福岡のFAFメンバーと湯布院の建築をめぐる

FAFのウェブサイト。5か国語で発信しているFAFのウェブサイト。5か国語で発信している

秋が深まってきた2024年11月30日、「湯布院名建築探訪ツアー」が開催された。主催したのは福岡のNPO法人福岡建築ファウンデーション(Fukuoka Architecture Foundation)、通称FAF。国内外で活躍する福岡市出身の建築家・松岡恭子さんが、2012 年に設立した団体だ。

建築を中心としたさまざまなデザインのプロと、建築に関心のある多様な職種の仲間が集い、建築の魅力を社会に広める活動を通して、福岡のデザインを育てる土壌を豊かにすることを目指している。福岡の代表的な建築群を専門家の解説を聞きながらめぐる福岡近現代建築ツアーをはじめ、サロンやワークショップ、福岡市内のおすすめ建築50選の紹介など、多彩な活動を展開している。

5年ぶりのバスツアーに多様な人が参加

ウェブサイトやメルマガでツアーの開催を告知ウェブサイトやメルマガでツアーの開催を告知

この日は、コロナ禍から中止していたバスツアーが5年ぶりに開催された。

スケジュールは福岡市からバスで出発し、湯布院に到着。「由布院駅」(設計:磯崎新氏)および「辻馬車広場」(設計:徳永哲氏)、「由布市ツーリストインフォメーションセンター」(設計:坂茂氏)を見学する。その後、バスに乗って「道の駅ゆふいん」に移動し、用意されたお弁当でランチタイム。再びバスでまちなかに戻り、「COMICO ART MUSEUM YUFUIN」(設計:隈研吾氏)、「STAY玉の湯」(設計:松岡恭子氏)を訪れる。自由行動を楽しんだら、バスに乗って湯布院を後にし、福岡市に着いて解散という流れになっている。

福岡市天神の待ち合わせ場所に、スタッフと参加者合わせて総勢40人が集合。主催の松岡さんをはじめ、福岡で活躍する建築家や建築を学ぶ学生などがスタッフとなり、参加者を笑顔で迎えていた。

参加者の背景は、建築はもちろん、不動産や銀行などさまざまで年代も幅広い。このツアーのために大阪から来た女性もいた。みんなワクワクした様子で貸し切りバスに乗り込み、湯布院に向けて9:00に出発した。

ウェブサイトやメルマガでツアーの開催を告知スタッフが明るくあたたかく出迎えて、資料を手渡した

「由布院」と「湯布院」はどう使い分けるのか

建築物について、写真や図面をふんだんに使い、専門的な内容まで紹介している建築物について、写真や図面をふんだんに使い、専門的な内容まで紹介している

参加者には、湯布院のまちや建築物について、建築家の視点で分かりやすくまとめた資料が配布された。湯布院へ向かうバスの中で、松岡さんやスタッフから、湯布院というまちの歴史や当日見学する建物について解説が行われた。

はじめに知っておきたいのは、「ゆふいん」の漢字表記には「湯布院」と「由布院」が混在していることだ。

もともとの地名は「由布院」町だったが、1955(昭和30)年に湯平村と由布院町が合併して「湯布院」町に。旧由布院町にあったところは「由布院駅」「由布院温泉」を使い、湯平を含む町全体のことは「湯布院」などと使い分けていたが、「湯布院温泉」と書かれることも多くなった。さらに2005(平成17)年の合併で、湯布院町など3町が合併して「由布市」となり、由布院駅のある湯布院町は「由布市湯布院町」とややこしい地名になっている。

100年前に“日本の公園の父”が提案した「保養地」を目指す

今でこそ国内有数の温泉観光地として全国に名をはせる由布院温泉だが、かつては全く知られていない町だったという。しかし1924年、“日本の公園の父”と呼ばれ、日本初の林学博士である本多静六博士がこの地を訪れ、まちや野山を歩き回って「由布院温泉発展策」というタイトルで講演を行った。その中で、由布院は自然豊かなドイツのバーデン=バーデンのような「保養地を目指せ」、そのためには緑が大切と語ったことが、今に至るまちづくりの礎になっている。

由布院のシンボルとなっている由布岳。標高1583mで、東と西に2つの峰がある由布院のシンボルとなっている由布岳。標高1583mで、東と西に2つの峰がある

由布院のまちづくりは、いくつもの困難を乗り越えてきた歴史があり、数人のキーパーソンが存在する。

1952年に由布院盆地をダムにするという計画が持ち上がったときは、医師から初代湯布院町長になった岩男頴一氏が反対を強く主張し、中止に追い込んだ。続く世代は「亀の井別荘」の中谷健太郎氏、「玉の湯」の溝口薫平氏、「夢想園」の志手康二氏が“三羽烏”と呼ばれ、30代で立ち上がってゴルフ場建設の話を中止に。そして本多博士の提案を確かめるべく、3人で50日間ヨーロッパを貧乏しながら視察し、由布院の進むべき道を認識。大型ホテルの開発を行うことなく、静かで緑豊かな環境を作り守り続けてきたことで、今の由布院があるのだ。

磯崎新氏による「由布院駅」は吹き抜けに注目

駅を出ると、正面に由布岳を望む駅を出ると、正面に由布岳を望む

バスは11時前に湯布院に到着。紅葉が見頃を迎えた週末、国内外からの観光客でにぎわっていた。一行はインカムをつけて、松岡さんの説明を聞きながら建物をめぐった。

最初にみんなで向かったのはJRの「由布院駅」。由布岳を正面に望む由布院駅は、老朽化をきっかけに、JR九州と町の合同事業として1990年に改築された。白羽の矢が立ったのは、大分県出身の建築家・磯崎新(いそざきあらた)氏だった。

駅を出ると、正面に由布岳を望む由布院駅の東側外観
駅舎の中心にあるコンコース駅舎の中心にあるコンコース

駅舎で特徴的なのは真ん中のコンコースで、高さ12mの気持ちのよい吹き抜けがある。見上げると、カーブした屋根の下に一辺9mのキューブが据えられて、開放感と象徴性を両立するデザインとなっている。コンコースの左右にはウイングが広がり、右側には待合室がある。町民の要望により、単に待ち時間を過ごすだけの場所ではなく、アートや文化などを展示するギャラリーやイベントホールとしても機能している。

磯崎氏は「大分県立中央図書館」「ロサンゼルス現代美術館」など世界でさまざまな公共建築を手掛けつつ、国際コンペの審査員として世界で活躍する建築家を掘り起こし、世界の建築家から尊敬を集めている。なお、福岡市には磯崎氏が設計した「西日本シティ銀行(旧・福岡相互銀行)本店・支店」や「秀巧社ビル」が点在していたが、老朽化等により取り壊されて、今は「寿司割烹やま中本店」だけが残っていると松岡さんは説明した。

駅を出ると、正面に由布岳を望むギャラリーとしても利用される待合室。ダークな駅外観とは対照的に、白い壁に木の温かみを感じる空間になっている

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