2006年にスタート。長崎観光の起爆剤「長崎さるく」

今では誰もが知っている言葉となったまち歩きだが、広く使われるようになったのにはきっかけがあった。それが長崎市で2006年に行われた「長崎さるく博‘06(以下さるく博)」と名づけられた観光イベントである。さるくは長崎の方言で歩く、歩き回るを意味する。「長崎さるく」は長崎ぶらぶら歩きとでも訳せばよいだろうか、地域に詳しい地元の人の解説を聞きながらまちを歩く、そんなイベントである。

まち歩きが一般的になった今なら、よくあることと思われるだろうが、18年前には「さるく博」は日本初のまち歩きイベントだった。

長崎市ではバブルさなかの1990年に長崎旅博覧会を開催、628万人の観光客を集めたのだが、翌年にはその反動で一気に観光客数が減少。長らく右肩下がりの状況が続き、2004年には500万人を切ったほど。そこからの脱却、起死回生を図るために考えられたのが「長崎さるく博」である。

長崎市の訪問客数の推移。長崎さるく博’06以降、右肩上がりに推移してきた。コロナで他の多くの観光地同様大きなダメージを受けたが、現在は回復しつつある長崎市の訪問客数の推移。長崎さるく博’06以降、右肩上がりに推移してきた。コロナで他の多くの観光地同様大きなダメージを受けたが、現在は回復しつつある

「1990年からの15年間で社会も、観光動向も大きく変わっていました。団体旅行から個人旅行に、物見遊山を楽しむ旅から体験する旅へ、男性主体から女性主体へ、観光と生活は分離したものから観光をまちづくりに生かす時代へ、紙中心からICTへ。その変化を踏まえて長崎市では2006年に長崎市観光アクションプランを策定しました」と 長崎市観光交流推進室の竹下祐一さん。

その前年、2005年に長崎港の東西を繋ぐ女神大橋、長崎歴史文化博物館が完成、出島の復元も進んでいたことから、これまでのように一過性の点から点の旅からまちなかへの回遊性のある、面で楽しんでもらえる旅への移行を考えたのである。

「長崎には独特な文化、歴史、多様な観光資源があり、石碑や説明板はありますが、残念ながら実際に目に見えるものはあまり多くありません。まちなかの幕末の志士たちの痕跡は消失していますし、坂本龍馬像はあったものの、亀山社中記念館はありませんでした。

そんな見えないものをどう見えるようにするか、それを考えた結果がさるくというやり方。地元を知るガイドの話、面白いエピソードで文化、歴史その他を見える化する試みです。また、点と点をさるくコースで結んで線にし、複数のコースを張り巡らせてそれを面にして、まちをパビリオンにしようと考えました」。

長崎市の訪問客数の推移。長崎さるく博’06以降、右肩上がりに推移してきた。コロナで他の多くの観光地同様大きなダメージを受けたが、現在は回復しつつある長崎県美術館からの夜景。中央に見えているのが女神大橋(写真提供:(一社)長崎県観光連盟)
長崎市の訪問客数の推移。長崎さるく博’06以降、右肩上がりに推移してきた。コロナで他の多くの観光地同様大きなダメージを受けたが、現在は回復しつつある長崎のまちなかにはさるくのコースを紹介した掲示のほか、さまざまな説明のための掲示があり、分かりやすい

のべ3万人の市民の協力がイベントを成功に導いた

以前の旅博覧会でも多くの市民が手伝っており、さるく博でもその力を生かして市民による企画・運営を中心に据えた。

2004年、2005年にはプレイベントでそれぞれ32日間、79日間、本イベントでは212日間と長期にわたるイベントだったが、市民プロデューサー95名、ガイド325名をはじめ、のべで約3万人の市民が関与したというから、まちを挙げてのイベントだったことが分かる。

コースは3種類。ひとつはコースマップを配布、地図と市内153カ所ほどに設置された説明板などを見ながら自由に歩く、「長崎遊さるく」で、これが42コース。

イベントの中心となったのはガイドと一緒に約2キロを2時間ほどかけて歩く「長崎通さるく」で、こちらは31コース。定員は15名で、中学生以上の参加料は500円。市が育成した430名の市民がガイドを務めた。

