福山駅の目の前にそびえる福山城天守。実は駅があるのは"城の中"
広島県福山市は広島県東部・岡山県境に位置する、人口約46万人の中核市だ。広島県東部から岡山県西部に至る福山都市圏の中枢を担う街である。玄関口であるJR福山駅のホームに立つと、目の前に大きな天守が見える。福山市のシンボル・福山城だ。
福山市といえば「駅の目の前にお城があるところ」というイメージの人も多いだろう。
実は福山駅があるのは、かつて福山城の内堀があった場所。つまり駅の目の前に城があるのではなく、"城の中に駅がある"のだ。福山駅に着いた時点で、福山城にも来たことになるというわけである。
そんな城の中に駅がある、全国でも珍しい福山城。2022年(令和4年)8月28日に天守の外観を一新し、リニューアルした。この日は、400年前に初代福山藩主・水野勝成が江戸幕府に福山城の築城を報告した日とされる築城400年記念日だ。
福山城は幕府の威厳を示す"西国鎮衛"
福山市中心部は、もともと福山城の城下町として栄えてきた歴史がある。江戸時代初期の1619年(元和5年)、徳川家康の従兄弟(いとこ)にあたる水野勝成が備後国東南部から備中国西南部の約10万石の所領を与えられ、神辺城(現在の福山市北部)に入城した。そして勝成の新たな拠点として、1622年(元和8年)8月28日に完成したのが福山城である。江戸時代には「一国一城令」が出されていたため、福山城のような大規模城郭の築城は異例。当時、山陽には外様大名が多かった。そのため江戸幕府の威厳を外様大名に示す「西国鎮衛」、つまり外様大名らに睨みを利かせて西国を守る意味があったといわれる。
「福山」の名前の由来は諸説あるが、城の本丸が置かれた山が通称「蝙蝠山(こうもりやま)」と呼ばれていたことにちなんでいるという説が有力だ。蝙蝠の「蝠」の字が「福」に似ていることから、勝成によって「福山」と命名されたといわれる。
1698年(元禄11年)、水野家は5代藩主の早世によって跡継ぎがいなくなり、いったんは福山藩領地は江戸幕府の直轄地に。その後、江戸時代中期の1700年(元禄13年)に松平忠雅が福山藩主になった。しかし、10年ほどで阿部正邦に藩主が代わる。以降、幕末まで阿部家が藩主を務めた。なかでも阿部正弘は江戸幕府の老中となり、ペリー来航時に日米和親条約を締結したことで知られている。
明治時代になると、廃城令によって福山城の建物は天守・伏見櫓(やぐら)・筋鉄御門・御湯殿を残すのみになった。その後は公園として整備され、昭和になると国宝に指定される。しかし1945年(昭和20年)8月の福山空襲によって、福山城は天守を含む大部分が焼失してしまった。
戦後、本丸と二之丸が国の史跡に指定される。1966年(昭和41年)には、福山市制50周年記念事業として福山城の天守・月見櫓・御湯殿が再建された。また再建天守の内部は、博物館として整備。なお伏見櫓と筋鉄御門、鐘櫓は戦災を免れ、今も残されている。
そして、2022年8月28日に向けて天守・櫓などのリニューアルが実施された。8月28日は、福山藩が福山城の完成を江戸幕府に報告した日である。
往時の福山城の姿へ。動き出した天守リニューアルプロジェクト
「2022年は、福山城が築城されてちょうど400年の節目にあたります」と語るのは、福山市 経済環境局 文化観光振興部 文化振興課の築城400年事業推進担当課長である渡邉真悟(わたなべ しんご)さんだ。
渡邉さんは「築城400年を迎えるにあたり、2017年(平成29年)からさまざまなプロジェクトが考えられていました。それに先駆け、現在の城の状況を把握するために耐震診断を開始したのです」と語る。福山城天守の再建は1966年。2017年の時点で、51年が経過していた。そして診断の結果、現在の耐震基準を満たさないため、大規模な地震が発生すると天守が倒壊する恐れがあることがわかったのだ。ただし、耐震補強が可能であるとも判断された。
