認知度に違いがあるのは、村野藤吾と本野精吾の名前のまぎらわしさが原因?
今回から日本におけるモダニズム住宅の話に入りたい。まず取り上げるのは、建築家で京都高等工芸学校(現・京都工芸繊維大学)の教授であった本野精吾(もとのせいご、1882~1944年)。
本野精吾? 誰それ? そんな声が聞こえてきそうだ。
確かに本野精吾という建築家は、一般にはそれほど知られていないと思う。
というか、建築専門家の間でもそれほど知られてはいない。だがこの住宅を見ると、なぜこれを設計した人が有名でないのか、不思議に思えてくる。後に活躍する村野藤吾(1891~1984年)と名前が似ていて、まぎらわしかったからだろうか…。
訪ねるのは、1924年に京都市内に完成した「本野精吾自邸」。今年、ちょうど築100年。日本のモダニズム最初期の住宅だ。
本野精吾は1882年、本野盛亨(もりみち)の五男として東京に生まれた。父の盛亨は大蔵省に務めた後、読売新聞社を創業した人物。精吾の兄に、外務大臣を務めた本野一郎、早稲田大学教授・4代目読売新聞社社長を務めた本野英吉郎、電気工学者で京都帝国大学教授を務めた本野亨がいる。なんというエリート一家。
デザインも重視した“鎮ブロック打ち放し”
社会的な挑戦心と理系的探究心が同居する家系だったのだろう。
本野精吾自邸は「中村式コンクリートブロック造」という特殊なコンクリートブロック構造を用いたことで有名だ。これはL字型のブロックを組み合わせて中空の壁体をつくり、その中に部分的に鉄筋コンクリートを打設するもの。建築技師中村鎮(まもる)氏が開発した手法で、通称「鎮ブロック」と呼ばれる。
1920~1930年にかけて、日本全国で100棟以上に採用され、1923年の関東大震災でも強さが証明された。だが、現存するものは少ない。
本野精吾自邸が完成したのは関東大震災の翌年。本野は鎮ブロックが関東大震災で倒壊しなかったことを評価した。と同時に、そのデザイン性にも着目した。本野は構造体である鎮ブロックの上に仕上げを施さず、内外ともむき出しで使った。いわば“鎮ブロック打ち放し”だ。
ちなみに本野は1929年に京都市内に完成した栗原邸でも鎮ブロックを用いているが、こちらは洋館の雰囲気が強い外観(参考:昭和4年築。日本最初期のコンクリートブロックのモダンなお屋敷を見て来た)。個人的には先にできた本野精吾自邸の方がシャープでかっこいいと思う。
間取りから伝わる社交的な暮らし
北側には女中部屋と台所などがあり、平面の真ん中にある階段を上って2階へ。2階は寝室や納戸など小部屋が並ぶ。居間と食堂が一体になっている間取りはこの時代には珍しい。本野は教授職であったことから、研究者や学生を招きやすいつくりにしたと考えられる。間取りを見るだけで社交的な暮らしが伝わってくる。
日本の雨の多さを考慮した深い軒
そして、この「愛の名住宅図鑑」で注目したいのは、屋根部分の深い軒だ。窓の上に飛び出す庇もいくつかある。日本の雨の多さを考慮したのだ。
モダニズム建築の黎明期、「バウハウス」(ドイツのデザイン専門学校)の建築家らは、装飾主義を脱して白い豆腐のような建築を設計し、世界に大きな影響を与えた。これは地域を問わないデザインという意味で「インターナショナルスタイル」と呼ばれる。本野精吾自邸は装飾主義を脱したスッキリデザインという意味では「インターナショナルスタイル」だが、日本特有の雨対策が施されているという点では「ローカリズム」だ。
同じ1924年に完成した「旧山邑家住宅(ヨドコウ迎賓館)」が雨漏りに悩まされたことはすでに書いた(こちらの記事https://www.homes.co.jp/cont/press/buy/buy_01608/)。それに対して、構造体むき出しのこの住宅が100年たった今も健全に使える状態であるのは、軒や庇の効果が大きいと思われる(現在は木村松本建築設計事務所がオフィスとして使用)。このほか、完成当初はブロックの壁体内の空洞を用いて壁内通気を試みていた形跡も残るという。単に最初期のモダニズム住宅であるだけでなく、普遍性と地域気候の融合を目指した日本型モダニズムのパイオニアである。
家具や舞台、船室も設計した本野精吾
ところでこの住宅を設計した本野精吾がなぜそれほど有名でないのか。この家の保存・活用に関わった建築史家の笠原一人氏(京都工芸繊維大学准教授)に聞いてみた。
笠原氏によると、本野は建築だけでなく家具やグラフィックデザイン、食器、工業デザイン、舞台、船室の設計など幅広い仕事を手がけたので、建築界での存在感が薄まってしまったのではないか、とのこと。なるほど…。挑戦のDNAが裏目に出たのか。
だが、この住宅は間違いなく名住宅だ。その“愛”に今も学ぶべきことは多い。
■概要データ
本野精吾自邸
所在地:京都市
設計:本野精吾
階数:地上2階
構造:鉄筋コンクリート造
延べ面積:159.84m2
竣工年:1924年(大正13年)
■参考文献
『INAX REPORT』No.171「本野精吾」、『TOTO通信』2020年秋号「本野精吾邸」
一般社団法人リビングヘリテージデザインのウェブサイト
https://livingheritagedesign.jp/architecture/220/
公開日:











