋として地域を支え、かつて金融業も営んでいた「真野家住宅」。いずれも登録有形文化財に登録されている立派な建物だ。
直線距離にすると300mほど離れた場所に立つこの2棟の古民家が、どのようにホテルと日本料理店として再生することになったのだろうか。
このプロジェクトの開発を担当した、株式会社つぎとの平山優貴さんに話を聞いた。
きっかけは物件所有者が何げなく視聴していたテレビ番組
今回のプロジェクトがスタートするきっかけは、2020年までさかのぼる。
先述の「小島家住宅」所有者である鈴木さんが、たまたまテレビで「NIPPONIA(ニッポニア)」の特集を目にしたことだった。
NIPPONIAとは古民家やその土地に根づく歴史を尊重しつつ、ホテルや店舗としてリノベーションし、地域に根差した複合宿泊施設として再生していく取り組み。当サイトでも何度か紹介したことがあるので、ご存じの方もいるだろう。
当時、鈴木さんご家族は、登録有形文化財である「小島家住宅」の維持管理について、今後どうしていくか悩んでいたタイミングだったという。
調べを進める中で、犬山からもほど近い岐阜県美濃市に「NIPPONIA 美濃商家町」があることを知り、鈴木さんは現地を訪問。このとき館内を案内したのが、NIPPONIA 美濃商家町のプロジェクトにも携わっていた平山さんだった。
「お越しいただいたのは、ちょうど2棟目のオープン当日。NIPPONIA 美濃商家町の建物や雰囲気などをご見学いただき『この方向で改修できるならいいね』とご納得いただきました。われわれも犬山という地域には魅力を感じていましたし、出店してみたいという気持ちもあったので、後日、小島家住宅を見学させていただくことに。実際に訪れてみると、想像以上に立派な建物でした」と平山さんは当時を振り返る。
大学の研究者によると「築約200年」という見解もあるという小島家住宅。こうしてその活用に向けたプロジェクトが動き出したのだった。
420年以上続く秘酒「荵苳酒」をつくる小島醸造
鈴木さんが所有する「小島家住宅」は、1597(慶長2)年よりこの地で「荵苳酒(にんどうしゅ)」というお酒をつくり続けてきた酒蔵だ。荵苳酒は、秀吉の朝鮮出兵の際に製造法が伝授され、かつては和歌山や浜松でも製造されていたそう。現在はこの小島醸造のみでつくられており、その製造法は一子相伝、門外不出の秘法として守り続けられているという。
「小島家住宅の広さは約1,000坪。敷地内には主屋のほか、4つの蔵と大きな庭があります。一部は小島醸造の店舗や製造所などとして使用されていましたが、そのほとんどが空き部屋。物置のようになっていました」(平山さん)
こうした広大な屋敷では、掃除機をかけるだけでも一苦労だろう。きれいな状態を保つのは大変なことだ。
さらに古民家特有の夏の暑さや冬の寒さもあって、現代のライフスタイルにはなじみにくいため、住まいは別の場所に移すことになる。結果として、使われない部屋はそのまま放置されてしまうのだ。
平山さんはこう話す。「登録有形文化財を個人で所有している場合、家主さんは守っていきたいという気持ちはあっても、体力的にも経済的にも維持管理していくことが大変です。20年ほど前には、こういった古民家を行政に寄付するという動きが広がりました。市所有として税金で維持していく。しかし最近は、寄付されてもうまく活用できないため、そういった寄付自体を受け付けていない行政がほとんどです」
これまで代々守られてきた「荵苳酒」と「小島家住宅」を次世代に受け継ぐために、鈴木さんは複合宿泊施設へと再生させることを選んだのだ。
株式会社DonDenを立ち上げ、古民家再生がスタート。もう1棟の「真野家住宅」も活用へ
プロジェクトのスタートにあたり、地域の有志が集まり、犬山の町並みや文化を次世代へとつないでいくことを目的に、「株式会社DonDen(どんでん)」が立ち上げられた。
DonDenの代表を務めるのは、犬山市の元市長・石田芳弘さん。市長在任中、まちづくりに尽力してきた人物だ。このDonDenを軸に、さまざまな団体が連携しながらプロジェクトが進められていく。
ちなみに「どんでん」とは、町の春の風物詩「犬山祭」で車山(やま)の片方を担ぎ上げて豪壮に方向転換する様を表す言葉だそう。
小島家住宅は、4部屋の客室を備えたホテルと日本料理店として再生されることになった。
「ただ、この1棟だけでは、開業後に安定した運営を続けていくには不安がありました。周辺でもう1棟、ホテルとして活用できる古民家がないか探すことになり、DonDenメンバーのつながりから『真野家住宅』が見つかりました」(平山さん)
