民間のノウハウを生かして賑わいを創出する「広島城三の丸整備等事業」

広島平和記念公園と並ぶ広島市のシンボル、広島城。「鯉城(りじょう)」の別名でも親しまれている。広島市中心部は、もともと広島城の城下町だった歴史があり、広島城はまさに広島の街の起源といえよう。

そんな広島城だが、整備計画が動き始めている。そのひとつが「広島城三の丸整備等事業」である。同事業は、 公募設置管理制度(Park-PFI)事業として実施される。民間の資金とノウハウを活用し、広島城三の丸に商業施設などを整備。広島城周辺のにぎわいを創出し、都心の回遊性を高めるものだ。「温故知新」をコンセプトにし、歴史を生かしたまちづくりを進めている。

そこで広島城三の丸整備等事業について、概要や工事スケジュールなどを紹介したい。

広島城 天守広島城 天守

広島の街の基礎となった広島城と城下町

広島城 二之丸・表御門広島城 二之丸・表御門

広島城は、安土桃山時代の天正19年(1591年)に毛利輝元(もうり てるもと)が築城した。輝元は、「三本の矢」の話で知られる毛利元就(もうり もとなり)の孫にあたる。もともと広島城のある場所は、現在の太田川河口に土砂が堆積した三角州であった。

毛利氏は内陸の吉田郡山城を拠点としていたが、海運の利便性や城下町の建設のしやすさなどから、太田川三角州に広島城を建てたのである。なお広島城の天守は、天守の南と東に三層三階の小天守が設けられた、連結式のめずらしい天守だった。

毛利輝元は豊臣五大老として出世した。しかし関ヶ原の合戦では西軍の総大将を務めたため、合戦後は広島から萩(現 山口県)へ移る。代わりに広島城の城主となったのが、福島正則(ふくしま まさのり)である。

正則は広島城をさらに拡大し、城下町も大きく整備した。しかし江戸幕府から城の無断改修の疑いをかけられ、信濃国へ移される。福島正則の代わりに元和5年(1619年)に、浅野長晟(あさの ながあきら)が広島城主になる。以降、江戸時代が終わるまで浅野家が広島城主となった。

明治時代になると、2基の小天守は解体されてしまう。また、広島城内に広島県庁が建てられた(のちに移転)。さらに大日本帝国陸軍の関連施設が設置されたり、日清戦争時には城内に大本営が置かれるなどする。そして昭和20年(1945年)の広島への原子爆弾投下により、天守を含む広島城の建造物の大部分が倒壊・焼失した。

戦後の昭和33年(1958年)になり広島の復興のシンボルとして、天守が鉄筋コンクリート製で復元される。これが現在も残る天守である。そして天守を含む本丸と二の丸、三の丸の一部が公園として整備された。なお小天守は再建されていないものの、外観は焼失前の天守の姿をほぼ再現している。また天守の内部は歴史博物館となっており、各種資料を展示。現在は、広島中央公園の一部・広島城区画として、市民の憩いの場所となっている。

広島城 二之丸・表御門現在、広島城本丸の一部に鎮座している広島護国神社

天守の閉館を受けて新たに整備される「広島城三の丸歴史館」を中心としたにぎわい創出拠点

広島城三の丸整備等事業の公募設置等計画の認定を受け、工事を施工するのが「広島城アソシエイツ」。広島城アソシエイツは代表法人の中国放送のほか、全11社にて構成される共同事業体である。多くが地元・広島にゆかりのある事業者だ。

広島アソシエイツ 構成事業者
  • 株式会社中国放送(代表法人)
  • 株式会社 RCC文化センター
  • 株式会社 TBSホールディングス
  • 株式会社 フジタ
  • 株式会社 合人社計画研究所
  • NTT都市開発 株式会社
  • 株式会社 中国新聞社
  • 株式会社 中国四国博報堂
  • 株式会社 山下設計
  • NTTアーバンバリューサポート 株式会社
  • 株式会社 シーケィ・テック
広島城アソシエイツ 事務局長の神尾正博さん広島城アソシエイツ 事務局長の神尾正博さん

広島城アソシエイツの事務局長で、株式会社 中国放送の地域連携室長の神尾正博(かみお まさひろ)さんに事業について話を聞いた。

神尾さんによると「事業が行われるきっかけとなったのが、広島城天守の耐震性の問題です。再建から60年以上が経過し、耐震基準を満たしていないことがわかりました。安全面を考慮し、令和7年度(2025年4月〜2026年3月)中に天守内部への一般立ち入りをやめ、閉館することになったのです」。

