原宿といえば、都内有数のおしゃれな街として知られ、キュートな外観の木造駅舎がシンボル的存在となっていました。

都内最古の木造駅舎であったこの建物は、老朽化のため2020(令和2)年8月から解体工事が始まり、現在は2020年3月に完成した新駅舎が新たなランドマークとなっています。

そんな原宿駅と駅周辺エリアにはどんな歴史が秘められているのでしょうか。

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2020年8月22日、木造の旧駅舎解体工事直前の原宿駅の様子。木造の旧駅舎(手前)と新しい駅舎。8月24日から旧駅舎の解体工事が始まり、この風景はもう見ることはできない

原宿駅は、1906(明治39)年10月30日、山手線の前身である日本鉄道品川線の駅として開業しました。直後の11月1日に日本鉄道は国有化されているので、実質的には国有鉄道の駅として歴史を刻んできたことになります。

 

駅の歴史に触れる前に、まず、駅名の由来について考えてみます。

 

現在の原宿駅は「渋谷区神宮前1丁目」にあります。周辺は「渋谷区神宮前」「渋谷区千駄ヶ谷」などで、渋谷区の住居表示に「原宿」は存在しないのです。では、この「原宿」という駅名が付けられたのは、どんな理由があるのでしょう。

 

実は、昭和30年代まで、「原宿」の地名はありました。時代をさかのぼって鎌倉時代にはすでに「原宿」の地名が成立しており、江戸時代のこの一帯は「原宿村」だったのです。

 

しかし、1878(明治11)年、原宿村の東部が赤坂区(後の港区)に編入され、1889(明治22)年に原宿村が千駄ヶ谷村に吸収され、原宿は千駄ヶ谷村の字名のひとつになってしまいました。

 

とすると、地域の地名を駅名に採用するならば「原宿駅」ではなく、「千駄ヶ谷駅」となっていても不思議ではありません。しかし、原宿駅の開業当時、たまたま甲武鉄道(後の中央線)に、千駄ヶ谷駅が開業していたため、千駄ヶ谷を駅名として採用することができませんでした。

 

そうした事情があって、字名であり古くは村名だった「原宿」が駅名となったと思われます。その後、1965(昭和40)年の町名改正によって、原宿の地名は消滅しました。現在は、山手線の駅名だけが、歴史ある昔日の地名を今に伝えているのです。

 

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原宿の「宿」は「宿駅(しゅくえき)」に由来します。宿駅とは、中世の主要街道の物流・交通拠点であり、宿泊所でもある場所のこと。江戸時代には「宿場」とも言われました。

 

鎌倉時代に成立した鎌倉街道の宿駅のひとつに原宿がありました。鎌倉街道は、幕府がある鎌倉(現在の神奈川県鎌倉市)と各地を結ぶ街道。そして、この原宿の地域には鎌倉と奥州(東北地方)を結ぶ街道が通っており、原宿は中世の重要な幹線道路の宿駅だった所なのです。

 

中世から近世へと移り変わるなかで、原宿には街道の宿駅としての役割はなくなり、江戸時代には江戸へ野菜などを出荷する農村へと姿を変えていきます。さらに、杉並や世田谷など江戸近郊の農村地帯へ通じる道が開かれ、こうした村からの農産物が運ばれてくるようにもなり、原宿はその集散地となりました。

 

原宿駅は、こうした当時の地域性を背景に、南北に連なる鎌倉街道と東西を結ぶ世田谷・杉並方面からの道が合流する場所に誕生した、といえるでしょう。

 

原宿駅が開業した明治末期の頃、東京の市街地は周辺に広がりつつありましたが、原宿駅周辺は皇室御料地や原野が広がっていて市街化には至っておらず、旅客についてはあまり望めない立地でした。

 

それでも駅を開業したのは、貨物の取扱いが見込めたからです。前述のように原宿は江戸時代から農産物の集散地だったので、近郊の農産物を輸送する拠点として駅が開設されました。

 

開業当時の原宿駅は、現在の竹下口から150mほど北側に位置していました。この付近は標高の低い渋谷周辺と代々木周辺の台地との境界にあたり、起伏に富んだ地形となっています。

 

開業当初の駅の場所は、土地の標高と線路面の標高がほぼ同じになる場所なのです。貨物輸送ということで、荷物の積み上げ・積み下ろしに便利な場所として、段差が少なくなる所に駅が設けられたのです。

 

1915(大正4)年の国土地理院地図

1915(大正4)年の地図を見ると、駅の付近から東へ延びる道があり、「下竹」の文字が見えます。これが現在の竹下通り(当時、横書きは右から左へ読んでいました)。駅は竹下通りの北側に位置します。

 

1933(昭和8)年の国土地理院地図

しかし1933(昭和8)年の地図では、駅は竹下通りより南側に移動し、広い道幅の表参道が開通しています。明治神宮の開創に伴ってその最寄り駅とするべく駅の場所を移転させたのです。

 

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原宿駅を取り巻く状況が大きく変わったのは1920(大正9)年。明治天皇を祭神とする明治神宮が、駅のすぐそばに創建されたのです。原宿駅周辺の様相は一変しました。

 

