売買仲介物件でインスペクションあっせん「無」はその理由を明記しなければならない
2024年4月から、宅地建物取引業法(宅建業法)に関連して運用などを取り決めている「宅地建物取引業法施行規則の一部を改正する省令」および「標準媒介契約約款の一部を改正する件」が施行された。
主な改正点は以下3点となっている。
①重要事項説明の対象となる建物状況調査(≒インスペクション)の結果は調査実施後2年を経過していないものに延長する(改正前は1年未満)
②①の見直しを踏まえ、標準媒介契約約款における建物状況調査の記載について、建物状況調査を実施する者のあっせん「無」:つまり「できない」もしくは「しない」と表示する場合は、その理由の記載欄を設けるとともに、トラブル回避の観点から、建物状況調査の限界(瑕疵の有無を判定するものではないこと等)について明記する
③(宅地建物取引業法の解釈・運用について)媒介契約の目的物件が既存住宅である場合、あっせん「無」とするときの理由の記入例について記載する さらに、建物状況調査の活用と併せて、売主等から告知書の提出を求めることにより、買主等への情報提供の充実を図ることの重要性を明確化する
2018年4月から宅建業法の改正によって、媒介契約締結時にインスペクション事業者のあっせん可否ついて告知する義務、(インスペクション済であれば)重要事項説明時にその内容について説明する義務、売買契約成立時にも建物状況について売主および買主が確認した事項を記載した書面を交付する義務、が課せられたが、インスペクションの普及・拡大による中古住宅の流通の安全を担保するという意味においてはやや実効性に乏しく、法改正6年を経てもインスペクションの普及は遅々として進まない状況にある。
この状況を打開するために実施されたのが、今回の宅建業法の施行規則の改正で、あっせん「無」と記載した場合にその理由を明記しなければならないことは、インスペクションをなぜ実施しないのかを売主・買主双方から確認される機会を増やすことが容易に想像できることから、住宅売買時にインスペクションを強く意識づけることができるようになるものと考えられる。
2022年に実施された国交省のアンケート(※)によれば、一律あっせん「無」としているケースは実に74.1%にのぼる。その理由についても、あっせんに係る業務の手間が負担:32.0%、売主・買主のニーズがないと判断:31.1%、建物状況調査を実施する適切な者がいない・見つからない:30.7%など、ネガティブな回答のオンパレードで、このままでは日本でインスペクションが普及する可能性は極めて低いことが明らかであることに業を煮やした国が、このような運用を通じて対策に乗り出したのも首肯できる。
果たして、今回のあっせん「無」についてその理由を記す“些細な変更”は、バタフライ・エフェクトの如く不動産仲介業務に影響を与えるのか、もしくは与えないのか、住宅流通においてインスペクションは義務化するべきなのか、専門家の見解を質す。
ミスリードの是正と実務のサポートが鍵 ~ 高橋正典氏
高橋 正典:不動産コンサルタント、価値住宅株式会社 代表取締役。業界初、全取扱い物件に「住宅履歴書」を導入、顧客の物件の資産価値の維持・向上に取り組む。また、一つひとつの中古住宅(建物)を正しく評価し流通させる不動産会社のVC「売却の窓口®」を運営。各種メディア等への寄稿多数。著書に『実家の処分で困らないために今すぐ知っておきたいこと』(かんき出版)など貴社において「中古住宅の売主に対してインスペクション実施を推奨した場合、どれくらいの人が拒絶するか?」昨年、とある不動産会社向けのセミナーに参加された約100名に質問してみた。選択肢4つの中で、ほぼ全員が「8割以上拒絶する」と答えた。そもそも売却時のインスペクションを粗探しだという業者もまだ多く、想定内の回答ではあった。
残念ながら今でもこれが不動産会社の意識である。筆者の会社では15年前から中古住宅売却の際、インスペクションを必ず推奨しているが拒絶した人は1割にも満たない。これは、買主に至っても同じである。
