祇園祭の宵山期間中、長江家住宅の所蔵品を公開する「屏風祭」

京都が祇園祭一色に染まる7月。
10日ごろから通りに山や鉾が建てられると、ところどころで交通規制が行われ、コンチキチンのお囃子の音色が祭りのムードを盛り上げる。前祭(さきまつり)のハイライトとなる17日の山鉾巡行を前にした14日~16日の宵山期間には、各山鉾町で粽やグッズが販売され、夜遅くまでにぎわうのが、夏の京都のおなじみの風景である。

宵山でそぞろ歩きを楽しんでいると、時折、美術品を飾っている家があることに気づくだろう。これが「屏風祭」だ。そもそも祇園祭の山鉾は、歴史的に価値の高い織物などで彩られ、「動く美術館」とも言われるが、この屏風祭は京都の旧家が代々大切にしてきた屏風などの美術品を、通りを歩いている人からも見えるように展示する催し。現在でも20ケ所ほどで行われていると言われている。今回紹介する「長江家住宅」でも、毎年この屏風祭を実施している。

《琴棋書画之図屏風》岸連山 江戸時代初期 六曲一双 提供:フ―ジャースホールディングス《琴棋書画之図屏風》岸連山 江戸時代初期 六曲一双 提供:フ―ジャースホールディングス

長江家とフージャース、立命館大学とが話し合いを重ね、土地家屋と所蔵品を別々に継承

景観を守る取り組みに積極的な京都といえど、街中に立ち並ぶビルやマンションは「増えている」というのが生活者の実感だ。

京都にいると「〇〇〇が取り壊されるらしい」という話を年に数回は耳にする。老朽化や継承者不足の問題もあるが、地価が高騰している昨今では京都の中心部にある程度の広さの土地があれば、さまざまな活用が検討されるのは当然のことだ。それぞれの事情で、新しい建物に生まれ変わり、街並みは変わっていく。「京都らしい風情」は時代の波にもまれながら各地に点在している京町家がなんとか維持してくれているといってもよいだろう。

長江家住宅。祇園祭ではこの前に「船鉾」が建つ。 提供:長江家住宅、撮影:KKPO浜田昌樹長江家住宅。祇園祭ではこの前に「船鉾」が建つ。 提供:長江家住宅、撮影:KKPO浜田昌樹

歴史ある建物が失われてしまえば、暮らしの文化までも失われてしまう。このことは大きな損失。それを回避し、建物と、建物が抱える歴史や文化ごと次世代に残そうとしているのがこの長江家住宅だ。

長江家住宅は、2015年に土地家屋を不動産事業を営むフージャースグループ(以下、フージャース)に、蔵などに残っていた所蔵品を立命館大学に引き継ぐ形をとった。これは、数年に及び、長江家とフージャース、立命館大学とが話し合いを重ね、方向性を一つにして実現した画期的な取り組みだ。
(※詳しくは「祇園祭の山鉾町の京町家「長江家住宅」。東京の民間事業者が受け継ぎ、次世代につなぐ取組みとは」

江戸時代から京都で呉服を商い、祇園祭にも携わった長江家

長江家住宅があるのは、四条通という大通りから少し入った「新町通仏光寺上ル船鉾町」。
住所からもわかるように長江家の前には前祭の「船鉾」が建つ。長江家当主が船鉾保存会の理事を務めていたこともあった。
船鉾は、船の形をした鉾で、舳先に金色の鷁(げき)が輝き、唐破風入母屋造りの屋根をそなえている。取材に訪れた14日はあいにくの雨で、鉾の装飾にはビニールがかけられていたが、堂々とした鉾の姿からは船鉾の歴史と祇園祭の熱気を感じさせた。

長江家の歴史を振り返ろう。代々呉服商を営んでいた長江家の3代目・大阪屋伊助がこの場所に居を構えたのは江戸時代後半の文政5年(1822年)とされる。
すぐに時代は幕末の混乱期となり、禁門の変(1864年)の影響で建物を失うが、慶応4年(1868年)に主屋を再建。これが現在の北棟である。さらに明治8年(1875年)に蔵を移築し、隣接地に現在の南棟にあたる建物を建築。2005年に北棟(昭和後期に改装されていた内装を除く)、南棟、離れ座敷、化粧部屋、土蔵2棟が「京都市指定有形文化財」に指定された。現在はフージャースが一部を京都支店のオフィスとして利用している。

建物内に入って表屋造りを体感する屏風祭の見学スタイル

長江家住宅の屏風祭は通りから美術品を見るのではなく、建物の中に入って、空間そのものとともに見学するスタイル。伝統的な職住一体の「表屋造り」を体感する貴重な機会だ。長江家の一般公開は、この屏風祭の時期のみ。開始時刻の10時になると、続々と人が押し寄せた。

毎年屏風祭にはテーマを設けているが、今年は「平安文学」を題材に約25点を展示した。江戸時代の屏風や掛け軸など、長江家が受け継いできたもののほか、町内の家からこの日のために借用した「源氏物語図屏風」も展示された。

《源氏物語図屏風》作者不明 昭和時代初期 六曲一隻 写真提供:フージャースホールディングス《源氏物語図屏風》作者不明 昭和時代初期 六曲一隻 写真提供:フージャースホールディングス

屏風祭は立命館の学生たちの学びの場にも

見学者の応対をするのは、フージャースのスタッフと立命館大学の学生たちだ。
立命館大学では、学部と大学院とで屏風祭の企画運営を補助する授業が実施されていて、今年は長江家の所蔵品と「平安文学」とのかかわりをひもとき、作品の解説プレートを制作するなどした。

「現代語訳も参考にしながら古文を読んで源氏物語と嵐山のゆかりをマップにまとめました。普段の暮らしとは違う、長江家の空間にいるだけでも学びになります」
「源氏物語で登場するようなシーンが屏風に描かれていたりして、当時の生活がこういうところに見える!と発見することができました」との学生の声も聞かれ、さまざまな学びの場となっている。

この学生参加の取り組みについて、フージャースは、
「2015年に産学連携で引き継いだ当初から、長江家を通して学生に学びの機会を提供することを目的としていました。学生に学びの場として活用してもらっていることはもちろんですが、長江家に内在する住まい方のハード・ソフト両面の情報を集積し公開するデジタルアーカイブ研究やSNSによる情報発信など、若い学生ならではの視点での活動が、歴史や文化の継承につながっています。これからも、それぞれの視点を共有できる良さを活かして協力していきたいと考えております」と企画総務部の横山さんはいう。

長江家にある屏風には歴史と文化が読み取れる長江家にある屏風には歴史と文化が読み取れる

長江家の空間だけではなく、「暮らし」の文化も引継ぎ大切に

屏風や掛け軸のほか、呉服を扱っていた長江家らしく着物の図案帖や算盤(そろばん)や臺帖(だいちょう)などが置かれた番台机も展示されていた。この地で営まれた暮らしを垣間見ることもできる。

「何か新しいことに挑戦するということも大切ですが、長江さんが大事にしてきたものを、この先も、ずっと同じように続けることも大切だと思っています」とは、2011年頃から長江家に関わってきたフージャースの髙木良枝さん。

さまざまな方法を模索し、企業と大学が得意分野を活かし、地域に溶け込みながら継承する長江家住宅。たくさんの人が訪れ、活気に満ちた屏風祭の様子を目の当たりにすると、かつて呉服商としてにぎわった日々が甦るようだ。時代が変わって、利用法が変わっても、多くの人たちがこの歴史に触れることには、大きな意義があるに違いない。

長江家らしく着物の図案帖や算盤や臺帖などが置かれた番台机長江家らしく着物の図案帖や算盤や臺帖などが置かれた番台机
長江家らしく着物の図案帖や算盤や臺帖などが置かれた番台机当時の商売の様子がみえる数々のものも展示された

■取材協力
長江家住宅 http://www.nagaeke.jp/
立命館大学 長江家住宅デジタル・ミュージアム
https://www.arc.ritsumei.ac.jp/lib/vm/gionfestivalDM/cat9/d/

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