映画「マイ・アーキテクト/ルイス・カーンを探して」建築家はモテる? 答えは「Yes、but…」
建築家という職業は女性にモテるのか? この映画を見ると、力強く「イエス」と答えたくなる。とはいえ、「モテたいから建築家になりたい」という人には、この映画はお薦めしない。そこで描かれている現実は、「有名な建築家になりたい」というパッションを急速に冷ましてしまうに違いない。
建築や住宅、それを設計する「建築家」は、映画やテレビドラマの中でどう描かれているのか。元・建築雑誌編集長で画文家の宮沢洋(BUNGA NET編集長)が、「名セリフ」のイラストとともに、共感や現実とのギャップをつづる。
今回取り上げるのは、映画「マイ・アーキテクト/ルイス・カーンを探して」。米国の建築家、ルイス・カーン(1901~1974年)の息子で映画監督のナサニエル・カーンが、亡き父の残像を追うドキュメンタリー映画だ。日本では2006年に公開された。
ルイス・カーンは、第二次大戦後の米国モダニズムを代表する建築家だ。この映画を撮った息子のナサニエル・カーンは1962年生まれ。ルイスが61歳のときに生まれた子だ。
映画の冒頭、「自分は“3番目の家族”に生まれたため、週に1度しか父(ルイス)に会うことができなかった」と説明される。つまり、2番目の愛人の子どもなのだ。
ルイス・カーンは、タクシー運転手の間でも有名な「女好き」だった
序盤は、ナサニエルの取材によって、ルイスの女性遍歴があぶり出される。女性遍歴が有名な建築家といえば、フランク・ロイド・ライト(1867~1959年)が思い浮かぶが、あの堅物そうなルイス・カーンの私生活がこんなにぐちゃぐちゃだったとは、この映画を見るまで知らなかった。
ルイスは1974年3月、インドからの帰国後にニューヨークのペンシルべニア駅で心臓発作により急逝する。ルイスはなぜかパスポートの住所を消しており、身元が判明するまで3日間、死体安置所に保管された。当時、ナサニエルは11歳。ルイスの死を伝える新聞記事は「妻と愛娘を残して死去」と伝えており、自分の名前はなかった。
建築ではなく映像の道に進んだナサニエルだが、ルイスの死から約30年がたち、父親探しの旅をドキュメンタリー映画として撮り始める。
ナサニエルはまず、ルイスの設計事務所のあったフィラデルフィアで、ルイスをよく車に乗せたというタクシーの運転手に話を聞く。そのコメントがすごい。
「女好きだった。若くない女を好んだな」
お抱え運転手ではなく、街のタクシー運転手にそう言われてしまう女性関係ってどんだけなのか……。
歴史に残る名建築をつくった建築家ルイス。遅咲きのプレッシャーから現実逃避?
ルイスには3つの家族に1人ずつ子どもがいた。いずれも同年代。60歳前後で3人の子どもをもうけたのである。
ルイス・カーンが、世界的に有名になったのは、「ペンシルベニア大学リチャーズ医学研究棟」(1961年完成)以降。このとき60歳。それ以降の13年間で実現した建築が「ソーク生物学研究所」「フィリップ・エクスター・アカデミー図書館」「キンベル美術館」と、歴史に残る名建築ばかり。60歳になってようやく巡ってきたチャンスを逃すまいとするプレッシャーからの現実逃避が、3人の女性たちだったのか、と同情も湧く。
ナサニエルは、1番目の愛人や、2番目の愛人、つまりナサニエルの母親にもインタビューする。母親の発言もさらりと強烈だ。一瞬、抱いたルイスへの同情も吹き飛ぶ。妊娠が分かったときに、ルイスはこう言ったというのだ。
「君もか…」
妊娠した女性にかける言葉か? うーん、やっぱり共感の余地はない。
それでもナサニエルの母は、いつかルイスと結婚できると信じて、未婚のまま、ナサニエルを育てた。ルイスを全く恨んでおらず、「今も愛している」という態度。ルイスが亡くなったときにパスポートの住所を消していたのは、正妻と離婚して自分と結婚するためだった、と信じている。ルイスが本当にそう言ったのだとしたら、1番目の愛人にも同じことを言っていたのではないか、という疑念すら湧く。
女性関係に加え、多額の借金もあったという
「ルイスは当時、最も愛された建築家だ。ライトは怒りっぽかったし、ミースは近寄りがたかった。コルビュジエは陰険。だが、ルイスは違った」。
このコメント、褒めているようでいて、建築家として「普通過ぎる」と見下しているようにも思える。建築界の“雲の上の方”でのルイスの立ち位置が想像できる。
事務所の元所員やプロジェクトの関係者からは、「スタッフの生活を考えずに仕事をさせたので、何人ものスタッフが家庭崩壊した」、「ビジネス的な視点を全く持っていなかった」といった声も出る。実際、マネジメントの才はなかったようで、あれだけの仕事をしながら、亡くなったときには多額の借金があったという。
この映画は、ルイスをディスる映画なのか? どうやってまとめるの?と、心配になってくる。
地球の裏側、ダッカで亡き父との邂逅
しかし、安心してほしい。映画は最後にはきれいにまとまって終わる。ナサニエルは地球の裏側のダッカに飛び、「バングラデシュ国会議事堂」(1983年)を見る。壮大で幻想的な空間の映像に、ナサニエルのナレーションが重なる。
「死から9年、世界一貧しい国に彼の最大の建物ができた。貧乏な国だということも彼は気にしなかった。実現できるか否かも」。
そこで市民やプロジェクトに関わった地元設計者に話を聞き、父をようやく身近に感じる。亡き父との邂逅(かいこう)だ。
ちょっと急展開過ぎでは、という感じもしたが、確かに彼らの話を聞き、その空間の映像を見ると、カーンの偉業に感服せざるを得ない。
そう思うのも、筆者が男性であるかもしれないので、どう感じるかはぜひ映画を見てほしい。
冒頭に、「モテたいとか、軽い気持ちで建築家になりたいと思っている人は見ない方がいい」と書いた。もしかすると、こういう映画を見て「それでも建築家になりたい」と思う人が建築家として活躍できる人なのかもしれない。そんな踏み絵にもなる映画だ。
■映画「マイ・アーキテクト/ルイス・カーンを探して」
劇場公開(日本):2006年1月(2003年製作)
原題:MY ARCHITECT
監督:ナサニエル・カーン
116分/アメリカ
公開日:




