なぜ「夕やけだんだん」の景観論争は起きたのか

東京の下町情緒を色濃く残し、海外からの旅行者も惹きつけてやまない「谷中ぎんざ商店街」。その東端に位置する「夕やけだんだん」は、海外旅行サイトで「Yuyake Dandan」と紹介されており、東京観光を代表するスポットとして連日多くの人々で賑わいを見せている。黄昏時には、夕やけ空が広がる西方の市街地を一望することができ、東京でも数少ないノスタルジーを感じられる場所だ。

位置図 ※出典:夕やけだんだん階段下に設置されている標識板位置図 ※出典:夕やけだんだん階段下に設置されている標識板

しかし、この場所は国や東京都が指定する文化財でも、史跡でもない。観光地として広く認知され始めたのも1990年頃からであり、その歴史は意外にも新しい。客観的にいえば「日常の風景」といえるが、地域の重要な観光資源であることは確かだ。この「夕やけだんだん」の面するエリアにおいて、2025年11月下旬、建築工事(計画概要は以下概要を参照)が進められている分譲マンションをめぐり、SNSやメディアを通じて景観論争が起こった。

<荒川区側の敷地で計画されている建築概要>
・建物名称:ウィルローズ谷中銀座
・建物用途:共同住宅
・敷地面積:737.77m2
・建築面積:509.55m2
・延べ面積:2,949.83m2(容積率対象外面積752.99m2)
・構造規模:鉄筋コンクリート造、地上7階建て
・建蔽率 :69%(指定建蔽率80%)
・容積率 :297%(指定容積率300%)
・総戸数 :35戸(管理室1戸を含む)
・竣工予定:2026年4月下旬
※出典:WILLROSEウィルローズ谷中銀座物件概要(2026年1月2日最終閲覧)

【LIFULL HOME'S】ウィルローズ谷中銀座の物件情報(価格・間取り等)

<台東区側の敷地で計画されている建築概要>
・建物名称:(仮称)日暮里計画新築工事
・建物用途:店舗・共同住宅
・敷地面積:316.93m2
・建築面積:241.73m2
・延べ面積:1,133.34 m2
・構造規模:鉄筋コンクリート造、地上6階建て
・建蔽率 :76.3%(指定建蔽率80%)
・容積率 :不明(指定容積率300%)
・竣工予定:2026年2月6日
※出典:荒川区中高層建築物の建築に係る紛争の予防と調整に関する条例第5条第1項の規定により建築地に設置された看板による。2025年12月末確認
(注)2棟はそれぞれ別事業者が行っており、特にSNS上で論争となったのは、主に荒川区側の敷地に建築される分譲マンションが該当する。

景観をめぐる摩擦は、この場所特有の話ではない。記憶に新しい2024年の国立市の事例としては、東証プライムに上場している積水ハウスが、適法に建築していた完成直前の分譲マンションを解体する決断をした例がある。この例のように、「適法建築」と地域が有する「景観保護」の衝突は、現代の成熟した都市が抱える課題の一つとなりつつある。そこで本稿では、なぜ景観をめぐり論争に発展するのか。法制度の考え方、基礎自治体が置かれている状況など、論点を分かりやすく整理しつつ、日本の都市が置かれている構造的な問題を、元行政職員の視点からひもといていきたい。

位置図 ※出典:夕やけだんだん階段下に設置されている標識板夕やけだんだん ※2025年3月撮影(筆者撮影)
位置図 ※出典:夕やけだんだん階段下に設置されている標識板夕やけだんだん ※2025年12月撮影(筆者撮影)

事業者は「景観」をどこまで配慮すべきか

マンション建設事業者が周辺環境に対し配慮する義務

マンション建設において、事業者は周辺環境に対しどこまで配慮する義務を負っているのだろうか。この問いに対する法的な回答はシンプルである。結論から言うと、「建築基準法等の関係法令に適合している限り、それ以上の配慮を行う法的義務はない」となる。

日本国内における建築活動は、建築自由の原則に基づいている。土地の所有者等は、原則として、建築基準法令で定められた制限(用途地域、容積率、高さ制限など。これを建築基準関係規定という)の範囲内であれば、自由に建物を建てられる。その中で、建築確認制度とは、建築計画が法令で定める「基準」に適合しているかをチェックする仕組みであり、建築基準関係規定に適合しているかどうかを確認をしているにすぎない。これは許可行為ではなく、羈束行為(きそくこうい)という。よって、本来、建築確認審査を行う者には裁量権は与えられていない。

