新宿駅と原宿駅という、山手線駅のなかでも知名度の高い駅の間にある代々木駅。
その歴史をひもとくと、現在の中央線の駅として開業したのが始まりです。その後、山手線の代々木駅が別の場所に開業し、さらに時間を経て同一の駅舎を持つ駅となりました。
そんな代々木駅について、3回に分けて駅と周辺の魅力を探ります。第1回となる今回は、代々木駅の誕生と駅名の由来などの歴史を紹介します。
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甲武鉄道(後の中央線)の駅として誕生した代々木駅

現在の代々木駅。あらためて全景を眺めてみると、すっきりとした、シンプルなフォルムの駅であることに気づかされる
代々木駅は1906(明治39)年9月23日に開業。このときの開業は日本鉄道品川線(現在の山手線)の駅としてではなく、甲武鉄道(後の中央線)の駅として、でした。甲武鉄道の新宿~飯田町(飯田橋付近にあった駅)間の開業は1895(明治28)年なので、鉄道の開通からは11年遅れての駅開業ということになります。
東京西部に初めて走った鉄道である品川線の開業が1885(明治18)年。このとき新設された新宿駅は、江戸時代の繁華街だった甲州街道「内藤新宿」の宿場中心部から離れていました。
人馬が盛んに行き来し、飯盛女(風俗産業に従事する女性)も多い内藤新宿では「鉄道に客を取られたくない」といった宿場関係者らの思惑もあって反対運動が起こり、結果的に繁華な地域から離れた場所に駅が建設されたのです。
現在の大勢の乗客が行き交う新宿駅の姿からは想像できませんが、開業当初の新宿駅は、乗降客は多くはなかったようで、雨の日には乗客数ゼロの日もあったとか。
しかし、やがて鉄道が運送の主役になってくると、駅の周辺に関連会社などが拠点を置くようになり、住宅も建ち始め、人口が増えてきました。これにより、新宿駅の南側に新たな駅の開設が求められたようです。そうした背景があって、新宿駅の南側に新しく誕生した駅が、甲武鉄道の代々木駅だったと思われます。

1886(明治19)年「迅速測図」より
上の図は、1886(明治19)年に作成された「迅速測図」(日本陸軍参謀本部作成)です。地図作製のための測量が行われたのが1886年以前だったため、1885年開業の品川線の線路は記載されていません。
これを見ると、新宿駅は、内藤新宿の中心部から西へ距離をとった田園地に開業しています。この当時、新宿駅の周囲にあるのは「竹」「茶」などの文字。すなわち、竹林や茶畑のなかに新宿駅は建設されたのです。
そして、後に代々木駅が建設される場所の周囲は桑畑や茶畑となっており、周辺には人家の密集地域はありません。

1891(明治24)年地理院地図。品川線(後の山手線)の線路が地図の左側に南北に走っているのが分かる
上の図は、品川線(後の山手線)開業後となる1891(明治24)年の地図。「新宿停車場」の文字が確認できますが、これは現在の新宿駅、「千駄ヶ谷村」の文字が現在の代々木駅のあたりです。
新宿駅の開業後、5年ほどで、新宿駅から甲州街道沿いに、また甲州街道から分かれて南へ延びる道沿いに集落が増えていっているのが分かります。これは駅が開業したことによる影響でしょう。
このころから、千駄ヶ谷村内でも後の代々木駅周辺となる地域の開発が進んでいったことが想像できます。
山手線の代々木駅誕生。当初は山手線と中央線で別々の駅だった

1911(明治44)年地理院地図
そして、1911(明治44)年の地図。この地図では、新宿駅付近から代々木駅周辺まで市街地化が進んでいることが分かります。1891年からの20年で農村が市街地へと大きく変貌しているのです。これが、代々木駅誕生の背景となったことは想像に難くありません。
この地図では、すでに中央線(旧甲武鉄道)が開業し、千駄ヶ谷駅と代々木駅が記されています。また、中央線だけでなく、山手線(旧日本鉄道品川線)にも代々木駅が誕生しています。
前述のように、代々木駅は1906年、私鉄の甲武鉄道の駅として開業。すぐ近くを走るやはり私鉄の日本鉄道品川線には駅は設けられませんでした。
が、同年に甲武鉄道と日本鉄道は国有化され、中央線にのみ駅のある代々木について、山手線にも駅の設置が求められ、3年後の1909(明治42)年には山手線代々木駅が開業したのです。

1911年国土地理院地図
こうして誕生した代々木駅ですが、地図を拡大すると、代々木駅は中央線と山手線で別々となっていて、それぞれ別の駅がある、というように表記されています。
中央線の線路は山手線をまたいでおり、当時、中央線は高架駅、山手線は地上駅だったことが分かります。高い場所にある中央線駅と低い場所にある山手線駅という状態で、しかも中央線は上りと下りが別々のホームでした。
このため山手線から中央線下りへの乗り換えは、階段を上って中央線上りホーム、そこから跨線橋を上って下りて中央線下りホームと、かなり不便な状態だったといいます。

