「旧東宮御所(迎賓館赤坂離宮)」。設計者は“建築家第一世代”の片山東熊

これまでは明治維新以降の日本の住宅・建築に影響を与えた外国人建築家を紹介してきた。
今回からいよいよ日本人建築家を取り上げる。

“日本人建築家第一世代”の代表として最初に取り上げたいのは片山東熊(とうくま 1854~1917年)だ。訪ねる“名住宅”は、片山が55歳となる1909年(明治42年)に完成した旧東宮御所(現在の迎賓館赤坂離宮)である。

正面玄関のある北側の前庭から見る。竣工から100年となる2009年に国宝に指定された。現在は一般公開されている(写真:宮沢洋)正面玄関のある北側の前庭から見る。竣工から100年となる2009年に国宝に指定された。現在は一般公開されている(写真:宮沢洋)
正面玄関のある北側の前庭から見る。竣工から100年となる2009年に国宝に指定された。現在は一般公開されている(写真:宮沢洋)(イラスト:宮沢洋)

日本人で最初の建築家というと辰野金吾(1854~1919年)を思い浮かべる人が多いと思う。それは間違いではないが、片山は辰野と同期生だ。2人を育てたのは、本連載の第2回で取り上げたジョサイア・コンドル(1852~1920年)だ。

コンドルはロンドン大学で学び、1877年、日本政府の招聘を受けて25歳で来日する。建築家として設計活動を行う一方で、工部大学校(現・東京大学工学部)で西洋建築学を教えた。その第1期生が辰野と片山だ。正確には同期生は4人いて、残り2人は曽禰(そね)達蔵と佐立七次郎(さたちしちじろう)。コンドルが先生といっても、年齢は片山や辰野と2歳しか違わない。

片山東熊はコネも才能もあるスーパーエリート

片山は長州藩(山口県萩市)の下級藩士の家の出身で、同郷の大政治家・山縣有朋にコネがあった。工部大学校卒業後は、宮内省に入る。ヨーロッパの視察旅行の後、皇族の施設のほか、奈良国立博物館、東京国立博物館表慶館、京都国立博物館、神宮徴古館など多くの博物館を設計した。また、公務の合間に貴族の私邸も数多く手掛けている。
 
東京駅赤レンガ駅舎や日本銀行本店を設計した辰野のほうが一般には知られているが、建築の専門家の間では「片山のほうがデザインがうまかった」と見る人が少なくない。筆者もそう思う。特に、水平性の美しさにうっとりする建築が多く、筆者は勝手に“水平の魔術師”と呼んでいる。

たたき上げで努力家の辰野に対し、片山は元から人脈に恵まれ、デザインセンスもある。近くにいたらやっかみたくなるようなスーパーエリートだった。

(イラスト:宮沢洋)(イラスト:宮沢洋)

「設計者にとって最も起こってほしくないこと」

そんな片山が日本の住宅史上最も不名誉な扱いを受けることになる。それが東宮御所だ。

明治期の皇太子であった明宮嘉仁親王の住宅として元赤坂の旧紀州徳川家中屋敷跡地に建設された。皇太子の異称が「東宮」であることから、東宮御所と呼ばれる。

片山がこのミッションに取り組み始めたのは、脂が乗った42歳ごろ。1897年に東宮御所計画のために1年以上、欧米を視察。フランスのルーブル宮殿やベルサイユ宮殿を設計の参考にしたといわれる。1899年に着工。10年の歳月をかけて1909年に竣工した。

ネオ・バロック様式の真っ白な外観。内部には絢爛豪華な装飾群。日本最初の宮殿建築とされる。最初ではあるが、間違いなく最高の宮殿建築でもある。手の込んだ装飾群に加え、前述したように水平性を美しく見せる全体のプロポーションが実に見事だ。

正面玄関(写真:宮沢洋)正面玄関(写真:宮沢洋)

ところが、完成した東宮御所に皇太子(大正天皇)は結局、住まなかった。父親の明治天皇は一言、「ぜいたくだ」と漏らしたとされる。

スーパーエリートの挫折感は想像に難くない。筆者は本サイトで以前、「設計者にとって最も起こってほしくないことは、自信作の家に人が住んでいないという光景だ」と書いた。まさにそれが起こったのである。片山が東宮御所の完成から8年後に63歳で亡くなったことに、その影響がなかったとは思えない。

正面玄関(写真:宮沢洋)(イラスト:宮沢洋)

欧米の宮殿の先を行く旧東宮御所の間取り

そんな歴史の汚点のような住宅をなぜ「愛の名住宅」で取り上げるのか。

それは、「寝室」の間取りだ。現在、見学できるコースには入っていないが、住宅なので当然、寝室がある。特徴的なのは、それが左右対称の位置に2つ設置されていること。同形、同大。一方が東宮御寝室で、もう一方が東宮妃御寝室だ。

(イラスト:宮沢洋)(イラスト:宮沢洋)

これについては、片山が欧米の視察で見た左右対称のプランを丸パクリし、その「2つの寝室」に皇族が違和感を持った、という説もある。結婚前の皇太子に夫婦別寝室を用意するとは何事かという見方だ。

しかし、これは現代から見た違和感で、当時の皇室建築では最先端の間取りだった。建築史家の小沢朝江氏によれば、それまでの皇室建築は男性が女性の部屋に渡ってともに過ごすスタイルで、男性の部屋は大きく、女性の部屋は小さくつくられていた。明らかに空間の大きさに差があった。

片山が参考にしたというルーブル宮殿やベルサイユ宮殿も、内部は左右対称ではないという。平面はあくまでも国王の宮殿を中心とし、王妃の空間は一方に偏る。

片山は欧米の宮殿を徹底的に調べたうえで、その先を行く新時代の宮殿を示したのだろう。男女平等を皇室から実践するのだと。その意図を明治天皇や皇太子に伝える機会があったのかは定かではない。せめて後世の私たちは、その先進性に賛辞を送ろうではないか。

■概要データ
所在地:東京都港区元赤坂2-1-1
設計:片山東熊
階数:地下1階・地上2階
構造:石造および鉄骨レンガ造
建築面積:5150m2
竣工:1909年(明治42年)

■参考文献
小沢朝江著『明治の皇室建築k』(吉川弘文館、2008年)
「朝のひかり 夜のあかり」ねむりのコラム 眠りの本棚第六話(小沢朝江)

(イラスト:宮沢洋)南側の主庭にある噴水越しに見る。噴水も当初からあるもので国宝(写真:宮沢洋)

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