「観光地を線で結ぶのではなく、日常の坂道や商店街、市場を通るなど他では通らない道を歩くなど、地元の人と一緒でなければできない体験ができるコースを用意しました。ここで大事なのはガイドの皆さん。階段ではそりに乗せてゴミを下ろすんですというエピソードがあれば坂の上り下りも楽しい時間になります。会話、対話を大事にして、勉強したものだけを喋り過ぎないようにとお願いしました」。

そしてもうひとつは長崎ならではの体験をしてもらう「長崎学さるく」。これは専門家の講座とまち歩きがセットになったもので参加費は500円~。予約制でテーマは専門家によってさまざま。歴史、自然もあれば食もあるといった具合で、バリエーション豊富なコースが用意された。

結果、長崎さるく博はまち歩きイベントに649万人、タイアップなども含めたそれ以外のイベントを含めると775万8000人の観光客を集めた。以降、年によって多少の上下はあるものの、基本的には右肩上がりの傾向が続いており、長崎さるくは長崎の観光の舵を従来とは違う方向に切ることに成功したといえよう。

今では一般的な言葉として、観光やまちづくりに使われ、個人の趣味のひとつともなっているまち歩きだが、広く認識されるきっかけとなったのは長崎市の観光イベントだった。それが全国に広がっていったわけだが、本家の長崎でもこの20年弱の間に変化が起きていた。長崎は坂のまちとして有名だが、そこでの暮らしぶりなどが分かれば坂の上り下りも楽しめるというもの(写真提供:長崎国際観光コンベンション協会

さるくに参加したことで市民の意識が大きく変わった

それ以上に市民への影響が大きかったと竹下さん。

「もちろん、観光に寄与したのは確かですが、それ以上に大きかったのはまちづくりへの影響です。ガイドを体験してみて自分のまちを深く知るようになったからでしょう、まちづくりに参加する人が増えました。市民によるホスピタリティの向上や観光に携わろうという人も増え、観光とまちづくりが繋がった印象があります。市としても人財を発掘できたイベントでした」。

ここで得られた自分のまちをガイドすることでまちを知る、見直すことに繋がり、それがまちづくりの下地になりうるという発見はその後の日本全国のあちこちで広く活用されるようになった。今では観光のためにはもちろん、まちを変えようと考える時の最初の一手としてまちあるきが行われるようになった。その意味で長崎さるくはまちづくりの手法を大きく変えたイベントでもあった。

長崎市ではこの成果を一度限りにせず、継続しようと考えた。コースを絞りつつ、毎年テーマを変えて通年で開催し続け、ピークだったのは2009~2010年度にNHKの大河ドラマで龍馬伝が放送された時期。2010年には611万人が長崎市を訪れている。

その後も観光客はおおむね順調に増えているのだが、2013年から2015年にかけてはキャンペーンを行ったものの、さるくの参加者は減少が続いた。

「少人数グループが一般的になり、女性だけのグループも増えました。そのうちには歴史好きもいれば、洋館を見たい人もいるなど観光スタイル、嗜好がさらに多様化。それに10時、13時の定刻に人数が集まったらスタートするというやり方が合わなくなっていたのです」。

その時点で中心になっていたのはワンコインで参加できる通さるくだったが、もう少し付加価値のあるまち歩きにしていこうと2016年からは内容を見直して参加料を値上げ、参加を定時出発型から受注型に変え、午後出発のコースなら当日朝の申し込みも可とするなど直前の申し込みも可能にした。

今では一般的な言葉として、観光やまちづくりに使われ、個人の趣味のひとつともなっているまち歩きだが、広く認識されるきっかけとなったのは長崎市の観光イベントだった。それが全国に広がっていったわけだが、本家の長崎でもこの20年弱の間に変化が起きていた。坂本龍馬は今に至るまで強い観光資源のひとつ(写真提供:(一社)長崎県観光連盟)

原点に戻り、市民の企画、運営によるさるくに

2015年からは参加者にアンケートを実施、声を聞いた。

「そこで分かったのはさるく博の時にはガイドが主役と言われていましたが、現在の参加者はガイドの一方的な説明では満足しないということ。会話を楽しんでもらい、参加者の関心、興味を引き出し、もっと知りたい、また来たいなどと思われるような役割が求められていることが分かりました」と一般社団法人長崎国際観光コンベンション協会(以下DMO)事業部部長の古賀典明さん。

そこで2022年からは運営方法を大きく変えた。これまでのように行政が費用を出して行う事業ではなく、まち歩きを行う団体、個人を主体とすることにし、彼らが企画から運営までをも行う形にしたのである。収益も実施主体とDMOに入る形にし、選ばれる、魅力的なツアーを実施している団体、個人が収益を上げられるようにしたのである。

「まち歩き全部をホームページも含めて長崎さるくという名称で統一、それぞれの団体、個人はその中で個別の名称でコースを出すという形です。おなじさるくでも、内容、ガイドによって多数の選択肢があり、何をしたいか、いつ行くのかなどで選べるようになっています。ガイドの多くはホームページ内に自己PRを出しているので、人それぞれの特徴も分かります」。

長崎さるくの中で長崎国際観光コンベンション協会が実施しているコースの紹介ページ。若い女性を意識している(写真提供:長崎国際観光コンベンション協会)長崎さるくの中で長崎国際観光コンベンション協会が実施しているコースの紹介ページ。若い女性を意識している(写真提供:長崎国際観光コンベンション協会)

長崎さるくのホームページでコース一覧を見ると「長崎の風」、「長崎さるく石だたみの会」、「小島昭徳」「ROUTE BIKE & TOURS」「東秀信」「長崎ストーリーズ」などと主催者の名称が出ており、内容、料金、所要時間は主催者、コースなどによって異なる。

このうち「長崎の風」「長崎さるく石だたみの会」は以前からの流れで500円、1000円といった手頃な料金で2時間のまち歩きを実施。長崎の風は予約不要、料金は当日に現金払いと実にカジュアル。ちょっと時間があったら行ってみようという感覚で参加できる。

「ROUTE BIKE & TOURS」はその名の通り、電動アシスト自転車で長崎のさまざまな風景を楽しむというもので、事前問合せで実施が決まる。坂のまちとして名高い長崎を自転車で走る体験は普通の旅行ではなかなかできないと考えると、試してみる価値はある。

長崎さるくの中で長崎国際観光コンベンション協会が実施しているコースの紹介ページ。若い女性を意識している(写真提供:長崎国際観光コンベンション協会)東山手の洋館を巡るコース。最近は訪れる人の関心が多様化。それに応じてさまざまなコースが作られている(写真提供:長崎国際観光コンベンション協会)

定番ツアーに加え、季節、時期に合わせた限定コースも多数

同じまち歩きでもより歴史、暮らしに密着した内容をと考えるなら「東秀信」さんのディープな歴史探訪が面白そう。3時間のコースがあるなど頭だけでなく、多少体力も必要そうだが、旅先でこそ歩いてみてはどうだろう。

「小島昭徳」さんのコースはランチやディナー、ビールなど食も楽しめるのが特徴。ガイドブックに載らない地元グルメが楽しめそうである。

そして、もっともコース設定の多い、定期的に開催されている「長崎ストーリーズ」はDMOが主催している。DMOの役割はプロモーションなど長崎さるく全体の統括だが、プレイヤーとしても参加しているのである。

他のツアーは日時限定だが、長崎ストーリーズは10種類のコースを基本毎日2回10時~、14時~開催している。しかも、10時のコースは前日17時まで、14時のコースは当日10時まで受け付けが可能で思いついてふらっと参加も可能である。最少申込人数は1名からで、最少催行人数は2名。以前のように15人集まらなくても行われているのだ。

これだけの回数を定期開催するのは大変だろうと思うが、現在所属するガイドは54人おり、それだけの数がいると、大体、誰かが行けるものだと古賀さん。このガイドの層の厚さはかつての歴史の賜物だろう。

短いコースでも坂や階段があるコースでは体力が必要かも(写真提供:長崎国際観光コンベンション協会)短いコースでも坂や階段があるコースでは体力が必要かも(写真提供:長崎国際観光コンベンション協会)
短いコースでも坂や階段があるコースでは体力が必要かも(写真提供:長崎国際観光コンベンション協会)人気の高かったという長崎の路面電車の車庫見学。こちらは蛍茶屋のビルの下が車庫になっている場所

加えてDMOでは意欲的に時期や季節限定のツアーも開催している。

「定番の坂本龍馬や平和さんぽ、2つの世界遺産を訪ねるコースが人気ですが、それ以外にも多様な楽しみ方をと考え、時期、季節限定のツアーを開催しています。2022年の新幹線開業時には500円で長崎駅から出島と眼鏡橋をガイドする1時間のツアーを開催、多くの人に参加いただきました。

路面電車の車庫を見学するツアーでは150人があっという間に埋まりましたし、2022年10月に駅周辺で行われた秋祭りに合わせたハタ(長崎独特の凧のこと)揚げさんぽ、2023年1月のランタンフェスティバルに合わせたロウソク祈願体験付きさんぽ、長崎くんち時の庭見せさんぽ(庭見せ=祭りに使用する衣装、小道具などを並べて表通りに並べて披露すること)など一人では行きにくい、ガイドが必要なコースに人気が集まりました。普段見せてもらえない場所を見せてもらえる企画も話題になります」と古賀さん。

短いコースでも坂や階段があるコースでは体力が必要かも(写真提供:長崎国際観光コンベンション協会)修学旅行の定番、平和記念公園も人気の行先のひとつ(写真提供:(一社)長崎県観光連盟)
短いコースでも坂や階段があるコースでは体力が必要かも(写真提供:長崎国際観光コンベンション協会)全国的にも有名な長崎くんち。祭りの前後に訪れて地元の人に祭りの裏側を案内してもらうとより祭りを楽しめそうだ(写真提供:(一社)長崎県観光連盟)

ガイド、参加者の高齢化への対応が今後の課題

市場の変化に合わせて意欲的な変革が行われたわけだが、その成果が出てくるのはこれから。2022年はコロナ禍中だったし、2023年も春までは人は動きにくかった。そこから一気にこれまでの生活が解禁になり、長崎港にも2023年3月からはクルーズ船が入港するようになった。

長崎では2022年9月に西九州新幹線が開業、2024年1月には長崎駅前に長崎マリオットホテル、10月にはスタジアム、アリーナ、商業施設からなる長崎スタジアムシティ、冬頃には南山手の伝統的建造物を利用したホテルインディゴ長崎グラバーストリートがそれぞれ開業予定で観光的には大きなチャンス。そこに向けて長崎さるくもがんばろうと盛り上がっているのである。

長崎駅周辺は2025年の完成を目指して複数の工事が進行中長崎駅周辺は2025年の完成を目指して複数の工事が進行中

だが、将来的には不安要因もある。ガイド、参加者の高齢化である。長崎ストーリーズで活躍しているガイド54人の平均年齢は62歳。半数は70代で、男女比は7対3。

また、参加者は50代以上が63%になっており、男女比はほぼ同数。平均15日前に予約が行われており、個人予約になると1週間前の予約が多くなる。さすがに今の時代である、ネット予約が9割に及ぶ。とはいえ、ガイド、参加者ともにシニア層が中心になっており、若い人達の参加があまり多くないのである。

「以前は大学生ガイドの育成をしていたこともあるのですが、学生のうちは良いものの就職するとなかなか続かない。さるく博から20年近く経っていますから、その頃からのガイドの人は始めた当初、退職したての60歳だったとして今は80歳近く。2時間のまち歩きガイドは難しくなっているのではと思います。その後の育成は年数人程度。若い人にガイドとして参加して欲しいところです」と竹下さん。

DMOではまち歩きの内容だけでなく、ホームページの情報、写真をどんどん更新。一方的に伝えるだけでなく、メディアの担当者が実際に参加してのレポートなどで立体的にまち歩きの楽しみ方を提案、伝える努力をしている。若い層を意識、現地の人と交流したい、商店街で買い物したいなどというニーズも取り込んでいきたいと意欲的でもある。それが今後、どのように生きてくるか。

長崎は山に囲まれた天然のコンパクトシティであり、長い、複雑な歴史の土地である。そこに高齢化は進むものの、もてなし上手のガイドが多数揃う。一緒に歩けばきっと発見がある。これから訪れる予定の人はぜひ一度、参加してみてはどうだろう。

長崎さるく
https://saruku.nagasaki-visit.or.jp/

長崎駅周辺は2025年の完成を目指して複数の工事が進行中市内には魅力的な商店街も多く、そこでご当地ならではの買い物をするツアーも面白そうだ
長崎駅周辺は2025年の完成を目指して複数の工事が進行中長崎は尾曲がり猫が多い地域だそうで、個人的には猫見学ツアーもやってほしい

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