地域がデフォルトする時
今回の書き出しも「衣食住」だ。何よりも生活の基本だから。
それと、地方創生について考えてみた。
突然の衆議院選挙は終わったが、雇用の問題を含めた格差社会も多少の議論の対象となった。「住」という観点からは、格差社会や雇用よりも地方創生の方が関連が深いと思う。地方創生には、少子化・人口減の中での住人確保がなくてはならない。住人がいれば、そこには住まいがある。つまり「住」が維持されている地域は生き延び、家が荒れてくると地域のデフォルトが見えてくるということだ。
さて、地域がデフォルトするということはどういうことか?
勝手にイメージしてみた。それは財政破綻という定義ではない。地域が財政破綻をしても住み続けている住民はいて「衣食住」の生活は残っている。共同体としての存続ができない状態と考えると限界集落に近いかもしれないが、ちょっと遠いイメージだ。限界集落では高齢化の問題を含み、山奥の過疎のイメージが強すぎる。ここでのデフォルトでは高齢化や過疎を別に考える。
その上で、今、自分が住んでいる地域がデフォルトした時のことを想像してみるのだ。
「衣食住」が維持されていなければ、生きてゆけない。
エネルギーと情報
集落として孤立化すると生存が難しくなるのは、この冬早々の雪害で被害者が出たことでもわかる。災害時にはライフラインの危機に直面することになる。ライフラインの基本は電気・ガス・水道だ。それに情報が加えられている。
しかし技術が進むことによって、逆に脆弱になったようにも見える。徳島の雪害ではIP電話にしたことが情報断絶につながった。今は灯油ストーブも電気がなければ使えず、長い停電で凍えてしまう。電気エネルギーがなければ、生活はままならない。ただプロパンガスが大活躍したことは想像できる。
情報はなくても死にはしないが、強い不安に晒されることになる。
自衛隊が救助に入っても、食料は蓄えてあって本当の危機は迎えていないようだ。買い物に不便だからこそ、蓄えもあるのだろう。家も潰されず、寒さは衣類を着込んで過ごしていた。やはり「衣食住」があってこその、エネルギーと情報であることは間違いない。
しかし共同体存続を考えると、エネルギーと情報は欠かせない。この2つが無くなれば地域は間違いなくデフォルトする。しかし、有ってもデフォルトする時がある。
誰が支えてくれているのか
この地域のデフォルトを、手がけてくれる人の顔が見えているかで考えてみる。
情報は、ラジオやテレビが付いてインターネットがつながれば得られる。もちろん情報のコンテンツを作っている人がいなければ成り立たない。しかし情報は遠くにいる顔ばかりだ。情報の中の人は、その地域がデフォルトしても、むなしく画面の中でしゃべり続けている。
電気は、一度線がつながれば人の顔は見えなくなる。唯一顔を合わせるのは集金人だが、これは住まい手のためではなく事業者のための人で、エネルギーの多くはローカルではなくグローバルなものだ。その地域内に発電所を建てて供給する企業は、離島でもない限りあまり話を聞かない。 プロパンガス会社だけは例外で、貴重な存在だ。
そのまま「衣」も同様に想像してみる。その地域に布地屋さんや縫製屋さんは必要だろうか。衣服を扱う店舗の人の顔は見かけるが、機織りや縫い手の顔は見なくても、今では地域がデフォルトすることはない。それどころかネットで買えるので、衣服店の顔を見なくても良い。
「食」はどうか。家庭菜園を含めて、まったく農林水産物を扱っていない地域は間違いなくデフォルトしていると言える。調理を一切しない地域もありえない。それは住まい手がそのまま顔になっているのだから。ただし、調理人の顔と考えたらどうだろうか。調理人がいなくても、昔から冠婚葬祭は近所で集まって成り立っていた。調理人がいない地域もデフォルトすることはない。
では「住」はどうか。
キーナンバー20,000
不動産屋さんの顔が見えなくてもどうにかなるし、してきた。もしかしたら儲からないと言って真っ先にいなくなる。さまざまな建材も、衣服同様流通で手に入るので心配なさそうだ。
しかし、建設を手がける人の顔を見ないで済ませることはできない。古来は住人が集まって進めることもあったが、職人気質の人がいなければできない。
もちろん新築もできなければいけないが、新築して常在しないような企業の顔では足りない。
そのように考えると、建設をする「住」の人の顔が見えなくなった時は、地域がデフォルトする時なのだと思えてきた。つまり地域の住宅会社は、無くなっては困るインフラなのだ。(典型的な住業界人の意見だが・・・)
では、理想的な数もあるはずだ。それは、20,000。
医療が届かないとデフォルトになる。日本の医療では、病院運営の将来像として総合内科医による「かかりつけ医」を進めようとしている。人口5,000人に対して1人の割合で健康を見守り病院との関係を維持するのだ。人口で割って、20,000~24,000人のかかりつけ医が必要となる。
少子化の問題はあるが、小学校に通えなくなれば地域はデフォルト状態となる。全国の小学校の数も、20,000校程だ。
郵便が届かなくなっても地域はデフォルトする。全国の郵便局の数もちょうど20,000局程だ。簡易郵便局を入れると、24,000局となる。
あなた方に支えられています
住宅の瑕疵担保責任のデータから、約30,000社弱が住宅を供給していることがわかっている。そのうちおよそ半数は共同建て住宅だが、これらはデフォルトしそうな地域には縁がない。大手企業の群がる市場だ。
一方、戸建て住宅市場に95%以上の企業が入っている。そして大手企業のシェアは半世紀近くをかけても2割を超えず、地域の建設会社が実質担っている。今さらながら、住宅建設はローカルなものなのだ。
国鉄の民営化で、廃線になった線路はたくさんある。郵政民営化では、郵便業務がないがしろにならないことが条件だ。大企業になると、利益を優先させて不採算部門を切り捨てる傾向がある。住宅業界もこれらと似て、なくなっては地域はもたない。
地方創生は大事な国策だ。そして地域の住宅建設会社が最後の砦になって、地域がデフォルトしないよう支えてくれているように思えてきた。これからの時代、もしかしたら20,000社まで数は減ってゆくかもしれない。
でも、私たちの日本は、あなた方、地域の建設会社に支えられている。
国の支援はエネルギーなどと絡めて面倒な話ばかりだが、エネルギーや情報よりも大事な地方を守るための住まいの面倒を、どうかこれからも見守っていってもらいたい。
極めて微力ながら、エールをお届けします。
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