東海道沿いに誕生、大きな銀色の屋根を持つ「8.5ハウス」
東海道線二宮駅を降りて駅のすぐ前を走る東海道を小田原方向に歩くこと20分ほど。左手の通り沿いに空に向かって伸びる銀色の大きな屋根が人目を惹く建物が見えてくる。
画家・乙部遊さんの自宅であり、乙部さんが高校の同級生・野崎良太さんとともに経営するギャラリー&ショップの拠点でもある「8.5ハウス」だ。
乙部さんは二宮より都心寄りの辻堂で生まれ育った。高校を卒業してからは東京で、その後の10年ほどはニューヨークで暮らしてきたが、子どもを単一言語で育てたいと帰国を決意。当初は辻堂で土地を探した。
「自分も妻も大人なので、どこででも暮らしていけます。でも、落ち着いて子育てをしようと考えると帰国という選択になりました。ニューヨークは刺激的なまちですが、謳歌しようと思うと危険とも隣り合わせ。ニューヨークの前には東京にいましたが、もう満員電車には乗れない。それなら気候も良く、海も山も近い湘南に戻ろうと考えました」。
生まれ育った辻堂は大きく変化していた。駅前にあった工場が大型ショッピングセンターに変わるなど都市化が進み、駅ホームも拡張。乙部さんは最初、降りる駅を間違えたのではないかと周囲の人に「ここ、辻堂ですよね?」と聞いたほど。
人間関係も遠いものになっているようだった。地元の人たちは便利になったことを評価しており、それはその通りなのだろうが、自分が育ったような環境で子どもを育てたいと思っていた乙部さんにはここではないように思えた。
そこで都心から遠ざかる方向で茅ヶ崎、平塚、大磯と土地を探し始めた。まちの雰囲気やご近所づきあい、もちろん、価格も含めて広く探した結果、辿り着いたのは二宮だった。
特急が止まらないからだろうか、土地の価格も手頃で知らない人と挨拶するような文化もあるところが気に入った。すでに野崎さんが二宮に住んでおり、候補が出てくると現地を見てもらうなどしたそうだ。
「日本ではそれほど大きくアート活動をするつもりはなかったのですが、ギャラリーは作りたいと建築家に言ったところ、3ケ所の候補地のうち、歴史があって人目につく東海道沿いが良いのではないかと言われ、決断しました」
屋根と壁を一体化させた、コストカットにもなった「8.5ハウス」の構造
建築家の齋藤隆太郎さんに要望したことは4点だけ。
ひとつはギャラリー部分が欲しいということ。作品を飾りたいので壁は広めにとって欲しいが、植物を置きたいので窓は多めにしてほしい、そしてもうひとつは創作意欲、想像力を刺激する家であって欲しいということだった。
「壁を広くと窓を多くは矛盾しますが、それらの要望を全部上手に取り込み、想像もしなかった形の家になりました。アートでも同じだと思いますが、住宅でも建築家はプロなのですから、それが分かっているなら任せるのが一番。下手に口を出すとプロの作った完璧な比率が崩れてしまいます」と乙部さん。
完成した家は東海道から見える大きな屋根が内部では壁でもあるというもの。普通は壁と屋根は直角に交わっているものだが、8.5ハウスでは一体になっている。長方形の建物内部には対角線上にもう一枚の壁があり、それら2枚の壁は家を支えるものであり、絵などを飾るための壁でもある。
東海道に向けて大きくとられた玄関から建物に入ってみると外から見ていた大きな屋根がそのまま高く伸びて壁、天井になっており、内部は実際の面積以上に広く、開放的に感じられる。東海道側には窓がないが、入口の開口は外から内部、内部から外が見えるように作られており、開かれた印象があって明るい。
2階は対角線上の白い壁と屋根の内側が壁になっており、こちらも高さが限られた空間を広々と感じさせてくれる。屋根と反対側にはたっぷりと窓が取られており、室内の植栽はそこからの光をふんだんに浴びている。
「壁と屋根を一緒にすることでコストカットにも繋がっています。ただ、屋根の裏側は全部見えていますから、木に穴をあけたりすると隠せない。きれいに仕上げなければいけないと建築会社は気を使って大変だったそうです」。
“8.5”をキーワードにまちづくりに関わることに
ところどころに昔ながらの古い家も残る東海道沿いでは8.5ハウスは目立つ建物で、建築中はご近所の人達から「店ですか、カフェですか」とさんざん聞かれたそうだ。カフェなどの少ないエリアでもあり、期待されていたのだろう。