駅の南側に、線路を渡る橋「神宮橋」が設けられました。そして、神宮橋から南東に500mにわたって道幅36mの直線道路が造成され、道の両側にはケヤキを植えた並木道となり、明治神宮の表参道が完成しました。

 

明治神宮に多くの参拝者が訪れるようになって、原宿駅の利用客は急激に増えたのです。

 

1924(大正13)年に建築された旧原宿駅舎(2015年筆者撮影)。本来壁に埋め込まれる柱が外から見えるのがハーフティンバー様式

これを受けて、原宿駅は全面的に建替えとなりました。駅の場所も、南側の表参道近くへと移設。これが、1924(大正13)年に建設された旧原宿駅舎です。

 

旧原宿駅舎は木造とレンガ造りが組み合わさった独特の様式

木造の駅舎で、柱や梁(はり)、桁(けた)など、通常は外壁に隠される構造材を、あえて表に出すことで装飾物とするハーフティンバー様式。

 

三角屋根に尖塔(せんとう)をのせ、さらに風見鶏も設けたモダンな印象の建物は、当時としては珍しかったでしょう。また、神社の玄関口となる駅舎が洋風建築ということも、意外な組み合わせと感じた人が多かったのではないでしょうか。

 

旧原宿駅の正面を彩っていたステンドグラス

この旧駅舎は長らく原宿の玄関口として親しまれてきました。が、2020年3月21日、新駅舎のオープンによって1世紀近い歴史に幕を下ろしたのです。

 

では、旧原宿駅舎から新駅舎へと建て替えられるにあたって、どのような変化があったのでしょうか。外観が違っているのは当然ですが、人が乗り降りする駅の機能に着目して説明していきます。

 

2019年の調査によると、原宿駅の1日当たりの乗客数は7万2,579人。山手線内では15番目、JR東日本全体では62番目になる利用客が多い駅です。

 

首都圏の駅の大半は、利用客の半数以上が定期券利用客なのですが、原宿駅は定期券利用客が全体の3分の1以下になっています。

 

これは都心部の駅としては特異的です。通勤・通学など定期券で利用する乗客よりも、観光やショッピングなどの目的で一時的に駅を利用する乗客がはるかに多いということで、東京を代表する人気観光地である原宿という街の性格を物語っています。

 

旧原宿駅は内回りと外回りが同じホームだった(2015年筆者撮影)

しかし、1924年に建てられた旧原宿駅舎は、1日当たり7万人以上が利用することなど想定されておらず、基本設計が古いものでした。

 

旧原宿駅舎は、島式ホーム1面2線という1つのホームの対面に外回り線・内回り線が入線するという状態。つまり、新宿方面への乗客も渋谷方面への乗客も、さほど広くないホームにごった返すという状態だったわけです。

 

こうしたことから、旧原宿駅は実際の乗客数よりも混雑している印象がありました。

 

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旧原宿駅の臨時ホーム(2015年筆者撮影)。正月だけ利用されていた。現在の新宿方面行きホームの前身

原宿駅という駅は明治神宮の最寄り駅として、正月の期間には300万人を超える参拝者が利用します。

 

旧駅舎で、正月の混雑緩和のためだけに利用されていたのが臨時ホームでした。新駅舎ではこの臨時ホームを外回り電車(新宿方面行き)のホームとしています。つまり、新駅舎では、ホームは2面になったというわけです。

 

旧原宿駅舎の臨時ホームは、改札口を出るとそのまま明治神宮の境内に入るような設計になっていました。しかし、新駅舎建設にあたり、この明治神宮境内直通の改札口は廃止。

 

新駅舎で新たに設けられた2番ホームから竹下口への通路。奥が狭くなっているのは旧駅舎時代の通路

そして、表参道口への階段とエスカレーター、エレベーターが設置され、また竹下口への通路も新設。

 

原宿の新しい玄関口となった新原宿駅舎

このように、混雑を緩和し、1日に約7万人の乗客が利用する駅としての機能を高めたのが新駅舎なのです。

 

旧原宿駅舎は、2020年8月24日から解体工事がスタート。この旧駅舎については、地元の住民などから保存を求める声が上がり、渋谷区が「原宿駅舎の保存に関する要望書」をJR東日本に提出しています。しかし、旧駅舎の保存には法律上の壁がありました。

 

旧駅舎を保存して活用する場合、建築基準法に基づく用途変更の手続きが必要になります。しかし、旧駅舎は築96年の木造建築で、現行法規に適合する耐火性能がありません。

 

古い駅舎を駅舎のまま使い続けるのであればともかく、用途変更ということであれば、建築基準法の関係でそのまま残すことはできないということだったのです。

 

しかし、この旧駅舎は完全に失われてしまうわけではないそうです。解体後は、新駅舎の隣に、旧駅舎の外観を可能な限り再現、ステンドグラスなど旧駅舎の建材も再利用する方向で、防火管理に適した材料を用いて、旧駅舎を再建する計画です。

 

JR東日本東京支社は、この再建する旧駅舎で、街の個性を生かした、にぎわい集う拠点づくりを進めていく、としています。

 

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更新日: / 公開日:2020.11.17