したがって、事業者が法令の範囲内で最大の床面積を確保し、事業採算性を最大化しようとする行為は、資本主義における営利活動として、正当かつ合理的なものであるといえる。

景観への配慮の法的位置づけ

では、地域住民や地方議員が求める「景観への配慮」とは、法的にどう位置づけられるのか。多くの場合、それは法令上の義務ではなく、事業者の「潜在的なリスク対応」の結果といえる。行政が策定する「景観計画」や任意の「景観条例」に基づく指導も、法的拘束力を持たないお願いベースのものが多くを占める。

もちろん、一部自治体では法的拘束力を持たせて規制している例もある。例えば、建築基準法において審査される景観地区(都市計画法により指定)を指定している市区町村は、全国で57ある(2025年3月末時点)が、景観法に基づく景観計画を策定している団体は2025年3月末時点で675ある。全体のわずか8%に過ぎない。

ここで、景観法制度と建築基準法・都市計画法の関係性について理解しておきたい。
下図は、景観法と建築基準法等の枠組みである。建築確認制度において、建築主に対し強制力を持って景観基準に適合させるためには、景観地区(景観法第61条第1項、建築基準法第68条)または地区計画(都市計画法第12条の5、建築基準法第68条の2)を指定する必要がある。

今回、「夕やけだんだん」の荒川区では、これらの指定はなく、景観法に基づく景観計画に基づいた届出制度(景観法第16条)が施行されている。届出制度では法的な拘束力はなく自治体が策定するガイドラインに基づいて誘導が図られるが、多くは行政手続法に基づき、事業者の自発的な協力によって景観形成が図られているのが実情といえる。

景観法の体系(市街地における景観法と建築確認制度との関係) ※筆者作成景観法の体系(市街地における景観法と建築確認制度との関係) ※筆者作成

適法であれば何をしても許されるわけではない

もう一つ重要な考え方がある。それは、適法であれば何をしても許されるわけではない点だ。民法上の不法行為責任を問われるラインとして、「受忍限度(じゅにんげんど)」が存在する。これは「社会生活を営む上で、お互いに我慢すべき被害の許容範囲」を指す司法判断の基準である。騒音や日照などがこの限度を超えたと認定されれば、たとえ法令を守っていても、損害賠償や建築差止めの対象となり得る。これが事業者に対するブレーキとなる。
しかし、景観論争において、このブレーキが作動することはまれである。

過去の判例(国立マンション訴訟等)において、裁判所は「景観利益」の法的保護を認めつつも、その侵害が違法(受忍限度を超える)とされるハードルを、個別の事情を勘案して設定している。「自宅からの眺望が悪くなった」や「街の雰囲気が変わった」という個別の主観的な理由のみでは、受忍限度を超えたとはみなされない可能性が高い。特異な事例(権利の濫用など)でない限り、適法に建てられた建築物が法的に問題があるとする考えには至らない。

任意の行政指導に多くの事業者は自ら協力している

ここで一つ注意点がある。それは、本来は任意であるはずの行政指導(景観法に基づく届出制度)に対し、現場では多くの事業者が自ら調整コストを負担し協力しているという事実だ。それはなぜか。行政指導を無視して強行突破することは、事業者にとって「時間」という莫大なコストを支払うリスクを意味するからである。

少し事業者の目線に立ってみてほしい。

日本の建築実務において、建築着工に必要な法的手続きは、実質的に行政側が握っている。本来、建築基準関係規定に適合していれば確認済証は直ちに交付されなければならない。しかし、行政手続法に基づく「任意の協力」を拒否すれば、行政や地域との関係が悪化し、手続きが事実上停滞する恐れや、該当事案以外にも波及して企業イメージが悪化する恐れがあり、その損失は予測することができない。

不動産事業において、時は金なりである。販売時期の遅れによる機会損失を考えれば、行政と全面対決をして数ヶ月〜数年を空費するよりも、デザイン変更や規模縮小を受け入れた方が、トータルの経済的損失は少なく済む。つまり、事業者が任意の景観基準に従う理由の一つとして、「行政に時間を人質に取られているため、妥協する方が経済合理性が高い」との判断が成り立つ。

結果として、事業者からすれば、資本を投じ、リスクを負って事業を行っている以上、法に基づかない曖昧な「配慮」によって収益性を犠牲にすることは、株主や融資元に対する背信行為にもなりかねない。事業者が住民感情に沿わない計画を行う場合でも、彼らは無法者として振る舞っているわけではない。むしろ、現行の法制度が定めたルール通りに、忠実にプレーしているのである。

景観法の体系(市街地における景観法と建築確認制度との関係) ※筆者作成夕やけだんだん ※2025年12月撮影(筆者撮影)

なぜ「適法」でも景観は守れないのか?

今回の騒動を受け、SNSでは「なぜ区は建築許可を出したのか」といった投稿がみられた。しかし、行政実務においてこの問いに対する答えはシンプルだ。「要件を満たしている以上、認める義務がある」からである。

ここに、日本の建築・都市計画行政が抱えるジレンマがある。建築基準法に基づく建築確認という手続きは、行政側の裁量が一切認められない「羈束行為(きそくこうい)」であり、許可ではない。羈束行為とは、前項でも述べたように法律が定める基準を満たしていれば、自動的に確認済証の交付を出さなければならないというルールだ。そこに「景観に合わないから」とか「住民が反対しているから」といった情緒的な理由を挟む余地はない。仮に行政がそれを理由に確認を拒否すれば、法や憲法の上に人が位置することとなり、法治国家の原則から外れる。逆に事業者は「損害賠償」を求めて提訴し、行政側は敗訴することになる。

しかし、行政は何もしていなかったわけではない。ここで登場するのが、法的拘束力のない「行政指導」である。
※荒川区景観形成ガイドラインでは、景観基準の一つとして”「夕やけだんだん」の眺望点からの見え方および坂道から見える富士山およびその周辺に広がる街並みの見え方に差し支えのないように配慮する”としている。(下図参照)

荒川区の議事録(第10回荒川区景観審議会議事録、2025年3月)によれば、事業者に対し「配慮」を求め、デザイン変更や階高減少が実現している。ここで興味深い事実がある。議事録の中で副会長は、「色彩については比較的素直に聞いてくれたが、高さについては商品価値が減るため駆け引きがあった」という趣旨の発言をしている。実際、外壁の色やデザインについては、景観基準に合わせて調整が行われた。

しかし、高さについては、台東区の基準(谷中地区地区計画では商店街沿いの高さ制限は20m)に合わせて6階建て相当を要望したが、法的強制力がないため、最終的に当初8階建て計画を7階建てに変更することで協議が整っている。なお、公表された概要によれば、指定容積率300%に対し、床面積の消化率は297%とほぼ上限いっぱいまで使い切っている。つまり、事業者は高さを1階分譲歩したものの、商品価値である「総床面積(売上)」は確保した形だ。そのしわ寄せとして、当初計画よりも建ぺい率が増加し、敷地いっぱいに建物が広がることで、かえって壁のような圧迫感が増した可能性も否定できない。ただし、いずれにしても階段上からの情景に影響が出たことは事実である。

荒川区景観形成ガイドライン(2012年3月)抜粋荒川区景観形成ガイドライン(2012年3月)抜粋

ここから分かるのは、行政指導の限界である。

しかし、住民が守りたかった「夕やけだんだん」の情景を守るには、6階建て相当が妥当とする指摘がある。それでも、これ以上の減築を求めることは、行政指導の限界を超える。行政手続法第32条は、「行政指導は、あくまで相手方の任意の協力によってのみ実現される」と定めているからだ。事業者が「これ以上の減築は採算割れになるので協力できない」と拒否した場合、行政にはそれを強制する権限がない。それどころか、あくまでも届出という任意の協力制度に対し、過度な指導を続けていれば、「職権濫用」に該当する可能性がある。

結局、今回の論争は「後出しジャンケン」の限界を示している。建築着工し、現地での一部景観損失が判明した段階で「景観を守りたいから小さくしてくれ」とお願いしても、事業者には受け入れる余地がほとんどない。確かに過去の事例では、2024年に国立市において、積水ハウスが完成間近のマンションを解体する判断に至った事例もあるが、それは地域的な特異性が大きい。本当にその景観を守りたければ、地域景観を認知した段階で、地域と行政、議会が「地区計画」や「景観地区」、「建築協定」といった法的拘束力のある規制を整備し、「ここでは何メートル以上の建物は建てられない」という法的な網や、建物形態や色彩等の基準を規定しておく必要があった。

付け加えて、行政区域境にあることから台東区との調整・連携も必要である。

その事前の立法(ルール作り)という面倒な手続きを怠り、周囲への説明会や届出による事前調整が完了し、建築が始まってから批判や反対運動で何とかしようとする。「適法でも景観が守れない」のではない。守るための法(条例)を作っていなかったから、守れなかった。これが、夕やけだんだんの景観論争の根底にある。

荒川区景観形成ガイドライン(2012年3月)抜粋谷中ぎんざ商店街 ※2025年12月撮影(筆者撮影)

行政・議会側で事前に取れる手段はあったのか

結論として、手段は明確に存在した。具体的には、「地区計画」や「景観地区」、「景観協定」がある。建築物の高さの最高限度(数値基準)や形態基準を定めることである。これを行っていれば、建築確認済証を交付することができなかったであろうし、仮に確認審査と連動しない景観協定であっても事前に住民が合意するため十分に機能を発揮した可能性はある。したがって、着工後の論争に発展することはなかったはずである。

実際、隣接する台東区側では地区計画により高さ制限が設けられているが、荒川区側の当該地では、強制力のない運用にとどまっていた。例えば、地区計画条例による高さ規制は、地権者の土地利用(容積率)を制限するため合意形成に時間を要するが、行政はその手続きを経ず、緩やかな誘導策を選択していたことになる。

また、議会(立法府)にも手段はあった。地方自治法に基づき、議員自らが条例案を提出して独自の高さ制限等を設けることは制度上可能であった。しかし、本計画が進行する以前に、そのような具体的な立法措置や提言が行われた事実は確認できない。現在の状況は、行政および議会が事前に講じるべき法的措置を行わなかった結果とみることもできる。ただし、地方議会の議員には、国会議員のように政策担当秘書を設ける予算はないため、建築や都市計画の知識を有する人材が不足しており、そもそも問題提起や解決策の立案に至らない可能性が高い。

住民側で事前に取れる手段はあったのか

次に、住民が事態を防ぐ手立てはあったのだろうか。手段の一つとして、計画が持ち上がっていない平時の段階で、自分たちの街に景観地区等の指定に向けて、自ら地域内で任意協定を締結することや、行政・地方議員に働きかけることが挙げられる。その前提には、住民間での合意は必須である。
しかし、これを一般市民に求めるのは酷かもしれない。区民が専門的な知識を有しているケースはまれだからだ。「自分の家の隣に中層マンションが建つかもしれない」という危機感は、実際に看板が立つまで抱けないのが人間の心理だ。

また、都市計画の決定プロセスは極めて専門的で分かりにくく、住民が主体的に関与するにはハードルが高い。結局、住民にできたことは、選挙を通じて「景観を守る」と公約する議員を選び、議会を通じて行政(執行部)を監視させることであったが、立法可能な知識を有する議員が存在していなかったことも、今回の論争の原因の一つともいえる。

景観行政の課題

(1)事業者

まず、事業者の立場に立てば、日本の行政はアンフェアの側面がある。事業者は、今回でいえば数十億円単位の投資を行うにあたり、建築基準法などの法令を詳細に調査し、建築計画をおこしている。資本主義社会において、明文化されたルールに従って経済活動を行うことを前提とする必要がある。しかし、いざ蓋を開けてみると、景観計画に基づく指導という任意協力により予見しないコストが発生しており、加えて、その調整にかかるコスト負担は事業者が担っている。

法治国家の根幹は「予見可能性」にある。予見可能性とは、「自分の行為が法的にどのような評価を受け、どのような結果になるかを事前に予測できる状態」である。事業者にとって「ここまではOK、ここからはNG」という境界線が事前に示されていなければ、健全な経済活動を行うことができない。

(2) 行政・住民

一方で、行政や住民がわがままを言っているのかといえば、そうではない。彼らは「夕やけだんだん」という、法的には保護されていないが、地域にとってかけがえのない「公共財(景観)」を守ろうとしている。

