復元された4つの団地
「ダイニングキッチン(DK)」という言葉は、団地の歴史の中で使われ始めた言葉だという。第二次世界大戦で多くの住宅を失った戦後の日本に、大量の住宅を供給してきた日本住宅公団(現 UR)の団地は、それまでの日本の都市の伝統的な暮らし方に一石を投じた。そのひとつがダイニングキッチンで、昼間ご飯を食べたちゃぶ台を片付け、その部屋に布団を敷いて寝るというライフスタイルを一変させる、食寝分離を提案した。慣れ親しんだちゃぶ台に戻ってしまわないよう、ダイニングテーブルは「備えつけ」にしたのだという。核家族向けに2DKで提供された「蓮根団地」(東京都板橋区)は主婦の憧れとなり、入居は100倍以上の当選倍率に。「団地族」という流行語も生まれた。
日本の住まいに、常に新しい風を吹き込んできた「団地」。2023年9月、その歴史を学び、体感できるスポット「URまちとくらしのミュージアム」がオープンした。1962(昭和37)年に造られた当時日本最大級の団地、旧赤羽台団地(現 ヌーヴェル赤羽台)の一角にあるこのミュージアムを訪ねてみた。
新しく建てられたミュージアム棟のほかに、2019年に団地では初の国登録有形文化財となった団地棟4棟、そしてこれらを取り囲む緑豊かなオープンスペースやそこで行われるイベントまでひっくるめてミュージアムとしているという。
特に「ミュージアム棟」の中に復元された、4つの部屋は興味深い。今はなくなってしまった団地の部屋を移築し、かつての様子を忠実に再現している。それぞれの時代に考え抜かれた、暮らしやすさを追求するデザインは、今はむしろ新しく感じるものも多い。まず、これら4つの部屋を見てみよう。
震災後の鉄筋コンクリート造。同潤会代官山アパートメント
同潤会アパートメントは、1923(大正12)年に起きた関東大震災で42万戸の住宅が失われた東京に住居を供給すべく、大正末期から昭和初期にかけて東京と横浜に計16ヶ所、造られた。震災後だったため、地震や火事に強いことは必須とされ、木造住宅が主だった日本では、最初期の鉄筋コンクリート造集合住宅だった。
ミュージアムに移築復元されているのは、1926年築の代官山アパートメント(東京都渋谷区)の部屋。単身用の個室は狭いが、備えつけのベッドの上下に収納スペース、壁面に換気窓があるなど工夫がつめこまれており、調度品のデザインもモダンで見ていて楽しい。家賃は、当時の木造長屋の1.5倍だったという。洗面所やトイレ、食堂などは共同で、共用スペースの建具なども一部、移築されている。
昭和・平成の時代には、レトロな空間が人気で高感度なショップなども入っていた代官山の同潤会アパートメントも1996年に解体、その後2013年には上野下アパートメント(東京都台東区)が解体され、同潤会アパートはすべて姿を消した。ミュージアムで復元住居が見られるのは貴重だ。
2DKスタイルの先駆けとなった蓮根団地
戦災を経た日本の住宅不足は420万戸ともいわれ、勤労者向けの住宅を供給すべく日本住宅公団(現UR)が発足したのが昭和30(1955)年。冒頭でも紹介した元祖2DKの蓮根団地はUR初期の1957年築で、暮らしやすさを追求しながらも、コンパクトに設計された。たとえば、ダイニングの食器棚の下部は、玄関側には下駄箱として開くようになっていたり、玄関とトイレの照明が共用となっていたり、バルコニーの端に物置が作りつけられているなど2wayに使える工夫があちこちに見られる。できるだけ無駄を省き、狭い空間を有効に生かすチャレンジがされているのは興味深い。洗濯機はまだ普及しておらず、洗濯は風呂場でされていたそう。
公団初の10階建て晴海高層アパートは前川國男の設計
蓮根団地と同時代、住宅不足の日本で日本住宅公団は、高層集合住宅の建設にも乗り出す。そのひとつ、1958年築、10階建ての晴海高層アパートは、ル・コルビュジエに師事した前川國男氏の設計による。ここでも新たなトライアルがいくつもされていて興味深い。
まず、団地初のエレベーターが採用された。垂直に3層、水平に2戸で計6戸のユニットを1パッケージとし、エレベーターが止まるのは1階、3階、6階、9階のみという「スキップアクセス方式」だ。途中階へはこれらの階から階段でアクセスする。ただし2階用には円柱形の外付け階段が設置されていた。ミュージアムには屋外にこの外付け階段も移設されている。
エレベーターが止まる階には約2m幅の広い廊下があり、廊下には電話が取り付けられていた。オペレーターが外部からの電話をつなぐと、各部屋の中にあるブザーが鳴り、住居人はブザーを聞いて外の電話をとりに走ったという。また、広い廊下は子どもの遊び場や主婦の井戸端会議の場を想定して設計された。当時の子どもたちにはやったローラースケートが金属製だったため、騒音がものすごく、下の階からの苦情となり、ルールを決めるといったこともあったそう。話を聞きながら廊下にたたずむと、当時の団地のにぎやかな風景がよみがえるようだった。
室内も、前川國男らしい端正なデザインやアイデアにわくわくした。コンパクトな部屋を広く感じさせるよう、欄間をガラス張りにしたり、畳の縁、襖の縁、そして天井に貼った麻布の線が一直線につながるようなデザインしたり、さりげないが考え抜かれた設計が魅力だ。
団地初の水洗洋式トイレも採用された。家賃は、39平米の部屋で1万3,000円程度。現代に換算すると20万円台前半くらいとのこと。借りる人は経営者などが多く、黒塗りの車がずらりと並ぶような、高級住宅だったそうだ。
多摩平団地テラスハウスは、郊外に建てられた長屋建て
4つめの復元住戸は、いわゆる「団地」のイメージとは少し異なる2階建て。隣の住居と壁を共有する長屋タイプで、郊外に多く建設されたスタイルだ。1958年築の多摩平団地テラスハウスは6戸で1棟のつくりとなっていたが、その1戸が復元されている。
1階に4畳半の居間と床下収納を備えつけたキッチン、風呂、水洗トイレ、2階に6畳と3畳の2部屋がある3Kタイプだ。洗濯物をゆっくり干せる専用庭の他に共用の広場などもあり、近隣とのコミュニティが育まれたという。当時の家賃は約6,000円。現代に換算すると11万円くらいとのこと。
テラスハウスは、日本住宅公団の発足(1955年)から10年間で、公団が供給した戸数の約2割にあたる約2万戸が建てられたという。
「スターハウス」「板状階段室型住棟」が国登録有形文化財に
「URまちとくらしのミュージアム」のもうひとつの見どころは、旧赤羽台団地の3棟の「スターハウス」と「板状階段室型住棟」が、当時の姿のままあることだろう。この4棟は、2019年に団地として初めて国登録有形文化財に登録された。
通常内部は公開されておらず、外からしか見られないが貴重だ。4棟とも1962(昭和37)年に建てられ、2018年まで実際に住居として使われていた。今後ここで、建設当時の住戸を復元したり、新しい暮らし方を提案する住戸などを展示していく予定だという。
ラボ41と呼ぶ5階建ての板状階段室型住棟は、旧赤羽台団地に多く作られた標準的な住棟だという。すべての住戸に光と風が届くよう、南向きに建てられ、南側にバルコニーが設置されている。
スターハウスは、上から見ると星形ともいえる独特の形状をもつ。まとまった敷地がとれなくても建てられるほか、景観上のポイントとして配置されることが多かったという。三角形の階段室の周囲に各階3つの住戸が放射状に配置されているため、すべての住戸が3方向に窓がある。外から見ても、光や風が近く、なんとも贅沢と感じた。
これら文化財となった団地と4つの復元住戸のほか、歴史を伝える映像などが展示されたミュージアム棟は、団地らしい緑豊かな敷地にゆるやかに隣接して建っており、彫刻家・流政之氏のベンチが配置された芝生の広場ではイベントも行われているという。
団地を舞台に、多世代がいきいきと暮らせるまちをつくる
当日案内してくれた「URまちとくらしのミュージアム」スタッフの松永祐一朗さんは「今は研究者や事業者の皆さんに来ていただくことが多いですが、地域の人や一般の皆さんにも愛されるミュージアムにしていきたい。団地はいつも時代とともにあって、URは今も都市再生や震災復興支援などを手掛けながら住まいをご提供しています。ミュージアムではURの歴史もわかりやすく展示していますので、そんなURの思いも知っていただけたらと思います」と話してくれた。
説明を聞きながらミュージアムを歩くと、日本の歴史の中で求められて来た「住まい方」を感じることができた。思えば近年、昭和の時代に建てられたURの団地を舞台に繰り広げられるチャレンジは面白い。一角にこのミュージアムをオープンした「ヌーヴェル赤羽台」はもちろん、全室でDIY可能で退去時の原状回復義務を原則不要とし、DIYに使用する壁紙や木材を提供する「壁紙屋本舗LAB」を1階のテナントとする千島団地(大阪市)、国際的に活躍する建築家隈研吾氏や日本を代表するクリエイティブディレクター佐藤可士和氏とともに、これからの住まい方を考える「団地の未来プロジェクト」としてリノベーションした洋光台団地(横浜市)、筆者の住む足立区でも「本」をテーマに若者向けシェアハウスにリノベーションした「読む団地」など、熱いチャレンジがいくつもある。
UR広報室の大西拓己さんはこんな風に話してくれた。
「少子高齢化という日本が抱える社会課題に対し、URはさまざまな世代がいきいきと暮らせる『ミクストコミュニティ』を提案し取り組んでいます。昭和の時代に建てられた団地が多いので、古くなった住棟も多いですが、建て替えだけでなく、建物長寿命化工事を施しながら室内はリノベーションしたり、周辺環境を良くしたりしていくことで、多世代がつながり、いきいきと暮らせるコミュニティづくりにチャレンジしています。団地にはかつて培ってきた地域のつながりもありますし、敷地も広いので、民間の賃貸よりチャレンジしやすいのではと思います」
かつての団地空間を体感できる「URまちとくらしのミュージアム」はシンプルに楽しい。さらに全国に約70万戸という膨大な住居を提供しているURの団地の歴史とチャレンジに触れるのは、日本の明るい未来を垣間見るようでとても興味深かった。
■取材協力
URまちとくらしのミュージアム
https://akabanemuseum.ur-net.go.jp/
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