「工事期間を逆算してみると、2022年の築城400年までに耐震補強工事が完了できるとわかり、工事を実施することになったのです。また歴史の専門家の方々にも話を聞いたところ、工事をするなら焼失する前の天守の姿を再現するのはどうか、と提案されました。再建された天守は、焼失前とデザインが異なる部分がいくつかあったからです。そして耐震補強工事と同時に、"往時の福山城の姿を取り戻す"をコンセプトにしたリニューアル工事"令和の大普請(だいぶしん)"の実施が決定しました」
こうして動き出した、福山城天守のリニューアルプロジェクト。しかし、工事には莫大な予算が必要だ。そこで広く寄付を募る形になった。渡邉さんの話では「1966年の再建時、市民の方々を中心に幅広く寄付を集めていました。ほかのお城の再建でも、寄付を集めている例が多かったんです。それらを参考にし、今回のリニューアルでも寄付を集めることになりました。しかもインターネットを活用し、クラウドファンディングを使うことで、より幅広い方々の協力を求めることになったんです」とのこと。
「今回、全国唯一の鉄板張りを復刻します。そこで一口10万円で寄付をしていただいた方の名前を、鉄板の裏側に記して後世に残すというリターンを用意しました」と渡邉さん。「令和の大普請」全体の寄付目標は10億円だったが、予想より早く目標を達成。さらに11億円を超える寄付が集まったとのこと。これには渡邉さんたちも驚いたという。
全国で唯一!圧巻の天守北側の鉄板張りは必見
「リニューアル最大の目玉は、天守の北側の鉄板張りです」と言う渡邉さん。「福山城の北側は堀がつくれず、防御が手薄でした。そこで、大砲での攻撃にも耐えられるように、天守の北側が鉄板張りにされたのです」と語る。福山城天守の北側1階から4階までの壁は、総鉄板張りとなっている。このような城は福山城のほかにどこにもなく、福山城最大の特徴のひとつといえよう。それが今回のリニューアルで見事に再現され、往時の姿を取り戻したのである。
短冊型をした鉄板の大きさは、およそ横11cm・縦130cmだという。鉄板は上下に重ねる「羽重ね」という留め方で、丸い鋲頭(びょうとう)が付いた鉄釘で固定されていた。渡邉さんによると「市民の方々から焼失前の写真や、貴重な焼けた鉄板を寄付していただき、当時の鉄板の調査・検証なども行いました。それを基に、鉄板の質感やさびた感じをエイジング加工で再現。鉄釘の丸い鋲頭なども再現しています。素材の鉄は、地元の製鉄企業に寄付していただきました」。さきほど紹介したように、鉄板の裏には、寄付者の名前が記されている。まさに市と地元企業、地元住民、福山城が好きな全国の方々の協力によって、往時の福山城の姿がよみがえったといえる。
北側鉄板張り以外にも、福山城リニューアルには注目すべき点が多い。渡邉さんは「天守最上階にも注目してください。回廊部分の手すりの色は、リニューアル前は赤色でした。リニューアル後は古色となり、往時の色と同じになっています」と語る。「また回廊の正面中央部にある、花頭窓(かとうまど)にも注目です。リニューアル前は左右2つの花頭窓がありました。これは往時のデザインと異なっていたんです。リニューアルで、中央に1つの花頭窓となり、往時のものと同じデザインになりました」と渡邉さん。
さらに渡邉さんは「天守の側面部もポイントです。焼失前、側面の窓の格子は白かったのですが、リニューアルで往時と同じ黒色に変わりました。また、鉄砲を差し出すための"鉄砲狭間(てっぽうざま)"も再現しています。鉄砲狭間は六角形をした穴で、天守南側に3ヶ所、東西側に2ヶ所あります。ぜひ探してみてください」と魅力を語る。これらの部分も、市民から提供された焼失前の写真が参考になっているそうだ。
水野勝成になりきれる?一番槍レースや火縄銃体験などで楽しみながら学ぼう
