地域医療の課題解決を目指し、自邸でもてなす施主の思い

日本の地域医療が抱える課題や問題点は、さまざまなフェーズで存在する。そのひとつである深刻な問題が、医師や看護師など医療従事者不足だろう。

左から清水敦さん、愛娘の紬ちゃん、妻の絵菜さん左から清水敦さん、愛娘の紬ちゃん、妻の絵菜さん

今回お話を伺った清水さん夫妻が働くのは「志摩市民病院」。地域医療の今後を危惧する現在の院長・江角悠太医師の「今後の志摩市の医療のためにも、教育が充実している病院をつくりたい。学生の受け入れを積極的に行いたい」という思いに清水さんも強く共感。関東出身の清水さんは自身の経験から、まずは志摩の素晴らしさを実感してもらい、「志摩で暮らしたい、志摩で働きたい」と思ってもらいたいと強く思ったという。

そんな中2014年からスタートしたのが「志摩ドクタープロジェクト」だ。志摩には観光ホテルや観光旅館が多く、学生が気軽に泊まれる宿が少ない。学生たちは研修に訪れても病院とホテルを往復するだけで、志摩の魅力になかなか気づくことなく帰ってしまっていた。病院に来るインターン生の寄宿舎を作り、医師や地域と交流をしながら志摩の魅力を実感してもらいたいというのが、このプロジェクトの発端だ。

市に協力を求め、寄宿舎を新たに建設することこそ難しかったものの、以前は医師しか利用できなかった病院の官舎を研修学生も利用できるように条例が改正されるなどして、現在、志摩市民病院を訪れる研修生や実習生、見学の医療従事者は年間約150人にも及ぶ。

今回取材した「志摩の家」は、そんなプロジェクトの思いを叶える建物だ。とはいっても公営ではない。病院に勤める清水さん夫妻のご自宅なのだ。自分たちが毎日の生活を送る家であるだけでなく、志摩を訪れた医療系学生や医療従事者をもてなす場所となっている。

左から清水敦さん、愛娘の紬ちゃん、妻の絵菜さん豊かな緑に囲まれた中に佇む、モダンでスタイリッシュな清水邸

おもてなしの原点は、元海女さんが経営していた居酒屋

清水さんは横浜ご出身。大学卒業後の赴任先が志摩市民病院だった。実は清水さん、大学卒業後志摩市に勤務しながら名古屋の大学院に進学したため、1週間のうち4日は志摩で働き、2日は名古屋の大学院に通うという生活をしていたそうだ。

それまで志摩には縁もゆかりもなかったため、知り合いは病院関係者のみ。そんな清水さんがこの街に馴染むことができたのは「とある居酒屋があったからだ」と話す。

その居酒屋を営んでいたのは、元海女さんの”加奈おばあちゃん”。志摩のご馳走を低価格で提供してくれる、観光客にも地元客にも人気の名店だった(現在は閉店)。加奈さんに会いたくて遠方からやってくる人も多かったそうだ。

清水さんはその居酒屋に、毎日通い夕食を食べていた。それは料理の美味しさもさることながら、「店には都会にはない近所づきあいや親切心、志摩の人たちの温かさがありました。加奈さんには本当によくしてもらいましたね」と清水さん。

「研修生などが来ると、いつも加奈さんのところに食事に連れていきました。加奈さんは「よく来てくれたねぇ」と言って学生たちに志摩の美味しいものをたくさん食べさせてくれるんです。学生もみんな大喜びでした。ただ加奈さんは高齢だったので「近い将来お店がなくなるかもしれない」と僕は内心心配していたんです。そんな時にふと「それなら僕が家を建てればいいんだ」と思ったのが、この家を建てるきっかけです」

こうして清水さんは“加奈イズム”を継承し「志摩の家」を建てることを決めたのだった。ちなみに現在は、志摩の家で加奈さんをもてなしているという。素敵な交流だ。

清水さんは研修に来た学生と必ず1日休みを合わせ、一日中志摩を案内するそうだ。早朝から市場に行きセリを見学し、海の幸を食べる。志摩市内を観光し、夜は「志摩の家」で美味しい夕食とお酒を共にする。最高のおもてなしだ清水さんは研修に来た学生と必ず1日休みを合わせ、一日中志摩を案内するそうだ。早朝から市場に行きセリを見学し、海の幸を食べる。志摩市内を観光し、夜は「志摩の家」で美味しい夕食とお酒を共にする。最高のおもてなしだ

365日バーベキューができ、20人以上が泊まれる家

同じ病院に勤務する地元出身の絵菜さんと結婚し、新婚当初は市内のアパートに暮らしていた清水さん。いつか家を持ちたいとは思っていたが、当時はどんな家を建てたいかというビジョンはそれほどなかったそうだ。しかし先述のとおり「学生をもてなして、志摩の魅力を知ってもらえる家を建てたい。どうせ建てるのであれば、志摩でしか建てられないような家を建てたい」と思うようになった。

夫婦2人で話すうちにだんだんと固まっていった大きな条件は次の2つ。「365日24時間いつでもバーベキューができる家であること」。そして「20人以上が泊まれる家であること」。

その他にもトイレは2ヶ所欲しい、洗面台は2つ欲しい、小さな書斎が欲しいなどといった細かな条件もあるにはあったが、大きくは上記の2つの条件を満たした家を作りたいと夫婦で話していた。しかしそういった条件の家をハウスメーカーで建てることは難しく、当初依頼した設計事務所のデザインや間取りはどうもピンとこなかったそうだ。

「なかなか設計士が決まらず、どうしようかと考えていた時に、院長から「ナノメートルアーキテクチャーの三谷さんはどうか?」と提案がありました。三谷さんと院長は大学時代からの友人で、ナノメートルアーキテクチャーさんには以前より志摩ドクタープロジェクトに協力してもらっていたので「じゃあ相談してみよう」と連絡してみたんです。ナノメートルアーキテクチャーさんはプロジェクトのことも理解してくれていたので、私たちの考えていることを汲み取った設計を進めてくれました。他社の設計事務所にもプレゼンをしてもらいましたが、ナノメートルアーキテクチャーさんのデザインが秀逸でしたね」と清水さん。

こうして設計だけで1年、建設が始まり1年、合計2年をかけ、ついに志摩の家は完成した。

元々アウトドア好きな清水さんは、人を招き、天候に左右されることなく志摩の美味しい食材を使ってバーベキューができる家にしたかったそうだ。志摩の家は、家の中でバーベキューができるように工夫されている。「これにはかなり苦慮した」と設計士元々アウトドア好きな清水さんは、人を招き、天候に左右されることなく志摩の美味しい食材を使ってバーベキューができる家にしたかったそうだ。志摩の家は、家の中でバーベキューができるように工夫されている。「これにはかなり苦慮した」と設計士
元々アウトドア好きな清水さんは、人を招き、天候に左右されることなく志摩の美味しい食材を使ってバーベキューができる家にしたかったそうだ。志摩の家は、家の中でバーベキューができるように工夫されている。「これにはかなり苦慮した」と設計士2階には2台のベッドもあるが、雑魚寝をすればかなりの人数が就寝できる。修学旅行のようで楽しそうだ
元々アウトドア好きな清水さんは、人を招き、天候に左右されることなく志摩の美味しい食材を使ってバーベキューができる家にしたかったそうだ。志摩の家は、家の中でバーベキューができるように工夫されている。「これにはかなり苦慮した」と設計士「狭くてもいいから一人で籠る部屋が欲しい」という清水さんリクエストの書斎。屋根裏のような小さなスペースには清水さんの好きなものが並び、まるで秘密基地のよう

家の中か外かがわからないくらいの開放感

あえて家の中と外の境界線を曖昧に。センターオープンサッシを開け放つと、家の中を心地いい風が吹き抜けるあえて家の中と外の境界線を曖昧に。センターオープンサッシを開け放つと、家の中を心地いい風が吹き抜ける

アウトドア好きな清水さんと、自然豊かな志摩市で生まれ育った絵菜さんは、開放的な家を望んだ。

「家の中にいながら屋外を感じられるような、そんな開放感のある家にしたかったんです。家の南と北にある大きなサッシは特注ですが、都会に比べ土地の安い志摩だからこそ、その分建物や設備にお金をかけることができました。これも志摩だから建てられる家ですよね。ナノメートルアーキテクチャーさんと相談しながら、コストダウンできるところはもちろんしていきながらも、自分たちの納得のいくものを設えました」と清水さん。

北側は掘りごたつならぬ、掘り団らんスペース。低い位置に団らんスペースがあるため、ソファなど視界を遮るものがなく広々と感じる。これも視覚の妙だ北側は掘りごたつならぬ、掘り団らんスペース。低い位置に団らんスペースがあるため、ソファなど視界を遮るものがなく広々と感じる。これも視覚の妙だ

志摩の家が位置するのは、リアス式海岸に囲まれた国立公園内。自然豊かな環境だ。

北側の大きな窓から見える木々が生い茂る土地は120坪ほどある。現在は他の所有者の土地だが、いずれ清水さんはこの土地を手に入れ、池や畑、キャンプ場、さらに英虞湾を見渡せる展望台を作りたいと密かに考えているそうだ。

今後「志摩の家」はさらに進化していくのだ。

まったく趣味の違うご夫婦の共通点は「お酒が好き」「人が好き」「志摩が好き」なこと

いつでもバーベキューがやりたいというアウトドア派の清水さんだが、実は絵菜さんは、絵を描いたりマンガを読んだりゲームをしたりするのが好きな超インドア派だ。そんな2人の共通の趣味は「お酒」。昔からみんなでワイワイ飲むのが好きなのだそう。

バーベキューができるメインホールと続く「応接スペース」には、個人宅とは思えないほどさまざまな種類のアルコールが揃う“バーカウンター”がある。ここで仲間と夜遅くまで語り合うこともあるそうだ。お酒が入ることで心の距離が近づくのかもしれないバーベキューができるメインホールと続く「応接スペース」には、個人宅とは思えないほどさまざまな種類のアルコールが揃う“バーカウンター”がある。ここで仲間と夜遅くまで語り合うこともあるそうだ。お酒が入ることで心の距離が近づくのかもしれない
バーベキューができるメインホールと続く「応接スペース」には、個人宅とは思えないほどさまざまな種類のアルコールが揃う“バーカウンター”がある。ここで仲間と夜遅くまで語り合うこともあるそうだ。お酒が入ることで心の距離が近づくのかもしれない足元に手荷物が置ける特注のソファ。たくさんの来客があってもバッグの置き場に困らないこういったアイデアはさすが

個人宅を寄宿舎のような建物にするのはなかなか勇気が必要だと思うが、清水さん夫妻は「志摩の人、自然、景色、食べもの、そして志摩市民病院が大好きだから」と口を揃える。この志摩愛によって、大勢をもてなすことと自分たちの居心地の良さを両立した「志摩の家」ができたのだろう。

個人宅でありながら、地域医療を支えることにもつながっている「志摩の家」。ここでの活動は、日本の地域医療の課題解決に導くヒントがあるのではないかと思った。

この「志摩の家」は、優れたデザインとたくさんの人が泊まれる設計が高く評価され、2021年度グッドデザイン・ベスト100を受賞した。後編では、設計を担当したナノメートルアーキテクチャーに話を聞く。