真野家住宅は、犬山城下町のメイン通り『本町通り』の入り口にたたずむ、名家の邸宅。かつては金融業を営んでいた立派な建物で、敷地内には主屋と2つの蔵がある、築130~150年ほどの建物だ。
「しばらく空き家となっていた物件でしたが、所有者の方にもご賛同いただき、真野家住宅もホテルとして再生することになりました」(平山さん)
こうして犬山城下町にある2棟の登録有形文化財を活用することとなった。
広大で歴史ある建物ゆえの改修費という課題
しかしすぐに事が運んだわけではない。立ちはだかったのは、改修費という大きな壁だった。
築年数が100年を超える2棟の登録有形文化財は、長年大切に守られてきた一方で、老朽化が進んでいる箇所も多く、さらに広大な敷地を抱える建物。その改修には想像をはるかに超える費用が必要だった。
地域有志による優先株での出資をはじめ、地元企業や金融機関からの融資、立ち上げ支援なども受けながら少しずつ準備を進めてはいたものの、やはり補助金の活用は不可欠だった。ところが条件に見合う補助金がなかなか見つからず、構想から3年が経過。
そんななか2023年度、ついに「地域一体となった観光地・観光産業の再生・高付加価値化事業」に採択されることが決まり、改修工事がスタート。長かった道のりが、ようやく動き出した。
犬山の歴史と文化を五感で感じてもらえる工夫
名家の邸宅であった小島家住宅と真野家住宅は、上質な造りであることは想像がつくだろう。良材を使用していることから、建物の骨組みはほぼ変えることなくそのまま生かすことができたそうだ。
ほかにも壁や天井、建具など残せる部分は極力そのままにしたという。筆者も内部を見せてもらったが、たとえば欄間や襖の意匠ひとつとっても非常にしゃれていて、当時の豊かさと美意識の高さがうかがえた。
「今回の改修で大きく変えたことは、水回りを新設したこと。各部屋にお風呂をしつらえました。滞在中のバスタイムには、荵苳酒の原料を利用した「スイカズラの湯」を用意しています」(平山さん)
犬山の歴史と文化を宿泊客に五感で感じてもらえるような細やかな工夫が施されていた。
犬山独自の文化を堪能できるホテル「宿-SHUKU-」と日本料理店「古今」に
犬山は、古くは北側を流れる木曽川の水運を生かした貿易で栄え、交通と経済の要所として発展してきた。
人も含めさまざまなものが行き交い、よく言えば多様な文化が楽しめる活気のある場所だった。一方で雑多な文化が入り混じり、コレというものがなかったという。そのなかで犬山の文化と呼べるのが荵苳酒である。
そしてもうひとつが、茶の湯文化だ。国宝茶席三名席のひとつ「如庵」も犬山にあることはご存じの方も多いだろう。
犬山には茶の湯文化が早くから根付いており「犬山の人で、生け花、茶の湯の心得のない人は稀」ともいわれるほど盛んだったそう。小島家住宅・真野家住宅のどちらにも立派な茶室がある。
「小島家住宅には茶室と大きなお庭があります。昔は客人を招き、お庭の見えるお部屋でお茶を振る舞っていたのでしょう。そんな素晴らしい茶室とお庭、そして広い座敷を日本料理店としました。タイムスリップしたような静かな時間のなかで、おいしい日本料理をお楽しみいただきたいですね」(平山さん)
茶室は普段は使用していないが、今後はお茶会やギャラリーのように使っていく予定だという。
平山さんはこう語る。「食べ歩きやショッピングが楽しめる本町通りは、すでに観光地として完成されていると感じます。一方で、一本路地に入るとまだ人の流れが少ない。しかし感度の高いお店が少しずつ増えてきているんです。『宿-SHUKU-』をきっかけに、訪れた方が本町通り以外の道も歩いてみたり、犬山の町にもう少し長く滞在してみようと思ってくれたりしたらうれしいですね。犬山の文化や空気を、より深く味わってもらえたらと思います」
そして、町に暮らす人々についても、こう話してくれた。「犬山の人たちは、自分たちのまちに誇りを持っています。エリアが広いので全員が顔見知りというわけではないですが、ゆるやかに、でも確かなつながりがあるんです。『自分たちの町は自分たちで守る』という意識が根づいている。景観を守る条例がなくても、歴史ある町並みが保たれているのはその証しでしょう。これからも、お互いに助け合いながら、犬山らしさを未来につないでいけたらと思います」
長い歴史を刻んできた建物を、次の世代につなげていく。その難しさと向き合いながら、犬山の人々が丁寧に育ててきたこの取り組みは、地域文化を守る新たなモデルケースといえるだろう。
愛知県在住の筆者にとって犬山城下町は家族や友人と幾度となく訪れている場所だったが、あらためて犬山城下町の奥深さに魅了される取材となった。
取材協力:宿-SHUKU-
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