福山城天守は再建後、博物館として使用されていた。これは福山市で初めての博物館だったため、縄文時代や弥生時代から明治時代まで、幅広い資料や出土物の展示がされていたのである。今回のリニューアルでは、博物館は「福山城と福山藩」にテーマを特化させた。1階や4階では、映像を用いて福山城や福山藩を紹介。1階の映像では、城好きとして知られる落語家・春風亭昇太さんがナビゲートする。2階では水野勝成と水野家、3階では阿部正弘と阿部家についての展示をしている。
注目が、2階にある「一番槍レース」や「火縄銃体験」だ。渡邉さんは「一番槍レースは、馬にまたがって、ライバル武将と一番槍を競うゲームです。数々の戦で"一番槍"として活躍した水野勝成になりきれます。また水野勝成は87歳になっても、約36m先の的を火縄銃で撃ち抜けたといわれています。火縄銃体験は勝成にちなんで、映像で約36m先にある的を狙う体験ゲーム。撃ち抜ければ、的と一緒に記念撮影ができます」と語る。
ほかにも2階には戦国時代の槍を再現したレプリカがあり、3階には阿部正弘クイズもある。「幅広い世代の方に、体験を通じて楽しみながら福山城・福山藩を知ってもらうのがコンセプトです」と渡邉さん。なおこのほかにも御湯殿・月見櫓の整備や筋鉄御門の塗り替え、土塀の整備、天守内へのエレベーターの設定など、さまざまなリニューアルがされている。
保存だけでなく上手に活用して城を身近な存在に
「福山駅のホームに立つと、目の前に天守がそびえています。このようなシチュエーションは、福山でしか味わえません。"駅の目の前に天守"という光景は、多くの方に知ってもらえているのは、とてもうれしいです。その一方で、いままでは駅から天守を眺めるだけで満足されて、天守まで足を運ばない方も多かったのが課題でした」と渡邉さんは振り返る。
「今回のリニューアルの目玉は、北側鉄板張りの復元。駅は天守の南側にありますから、駅からは鉄板張りは見えません。リニューアルを終えてから、駅から降りて天守にお出でになる方が増えました。北側の鉄板張りを再現した効果だと思います。また以前より若い方、カップルや家族連れなどの来城もかなり増えているんです。大変うれしいことですね。お城には、つい写真に撮りたくなる力があるんじゃないかなと思っています」と語った。
また福山城のリニューアルのプロジェクトが動き出した頃から、福山駅周辺でまちづくりが盛んになっている。かつては福山駅の南側と福山城がある北側で、行き来があまりなかったという。「福山城と城下町だった中心部が一体となり、にぎわいを創出していければいいなと思います。福山市内には南の鞆の浦や、北の神辺・新市など、広い地域にさまざまなスポットがあります。福山城を観光の入り口に、さまざまな場所を訪れていただければ」と渡邉さんは期待している。
渡邉さんは今回のリニューアルで、想像以上に市民の方々から共感され、あらためてお城の持つ力の大きさを感じたという。また往時の姿に近づける「外観復元」についても、さまざまなところから高く評価されているそうだ。
今後は城に宿泊する「城泊(しろはく)」にも、力を入れていきたいという渡邉さん。ほかにも、月見櫓を会議やパーティーの会場として貸し出すことも考えているとのこと。「福山城は福山市のシンボルですが、保存だけでは遠い存在になってしまいます。上手に活用していき、福山城を身近な存在としてもっと親しめるようになればいいですね」と渡邉さんは語りました。
築城から400年の節目で、リニューアルで往時の姿に戻った福山城。注目の鉄板張りは、駅からは見えない。ぜひ福山城へ足を運んで、鉄板張りをはじめとする福山城の魅力を感じてみてほしい。なお2022年11月現在、福山城天守へ入城するには土・日曜日と祝日は事前予約が必要となっている。平日は予約なしで入城可能だ。
公開日:













