明治時代に建てられ、2018年に廃業した一の湯
群馬県桐生市は安土桃山時代の天正18(1590)年に徳川家康の領地となり、江戸時代初期から織物業で栄えてきた街。江戸時代後期には奢侈禁止令や生糸不足で生産が低迷したこともあったが、昭和初期には最盛期を迎え、西の西陣(京都)、東の桐生と並び称された。
その繁栄を今に伝えるのが桐生天満宮から南北に約820m続く本町通り沿いに広がる桐生新町の重要伝統的建造物群保存地区(以下重伝建地区)である。JR両毛線の桐生駅から歩いて向かうと、桐生歴史文化資料館のある辺りから蔵や木造の古い建物が増え、明らかにまちの雰囲気が変わり始めるのだが、そのあたりが重伝建地区である。
その本町通りの、桐生天満宮に近い場所に一の湯という銭湯がある。明治時代に織屋の女性労働者が利用する風呂場として建てられ、1912(大正元)年には公衆浴場になったという歴史ある銭湯だが、2018年末に廃業した。
「経営をしていたおじいさんが突然亡くなり、継承者もいなかったことから、そのまま廃業となりました。といっても、重伝建地区内の、しかも通り沿い。取り壊すこともできず、そのままで放置されていたところ、建物のボロさ、威圧感に私が一目惚れ。継承することになりました」と現在、一の湯を切盛りする山本真央さん。2023年4月15日に約4年半ぶりに再開となったのだが、築110年を超す建物、一度廃業した銭湯が再生に至るまでには山あり、谷ありの道があった。
地元の人たちの盛り上がりにとりあえず移住
埼玉県出身の山本さんは、バイクショップに勤務するバイク乗りで、桐生を知ったのはバイクのウェアショップを通じて。訪れた時に商店街をぶらぶらするようになり、人懐こい、いい意味でお節介な人が多いと桐生に惹かれるようになった。
「漠然とですが移住を考えていました。二十数年バイクショップに勤めていましたが、自分で商いを持ちたいと思っており、商いをするなら見ず知らずの人間にも声をかけてくれたり、人を紹介してくれたりする桐生の下町っぽい感じが良いのではないかと思ったのです」
そんなときに出会ったのが一の湯。その時点では所有者を知っていたわけではなかったものの、「いいなあ、ここを再開させたいなあ」と言っているうちに、じゃあ、紹介しようと言ってくれる人が出てきて、さらに活動を応援してくれる仲間が生まれてきた。
「地元紙・桐生タイムスの高橋さんに紹介いただき、一の湯の大家さんと知り合うことができました。ここは賃貸で、以前経営していたおじいさんも借りて営業をしていたのです。ところが、おじいさんが亡くなった後もおばあさんは裏の自宅に居住していましたし、高橋さんが何人かに経営を引き継がないかと打診を続けていたものの採算が合わないなどで借りるのが難しかった。私が紹介されたのはその後のタイミングでした」
ただ、この時点ではまだ借りられるかどうか、再開できるかどうかは分からなかった。それでも山本さんは桐生をいいなと思い始めてから1年半ほど経った2022年4月に桐生に移住する。
そのとき勤務していたショップは水、木が休みだったが、毎週桐生に来られるわけではなく、来られて月に2回ほど。だが、地元の人たちは一の湯再生に盛り上がってくれており、そこに自分がいないわけにはいかない。仕事は決まっておらず、一の湯も再生できるか分からない。それでも来たらなんとかなるだろうと移住した。
難しいと言われた営業許可を取得
とりあえず移住はしたものの、当初は再生まで3年くらいはかかるだろうと思っていた。移住するまで長年働き続けてきたこともあり、せっかく一度辞めたのだから2~3ヶ月はのんびりするかと思い、6月から半年の契約でイベント企画の仕事をするつもりでいたところ、外からその計画をひっくり返すような発破をかけられることに。
「昨年の夏に、渋谷と桐生に拠点があるIT企業株式会社シカクの今氏一路さんから一緒にやろうと言われ、そこから怒涛のスピードで来春の再生を目指す道を歩むことになりました」
難関は営業許可だった。一度廃業しているため、新規で銭湯(一般公衆浴場)の営業許可を取る必要があったが、ほぼどの家庭にも風呂のある今、新規開業は群馬県も含め、どの自治体でもほとんど例がない。無理なのではないか、あるいはスーパー銭湯のようにその他の公衆浴場という類型で許可を申請するほうがよいのではないかという意見もあった。
だが、もともとのコンパクトな規模を考えるとスーパー銭湯のように施設の充実を売りにするのは難しい。また、銭湯でなければ水道代の助成などが受けられない。桐生市では65歳以上には月に3回銭湯の利用チケットが配布されるが、それが使えるのは銭湯だけ。そうした事情を考えるとなんとしても銭湯で新規の営業許可が必要だ。
「桐生にも口うるさい人はいますが、大半の方々はこういうときにも前向き。無理とは言わず、いいよね、やりなよ~と応援してくれます。県議会議員さんなども含め、周囲のいろいろな人たちの応援で、活動しているうちにようやく営業許可が取れることになりました」
綱渡りで申請、補助金を取得して開業に漕ぎつける
ただし、そのためには現在の規定に合わせる改修も必要になった。改修前の一の湯は、がらりと引き戸を開けると中央に番台があり、玄関から浴室までが丸見えの状態になっていた。それはまずいということで、男女の浴室間の上部なども含め、あちこちに目隠しを作る必要があった。ロッカーの新設も求められた。
加えて古い建物である。床はシロアリに食われて悲惨な状態になっていたし、配管はダメになっていただけでなく、以前の経営者が自分で手を入れて継ぎはぎしていたためか、よくワケの分からない配管まであった。
「配管をやり直し、温度計もなかったところを素人でも簡単に湯温が調節できるようにしてもらいました。床も地元の材で張り直し、壁は自分たちで足場を組んで塗りました。幸い、直すのに1,000万円ほどかかると言われていたボイラーは壊れていなかったので助かりましたが、それでも配管、床、目隠しその他で800万円ほどかかりました」
8月からクラウドファンディングを始めて265人から400万円を集めたものの、それでは足らず、現在は営業利益から工事費を少しずつ払っている状態。一緒に再生しようと頑張ってきた仲間が工事してくれたからできることだ。
物件そのものも当初は9月には借りられるはずだったところが、誰だか分からないど素人が運営するという事実に話が延び、借りられたのは10月になってから。そこから2023年3月末にはなんとか形にしようと2023年の年明けから工事がスタートした。
「営業許可が下りないと市の空き店舗利用時に出る補助金が使えません。県の許可が出たのが3月30日の午前中で、書類を揃えて市役所に持っていたのがその日の午後。本当に綱渡りでしたが、市や保健所など関係機関はどこも協力的で結果、なんとか再開に漕ぎつけることができました」
移住者だったからできたこと
山本さんは考えていたより早期に再開できたのは自分がしがらみのない移住者だったからではないかと考えている。
「子どもはもう大きくなっているし、私は自分一人の分だけ稼げばよいので怖いものはありません。ここで儲けてやろうというような裏がないことは誰にも分かります。だから、皆さんが協力してくれたのではないかと思っています」
企業からの問合せに対しては何か裏がと勘繰る人が出るかもしれないが、シングルマザーの移住者が地元の銭湯再生に一人でリスクを取って奮闘しているとなれば、物珍しくもあり、協力しようという動きも出ようというわけである。
取材にお邪魔したのは再開から1ヶ月半ほどが経った頃。再開を待ちわびていた高齢者はもちろん、東京、千葉、神奈川など首都圏などからも遠路わざわざ来てくれる客もあり、リピーターも常連も生まれてきているという。
「ご近所の高齢者は毎日やってきてはご近所さんと世間話に興じていますし、小さな子どもを連れたファミリー、女子旅など幅広い年代の人たちが昭和のアトラクションを楽しむかのようにこの空間を愛で、体験しようと来てくれています」
現在は山本さんが一人で掃除をし、湯を沸かし、番台に座りとすべてを行っているが、それができるのが一の湯がコンパクトだから。首都圏のような大型の宮造りの銭湯であれば掃除だけでも一仕事。とうてい一人ではやっていけないかもしれない。
滑り出しは順調だが、今後には課題も
また、一の湯は薪で湯を沸かしており、それもやっていけている理由のひとつ。薪は仲間の大工さん、工務店からの廃材、近所の製材所からの端材などをもらってきているため、燃料費はタダ。昨今の燃料費高騰の影響を受けずに済んでいるのである。利用する上水についても半分は助成が出ており、1日に30人が入ってくれれば1人なら食っていけると山本さん。
しかも、桐生川の水を利用した同市の水道は軟水で、これを薪で沸かすと柔らかい湯になると評判だという。
「ガスで沸かした場合、44度は熱くてとても入っていられませんが、薪で沸かすと43度で永遠に入っていられるくらい。お肌もつるつるになります。地元ではこういう湯をなるい湯というそうで、おばあちゃんたちは一の湯はなるくていいわあと言い合っています」
順調な滑り出しというわけだが、もちろん、いいことばかりではない。浴槽から水漏れが起きているらしく、目地を埋めないといけない。現在のタイル絵は50年ほど前に描き替えが大変だからとタイル絵にしたそうだが、いずれはペンキ絵にしたいと考えてもいる。
それよりなにより、建物自体の劣化が進んでおり、それが一番の問題だ。山本さんは現在、銭湯背後の重要文化財になっている住宅に住んでいるが、ここは古い瓦の下の土で雨漏りがかろうじて止まっている状態で、これ以上漏らないようにと瓦がずれている部分にブルーシートをかけて凌いでいる。銭湯も言い出したら、いろいろ直さなくてはいけない箇所がある。
「ただ、直すとしたら調査から始まって改修まで3年計画。文化財ですから、外側の変化は許されません。また、その間営業できないかもしれない上に国、市、所有者が費用を3分の1ずつ出すことになります。直すかどうかは所有者の判断というわけで、借りている身としては今のところ、なすすべはありません」
桐生で生まれつつある動きを見に行こう
桐生に再生された一の湯をご紹介したが、山本さんによると桐生ではこのところ、さまざまな変化が起きつつあるという。
「一の湯の再開と同時期に歩いて2分ほどの場所に昭和初期に建築された住宅を改修したゲストハウス『桐生まちなかの宿 Dive INN KIRYU(ダイブ・イン・キリュウ)』がオープン。泊まると銭湯に入れる仕組みになっています。私の桐生移住後に何度か桐生に遊びに来てくれた友人夫妻が山や川のきれいなところに住みたいと埼玉から移住し、2023年6月に「こむぎBAGEL&COFFEE」を移転、開業しました」
桐生天満宮の近くにはクラフトビールを味わえる「BRYÜ(ブリュー)」、かつて花街だった末広町にはアルゼンチン人の夫と日本人の妻が経営するゲストハウス兼TAPAS BAR「OKIYA」など至近距離に面白そうな店が点在。古着屋も増えて駅前にはカフェも生まれた。かつて繁栄していただけに商店街は長大で、そこだけを見ていると変化を感じるのは難しいが、少し路地に入り、人と話をすると新しい動きが見えてくる。
日本家屋から蔵、のこぎり屋根の工場、洋館などのバリエーション豊富な建築を眺めて銭湯に入り、その昔の旦那衆がそれぞれに寿司職人を連れて来たから多いと言われる市内の寿司屋巡りをする桐生へのミニトリップ。移住を考えている、都心を離れたいという人はもちろん、そうでない人にも楽しい経験になりそうである。
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