「天守では、歴史博物館として貴重な資料を多数展示しています。天守の閉館にあたり、三の丸に新しく歴史博物館『広島城三の丸歴史館』を建設。天守内の資料を、広島城三の丸歴史館で新たに展示することになりました。広島城三の丸歴史館は、広島の歴史・文化発信の中心的な役割を担う施設になります。そこで観光客や市民からニーズの高い飲食店や物販施設を整備し、にぎわいを創出するのが三の丸整備事業です」と神尾さん。

広島市では広島城基本構想として、「歴史・文化の発信拠点としての広島城の魅力の向上」「観光拠点としての魅力向上を通じた都心のトライアングルの回遊性の向上」を掲げている。三の丸整備事業では、2つのコンセプトを具現化するものだ。

広島城の整備計画が動き始めている。民間の資金とノウハウを活用し、広島城三の丸に商業施設などを整備。広島城周辺のにぎわいを創出し、都心の回遊性を高めるものだ。「温故知新」をコンセプトにし、歴史を生かしたまちづくりを進めている。広島中央公園と広島城区画(提供:広島城アソシエイツ)

広島城への思い入れのある企業が集まって組織された「広島城アソシエイツ」

広島城三の丸整備等事業は、公募設置管理制度(Park-PFI)により行われる。Park-PFIは民間事業者を公募し、公園に施設を設置・運営する制度だ。広島城三の丸整備等事業では、民間活力を活用したにぎわい施設等の整備を行い、広島城区域の用地・建物を一体的に管理運営することを目的にしている。

神尾さんは、広島城アソシエイツが組織されたいきさつを次のように語る。「中国放送は、広島城の堀のすぐ東側に位置しています。昔は広島城内だった場所で、社屋からは天守や本丸、堀が見えるところです。そのため中国放送では、たびたび広島城でイベントを開催するなど、広島城を通じた地域活性化に力を入れてきました。今回の広島城三の丸整備等事業でも、ぜひ私たちも力になりたいという思いが強かったのです」

広島城と整備後の三の丸のイメージ図(左下)(提供:広島城アソシエイツ)広島城と整備後の三の丸のイメージ図(左下)(提供:広島城アソシエイツ)

「ほかにもフジタさんは広島発祥の建設会社。現在の広島城天守の再建工事を手がけた会社です。合人社計画研究所さんやNTT都市開発さんは、Park-PFI事業の経験が豊富な会社。地元・広島に関わりがある会社が中心となり、それぞれの得意分野やノウハウを広島城の整備に生かしたいという思いが強い企業が集まり、広島城アソシエイツを組織して公募に手を挙げました」

なお広島城アソシエイツは、広島城三の丸の整備と施設の設置(広島城三の丸歴史館を除く)、整備完了後の管理・運営を担う。

新しい三の丸では商業施設と多目的広場で広島らしさを発信

工事着工まで広島城三の丸は、北側の堀に面した部分を噴水広場やトイレ、遊歩道になっていた。また南側の道路に面した部分は駐車場であった。

神尾さんによれば「新しい広島城三の丸は北東に広島城三の丸歴史館、南東に商業施設ゾーン、北西には多目的広場とミュージアムカフェ、南西は駐車場を整備する予定です。また三の丸から道路を挟んだ西側に、サッカースタジアムが建設されます。三の丸とサッカースタジアムを結ぶ、ペデストリアンデッキも設置予定です。広島城アソシエイツが整備するもののうち、南東の商業施設ゾーンは第1期エリア、多目的広場は第2期エリアとして段階的に工事を施工します」。

整備後の三の丸 イメージ図(提供:広島城アソシエイツ)。なお広島城三の丸歴史館の外観デザインは、取材時点では未定となっている整備後の三の丸 イメージ図(提供:広島城アソシエイツ)。なお広島城三の丸歴史館の外観デザインは、取材時点では未定となっている
三の丸からは広島城の堀と天守が眺められ、広島城らしい景色を楽しめる三の丸からは広島城の堀と天守が眺められ、広島城らしい景色を楽しめる

「第1期エリアの商業施設は、広島にゆかりのある飲食店や小売店を複数設置します。広島の食文化や工芸品などを発信し、食事やお土産の購入を通じて、広く広島の魅力を伝える場所になる予定です。第2期エリアの多目的広場は、イベントができるステージを設置します。イベントでは、たとえば神楽などの広島の伝統文化の上演や、広島の食文化をテーマにしたフードフェスティバルなどを想定しています」と神尾さん。