その一方で乙部さんたちは内心、不安もあった。建築家に提案された時から面白いとこの形を選択したものの、特殊な形状でもあり、周囲から反感を持たれるのではないかと心配だったのだ。ギャラリーについても同様だった。
幸いなことにそれは杞憂だった。
「2019年11月に建物が完成、2020年5月に人つなぎをしている近隣の人たちなどにギャラリーのお披露目に来ていただいたのですが、反感どころか、逆に一緒に地域を盛り上げようという話になりました」と野崎さん。
このエリアは湘南の西部という意味だろう、西湘と呼ばれることがあるが、地元にはそのネーミングにあまりぴんとこないという声もあったそうだ。だが、それに代わるこのまちらしいフレッシュな感覚の名称があるというわけでもなかった。
そんな時に出会ったのが8.5ハウス。8.5は東海道の8番目の宿場町・大磯と9番目の小田原の間にあるという意味で、建築家の齋藤さんが名付けてくれたもの。地元の人たちにはそのネーミングが新鮮で、かつこの土地らしいと感じられたのだ。
そこでこのネーミングを使わせて欲しい、まちおこしにはアートが必要だから協力して欲しいという話になったのである。2人も何か、地元の役に立つことができればとまずは子ども相手のワークショップを開催する話になった。
そこに到来したのがコロナである。残念ながら開催は見送られることになったが、それと同時並行で進んでいたプロジェクトが地元のガレージに壁画を描くというものだった。
コロナ禍で描いた壁画が話題になり、街中に壁画が増え始めた
壁画を描くだけなら誰かと接触するわけではなく、戸外で作業を進められる。そこで予定通り、倉庫にエリア8.5とこの地域の新しいネーミングを描いた。これについてもお年寄りも多いこの地域にこんな派手な絵を描いて!と怒られるのではないかと内心ひやひやしていたそうだ。
これまた杞憂だった。逆にありがとうという感謝の言葉を多く言われ、その後、二宮ではどんどんと彼らが手掛ける壁画が増えていくことになる。
「飲みに行くと『うちにも描いてくれよ』とよく言われるのですが、当初は酒席ののりだと思っていました。ところが、半分くらいは本気。実際、地元ですでに24枚描いており、それ以外も合わせるとこの3年間で60枚の壁画を描きました」と野崎さん。
そのうちでも注目を集めたものの、大変だったのが江ノ電の藤沢駅から江ノ島駅までの駅構内の作品。他の作品は1カ月に1枚くらいにテンポで描いていくが、この時には通常3年でやるものを2カ月で描きあげたというからヘビーさがお分かりいただけよう。
「描ける時間は終電から始発まで。人が触りそうな場所は早めに描いて乾かさなくてはいけませんし、雨が降ると外は描けない。材料や道具はその都度、毎回撤収しなくてはいけないので、それにも時間がかかる。描いている時は楽しかったものの、予定通りに終わるのだろうかと心配でした」。
時間、体力的には厳しい仕事だったが、周囲の人達の温かい反応が励みになった。ありがとうと言ってくれる人、差し入れを持ってきてくれる人、今度はここを描いているんですねとわざわざ見に来てくれる人などさまざまな人がそれぞれのやり方で応援してくれた。
「駅ごとにその土地について調べ、鵠沼駅の鵠は白鳥の意味ということで白鳥を描き、柳小路駅には昔大きな蓮沼があったとのでそれを描くなどしたのですが、昔から住んでいたという人に壁画が会話の糸口になった、ありがとうと言われたこともありました」と乙部さん。
まちにコミュニケーションを生むパブリックアート=壁画
その土地の歴史や風物を織り込む以外に注文を受けて描く壁画では落書きと思われないように意識していると乙部さん。ニューヨークの街角に見られるグラフィティーは好きだし、それを否定するわけではないものの、乙部さんは年代、人によってはそういうジャンルのアートに悪い印象を持っている人もいるかもしれないだろうと考えている。
「壁画は自分の作品とは違い、パブリックな存在だと考えています。作品を展示する場合なら絵の背景をキャプションなどで説明できますが、壁画はそうしたものがなくても分かるものでなくてはいけない。いつも通る人達がどう感じるかを考え、アートに関係ない人の意見などを聞くなどして総合性を意識、ひとりよがりにならないようにと考えています」と乙部さん。
野崎さんも乙部さん同様に違う考えがあることを踏まえた上で、アートは一方通行ではないほうが良いと考えているという。
「ジェネレーションを超えて人々のコミュニケーションを促進するもの、ポジティブな気持ちになれるものであってほしいと考え、その点に重きをおいて壁画を作成しています。壁画はまちの中にある絵画。そう考えると誰か個人がクライアントではなく、まちの多くの人がクライアントといえるかもしれません」
そんな考えで生まれた壁画は地元で広く愛されており、昨春は壁画を巡り歩くイベントも開催された。
「二宮町にある吾妻山公園は富士山、相模湾などの眺望に加え、菜の花が有名で毎年1~2月には菜の花ウォッチングが開催され、多くの方が訪れます。その際に菜の花と壁画を見て歩くイベントが開催され、壁画を探して歩いていらっしゃる方を見かけました」と野崎さん。
壁画が増えただけでなく、この3年ほどで店も増えていると乙部さん。
「亡くなる方も多いので人口自体は減っていますが、外から来る人が増加。この3年ほどで15~20軒ほど店が増えているのではないでしょうか」。
二宮の地域の寛容さが人を惹きつけ、続々新しい店も生まれ始めた
もともと、都内居住者間には湘南エリアへの憧れがあり、ブランドとしても認知されている。そこにコロナがあり、リモートで働けるなら湘南へという流れがひとつ考えられる。それに加え、このまちの寛容さが人を惹きつけているのではないかとお二人。
「都会から移住してきている人たちの中には若い人もいますが、すでに子どもが独立している年代の人たちも多く、しかも海外経験がある、英語が話せる人が少なくありません。アート、文化に対する理解があるのはそれがひとつの理由かもしれません。
一方で昔からこの地にいる人達は度量が広いと感じています。二宮は宿場町の間のまちですが、その昔の駅前は非常に繁華な、栄えていた場所でした。秦野方面からも人や物資が集まり、それを東海道線で都会に運ぶ拠点だったのです。その当時の経験、蓄積からか、地元の方々は鷹揚で、自分ではやらないけれど、やりたければやればいいよと新しい人たち、若い人たちの取組みに寛容。
まちが変化するには新しい人達だけでも難しく、地元の人達だけでもやり方が分からなくてうまくいかないこともある。このまちは新旧のバランスがうまく取れているように思います」(野崎さん)。
まちを歩いていると壁画はもちろん、エリア8.5のステッカーやロゴが入ったTシャツを着た店の人たちがいたりと、最近生まれた概念がすっかり地域の人たちに受け入れられていることが如実に感じられる。1軒の家がここまで地域にインパクトを与えているのは驚きだ。
建築家にとってはこうした事例は理想なのだろう、海外を含む建築関係のメディアにはすでに数が分からないほど多く取り上げられており、建築関係の受賞などもいくつか。まちづくりのイベントに呼ばれて話をすることもあるそうだ。
そうしたお二人にとって今後の目標はこのギャラリーを通じてアートをもっと身近なものにしていくこと。
「家にアートというとまだまだハードルが高いように感じている人も少なくないと思いますが、インテリアの一部、植物のような感じで来ていただけるとうれしいですね。ここは画廊ではなく、インテリアショップ、アートショップみたいなものです」と野崎さん。
昨年までは壁画で手一杯でギャラリーは一休止していたが、今後は作品を増やし、海外のギャラリーのようにふらっと入ってふらっと出て行ける、身近な存在になりたいと乙部さん。そうすることで「自分でも絵を描きたい、モノを作りたいと思う人が増えると画材その他が安くなって、自分たちにもメリットがあります」と乙部さんは笑う。
次の天気の良い休日に二宮町で壁画を訪ね、アートに触れるミニトリップ、どうだろう。これまで知らなかったまちを知るためにも良さそうである。
■ギャラリー関係の情報はこちらから。
https://eastside-art.com/
https://www.instagram.com/eastsidetransition/
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