卸商業団地として人工的につくられた街・問屋町

問屋町(といやちょう)はJR岡山駅より南西へ直線で約3.5km、岡山市街地の西部にある街だ。総面積およそ9万3,000km2の正方形に近い形をしたエリアで、碁盤目状に整備された区画・道路が特徴である。この問屋町は、もともと繊維業を中心とした卸売業の企業団地として生まれたエリアだった。

しかし時代の流れにより廃業・撤退する企業が相次ぎ、街は衰退。ところが近年、問屋町は岡山有数のおしゃれタウンと呼ばれるように変貌した。スタイリッシュなカフェなどの飲食店、人気のアパレル店、クリエイターのオフィスなどが並び、若者を中心に人が集まる街となった。

問屋町の街並み問屋町の街並み

もともと繊維関係の卸売業は、現在の岡山駅東口付近にある本町周辺に多く集積していた。しかし駅前という市街地にあるため当時の通商産業省(通産省)の意向もあり、あらたに卸商業団地を整備し、繊維業の卸売企業を移転する計画が生まれたのである。それが現在の問屋町だ。

当時の問屋町周辺は一面が農地であり、ところどころに湿地・芦原がある状況で、人家はまばら。道路もあまり整備されていなかった。そこに碁盤目状に区画され、大きな道路をもつ企業団地が造成された。農村ではあったが、近くに国道2号線や山陽本線の貨物駅もあり、輸送面での利便性は高い場所だった。

卸商業団地が完成する前の1964年に、協同組合岡山県卸センターが設立される。そして1968年に卸商業団地が完成。企業が移転し、地名も「問屋町」に決定した。このとき卸商業団地には、繊維以外の業種の卸売企業も進出している。

卸センターの設立時の組合員数は42社。その後は組合員数は増加し、1970年代半ばに最大の86社を記録するが、それ以降は減少が続いた。問屋町内には、空き物件やシャッターを下ろした建物が多く見られるようになったのである。そして2000年には、組合員数は64社まで減少した。

問屋町の街並み協同組合 岡山県卸センター 理事の惠南 敏弘さん(左)、副理事長の谷本 昌宏さん(右)

2000年の定款変更をきっかけとして新たなステージへ進んだ問屋町

その問屋町が変化するきっかけとなったのが、2000年だったという。問屋町についての話を、協同組合 岡山県卸センター(以下、「組合」) 副理事長の谷本 昌宏(たにもと まさひろ)さんと理事の惠南 敏弘(えなみ としひろ)さんに聞いた。

谷本さんは「組合では、2000年に定款を変更しました。卸売業を取り巻く環境の変化に対応する必要があったからです。当時は"幽霊団地"や"ゴーストタウン"などと揶揄する声もあったほどでしたから。しかし結果として定款変更が、問屋町が変わるきっかけとなりました」と話す。

それまでは、卸売業しか団地内に進出できなかった。それを小売業やサービス業、不動産業など卸売業以外の業種も受入可能に。また居住は不可だったのも変更し、居住もできるようになったのである。

カフェのアンカーショップとなった「cafe.the market mai mai 」カフェのアンカーショップとなった「cafe.the market mai mai 」
カフェのアンカーショップとなった「cafe.the market mai mai 」アンカーショップとなった古着店「PLYWOOD SUBURBIA」

とはいえ、定款を変更してすぐに問屋町が変わったわけではない。定款変更後も、組合員数自体は減少し続けていた。「問屋町が変わりはじめたと感じられるようになったのは、2000年代の中ごろでした。このころカフェの『cafe.the market mai mai (カフェ・ザ・マーケット・マイマイ)』、古着店の『PLYWOOD SUBURBIA(プライウッド・サバーヴィア)』が出店し、アンカーショップとなったのです」と谷本さん。

アンカーショップが話題となったことで、問屋町の名前が県内に広く知られるようになり、人が集まりだす。人が集まることで、新たな店が問屋町に出店するという好循環が生まれたのである。ほかにも人気のアパレルショップ『Johnbull(ジョンブル)』や『BALANCE OKAYAMA(バランス オカヤマ)』なども出店し、アンカーショップとなった。

2006年以降、問屋町への出店は急増。2009年には問屋町内の店舗数が50を超え、2023年現在では120を超える店舗(オフィス系含む)が問屋町内で営業している。

カフェのアンカーショップとなった「cafe.the market mai mai 」アンカーショップとなったアパレルショップ「Johnbull Private labo」
カフェのアンカーショップとなった「cafe.the market mai mai 」アンカーショップとなったアパレルショップ「BALANCE OKAYAMA」

「幽霊団地」と揶揄された街から人の集まる街へ

2000年代半ば以降、多くの店が問屋町に出店するようになったが、出店の大きな理由として「自動車での交通利便性」「独特の景観」「物件の自由度の高さ」を挙げる声が多いという。

問屋町は卸商業団地として造成されたため、トラック等の業務用車両の走行・駐車があることから道路の幅が広く、直線の形状をしている。さらに一部のエリアに関しては路上駐車禁止の規制がない。そして近隣はかつては農地だったが、近年は市街化が進んでおり、市内有数の人口増加エリア。そのため道路が整備されており、近くに幹線道路もあることから、問屋町は自動車でのアクセスがしやすい場所となっていた。

低層の建物と広い直線道路が続き、アメリカのような雰囲気が人気の問屋町。路上駐車可能エリアには自動車が並ぶ低層の建物と広い直線道路が続き、アメリカのような雰囲気が人気の問屋町。路上駐車可能エリアには自動車が並ぶ

また広い直線の道路と、経年による味わい深さがある低層の建物が並ぶ景観は、若い世代にとってはほかにない問屋町独特の景観として映ったのだ。「アメリカのストリートのようで、おしゃれでかっこいい」という声も多かったという。

さらに卸売業だった建物は倉庫などが多く、物件の自由度が高いこともポイントとなった。古い建物はほかにない味わい深い雰囲気を醸し出しており、それを活用してリノベーションすることによって店独自の雰囲気をつくり出す店も多かった。閑散とした道路や古い建物は、本来ならネガティブな要素として捉えられる。しかし新たに進出する店舗はそれを逆に活用し、プラス要素に転換していったのである。

マンション建設により増加する問屋町の定住人口

商業以外にも、マンション建設も進んだ。定款変更の翌年となる2001年に、早くもマンションが1棟建設される。その後もマンション建設は続き、2000年の問屋町の定住人口は組合関連の44人だったが、2023年9月時点で2,150人まで増加。マンションの数は13棟となっている。また問屋町内の土地は、以前は100%が組合や組合員の所有だった。しかし現在は、約60%にとどまる。

谷本さんはマンション建設が進んだ理由として、問屋町特有の事情があるという。「卸商業団地ですから、周辺地域より問屋町内は容積率が高いんです。周辺地域の容積率は200%ですが、問屋町は卸商業団地という性格上、容積率が400%に定められています。そのためマンションを建設するとき、効率がよいのです」

※参考:【ホームズ】容積率とは?|不動産用語集
https://www.homes.co.jp/words/y3/525000679/

問屋町テラスにある協同組合岡山県卸センターの事務所が入る建物問屋町テラスにある協同組合岡山県卸センターの事務所が入る建物

谷本さんは「ただ人が集まるだけでなく、ここに住む人が増えたのは大きな変化だと感じています」と語る。さきほどのアンカーショップの影響や問屋町の良さが広まることによって、問屋町という地域の価値が向上。一種のブランドになったことにより、お出かけスポットとしてだけでなく、居住地としても注目されるようになったのだ。卸商業団地として生まれた問屋町にとって、それまでなかった変化である。

問屋町テラスにある協同組合岡山県卸センターの事務所が入る建物問屋町テラスの入口

街づくりのさらなる取り組み。イベントを通じて組合・店舗・住民の連携を強化

2000年代半ば以降、順調に店舗数を増やした問屋町。組合は、基本的に定款の変更以外に街づくりの取り組みは行っていなかった。しかし問屋町のさらなら活性化のため、しだいに街づくりの取り組みに力を入れるようになる。その中でも大きなものが、問屋町テラスの建設だ。

もともと問屋町のほぼ中央部に「卸センター オレンジホール」という建物があった。問屋町の造成当初からある多目的ホールで、企業が展示場として使用したり、プロレスリング興行などのイベントが開催されるなどした施設である。しかし老朽化やアスベストなどの問題もあり、解体することとなった。そして、さらなる問屋町のにぎわい創出するための跡地活用法として計画されたのが、問屋町テラスである。

惠南さんは「問屋町テラスは住宅展示場と飲食店などの商業施設からなる、複合施設です。オープンしたのは2018年10月。問屋町テラスを計画する際、敷地内に"住まい"に関連する施設を設置することを考えていました。住まいに焦点をあてることで、子供から大人・ご年配まで幅広い世代を集客できるというのが狙いです」と話す。

「実際に2023年現在、問屋町テラスは岡山県内の住宅展示場で、トップクラスの来場者数を誇ります。ファミリーで問屋町に訪れて飲食やショッピングを楽しみ、そのまま問屋町テラスの住宅展示場へやってくる方が多いです。あるいはその逆パターンも。問屋町テラスオープン後、それまでに比べて周辺の歩行者通行量が約2倍に増加しました」と惠南さん。

「問屋町テラスと、周辺の店舗との相乗効果を強く感じていますね。住宅の見学という行為を、ショッピングや飲食などと同じ"街歩き"の一部にしたイメージでしょうか。これはほかの住宅展示場にない、問屋町テラスならではの強みです」

在りし日のオレンジホール(2013年9月 ライター自身による撮影)在りし日のオレンジホール(2013年9月 ライター自身による撮影)
在りし日のオレンジホール(2013年9月 ライター自身による撮影)問屋町テラス内の住宅展示場

