神戸の歴史や人々の生活・文化を伝える「神戸モダン建築祭」

2024年(令和6年)11月22日から24日までの3日間にわたり、「神戸モダン建築祭」が開催された。2023年(令和5年)に初めて開催され、2度目の開催となる。神戸モダン建築祭は期間中に普段立ち入りできない建築物がいっせいに公開され、中に入って見学ができるイベントである。三宮や港湾エリア、北野・山手エリアなどの中心市街地をはじめ、西部の兵庫区、東部の灘・東灘区、芦屋市や西宮市などでも建築物が公開された。

「神戸の建築物の特徴は、開港都市であることが背景になっている点です。そして明治〜大正期の近代建築、そして戦後〜高度経済成長期ごろの現代建築が多く残っており、これらを『モダン建築』と総称し『神戸モダン建築祭』と名付けています」と語るのは、神戸モダン建築祭の実行委員長を務めた一級建築士・松原 永季(まつばら えいき)さん。

もともと神戸の中心は、現在の兵庫区にある「兵庫津(ひょうごのつ)」と呼ばれた港と、その周辺の港町だった。江戸時代末期の開国の際、現在の神戸市中心部に「開港五港」のひとつとして新たな港が築かれる。明治時代以降、神戸市は国際港湾都市として大きく発展した。そうした経緯から、神戸市中心部には明治〜昭和戦前期までの近代建築、昭和戦後期以降の現代建築といった「モダン建築」が多いという。

松原さんは「2022年(令和4年)に京都市で『京都モダン建築祭』が開催され、その後も毎年開催されています。京都モダン建築祭の実行委員長が、京都工芸繊維大学の笠原 一人(かさはら かずと)准教授。笠原先生は建築史家であり、神戸市の出身・在住であることから、神戸でも同様の建築祭の開催を提唱したことが、神戸モダン建築祭開催のきっかけでした」と振り返る。

松原さんは大学時代に建築史を専攻し、その後は1級建築士として活躍。さらに神戸のまちづくりにも積極的に関わってきた。松原さんと笠原准教授はもともと知り合いであったことに加え、松原さんが前述のような経歴を持つことから、神戸モダン建築祭の実行委員長を打診したのである。笠原准教授はほかの実行委員にも声をかけ、2023年に第1回の神戸モダン建築祭の開催に至った。

2024年 神戸モダン建築祭のパンフレット2024年 神戸モダン建築祭のパンフレット

「神戸モダン建築祭で建築物を見学する際、感じてほしいのは外観や内部といった建物そのものだけではありません。それぞれの建物に蓄積されてきた、建物に関わる人たちの生活や文化を建物を通じて感じてもらうことが、神戸モダン建築祭の大きな目的です」と松原さんは語る。

神戸は開港以来、国際港湾都市として発展してきた。そのため港湾エリアには港の機能に関わる建物がある。現役のものもあれば、用途が変遷したものもある。神戸税関をはじめ、残されているものには公的な施設が多いのも神戸の特徴だ。そして開港したことで多くの外国人が神戸にやってきた。外国の人たちが暮らした北野エリアの異人館も、同じ人が住んでいるわけではなく、さまざまな人から人へ受け継がれてきている。

ガイドツアーが開催された「湊川隧道(みなとがわ ずいどう)」は、日本初の河川トンネルだった。天井川で交通の妨げとなり、水害の原因にもなっていた湊川の付け替えでつくられた、山の下を潜るトンネルである。「湊川隧道は、貴重な近代土木遺産として価値があります。建築だけでなく土木技術にも注目してほしいですね」と松原さん。

さらに松原さんは「神戸モダン建築祭でもうひとつ注目してほしいポイントは、災害と復興の歴史です。1995年(平成7年)に神戸は阪神・淡路大震災で大きな被害が出ました。災害からの復興にはさまざまな建築・土木技術が必須です。また震災以外にも神戸は幾多の水害を受けています。戦災もありました。建築物を通じ、さまざまな災害からの復興の歴史、それに携わってきた人々の努力と苦労を感じてほしいです」と話す。

