大阪出身で防衛大卒の元自衛官、大工、たこ焼き屋という経歴の人物が三原市に移住
広島と岡山の中間に位置する広島県三原市は、海にも山にも恵まれた自然豊かな土地だ。中心部にあるJR三原駅は新幹線と在来線が通り、広島空港にもアクセスが良い。瀬戸内海に開けた港のある同駅南部は繁華街としてにぎわう一方で、北側には落ち着いた住宅街が広がっている。
これは「本町西国街道地区」と呼ばれるエリアで、戦国時代に築城された「三原城」の城下町としてかつては栄えた。歴史的建造物や寺社が多く残されている一方で、近年は空き家の増加や人口減少が課題となっている。
このエリアで、空き家を活用した街づくりに挑む移住者がいる。
大阪出身で、防衛大出身の元自衛官、そして現在は大工というユニークな経歴を持つ四方(しかた)諒さんだ。
しかも今は、自分で改修した古民家でたこ焼き屋「たこくん」とゲストハウスも経営している。
実は、筆者と四方さんは高校時代の同級生。彼より1年遅れて広島に移住した私は「なんかおもろいことしようとしてるわ」と直感し、インタビューをさせてもらうことにした。
「足場を固めてから人を助ける」人生観ができた防衛大時代
そもそもなぜ、大工となり、三原に移住しようと思ったのか。異色ともいえる彼の歩みを説明するには、高校卒業後から語ってもらう必要がありそうだ。
「高校時代、遊びに遊んだ結果、目指してたかもわからん大学に落ちてしまいました。浪人することになり、寮生活を送りながら北九州の予備校で学ぶことにしたんです。そこには子どもの頃から医者を目指している人がたくさんいて、目もくれずに勉強している姿が『めっちゃ格好いいな』と感じました。自分も格好いい人間になりたい、人の役に立つ人間になりたいと思って、防衛大学校に進みました」
防衛大とは、将来の幹部自衛官となる人を教育・訓練する防衛省の教育機関だ。国防を担う人材を育てる機関とあって、非常に厳しいことで有名。特に、1年生を取りまとめるリーダーに選ばれた四方さんは、上級生から徹底的な指導を受けることになる。
同期約40人がおかしたミスのすべてが四方さんの責任となり、日々きつく叱責される「地獄」のような日々が続いた。責任感が強かった四方さんは、他人に頼ることも仕事を振り分けることもできず、「俺がやらなきゃ」と自分を追い詰め、心の調子を崩してゆく。
「本気で、もう辞めようと思いました。でも、同期や家族に支えられて、なんとか踏ん張ることができました。助けてくれる人がいたんです。この時に、まずは自分の足場を固めてから人を助けられる人間になろう、と思いました。自分を犠牲にしてでも手を差し伸べ続けたら、僕がつぶれてしまう。防衛大時代に、僕の人生観も経営者としての考え方もかたまったと言えますね」
その後、周囲に頼ることも学びながら防衛大を卒業。航空自衛隊に入るが、四方さんの胸中にはある違和感が無視できないほどふくらんでいた。
「自衛隊では法律の下、ポジティブリストといって『やっていいこと』が決められています。『やってはいけないこと』が定められている場合に比べて、行動が明らかに制約されているんです」
極端な例を挙げるとすれば、川を挟んだ対岸に助けを求めている人がいたとしても、「こちら側の救助」が命じられていれば、救出に向かうことができないという。実際の現場では助けに行くと思われるが、「建前」としてはこういう考え方をするそうだ。
「僕はこれに納得できなかったんです。だから、大工になろうかと」
話の飛躍に怪訝な顔をすると、四方さんは笑いながら理由を説明してくれた。
自衛官から大工に転身。理想のまちづくりに出会う
「これはもうシンプルで、日本で災害があった時、からだ一つで人の役に立つことができると思ったからですね。家を失って困っている人のために家を建てて、直接的に誰かのために働けるな、と」
浪人時代から、「人の役に立ちたい」という思いが貫かれている。そして、自衛官から大工に転向した。仕事で各地に出向くうちに、栃木県で「理想のまちづくり」に出会う。
「個性的なカフェが一軒できたことをきっかけに若い人がどんどん集まって、個人商店が並ぶ小さなエリアができあがっていたんです。これええなあ、俺も『しかタウン』作りたいなあ、と思って」
苗字の四方と、「街」を意味するタウンを掛け合わせて、「しかタウン」。大阪人らしいダジャレで表現した彼の理想は、自身が大工として携わった喫茶店や美容院、書店が集まった小さな街をつくり、暮らすこと。「自分がちょっと関わったお店で毎朝コーヒー飲みたいな、と。そんなレベルから街づくりに興味を持ち始めました」
夢をあたためる中で、空き家をリノベーションする意義にも気が付く。「生計を立てるために不動産投資をはじめようにも、最初はお金がなかったんです。それで、栃木の空き家を買って自分でリノベーションをしていたら、通りがかった人からめっちゃ声を掛けられるんですよ。すごいきれいになったね、って」
総務省の「住宅・土地統計調査」によると、人が居住していないいわゆる「空き家」は、1998年からの20年間で182万戸から347万戸へと倍増した。今後も急速に増えていくと予想されている。
手つかずの空き家が街の景観を損ねている場合もあるだろう。それらを改修することで地域の人を幸せにすることができるのならば、「めっちゃ社会的意義があるなあと思いました」。自分の心がときめく方へと歩を進める四方さんだが、これからどんどん空き家が増える時代に、自らの技術で社会に貢献したいという情熱も内に秘める。
空き家の利活用を通じた街づくり。そのフィールドに選んだのが、広島県三原市だった。決め手は、古民家を活用したデイサービスを運営する人や、地域に根付いた活動をしているデザインチームなど、刺激的な同世代に出会えたこと。「若い人が集まりつつある」ことに、ポテンシャルを見出した。
自分で空き家を改修し、たこ焼き屋と大工の事業を開始。この街の「ファーストペンギン」に
地域おこし協力隊として2022年3月に移住し、翌年には築90年の物件を購入した。「しかタウン」構想の初の拠点は、三原駅から徒歩約7分で、庭も含めると200m2はある大きな古民家だった。
この空き家を活用して四方さん自らが事業をはじめ、個人商店の「ファーストペンギン(※餌をとるために、最初に海に飛び込むペンギンのことで、勇気をもって実行する先駆者のたとえ)」になることが狙いだ。購入した物件の周辺で空き家を活用した事例はほとんどなかったため、四方さん自らが先陣を切ることで参入のハードルを下げたいと考えた。
購入した物件は交通アクセスもよく、建築物としても立派で申し分なかった。だが、売り出し価格の3分の1にあたる100万円で買い取ることができた。なぜ、そんなに安く手に入れられたのか?