組合はほかにも、イベント開催にも力を入れる。惠南さんによれば「問屋町テラス内や、周辺道路を歩行者天国にしてイベントも開催してきました。パレードやバザール、飲食イベントなどさまざまな企画を実施しています」。

「2023年11月に開催したイベント『問屋町 Street fes』は、問屋町に住んでいる人をターゲットにしました。それまでのイベントは、問屋町外から問屋町へ来てもらうことが目的。しかし問屋町にはマンションの建設により、2,000人強の人が住んでいます。問屋町の今後の発展を考えると、組合・店舗・住民の連携強化が必須です。そこで視点を変え、まずは地元の方々に楽しんでもらおうという趣旨で開催しました」と惠南さん。

「道路に芝生シートを敷き、外で開放的な気分になって食べたり飲んだりしようというものです。問屋町の店舗を中心に、露店を出してもらいました。結果として予想以上の大盛況。地元住民がメインでしたが、口コミによって問屋町以外からも来客がありましたね」

「組合は今後も試行錯誤しながら、さまざまなイベントを企画していきたい」と惠南さんは意気込みを語る。

在りし日のオレンジホール(2013年9月 ライター自身による撮影)2023年11月3日開催のイベント「問屋町 Street fes 2023」の様子(提供:協同組合 岡山県卸センター)
在りし日のオレンジホール(2013年9月 ライター自身による撮影)2023年11月3日開催のイベント「問屋町 Street fes 2023」の様子(提供:協同組合 岡山県卸センター)

問屋町の現状と今後の課題

店舗やマンションが増え、訪れる人や住む人が増加した問屋町。にぎわいが生まれ活性化したが、いっぽうで新たな問題も生まれている。

惠南さんは「問屋町を訪れる人が増加して、最初に問題となったのが交通・駐車に関するトラブルです。問屋町は卸商業団地として造成されたので、路上駐車禁止の規制がない道路があります。しかし路上駐車ができるのは、あくまで一部。問屋町内ならどこでも路上駐車できるという誤った認識が、広まってしまったのです、実際に路上駐車禁止場所に駐車し、警察に注意を受けるという事例が頻発しました」と話す。

対策として、路上駐車ができない部分には赤いラインを引き、視覚的にわかりやすくするなどの取り組みを順次進めている。また、問屋町内にコインパーキングも造成した。2023年現在、問屋町にはあわせて117台分のコインパーキングがある。また月極駐車場もあり、こちらは合計639台分だ。

駐車禁止箇所を示す赤いライン駐車禁止箇所を示す赤いライン

惠南さんは「ほかの課題としては、組合・組合員と商店主、マンション住民の連携・協力の強化です。以前の問屋町は卸商業団地の関係者のみで構成されていましたが、2000年以降は多様化しました。しかし組合と商店主、住民のあいだでの情報の共有化が図られているとはいいにくい現状です。街づくりをするうえで、三者の連携・協力や情報共有は不可欠。さきほど紹介した地元向けイベントを企画したり、『問屋町まちづくり連絡会』を組織するなどして、連携強化の糸口を探っています」。

「建物の老朽化という問題もあります。ヴィンテージ感が魅力でもある問屋町ですが、逆にいえばそれだけ古い建物。築50年以上の建物も多いです。改修・改築や建て替えを検討する時期にきているといえます。また問屋町には連棟式建物が10棟ありますが、連棟式建物は区分所有ですので、所有者の合意を得る必要があるのも課題ですね」と惠南さんは話す。

駐車禁止箇所を示す赤いライン問屋町の街並み

100年後の岡山の人に感謝される街づくりを目指す

谷本さんは「問屋町テラスがオープンする以前の問屋町は、自然発生的に生まれた商業集積といえるでしょう。しかしそれに頼っているだけではいずれ先細りますし、無秩序な開発によって逆に問屋町の魅力が損なわれる恐れもあります。それを避けるためには、計画的な街づくりが必要です。そのために組合も将来的な問屋町のグランドデザインを考えるなどし、商業と住環境の調和した未来の問屋町を目指しています」と話す。

「問屋町は人工的に造成された街なので、少し自然が少ない印象です。問屋町ができる以前は、ここには農地や湿地などの自然が広がっていました。だからこそ今後の問屋町には、訪れた人がくつろげるような、水や緑といった自然があふれる憩いの場所をつくる必要があると思います」と谷本さん。

問屋町の街並み問屋町の街並み

「そもそも問屋町は無からつくられた人工の街。だからこそ、今後も問屋町に関わる人の手で変えていき、街をよりよくしていく必要があると思います。完成した時点が100点ではなく、完成後も試行錯誤して100点を目指していく街づくりが、問屋町の街づくり。問屋町にしかない唯一無二の魅力づくりに取り組んで、目指すは100年後の岡山の人に感謝される街づくりです」と谷本さんは意気込みを語る。

環境の変化により、生まれ変わった問屋町。そして今後の問屋町の新たなステージに期待したい。


取材協力:
協同組合 岡山県卸センター
https://toiya-cho.com/

公開日: