渋谷といえば、駅前のスクランブル交差点が世界的に有名で、インバウンド観光客の数では全国でも屈指でしょう。

この交差点は、西からの道玄坂、東からの宮益坂を下りきった、すり鉢状の地形の底にあたる場所です。全国的に見ても、こうした地形の場所に繁華街が広がるのは珍しい例といえます。

その渋谷では、駅と周辺の市街地がJRや東急電鉄、東京メトロ、東急不動産など事業主体はさまざまですが、ほかに類を見ないレベルの大規模再開発が進行中です。

私鉄の東急東横線と東京メトロ副都心線の相互乗り入れ、地下に巨大な地下鉄のターミナルを有する渋谷ヒカリエの誕生、JR渋谷駅の改良工事、駅周辺の渋谷スクランブルスクエアなど複合商業施設のオープン。

渋谷駅は2024年9月現在も改装工事が進行中で、最終的な状態となるのは2027年度の予定となっています。変わりゆく渋谷を、駅を中心に見ていきましょう。

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渋谷駅を出発する山手線内回り電車。背後の「渋谷駅」の文字が見える部分は足場がかかっており工事が進行中。写真右の屋根は旧埼京線ホームで、今後解体される予定。写真左側はやや分かりにくいが、解体撤去工事が進む旧山手線外回りホーム

渋谷スクランブルスクエア2階。エスカレーターで3階に上ると銀座線

現在の渋谷駅の地形をみると「渋谷」の地名のとおり、かなりの谷底です。なにしろ、「地下鉄」銀座線がJR線よりも高所、地上3階にあるのですから。

 

「↑3F 銀座線 井の頭線」の案内表記

銀座線で2つ目の隣駅、青山一丁目付近の地上標高が約34m。銀座線が、仮に8mほど地下にあるとすると、青山一丁目では地下8m(標高26m)を地下鉄が走っていることになります。

 

ところが、この標高26mという高さを渋谷にあてはめると、駅前のスクランブル交差点の標高が約15mなので、地上11mの高さとなり、3階フロア以上の高さとなってしまうことになります。これが渋谷駅で「地下鉄」銀座線駅が3階にある理由となっています。

 

渋谷駅から東の「ヒカリエ」方面を望む。回廊のように見えるのは、右側の直方体型のものが古くからある連絡通路、左側は銀座線渋谷駅

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2003(平成15)年。東横線は地上を走っている

ここに2種類の地図があります。ひとつは2003(平成15)年。

 

2013(平成25)年。東横線が地下化されている

もう一つは2013(平成25)年。ふたつの地図で決定的に異なるのは、東横線が地上を走っているか、地下化されているか、です。

 

東急東横線の地下化は、2008(平成20)年に開業した東京メトロ副都心線との相互乗り入れ運転を想定してのことで、実際の地下化切り替え工事は2013(平成25)年3月15日でした。

 

このときは3月15日の終電まで地上駅ホームで発着を行い、3月16日始発からは地下ホームで発着を実施という奇跡的なスケジュールで実行され、多くの人々を驚かせました。

 

これは地上営業線の直下にあらかじめ地下線を工事しておいて、地下の設備が完成した後、地上線と地下線の切り替え場所(この工事では代官山)で一気に切り替え工事を行うという、これまでなかった工法を採用することで可能になったものです。

 

ちなみに、東横線の地下化に先だって渋谷駅周辺の再開発が始まり、2011(平成23)年には、渋谷駅の東側に新しいランドマークとなる渋谷ヒカリエが誕生。

 

ヒカリエは地下フロアを地下鉄との連絡フロアと位置づけ、複雑な駅と新しい街が融合して再開発が行われていることを印象付けました。そして、地下化された東横線の改札口はヒカリエの地下3階、新ホームはヒカリエの地下5階に誕生したのです。

 

山手線はもともと貨物線としての営業が主体でした。鉄道を利用した貨物輸送には個人向けの小口業務もあり、1975(昭和50)年に廃止されるまでは各地の駅に手小荷物取扱所が設けられ、渋谷には貨物営業駅も存在しました。埼京線の渋谷駅ホームは、その貨物駅の旧ホームを利用してつくられたのです。

 

ということで、もともとあった貨物駅ホームを再利用したため、埼京線ホームは渋谷駅中央改札口から270m離れていました。この距離を徒歩移動して到着するのは埼京線ホームの端なので、成田エクスプレスなどの指定席の場合、席によってはホーム上をさらに100m以上歩かなければなりません。

 

山手線と埼京線との乗り換え所要時間は10分程度想定していたほどで、乗り換えの利便性向上は当初から求められていました。

 

山手線ホームから移転前の旧埼京線ホームを見る(2015年9月、筆者撮影)

そうした状況で東横線の地下化が本決まりとなり、移設後の東横線駅跡地に新しい埼京線ホーム(現在の埼京線ホーム)が建設されることになりました。

 

新ホームへの移転は、新たなホームの建設とこれに伴っての新たな線路の敷設など多岐にわたる準備工事を経て、2020(令和2)年5月に行われました。

 

使用中の地上線のホーム移設ということで、移設工事は5月29日(金)深夜~6月1日(月)早朝、土・日曜2日間を完全運休にしての工事でした。

 

とはいえ、あくまで埼京線の工事なので山手線は工事期間中も通常運転を続けており、大きな混乱はありませんでした。

 

山手線ホームと埼京線ホームが並列、乗り換えの利便性が飛躍的に向上した

埼京線ホーム移転後は、山手線ホームと埼京線ホームが並列状態となって乗り換えの負担も減り、またハチ公口や南口など改札口への動線も障害が少なくなっています。

 

なお、旧埼京線ホームの最南端からは「新南口」へ通じる通路があり、改札口を出るとそこはJR系のホテルでした。

 

もちろん、地上の駅外へ出ることもできましたが、どちらかといえばJR系列ホテル利用者のための改札口だった印象がありました。この新南口は2024(令和6)年7月21日に廃止されました。

 

2024(令和6)年7月まで存在した新南口(2015年9月 筆者撮影)

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渋谷駅の山手線ホームは、内回り・外回りがそれぞれ独立しており、それぞれがホームの東側に線路があるという2面2線形式でした。つまり「改札口を入ると外回りホームと内回りホームへは別々の階段や通路を利用する」スタイルだったのです。

 

しかし、2023(令和5)年1月、外回り電車を2日間にわたって運休させて工事を行い、1面2線ホームへの変更を実施したのです。これで、「改札口を入ると外回りホームと内回りホームどちらへも同じ階段や通路を利用する」状態に変わりました。

 

これまで利用されていた2面2線ホームの始まりは、1940(昭和15)年。玉川電鉄(現・東急田園都市線)や帝都電鉄(現・京王井の頭線)、東京急行電鉄東横線(現・東急東横線)などの私鉄が渋谷へ開業し、さらに駅に接続してデパートが開業、利用客が急増したことによる混雑緩和を目的として、ホーム改良工事が実施されたようです。

 

こうして完成した2面2線ホームを、80年以上前と同じ島式ホーム1面2線に戻すというのは、混雑緩和という目的には相反すると思えるかもしれません。しかし、現状の2面2線ホームは課題が山積みだったのです。

 

まず、渋谷川沿いにつくられた駅だったため線路がカーブし、駅のホームもそれに合わせてつくられたため見通しが非常に悪かったこと。ホームの南端に立つと北端は目視できない状態でした。

 

またホームは山手線電車の長編成化(6両→8両→10両→11両)に応じて延長工事をしているため、ホームの北端・南端部は極端に狭い状態になっていました。

 

高架駅でしかもホーム背後にデパートなどの建造物があるために拡幅工事が不可能で、ホームドアの設置スペースもありません。階段なども拡幅しようにもスペースがありません。基本設計が古い建造物を、だましだまし使ってきた、といっても過言ではないでしょう。

 

2023年に廃止された山手線の旧外回りホーム。写真左の壁の向こう側に内回りホームがある。ホーム上屋を支える鉄柱がリベット打ちなのが、いかにも戦前の建造物らしい雰囲気を漂わせている(2015年9月 筆者撮影)

2023年に廃止された山手線の旧外回りホーム。写真左の壁の向こう側に内回りホームがある。ホーム上屋を支える鉄柱がリベット打ちなのが、いかにも戦前の建造物らしい雰囲気を漂わせている(2015年9月 筆者撮影)

 

こうした旧ホームの課題点を解決するために実行されたのが、島式ホーム1面2線化でした。工事は従来の外回りホームを一部撤去し、外回り線路を西側へ移設。

 

さらに、従来の内回りホームを西側に最大3.2m拡幅し、新しく外回り・内回りの共用ホームとするものです。

 

解体工事中の旧外回りホーム。改札口への階段がまだ残っている

これによってホームの最大幅を広げることに成功し、従来はホームに狭い部分があったため設置できなかったホームドアも設置可能となりました。

 

また今後、旧外回りホームの解体撤去が完了すれば、外回りの線路をさらに西側に移動させ、ホーム幅をより広く拡張することも可能です。もちろん、乗客にとっての利便性の向上はいうまでもありません。

 

現在の島式1面2線ホーム。ホームは旧内回りホームを利用し最大3.2m拡幅させている

 

これは場所によって差がありますが、電車とホームの間が大きく空いている場所があります。注意しないと隙間に落ちてしまいそうになるほどです。現在のホームはそれでも以前に比べるとカーブが緩和されています。

 

渋谷駅は渋谷川に沿ってホームが設けられました。このため、山手線ホームはひとつのホームに統合された現在も、かなり湾曲しています。

 

現在の山手線ホーム内回り側。ホームの端が見通せないほどのカーブを描いている

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現在、渋谷駅の改札口は、1階の「ハチ公改札」「南改札」、3階の「中央改札」「新南改札」の4カ所。ハチ公改札を出ると、目の前が駅西側の「ハチ公口」、通路を進むと東側の「宮益口」。

 

JRの場合、駅の施設と施設外との出入り口を「○○口」、駅構内にあって、乗車券等が必要なエリアと自由に通行できるエリアとの境界を「○○改札」と呼んでいます。ですから、ホームから「ハチ公改札」を出たところはまだ駅構内で、「ハチ公改札」から構内通路を歩いて駅の建物の外へ出る場所が「ハチ公口」となります。

 

ハチ公改札はホームの原宿寄りから階段を下ります。観光客を集める忠犬ハチ公の像とスクランブル交差点への最寄り口だけにかなり混雑しています。

 

ハチ公はインバウンド客に人気の記念撮影ポイントで、順番待ちの行列ができている

南改札は「東口」と「西口」に通じます。中央改札は改札を出ると渋谷スクランブルスクエアで、銀座線改札口やヒカリエに出られます。

 

新南改札は7月21日の旧「新南口」廃止に伴って新しく完成した改札口。新南改札からは再開発で誕生した渋谷サクラステージ(Shibuya Sakura Stage)に連絡しています。

 

3つの高層ビルにホテルやオフィス、大学、商業施設などが入る複合施設で、新南改札に近い商業エリアには、2024年7月25日にオープンした37テナントが並んでいます。

 

新南改札を出ると目の前が渋谷サクラステージ

渋谷サクラステージ側から新南改札(奥のグリーン縞の仮囲いのあたり)を見る

山手線ホームにはあちこちに資材が置かれ仮囲いされている

渋谷駅と駅前周辺の再開発は2027年度の完成を目指して工事が進んでいます。そのため、駅構内はコーナーガイドのグリーン模様、注意喚起の赤テープや黄色と黒のしま模様が目立ち、いかにも工事中といった印象です。

 

ホームには資材を置いた仮囲いがあちこちにあって、ホームがかなり狭くなっています。壁がシートで覆われていたり、立ち入り禁止の場所の奥には足場がむき出しだったりということもあります。

 

駅名標は、よく見ればスチールパイプに合板をねじ留めなどで固定しプリントシートを貼っただけ

出口案内の表示が養生材にテープ留めだったりもします。駅名標が合板にプリントを貼り付けたものを鉄パイプにねじ留めしたものだったことには驚かされました。

 