正しく説明すれば、一生に一度とも言える買い物をギャンブルのように勢いで決定する人の方が少ない。国交省によるアンケート「改正宅建業法の施行状況及び今後の見直しの方向性について」にもある「売主・買主のニーズがない」は不動産会社のミスリードであると断言する。したがって、今回の改正による「あっせん無」に際して理由記載欄が設けられたとしても、いかようにも理由付けはされるだろうと考えている。
さて、不動産会社の仕事はどこまでか?不動産会社の責任はいつまでか?この問いに照らしてみると、インスペクションが普及しない答えも見えてくる。「等価交換型」ビジネスの典型である不動産業、特に仲介業では所有権を移転し、仲介手数料をいただくことがゴールだと言っても過言ではない。しかし、2020年4月に120年ぶりに大改正された民法が施行され、「損害賠償」や「契約解除」だけではなく「履行の追完請求」や「代金減額請求」が追加されるなど、契約内容の「品質」などの「契約不適合責任」が問われる今、引渡したら終わりではないのである。
また、先の国交省によるアンケートでは回答項目に入っていなかったが、インスペクションが実施されない理由として筆者が強く感じていることがある。それは「やり方がわからない」「やり方を覚えていない」という類である。同アンケートにあるように従業員数の多い会社になればなるほど「あっせん有」が増える実態からも分かるように、頻繁に中古住宅の売買が行われている会社であれば、インスペクションの説明の仕方や資料、あっせんの流れも慣習化される。
しかし、少人数の会社ではインスペクション実施の対象となる取引がそう頻繁に行われないために、一度実施したとしても次の機会まで時間が空くことで記憶も薄れてしまう。自信のないことは説明できないものだ。もちろん、人数が多い会社の方があっせんに積極的に取り組んでいることもあるが、本質的には頻度が少なければ、消費者へ必要な説明の仕組みやサービスは普及しにくい。
最後に、消費者に取ってインスペクションの普及は必要であることは間違いなく、そのためには仕組みや縛りだけでは難しく、業界全体としての意識改革、そして実務のサポート体制の構築ではないかと考える。
インスペクションあっせん無し理由 ~ 大西倫加氏
大西倫加:広告・マーケティング会社などを経て、2003年さくら事務所参画。2011年取締役に就任し、経営企画を担当。2013年1月に代表取締役就任。2008年にはNPO法人 日本ホームインスペクターズ協会の設立から携わり、同協会理事に就任。10年間理事を務め、2019年に退任。2018年、らくだ不動産株式会社設立。代表取締役社長就任。新著に『マンションバブル41の落とし穴』(小学館)他、執筆協力・出版や講演多数。今回の改正によって、建物状況調査やホームインスペクションの実施率上昇に期待できる。実際に弊社にも、4月以降、仲介業者からホームインスペクションのスキームの確認等の問い合わせが増えている。これは、2018年の宅建業法の改正では見られなかったこと。売主や買主に詳しく説明しなければならなくなったことで、仲介業者がこれまで以上に建物状況調査やホームインスペクションについて学び、より実践的に導入を検討する契機となるのではないだろうか。
とはいえ、仲介業者や物件のコンディション等によって温度感は異なる可能性が高い。良くも悪くも、不動産取引は仲介業者の言葉一つが大きく影響する。仲介業者のハンドリングに大きく依存して取引が進んでしまうことが日本の不動産取引の抜本的な課題であり、この改正がその改善策になるわけではない。
決して少なくない仲介業者が、建物状況調査やインスペクションをすると「物件が売れなくなる」と考えているようだが、それは思い込みに過ぎない。買主は、物件の条件やライフスタイル、ライフプランとの整合性を総体的に判断して購入を決めるのであり、些細な瑕疵が見つかったからといって必ずしも購入を躊躇するわけではない。逆に購入を躊躇するような瑕疵があるようであれば、見えない状態で取引することが売主や仲介業者にとって大きなリスクとなる。
建物状況調査とホームインスペクションの違いが周知されていないことも、課題の一つだろう。建物状況調査は一部を抜粋して行う検査であり、見落としのリスクがある。書面だけ渡されても買主には内容の理解が難しく、逆にトラブルの芽にもなってしまいかねない。一方、ホームインスペクションは建物全体を検査したうえでインスペクターがその結果を伝えるとともに、対処方法やメンテナンス計画など、結果を基にしたアドバイスもする。