第2回となった神戸モダン建築祭では、対象エリアを拡大した。中心部から西にあたる兵庫区では明治時代に兵庫運河が築造され、やがて貯木場となり製材所や工場群が立ち並んだ。近代産業を支える「ものづくり街」として、神戸の別の側面が見られる。いっぽう中心部から東のエリアは、大阪から神戸のあいだに生まれた「阪神間モダニズム」を感じられるのが特徴。このエリアには経済界で活躍した実業家が多く居住した。成功を収めた実業家たちは、絵画など芸術・文化的な活動への支援に力を入れたという。松原さんは「今後は阪神間の建築物の企画にも力を入れていきたいですね」と抱負を述べた。

2024年 神戸モダン建築祭のパンフレット2024年の神戸モダン建築祭で実行委員長を務めた、一級建築士の松原 永季さん。有限会社スタヂオ・カタリスト 設立者・代表取締役、NPO法人神戸まちづくり研究所 理事長。阪神・淡路大震災の復興まちづくりに取り組み、現在も積極的にまちづくりに関わる。神戸市長田区「ひがっしょ路地のまちづくり計画」で、2014年関西まちづくり賞、日本都市計画学会賞(計画設計賞)受賞(提供:松原 永季)

国際港湾都市としての特徴が残る「三宮・元町・港湾エリア」

神戸市の中心市街地にあたる三宮・元町エリア。繁華街の「三宮センター街」や、中華街の「南京町」などで知られている。そしてそのすぐ南側の海沿いのエリアが港湾エリアだ。幕末の開港以来、国際港湾都市として発展してきた神戸市。三宮・元町・港湾エリアには倉庫や貿易関連施設として建てられた、港湾都市ならではの魅力ある建築物が多いのが特徴だ。

KIITO(きいと)」の愛称で親しまれる「デザイン・クリエイティブセンター神戸」は、神戸市立生糸検査所と国立生糸検査所という二つの異なる建物を組み合わせた、めずらしい建築物。KIITOの愛称も生糸に由来する。建築祭では、かつて使用されていたエレベーターの昇降機機工が公開された。現在のエレベーターではこの昇降機機工は使用されていないが、稼働時のままの状態で保存されている。

また現行エレベーターの出入口扉周辺や階数表示灯まわりの装飾も昔のままだという。ほかにも1階の北玄関も公開された。北玄関のフロアタイルや取っ手部分は昔のままの状態で残されている。

KIITOの道路を挟んで西向かいに佇むのは「神戸税関」。現在の建物は1927年(昭和2年)に建てられ、今も現役の税関として使用されている。まるでヨーロッパの神殿を彷彿とさせるような、巨大でレトロな建築物だ。神戸税関は、近代以降に国際港湾都市として発展した神戸を象徴する建物といえる。

「KIITO(きいと)」の愛称で親しまれる「デザイン・クリエイティブセンター神戸」。【左上】モダンなデザインが残る外観【右上】1階北玄関はフロアタイルや手すり部分は昔のまま使われている【左下】普段非公開のエレベーターの昇降機機工。現在は使用されていないが、そのままの状態で保管されている【右下】現在稼働するエレベーター出入口。ドアまわりの装飾や階数表示の装飾は昔のまま「KIITO(きいと)」の愛称で親しまれる「デザイン・クリエイティブセンター神戸」。【左上】モダンなデザインが残る外観【右上】1階北玄関はフロアタイルや手すり部分は昔のまま使われている【左下】普段非公開のエレベーターの昇降機機工。現在は使用されていないが、そのままの状態で保管されている【右下】現在稼働するエレベーター出入口。ドアまわりの装飾や階数表示の装飾は昔のまま
「KIITO(きいと)」の愛称で親しまれる「デザイン・クリエイティブセンター神戸」。【左上】モダンなデザインが残る外観【右上】1階北玄関はフロアタイルや手すり部分は昔のまま使われている【左下】普段非公開のエレベーターの昇降機機工。現在は使用されていないが、そのままの状態で保管されている【右下】現在稼働するエレベーター出入口。ドアまわりの装飾や階数表示の装飾は昔のまま神戸税関は1927年(昭和2年)竣工時のモダンな建築物。今も現役で税関として使用されている

KIITOの南隣にあるのが「新港貿易会館」。1930年(昭和5年)に港湾関係者の事務所を集約した「新港相互館」というオフィスビルとして建てられた。そのため建物全体のデザインは船をモチーフにしているという。しなやかさのある曲面が印象的な外観や、アールデコ調のデザインは船をイメージしているため。特徴的な丸い窓も船のイメージだろう。