南改札から西口への通路はいかにも仮設といった感じがする。白いシートの壁、先が見えない通路などまるで迷路

駅の西口、かつてバスロータリーだった場所。左右に隔壁と養生テープが目立ち、まさに工事現場の雰囲気。頭上には渋谷マークシティ方面からのペデストリアンデッキが延びてきていったん工事が停止している。このペデストリアンデッキは今後、渋谷駅屋上に設けられる予定の庭園を経て駅東側のヒカリエに連絡する予定

 

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ビルの谷間の御嶽神社

変わり続ける最先端の街・渋谷でも、延々と歴史を伝えている由緒ある施設があります。

 

駅から宮益坂を上ると坂の途中左手にあるのが御嶽(みたけ)神社。渋谷一帯の鎮守として古くから厚く信仰されてきた神社で、宮益坂の名称の由来となった神社です。

 

この神社の前にある坂=お宮の前の坂=宮前坂、それがいつしか宮益坂に変化した、といわれています。ちなみに宮下公園(現在はMIYASHITA PARK)も、このお宮の坂下にあることから名付けられました。

 

こま犬ならぬ山犬が守る

社殿の前にはこま犬ではなく、神の眷属(けんぞく:御遣い)である山犬(オオカミ)の像。狼=オオカミ=大神で、狼はこま犬のような番犬の役割ではなく、神そのものと考えられています。

 

御嶽神社には大口真神(おおぐちのまがみ)という山犬の神様がいて、盗難よけや、畑の作物を獣に荒らされないための守り神として信仰されてきたのです。

 

境内には神仏混交時代の名残をしめすように不動明王や勢至菩薩(せいしぼさつ:阿弥陀三尊の一つ)などを納めた小さなお堂があります。この不動尊は、1681(延宝9)年の建立。「あぶり不動」の名で知られ、線香の煙で人々の苦しみや病をあぶり出す、といわれました。

 

さらには線香の煙でお札をあぶると富が倍々に増えるともいわれて、ご利益を求めて参拝する人も少なくありません。

 

境内には、ほかに「眼にかかる 時や殊更 さつき富士」という松尾芭蕉の句碑もあり、月の名所だったことをうかがわせます。

 

平安時代の末頃から室町時代後期にかけて、この地を治めていた領主は、渋谷氏一族でした。その渋谷氏が居城として渋谷城を築き、城の氏神として勧請したのがこの金王八幡(こんのうはちまん)神社。つまりこの神社の境内は、中世の渋谷城跡ということになります。

 

渋谷氏は秩父平氏の流れをくむ武将・河崎重家が渋谷姓を名乗ったのが始まり。この重家夫妻が、八幡神に祈願して息子「金王丸」を授かったという伝説が語り継がれ、金王八幡神社と呼ばれるようになったのです。

 

しかし、1524(大永4)年、渋谷氏は小田原の北条氏綱によって滅ぼされ、渋谷城も焼失、神社だけが残されることになりました。

 

国指定重要文化財の社殿。軒下の獏(ばく)と虎の彫刻がユニーク。ほか極彩色の彫刻が彩る

この神社を崇拝したのが、かの春日局(かすがのつぼね)。乳母として世話をしていた竹千代の3代将軍就任を祈願しました。そして長じた竹千代はめでたく3代将軍徳川家光となったのです。

 

そのお礼にと、春日局は社殿と山門を寄進しました。これが今日も残っており、渋谷区内では数少ない、江戸時代初期の貴重な建造物となっています。

 

金王桜(2009年4月筆者撮影)

社殿の横には金王桜と名付けられた桜の木があります。江戸時代から名木として知られていた桜で、木の下には「しばらくは 花のうへなる 月夜かな」という松尾芭蕉の句碑があります。

 

ややピンクの濃い花で、1本の木に八重と一重の2種類の花が咲くという変わった特徴を持つ桜です。

 

最後に、渋谷の街で見かけた道祖神(外からの疫病や悪霊を防ぐ神)を。西武渋谷B館から井ノ頭通りを少し行った渋谷LOFTの前。初めて見つけたのは記憶によれば30年近く前で、調べてみましたが由来は分かりませんでした。

 

ただ、この石仏の像容から判断すると、さほど古いものではないようです。渋谷の市街地に石仏の道祖神が違和感なくとけこみ、たたずんでいるのが印象的でした。

 

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