両者に共通しているのは、いずれも本来、買主のためのものであるということ。この目的に鑑みれば、買主が物件探しの段階から建物状況調査のリスクや限界、ホームインスペクションとの違いなどの情報にタッチし、米国のように一定のデューデリジェンスの期間が与えられ、時間をかけて物件の状況を調べ購入を検討できる環境を整備する必要がある。ホームインスペクションを義務化する必要はなく、ホームインスペクションを実施するのか、建物状況調査という最低限の資料だけを見て購入するのか、あるいはいずれも実施しないのか、そしてこれらを交渉材料とするかは買主に委ねるべきだし、委ねるための説明をし、時間を確保すべきだろう。
今回の改正は、ホームインスペクション普及への第一歩と評価できるが、抜本的な改善のためには、仕組み自体の見直しと仲介業者の意識改革およびスキルアップが求められる。売主・買主双方にとって納得度の高い不動産取引を実現するために、私たちも引き続き尽力していきたい。
ナッジとしての理由の明記 ~ 中川雅之氏
中川雅之:1984年京都大学経済学部卒業。同年建設省入省後、大阪大学社会経済研究所助教授、国土交通省都市開発融資推進官などを経て、2004年から日本大学経済学部教授。専門は都市経済学と公共経済学で、主な著書等に「都市住宅政策の経済分析」(2003年度日経・経済図書文化賞)、「放棄された建物:経済学的な視点」(2014年学会賞・論文賞)がある2024年4月から宅地建物取引業法の施行規則が改正された。その改正内容は、
・重要事項説明の対象となる建物状況調査を、調査実施後2年を経過していないものに延長すること
・建物状況調査を実施する者のあっせんを「無」とした場合は、その理由を明記することを求めたこと
等を内容とするものである。既存住宅の取引において、取引時にその建物の品質を明らかにしておくことを通じて、大きな情報の非対称性問題をかかえる既存住宅の取引の活性化を図るために、重要事項説明時に、建物状況調査の有無を説明することが制度化された。
このことは、既存住宅流通の活性化というマクロな効果をねらうものだけではないだろう。品質が必ずしも明らかではない住宅の取引によって、事後的におこる取引当事者に生じる損失、トラブルなどから、売り手、買い手、宅建業者を守るという機能も期待される。
しかし、2022年の国土交通省のアンケートでは、一律あっせん「無」としているケースが74.1%にも上るという結果が得られている。リスクがあるにもかかわらず、それを明らかにすることを、売り手、買い手、特に専門家である宅建業者が行わないというのはあまり合理的なことだとは受け止められない。
人々が必ずしも合理的でないとすれば、自己決定、自己責任を超えた公共部門の介入が求められるかもしれない。現に英国ではHome Information Pack法によって、詳細な情報開示義務を売り手に求めた。しかし、この強い介入は後日撤回されている。
市場に与える影響を勘案すれば、もっと柔らかい介入の仕方が適切かもしれない。これを、リバタリアンパターナリズムと呼び、介入の仕方をナッジと呼ぶ。例えば、オーストリアなどの国では臓器提供希望者が多く(85~99.9%)、イギリスなどの国では少ない(4~28%)という数値がある。
前者の国では、臓器提供意思表示カードは「移植のために臓器を提供してよい場合はチェックを入れてください」となっているのに対して、後者の国では臓器の提供を希望する者がわざわざチェックを入れる臓器提供意思表示カードになっている。つまり、人々の「何も行動をしない」ことを好むことを利用したデフォルトの設定という、非常に弱い介入が大きな効果を上げている。
今回のあっせん無の場合にその理由を求めるという要請は、あっせんを行うことをデフォルトとしたナッジとして位置付けることができるかもしれない。
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