1929(昭和4)年の国土地理院地図
長い年月を経て、1929(昭和4)年の地図では、中央線と山手線の駅が一体化された代々木駅となっていることが確認できます。
山手線は、大正時代から、電車線と貨物線を分離する複々線化の工事が進められており、1924(大正13)年に原宿~大久保間が複々線化されたことにより、代々木駅も複々線化されました。
この工事の際に山手線も中央線に合わせて高架線となり、同時に駅のホームも工事され、現在のホームの原型が完成したものと考えられます。
代々木駅の物件を探す 街の情報を見る おすすめ特集から住宅を探す代々木の地名の由来となったモミの木
さて、「代々木」の地名の由来についても探っていきましょう。文献の中で「代々木」の地名が登場しているものとしては『寛政重修諸家譜』にある、「1591(天正19)年、初台局(はつだいのつぼね、徳川2代将軍秀忠の生母)が代々木村200石を与えられた」との記述が、最も古いと思われます。
「初台」は旧代々木村の北に隣接するエリアで、現在は京王線の初台駅があります。江戸時代初期の将軍家大奥の関係者には「地名+局」で呼ばれる人物が少なくありません。
このほかにも、「地名+局」の例では、「春日局(かすがのつぼね、徳川3代将軍家光の乳母)」の領地が現在の文京区春日、「音羽局(おとわのつぼね、徳川5代将軍綱吉の生母桂昌院の奥女中)」の領地が現在の文京区音羽…などが挙げられます。
初台局に拝領された「代々木村200石」は、もともとあった初台村の一部を分割して代々木村としたのか、それとも以前から存在した代々木村を領地としたのかは明らかではありません。
が、後者であれば局の名称が「初台局」ではなく「代々木局」とされた可能性があります。そう考えると、代々木の地名の発祥は中世以降ではないか、という推測ができます。

明治神宮にある「代々木」とされるモミの木
代々木の地名には、「代々受け継いだ大木」という伝承があります。
江戸時代は彦根藩井伊家の江戸屋敷、現在は明治神宮となっている場所で、明治神宮の二の鳥居と一の鳥居の中間、参道の脇にモミの木があります。この木が代々木の地名の由来となった「代々木」とされています。
江戸時代末期には幹の太さ10.8m、枝張り54mに及ぶ大木だったといいます。初代の木は第二次世界大戦の空襲で焼け、現在の木は2代目となります。
「千駄ヶ谷」村に誕生した「代々木」駅

旧代々木村の中心は代々木駅からは遠い(地理院地図をベースに作図)
旧代々木村の中心は、現在の代々木公園の西側に位置します。代々木駅からはかなり遠い印象です。
旧代々木村の中心部は現在の「元代々木町」。代々木一帯の鎮守で、代々木の中心にある神社が「代々木八幡神社」です。したがって旧代々木村の中心部に最も近い駅は、小田急線代々木八幡駅となります。代々木駅は旧代々木村の最寄り駅ではないのです。

代々木八幡神社
代々木駅からだと、代々木の鎮守である代々木八幡神社よりも、千駄ヶ谷の鎮守である「鳩森(はとのもり)八幡神社」のほうがはるか近くに位置しています。つまり、代々木駅は、旧千駄ヶ谷村にあるのです。
甲武鉄道の代々木駅が誕生した当時、甲武鉄道にはすでに「千駄ヶ谷」駅が存在していました。
代々木駅の場所は、地域名でいえば「千駄ヶ谷村」ですが、「千駄ヶ谷」という駅がすでに存在する以上、新駅に「千駄ヶ谷」という駅名は用いることができません。そこで、隣接する代々木村の地名をとって「代々木」の駅名になったようです。
代々木駅の物件を探す 街の情報を見る おすすめ特集から住宅を探す本来の地名と駅名のギャップ
山手線では、実際の歴史的地名と駅の場所が異なる例が少なくありません。冒頭で紹介した新宿駅にしても、そのころの繁華街であった内藤新宿(現在の地下鉄丸ノ内線・新宿御苑駅付近)から離れた場所に駅が誕生しました。
目黒駅は旧上大崎村に設けられ、当時の目黒の中心部だった目黒本村は駅の西1.5kmのあたりです。大塚駅は、駅があるのは旧巣鴨村で、駅名の由来となった史跡・大塚は駅の南2kmほどのところにあります。
こうして本来の地名と違ったところに駅がつくられると、後になって駅名が駅の周辺の地名として広まっていき、地名のイメージする場所が、その地名本来の場所から駅周辺に変わってしまうことがあります。
山手線の場合はその傾向が顕著で、代々木も例外ではありません。本来の代々木は小田急線代々木八幡駅・代々木上原駅と京王線初台駅に囲まれた閑静な住宅街です。
代々木駅周辺は、もとは千駄ヶ谷村の農村地帯で、駅が誕生した後で発展し「代々木」と呼ばれるようになった街。もともと代々木の地名が古くから知られたものではないこともあって、山手線の駅のなかで、やや地味な印象があるのはこのような背景もあるのかもしれません。
次回の代々木駅記事2回目では、駅構内の歴史と知られざる見どころを紹介します。
⇒【山手線の魅力を探る・代々木駅 2】レトロ感が漂い、地形ゆえの特徴も。駅構内で見られる「建築」としての魅力
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