あの日から15年、変わりゆく被災地と変わらぬ記憶。みなし仮設からつなぐ「防災」のバトン

インタビューはオンラインで行われた。宮城県復興・危機管理部 復興支援・伝承課 災害援護班 齋藤啓豪氏(右)と曽我駿斗氏(左)インタビューはオンラインで行われた。宮城県復興・危機管理部 復興支援・伝承課 災害援護班 齋藤啓豪氏(右)と曽我駿斗氏(左)

2011年3月11日―東北地方を中心に未曾有の災害を引き起こした東日本大震災が発生してから、2026年で15年目となる。

国内の災害に対する認識の大きな転換点となった東日本大震災。避難所から生活再建に移るフェーズで必要な仮設住宅の中でも、民間賃貸住宅の空室を仮設住宅として利用する「賃貸型応急住宅(通称:みなし仮設住宅)」が脚光を浴びた。ピーク時には全国で約6.8万戸提供され、プレハブ型仮設住宅よりも数多く活用、応急仮設住宅の主力として機能した記録が残っている。
以降、被災と住宅を語るうえで、みなし仮設住宅(以降、みなし仮設)は迅速な生活再建の術として今や欠かせない存在となった。

▼みなし仮設の詳細については既存記事をご覧ください。
「「みなし仮設住宅」の運用とは。災害住宅復興の専門家に聞く現在の運用と課題」
https://www.homes.co.jp/cont/press/rent/rent_01166/

東日本大震災では住家の被害が最も多かった宮城県。みなし仮設と支援のあゆみを振り返るとともに、過去の経験を未来の防災へと昇華させる被災自治体の現在を、宮城県復興・危機管理部 復興支援・伝承課 災害援護班 齋藤啓豪氏と曽我駿斗氏に聞いた。

3.11を機に広まったみなし仮設住宅制度と変遷

宮城県公表「仮設住宅種類別の最大値内訳 みなし仮設住宅分」を基に作成。県内のみなし仮設は物件の多い都市部で大いに活用された一方、都市部への人口移動によって地域コミュニティの機能低下に苦慮したそうだ宮城県公表「仮設住宅種類別の最大値内訳 みなし仮設住宅分」を基に作成。県内のみなし仮設は物件の多い都市部で大いに活用された一方、都市部への人口移動によって地域コミュニティの機能低下に苦慮したそうだ

災害時の住まいは災害救助法に基づき応急仮設住宅として提供される。「建設型」「賃貸型」「公営住宅等の転用」の3つが基本であり、地域特性に応じて県と市町村が協議して決定する。たとえば、賃貸物件が多い都市部ではみなし仮設を活用し、物件の少ない農村部は建設型を設置する、といった采配だ。
みなし仮設は、国と協議して地域ごとの「家賃相場」に基づいた「世帯ごとの上限額」を決め、行政が物件を割り当てるマッチング方式か、被災者自らが上限額内の物件を探す方式のいずれかで割り当てられる。

震災前は仮設住宅といえば建設型が主流であり、宮城県下でも、プレハブ仮設の設営を進めつつ、マッチング方式で提供を試みていた。しかし、被災して使用できない物件や、提供物件と被災者の希望のミスマッチが頻出したことから、被災者自らが探す方式へと対応を変更した経緯が残っている。

「大震災では太平洋沿岸、青森県から千葉県まで津波被害がありました。多くの方が住まいを一瞬にして奪われましたが、建設型は土地選定や測量・建設までに数ヶ月かかるため、供給が追い付かない。自力で動ける人はアパートを探すような形になりました」

原則として制度開始以前に被災者が自ら物件を探し、借主となって賃貸借契約を行った物件は、みなし仮設とされない。
だが、震災の甚大な被害状況を受けて、被災者が自力で行った不動産業者と入居者の「二者契約」だった住居も、後追いで公的支援の対象とされることになった。それに伴い、行政が加わった「三者契約」へと契約書類を変更する手続きが生じ、書類の対応をする現場は混乱を極めた。

「規模の大きい災害だったので国の通知が二転三転しました。行政も現場も混乱して、お願いしていたことが真逆になるなど不動産業界にもご迷惑をかけたところがあった、という記録も残っています。
特に苦労したのは、契約を結び直す作業が煩雑で時間を要したことです。契約件数が数万件(記録上は最大22,584件)に及んで、ハンコを何万回も押すような膨大な事務量でした」

“いざ鎌倉”の精神でともに。被災者を支える不動産団体のバックアップ

(宮城県HPより引用)みなし仮設の円滑な提供のため、不動産業界との提携も行った。定期的な会議を通じて顔の見える体制を整えているとのこと(宮城県HPより引用)みなし仮設の円滑な提供のため、不動産業界との提携も行った。定期的な会議を通じて顔の見える体制を整えているとのこと

震災直後のみなし仮設の運用が急務となった折、公益社団法人宮城県宅地建物取引業協会が宮城県と協力し、住宅確保や諸手続きを進めた。2013年10月に、宮城県は公益社団法人全日本不動産協会宮城県本部、全国賃貸住宅経営者協会連合会(全賃)も加わった3団体と協定を締結。民間賃貸住宅の空室情報の提供や入居までの契約事務等に関する基本的事項について提携し、被災者が早期に住宅を確保できる仕組みを整えた。

現在では、みなし仮設のマニュアルを共同で作成するほか、日頃から訓練への参加などを通じて関係を維持している。

「協定締結団体はいずれも全国組織であり、“いざ鎌倉”ではありませんが、有事の際は積極的に協力いただいています。震災時も、管理している物件が被災する中、尽力いただきました。より多くの団体に入っていただくことで窓口業務を分散して負担を減らせるメリットがあります」

団体との取組みのほか、宮城県で年に1回行われる資源配分調整会議においても、仮設住宅の検討が毎年行われている。
資源配分調整会議とは、主に大規模災害時に都道府県や関係機関が連携し、限られた救援物資や人員を、被害の大きい地域へ公平・迅速に分配・活用するための調整の場として開催されるものだ。

「会議には、県・仙台市・建設型の団体・みなし仮設の団体等が集まっています。仙台市には業者も労働力も多いため、建設型住宅が仙台市だけに偏らないよう、県内まんべんなく調整して建設数を整えるため開催されています」

調整会議では能登半島地震などの他県事例の共有や情報交換も行われており、官民が連携して災害対策や防災情報のアップデートが都度図られているそうだ。

職員の45.7%が震災を経験していない。問われる「組織の記憶」をどうつなぐか

主任主査研修の様子主任主査研修の様子

震災から15年が経過し、宮城県庁の職員も異動・入職・退職者があった。震災を経験していない現職員は45.7%にのぼる。また、地方公務員は3年程度で部署異動をするので、当時のノウハウを得た職員が同一部署にとどまることはほぼない。住民や社会だけでなく、県職員の間でも風化は懸念のひとつだそうだ。

そこで、宮城県では現場での経験や当時の職員たちの想いを伝えるため、震災当時を指揮した副知事や総務・企画・土木などの各部長の思いをまとめた記録誌を作成した。朝令暮改ともいえる状況下で、住人のために立ち向かった職員の苦しみや対応の“生の声”が詰まった一冊が各部署や図書館などに収蔵されている。現職の職員にとっては危機管理を学ぶ「バイブル」になっているという。

また、現場リーダーや係長・主任主査級の中間管理職を対象に行う研修などで、当時対応した職員を講師に呼び、2時間半のグループワークなどを実施しているとのことだ。

「職員の中には、子ども時代にみなし仮設に住み行政の支援対象になった経験を持つ者もいます。その後、支援側の立場になって、秋田県の大雨災害や能登半島地震の応援派遣に赴き、家屋調査などの現場を経験しています」

30年以内の発生に備えて。震災の教訓を「最新の防災計画」へ昇華させる宮城県の取組み

建設型仮設住宅候補地には、平坦地であること、地盤が安定していること、インフラが容易に接続できること、といった制約がある建設型仮設住宅候補地には、平坦地であること、地盤が安定していること、インフラが容易に接続できること、といった制約がある

震災当時、職員自身も被災している状態での業務対応は並々ならぬ困難があったことは想像に難くない。にもかかわらず、宮城県庁では直面した問題を都度解消してきたという。
その背景には、30年に1度起こると言われている宮城県沖地震への物心の備えが定着しているからだ。
地域防災計画を綿密に立てつつ、災害時には刻々と変わる緊急度や優先順位に、自治体でも臨機応変な対応を求められる。齋藤氏は「自治体の対応には柔軟さも必要」と語る。

先人たちの教訓を戒めに、いつ起こるか分からない災害に向けて、宮城県では災害対応を常に“今”に合わせて更新し続けている。現在は、建設型応急仮設住宅の候補地調査を進めているそうだ。

「震災前に計画していた建設候補地は、実際の震災時には津波被害を受けたり、自衛隊の拠点やゴミ置き場になったりしたため、計画の2割程度しか使えませんでした。これを踏まえ、令和5(2023)年度から4ヶ年計画で、最新の被害想定に基づく候補地調査をやり直しているところです」

さらに、災害時の他自治体等からの人的支援受け入れ用の宿泊施設として、別荘の活用を決定。スキーリゾートで有名な蔵王町・蔵王町別荘協議会と三者協定を結び、運用に向けて準備を進めている。
国土交通省が全国的に増加する空き家対策に2地域居住を推進する動きに合わせ、災害時に空き家を貸し出せるスキームの可能性も模索中とのことだ。

県民の住まいに関する備えにも、県独自の「みやぎ水災・地震保険スタートアップ補助金」で地震保険などの初年度掛け金を補助している。

「資材価格の高騰や人手不足により、住宅価格は震災当時より約2割上がっており、土地代を含めて4,000万〜5,000万円ほどかかる状況です。被災者生活再建支援法による給付では最大350万円、全国の方の善意で災害義援金をいただけたとしても数百万円。それらだけでは住宅再建は不可能です。そのため、スタートアップ補助金で保険の加入を促しています」

被災地から今を生きる人々へ

被災地から今を生きる人々へ

インタビューの最後に、被災経験自治体として、15年目を迎えた今伝えたいことを訊ねた。

「近年、災害が激甚化・頻発化しており、毎年のように、日本の各地が災害に見舞われています。災害はいつ・どこで発生するか分からないため、災害を自分ごとと捉えていただき、災害の備えが大丈夫か点検してほしいと思います。そして、被災して家を失って生活再建するときに一番課題であり最後に残るのが、家の問題です。保険の加入の有無によって生活再建のスピードも違うため、重ねてお伝えしますが保険はぜひ入ってほしいです」

15年という歳月を経て物理的な街の再建が一段落した今、自治体が向き合っているのは、形のない「経験」をいかに組織の知恵として定着させるかという、終わりなき挑戦と感じられた。
震災の記憶を悲惨な出来事として語り継ぐだけでなく、「命を守るための確かな術」を考える、新たなスタートラインに私たちは立っているのかもしれない。

今回お話を伺った方

今回お話を伺った方

(左から)宮城県 復興・危機管理部 復興支援・伝承課 災害援護班 齋藤啓豪氏、曽我駿斗氏

■宮城県 復興支援・伝承課
https://www.pref.miyagi.jp/soshiki/densho/

■東日本大震災 宮城の震災対応記録
https://www.pref.miyagi.jp/site/densho/