「床が傾いてるから、誰も買わない。僕みたいに自分で内装業ができる人じゃないと、手を出しにくい物件だったんです」
私も購入後まもなく物件を見学させてもらったが、玄関を入ってすぐの廊下が傾いていて、左手の風呂場へからだが持っていかれそうだった。この改修を専門業者に依頼すれば数百万円はかかるとみられ、確かに新規参入者にはリスクが高い。だけど、大工の四方さんならば、自分の手で直すことができる。
「一般の人は難しそうに感じるやろうけど、床の傾きを直すのは割と簡単なんですよ。一回全部抜いて、土台を敷き直せばいい。工事を自分ですることができるから、僕は空き家を買った時点で、確実に事業をはじめることができるんです」
たった1人で、約4カ月かけて改修を終えた。23年10月にはたこ焼き屋兼ゲストハウスとしてオープンし、売り上げも上々だ。この過程で四方さんは空き家の購入から改修、そして旅館業と飲食業の営業許可の取得までを1人でやり遂げたこととなる。
「別にたこ焼き屋とゲストハウスがめちゃくちゃやりたかったわけじゃないです。ただ、事業をはじめるまでの流れを一度全部経験しておきたかったんです。それによって、今後この地域で何か事業をはじめたいという人が現れた時、相談に乗ることができるじゃないですか。僕がいることで、参入するハードルがぐんと下がると思うんです」
“自分自身が、「ファーストペンギン」となる”。四方さんは、空き家を活用した街づくりの第一歩を踏み出した。
挑戦のハードルを下げ、すり減らない街づくりで社会貢献を目指す
現在は、ゲストハウスは予約があり次第随時受け付け、たこ焼き屋は週末に営業している。それ以外の時間は大工の仕事にあて、三原で新たな事業をはじめる人の手伝いをする生活だ。これまでに、ゲストハウスやフランス料理店をはじめる人のリノベーションを手掛けて来た。全工程を四方さんが請け負うのではなく、一緒に作り上げるから費用も抑えられるのだという。
移住を考える人の相談にものり、空き家の情報収集も怠らない。
具体的な工事工程や完成図を描けるのは、大工である四方さんの強みだろう。工事に留まらず、補助金や営業許可の取得に向けたアドバイスができるのも特色だ。空き家の改修と事業のコンサル、この2つを掛け合わせた「セルフリノベコーチング」と銘打った活動を加速させている。
四方さんがこれから目指していきたいのは、継続した、すり減らない街づくりだという。
何の事業をはじめるにしても、拠点が絶対に必要だ。銀行に融資してもらうにしても、初期費用の大きさに躊躇してしまう。だが、四方さんに助言を求めながら自分でリノベーションをすれば、費用が抑えられるしビジネス面でも心強い。今後は最初の施工費を受け取らずに、事業開始後に売り上げの何%かを長期で入金してもらう方法も考えているという。
「そういう契約にすれば、地域に入ってきやすくなるでしょ。建築業者からすると、施工費さえもらえれば工事に入った店が1年でつぶれようが正直あんまり関係がない。でも僕は、そういう付き合い方をしたくないんです」
こだわりを持った小さな商いが街の中で継続する、良いサイクルをつくりたい。挑戦のハードルを下げながら、自らも金銭的にすり減らない仕組みをつくっていきたいという。一過性ではない定期的な収入が増えていけば、そのお金を社会貢献に投じることも可能だ。大工を志した理由である被災地支援にも、思う存分取り組むことができる。誰かのために力を使いながら、それでいて自分もつぶれてしまわない。これは、防衛大時代に学んだ教訓だ。
「なんか面白そうやな、と追随してくれる人がいるとうれしいですね。ここでなら挑戦できそうだな、という風が吹き始めたら、街づくりは進んでいくんじゃないでしょうか」
彼の熱量と確かなビジョンに惹かれて、私もここで「本屋を開きたい」という夢をあたためはじめている。熱くて行動派の大工が近くにいれば、たしかに街は変わるのかもしれない。
■取材参考
Instagram:https://www.instagram.com/diy_self_renovater/
note:https://note.com/shikata_mihara/
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