「実は三の丸は、天守の正面に位置しています。また広島城には、大きな堀があるのも特徴です。三の丸からは堀、その向こうに天守が眺められるという、最高のロケーションなんです! 天守は閉館される予定ですが、外観は当面そのまま維持されます。天守に入れなくなる代わりに、三の丸から広島城らしい風景をお楽しみいただけます」

整備後の三の丸 イメージ図(提供:広島城アソシエイツ)。なお広島城三の丸歴史館の外観デザインは、取材時点では未定となっている商業施設ゾーンのイメージ図(提供:広島城アソシエイツ)

広島の茶文化・上田宗箇流を感じられるカフェも

さらに神尾さんは広島の文化として、「茶」の文化をとくに発信していきたいという。「江戸時代に長く広島を治めた浅野氏の影響で、広島では茶の湯の文化が根付きました。それが、武家茶道・上田宗箇流(うえだ そうこりゅう)です。設置する飲食店のひとつとして、上田宗箇流の世界を身近に感じられるカフェを考えています」

「広島は海外からの観光客、とくに欧米からの観光客が非常に多い街です。欧米などの海外では、日本の抹茶が大人気ですよね。ぜひ海外の方に広島の茶の文化を知っていただき、体感してもらいたいのです。しかも、三の丸から広島城の天守と堀を眺めながらお茶を楽しめます。海外の方には、最高のシチュエーションではないでしょうか」と神尾さん。

多目的広場のイメージ図(提供:広島城アソシエイツ)多目的広場のイメージ図(提供:広島城アソシエイツ)

広島城三の丸整備等事業のスケジュールは、第1期エリア(商業施設)の開業が令和7年(2025年)3月、第2期エリア(多目的広場)の開業が令和8年(2026年)9月の予定となっている。

ちなみに、広島城の本丸や二の丸、とくに天守が今後どうなるかが気になるかもしれない。取材時点(2023年6月時点)で、三の丸以外の整備計画の詳細は決定していない。天守は令和7年度中に閉館されるが、本丸も二の丸も立ち入りでき、天守の中には入れないが、すぐ近くまで行くことはできる。天守外観も、当面はそのままである。天守は木造での再建の話もあるが、今後天守などがどのようになっていくのかは未定だ。

広島城の今後も気になるが、まずは広島城や広島の街の文化・魅力を発信する拠点に生まれ変わる、広島城三の丸に期待したい。

多目的広場のイメージ図(提供:広島城アソシエイツ)広島城 三の丸整備等事業:三の丸整備 予定表

広島の歴史・文化を伝え、魅力を感じるスポットに

「広島城は、広島の街の起源となる広島の宝です。しかし広島の観光地となると、平和記念公園や隣の廿日市市にある宮島が知られています。広島城の名前は、あまり出てこないんですよね。広島に城下町のイメージがあまりない人が多いんです」と神尾さんは語る。

「広島城は、広島の繁華街の紙屋町・八丁堀エリアや平和記念公園のすぐ近くにあります。新しくなる広島城三の丸で広島城の魅力を高めると同時に、紙屋町・八丁堀エリアや平和記念公園などの周辺と連携し、広島市街地での回遊性を高めていきたいですね」

広島城アソシエイツは、それぞれ得意分野をもった事業者が集まっている。「中国放送や中国新聞など、情報発信が得意な事業者も参加しています。テレビ・ラジオ・新聞・デジタルメディア・SNS等を使った情報発信で、広島城三の丸の魅力を伝えていきたいですね」と神尾さんは話す。

整備後の広島城三の丸のイメージ拡大図(提供:広島城アソシエイツ)整備後の広島城三の丸のイメージ拡大図(提供:広島城アソシエイツ)

最後に神尾さんは「広島城三の丸整備等事業のコンセプトの『温故知新』。これは街の歴史を生かすからこそ、魅力ある都市空間が生まれるという考えに基づいています。広島の歴史を体感することで、広島の文化を知り、広島の魅力を感じるのです。新しい広島城三の丸は、そんな場所を目指しています」。

「広島の建物などは、戦災で多くが失われてしまいました。しかし、長い時代を経て育まれた広島の文化は、今も消えずに残っています。広島の歴史と文化を多くの人に伝えることで、広島の歴史・文化が受け継がれ、広島の魅力を感じてもらえるのです。私たちは、そのお手伝いをしたいと思っています」と語った。

広島城の新たな形と広島の魅力が生まれる、三の丸整備等の事業に注目だ。


取材協力:広島城アソシエイツ
広島城 公式サイト:https://www.rijo-castle.jp/

公開日:

ホームズ君

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