また館内の1階2ヶ所と4階にステンドグラスが設置されている。幾何学模様がデザインされたカラフルなステンドグラスも、船をモチーフにしているという。光を通したステンドグラスは、見とれるほど美しい。

湾岸エリアと三宮駅との中間あたりにあるのが「高砂ビル」。周辺はかつて外国人の居留地があった「旧居留地」と呼ばれるところである。高砂ビルは1949年(昭和24年)に港の倉庫・事務所用ビルとして建てられた。やがて倉庫としての役目を終えたが、1970年代に商業ビルとして生まれ変わる。現在でいう「リノベーション」の先駆的な建物である。

特徴は、ほとんどの部屋にロフトが設置されていること。設計者がテナントの利用時の利便性を考えて設置したという。現役で使われており、多目的ホールや喫茶店などが入居して営業している。また高砂ビルは、北野武監督の映画『アウトレイジ』のロケ地の一つにもなった。4階にはアウトレイジの資料館もある。

「KIITO(きいと)」の愛称で親しまれる「デザイン・クリエイティブセンター神戸」。【左上】モダンなデザインが残る外観【右上】1階北玄関はフロアタイルや手すり部分は昔のまま使われている【左下】普段非公開のエレベーターの昇降機機工。現在は使用されていないが、そのままの状態で保管されている【右下】現在稼働するエレベーター出入口。ドアまわりの装飾や階数表示の装飾は昔のまま1930年(昭和5年)に港湾関係者のオフィスビルとして建てられた「新港貿易会館」【左上】船をモチーフとしたデザインの外観【右上】4階の窓にあるステンドグラス。丸い形は船の窓をイメージし、ステンドグラスのデザインも船がモチーフ【左下】1階廊下の奥にあるステンドグラス。これも船がモチーフとなっている【右下】入口の扉上部にある船をモチーフとしたステンドグラス
「KIITO(きいと)」の愛称で親しまれる「デザイン・クリエイティブセンター神戸」。【左上】モダンなデザインが残る外観【右上】1階北玄関はフロアタイルや手すり部分は昔のまま使われている【左下】普段非公開のエレベーターの昇降機機工。現在は使用されていないが、そのままの状態で保管されている【右下】現在稼働するエレベーター出入口。ドアまわりの装飾や階数表示の装飾は昔のまま【左上】旧居留地エリアにある「高砂ビル」はもともと倉庫・事務所用のビルだった【右上】各部屋にはロフトが設置されているのが高砂ビルの特徴【左下】廊下や階段、壁などに昔の雰囲気が色濃く残る【右下】4階にはロケ地として使用された映画『アウトレイジ』に関する展示室がある

洋館が多く残る異人館街「北野・山手エリア」

神戸の中心市街地の北、六甲山系の山麓にあたる北野・山手エリア。異国情緒あふれる異人館街で知られ、神戸を代表する観光エリアのひとつだ。幕末の開港を機に多くの外国人が神戸を訪れ、住まいを構えた。北野・山手エリアには明治から大正時代に建てられた洋風の建築物が現在も多く残っている。神戸モダン建築祭では北野・山手エリアでも多くの建築物が見学できた。

シュウエケ邸」は北野のメインストリートといえる「山本通」にあり、北野エリアを代表する異人館である。1896年(明治29年)に建築家のアレクサンダー・ネルソン・ハンセルの自邸として建設されたもので、設計もハンセル自身が行った。現在もシュウエケ氏の自宅として使用されている。

建築祭では1階と庭を開放。建物はゴシックを基調とするコロニアルスタイルの洋館だが、屋根にシャチホコがあったり、壁に菊の花の紋があったりするなど、遊び心を感じさせる。また庭には松や灯籠があるなど、和と洋が混じった邸宅で、ハンセルの日本文化への関心の高さがうかがえる。


北野町の異人館街を東西に貫く「山本通」北野町の異人館街を東西に貫く「山本通」
北野町の異人館街を東西に貫く「山本通」【左上】異人館街を代表する建築の一つ「シュウエケ邸」【右上】:庭には松や灯籠などがあり、和の雰囲気も感じさせる【左下】屋根にはシャチホコがあるなど、和洋折衷のおもしろい造り【右下】シュウエケ邸は現在も自宅として使用されており、庭と1階部分が公開されている

中華民國留日神戸華僑總會(ちゅうかみんこく りゅうにち こうべ かきょう そうかい)」は、シュウエケ邸と同じく山本通に面する。最初は明治42年(1909年)にドイツ人実業家の邸宅として建てられたとされている。大規模な改修がされなかったため、明治時代当時の面影が今も残る。

昭和24年(1949年)より、兵庫県在住の台湾系華僑らによって組織される中華民国留日神戸華僑総会が拠点として使用している。長く一般には非公開であったが、第1回目の神戸モダン建築祭から特別に公開された。建物は石垣の上に建つコロニアル様式の木造2階建ての洋館で、白い外壁が印象的だ。広いバルコニーには柔らかな日差しが降り注ぎ、当時の人たちが談笑していた姿が思い浮かぶ。

シュウエケ邸や中華民國留日神戸華僑總會などと同じ山本通に建つのが「ローズガーデン」。昭和52年(1977年)に竣工した商業ビルだ。設計したのは安藤 忠雄(あんどう ただお)。ローズガーデンは、安藤が初めて手がけた商業建築である。建築祭では最上階の旧バーの内部が見学できた。

安藤は、異人館などが建ち並ぶ北野の良さが失われるのを危惧したという。そして北野らしさを残すため、弟とローズガーデンの建物の所有者とともに、北野らしさを感じさせる商業ビルの建設を企画した。ローズガーデンの外観は赤レンガ風で、異人館街の雰囲気に調和するようにしている。ローズガーデンは2棟からなり、2棟の間に中広場を設置。その2棟の高さをずらすことで、互いの棟の様子が見渡せるようにし、自然と交流が生まれる工夫をしている。

これらの工夫は、ローズガーデンが異人館街にあるため、商業施設であるが住宅のような要素を入れたのだという。なおローズガーデンが建てられたのと同じ年、偶然にも異人館街がドラマの舞台になったことで、北野エリアが注目されるようになり観光地となった。

北野町の異人館街を東西に貫く「山本通」【左上】中華民國留日神戸華僑總會は最初はドイツ人実業家の自邸だった【右上】レトロな雰囲気が残るバルコニー【左下】2階の大広間【右下】大規模な改修がなかったため、明治時代の面影が今も残る
北野町の異人館街を東西に貫く「山本通」商業施設としては安藤忠雄の初の設計となった「ローズガーデン」。【左上】異人館街の雰囲気に溶けこむような赤レンガの外観。【右上】建築祭で公開された4階の元バー。野球選手のバースやクロマティも現役時代に来店したという。【左下】2棟のあいだに設けた中庭を中心に階段が設置されている。【右下】2棟の高さをずらしていることで、双方の様子がわかりやすくなっており、交流を生みやすくしている

震災復興の象徴「神戸栄光教会」と華やかな昭和の社交場「クラブ月世界」

北野・山本通沿いには「神戸バプテスト教会」も建っている。もともとここには、神戸を代表する洋画家だった小磯 良平(こいそ りょうへい)の自宅が建っていた。1952年(昭和27年)にその敷地を譲り受けて建てられたのが、神戸バプテスト教会である。

米国南部コロニアルスタイルの建物で、装飾が少ない簡素で明るい印象のデザインが特徴。設計は米国南部バプテスト連盟・日曜学校委員会で、同じ時期に日本各地に同じ様式の教会が建てられた。教会としては規模が小さいが、地域に根ざした教会として現在も親しまれている。

北野エリアの南西、兵庫県庁のすぐそばに建つのが「日本基督教団 神戸栄光教会」である。1922年(大正11年)に建てられた大きな教会だが、1995年(平成7年)1月の阪神・淡路大震災で全壊。しかし2004年(平成16年)に再建された。以来、震災からの神戸復興のシンボル的建築物として市民に親しまれている。

被災前はレンガ造であったが、バリアフリーの鉄筋コンクリート造になって生まれ変わった。赤レンガ風のレトロな外観が印象的で、これは全壊前の外観を踏襲したもの。いっぽう内部は大きく変更され、白い壁面やペンダントライトなどにより華やかで明るい印象になっている。

【左上】シンプルで明るい印象の外観が特徴の「神戸バプテスト教会」【右上】神戸バプテスト教会は、地元に根付いた小さな教会だ【左下】礼拝堂内の様子【右下】礼拝堂内にある祭壇【左上】シンプルで明るい印象の外観が特徴の「神戸バプテスト教会」【右上】神戸バプテスト教会は、地元に根付いた小さな教会だ【左下】礼拝堂内の様子【右下】礼拝堂内にある祭壇
【左上】シンプルで明るい印象の外観が特徴の「神戸バプテスト教会」【右上】神戸バプテスト教会は、地元に根付いた小さな教会だ【左下】礼拝堂内の様子【右下】礼拝堂内にある祭壇震災からの復興の象徴となった「神戸栄光教会」【左上】倒壊前の赤レンガ風の外観を踏襲している【右上】2階の小礼拝堂は震災記念礼拝堂となっており、倒壊後に搬出されたオルガン・説教台・聖餐台・十字架・長椅子などが使用されている【左下】広々とした礼拝堂は再建時に新たに設計された【右 下】新しい礼拝堂は白い壁面やペンダントライト、パイプオルガンなどが特徴

三宮駅の北側、北野エリアに向かう途中には生田神社(いくたじんじゃ)がある。そのすぐ東側は「東門街(ひがしもんがい)」と呼ばれる、神戸有数の繁華街となっている。その東門街にある「クラブ月世界(げっせかい)」は、1969年(昭和44年)に会員制キャバレーとしてオープンした。今はさまざまエンターテインメントを提供するライブイベントホールとして、現役で営業している。

中に一歩足を踏み入れると、昭和時代にタイプスリップしたかのよう。きらびやかなシャンデリア、艶っぽい照明、昭和レトロなデザインの客席など、1970年代の豪華絢爛な雰囲気が濃厚に感じられる。昔ながらのキャバレーは全国でも減少しているため、華やかな大人の社交場としての雰囲気を残すクラブ月世界は、貴重な文化遺産といえる。

【左上】シンプルで明るい印象の外観が特徴の「神戸バプテスト教会」【右上】神戸バプテスト教会は、地元に根付いた小さな教会だ【左下】礼拝堂内の様子【右下】礼拝堂内にある祭壇東門街にある「クラブ月世界」の外観
【左上】シンプルで明るい印象の外観が特徴の「神戸バプテスト教会」【右上】神戸バプテスト教会は、地元に根付いた小さな教会だ【左下】礼拝堂内の様子【右下】礼拝堂内にある祭壇【左上】現在も昭和時代の雰囲気が残る外観【右上】2階席では目の前にきらびやかな巨大シャンデリアが見える【左下】1階中央にあるステージは、月世界のロゴマークのネオンが印象的【右下】ステージと客席の様子。華やかだった昭和の時代にタイムスリップしたかのような雰囲気

歴史ある港町で、近代のものづくりを支えた「兵庫津」

三宮などの神戸中心市街地の西側にあたる兵庫区。幕末の開港以前は、兵庫津(ひょうごのつ)と呼ばれた港町が栄えていた。古くは大輪田泊(おおわだのとまり)と呼ばれ、古代から続く長い歴史がある。

明治時代になると兵庫運河が整備され、やがて輸入した木材を保管する貯木場としても利用される。周辺には材木商や製材所などの町工場が増え、地域の近代産業を支えるものづくりの街となった。2022年(令和4年)には兵庫津の歴史を伝え、魅力を発信する施設「兵庫県立 兵庫津ミュージアム」が開館している。

兵庫県立兵庫津ミュージアムの「ひょうごはじまり館」。兵庫津の歴史のほか、現在の兵庫県を構成する5国(摂津・播磨・淡路・但馬・丹波)の歴史や魅力を伝える展示を行う兵庫県立兵庫津ミュージアムの「ひょうごはじまり館」。兵庫津の歴史のほか、現在の兵庫県を構成する5国(摂津・播磨・淡路・但馬・丹波)の歴史や魅力を伝える展示を行う
兵庫県立兵庫津ミュージアムの「ひょうごはじまり館」。兵庫津の歴史のほか、現在の兵庫県を構成する5国(摂津・播磨・淡路・但馬・丹波)の歴史や魅力を伝える展示を行う兵庫県立兵庫津ミュージアムの「初代県庁館」。はじまり館の西側にあり、慶応4(1868)年の兵庫県設置時に県庁が置かれた、旧大坂町奉行所兵庫勤番所を復元した施設だ

兵庫区にある「小池加工所」は戦後すぐから70年以上稼働した材木加工所。2024年(令和6年)からは「現代のものづくりの拠点」として、建築家や木工作家・クリエイティブディレクターらのアトリエとして利用されている。木材加工の機械や機能はそのまま残しながら、木材と連携した新たな場づくりを模索する施設として生まれ変わった。

木造のトラス構造と鉄骨のトラス構造、現代のリノベーションが重なるようになった建物は、ものづくりの地域の歴史が感じられるユニークさが特徴である。

兵庫県立兵庫津ミュージアムの「ひょうごはじまり館」。兵庫津の歴史のほか、現在の兵庫県を構成する5国(摂津・播磨・淡路・但馬・丹波)の歴史や魅力を伝える展示を行う兵庫津周辺には明治以降、製材所や町工場が多く建ち並んだ。かつて製材所だった「小池加工所」は、建築家や木工作家・クリエイティブディレクターらのアトリエになり「現代のものづくりの拠点」として活用されている
兵庫県立兵庫津ミュージアムの「ひょうごはじまり館」。兵庫津の歴史のほか、現在の兵庫県を構成する5国(摂津・播磨・淡路・但馬・丹波)の歴史や魅力を伝える展示を行う現在の兵庫運河の様子。写真は兵庫運河に設置されている大輪田水門

建築を通じた交流が生まれることで、神戸の建築文化の向上につながる

「神戸には独自の歴史があり、そこで生活してきた人たちの暮らしや文化が蓄積されてきました。建築物を見れば、神戸の歴史や生活・文化が建物を通じて伝わってくると思います。その体験を通じて、歴史ある建築物を後世に残していきたいという思いに共感していただける方が増えれば幸いですね」と松原さんは話す。

建築祭を終えて、予想以上に大きな反響があったのがクラブ月世界だったという。「これまでキャバレーのようなものは、正当な建築の歴史の対象にされにくかった側面があります。しかしキャバレーだって、神戸に暮らす人々にとって生活・文化の一部です。大人の社交場として重要な立ち位置にありました。今回、月世界のように建築の歴史から見逃される傾向があった建築物にも焦点が当たられたのは大きかったですね」と松原さん。

北野異人館街にあるシュウエケ邸は、幕末の開港以降に国際港湾都市として発展し多くの外国人が訪れた歴史がわかる、神戸らしさを感じさせる建築物北野異人館街にあるシュウエケ邸は、幕末の開港以降に国際港湾都市として発展し多くの外国人が訪れた歴史がわかる、神戸らしさを感じさせる建築物
北野異人館街にあるシュウエケ邸は、幕末の開港以降に国際港湾都市として発展し多くの外国人が訪れた歴史がわかる、神戸らしさを感じさせる建築物「クラブ月世界」のような昭和の大衆の文化が伝わる建築物も大切な建築遺産といえる

松原さんは神戸モダン建築祭を振り返り「多くの建物のオーナーの方々も、私たちの考えに賛同していただけました。実際に公開してみて、建物のオーナーの方から『見学者の方がとても喜んでくれた』『見学者の方と話すことは、普段はできない体験なので、公開してよかった』といった前向きな感想をいただいております。また受付などのスタッフからも、見学者から感謝の声を多くいただいたと話しております。主催側としても、とてもうれしいことですね。前回も今回も良い手応えを感じています。『建築を通じた交流』が生まれていると感じており、今後の神戸の建築文化の向上につながるのではないでしょうか」と話す。

「私の師が話した言葉に『建築は記憶の器』というものがあります。記憶は人間の根本ですから建築物を残すことは、そこに暮らしてきた人のアイデンティティーを支えることであり、ひいては都市のアイデンティティーを継承していくことにつながると考えています。建築祭は都市のアイデンティティーを引き継ぐための重要な事業と捉え、今後もぜひ開催をしていきたいです」と松原さんは語った。


取材協力:
神戸モダン建築祭 実行委員会
https://kobe.kenchikusai.jp/

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