しかし、手元には、それを守るための法的な武器(厳格な高さ制限条例や建築協定など)を遂行する力がない。任意基準に法的な拘束力を持たせるには地域ごとにオプションを付け加えていく必要があるが、今回の事例では、任意の景観基準により規制を行わずに事業者の協力に委ねていた。行政は指導を行うことで、住民と事業者との間を調整する。これは、行政の裁量で地域と事業者との摩擦を調整しようとする行為であるが、住民・行政は調整にいくら時間がかかろうと痛まない構造にある。

(3)法制度

最大の問題点は、一部の欧州のルールであれば、景観を守る(規制する)のか自由を認めるのか、事前に議会や地域住民・行政庁間で議論し、曖昧ではないルールをつくる。 そうすれば、一度ルールができれば、事業者は当該ルールに基づいて建築計画を行う。しかし、日本の多くの自治体は、立法プロセスに踏み出せない構造がある。その理由には、厳格なルールを作ると合意形成が難しい実情があるからだ。しかし、何もしないと住民からクレームが入る。この板ばさみの中で、行政は、あえてルールを曖昧にしたまま、個別の協議で解決するという道を選択せざるを得ない状況にある。

これを柔軟な対応と捉えることもできるが、実態は密室での不透明な調整である。ルールがないため、声の大きい住民がいれば過剰に規制し、いなければスルーする。担当者のさじ加減や、事業者の顔色次第で結論が変わる。これは、法の支配ではなく、人の支配に近い。「夕やけだんだん」は、他の事例のように解体に至るまでの結果には至っていないが、客観的にみれば議会が事前にルールを決めるという立法府としての責任を放棄したとも捉えられる。結果そのツケを現場の調整というブラックボックスに押し付けたとみることもできる。

もちろん、法的には景観規制に伴う損失補償は原則不要という解釈により成り立っている。しかし、強制力のないお願いで事業者に自発的な減築を求める現状をみれば、実質的に「公共財である景観の維持コスト」を事業者に転嫁しているに等しい。これを改善するには、事業者の善意や“察し”に依存せず、他の先進的な景観行政団体のように法的拘束力を持った景観地区等の指定、さらには、デザイン改善や景観的貢献に応じて補助金や減税などの措置を設けるなどの具体的な仕組みが求められているのではないだろうか。

おわりに

最後にもう一つ重要な視点がある。それは、基礎自治体の体力・能力不足である。

2000年から始まった本格的な地方分権改革により、建築・都市計画行政における裁量権が基礎自治体に移譲されていった。自主性や自立性という面では、独自性のある地域に根差したまちづくりが実現されたとする評価ができる。

しかし、人口減少に伴う専門的な技術力を有する職員数の不足により、一部では制度を活用できるだけの能力・体力を確保できているとは言い難い状況に陥っている。そして、この傾向は今後の急速な人口減少により深刻化するのは明らかである。あわせて、本来であれば行政を監視し、必要に応じて自ら条例を立案すべき地方議会においても、人口減少により高度な専門知見や立法能力が不足していく可能性がある。

結果、事業者が予見できない調整・摩擦コストが発生しており、適正なマーケットとはいえなくなる。

加えて、現代は行政区域をまたがった経済活動が当たり前に行われており、実質的な生活圏・経済圏を共にする自治体間での連携が不可欠である。ところが、今回の事例のように、行政区域の境界付近では一歩隣の区に入れば建築規制や景観規制が異なるという事態が発生している。景観や経済実態は行政区境など関わりなく連続しているにもかかわらず、制度側がその連続性を考慮できていない。

下図(図1〜3)は、荒川区都市計画マスタープランにおける景観方針図(図1)および台東区都市計画マスタープランにおける景観方針図(図2)とその両者を重ねたもの(図3)であるが、それぞれの方針図自体は内容を理解できるものの、方針図を重ねると境界部で整合していないことが確認できる。これは、地方分権改革の負の側面であり、細分化された統治機構そのものが時代の要請とズレ始めていることを示唆している。

同時に問われているのは、市民社会の成熟度でもある。地方分権とは、権限と同時に自分たちの街のルールは自分たちの責任で決めるという覚悟を地域に求めている。行政や議会の専門性が不足しているのであれば、それを補うだけの主体的な合意形成能力が地域社会の側にあったのか。

高度な専門性と広域的な視点が求められる建築・都市計画行政を、全ての基礎自治体が一律に担い続けるべきなのか。そして、それを受け止めるだけの自治が地域社会にあるのか。「夕やけだんだん」の事例は、地方分権のあり方を、今一度慎重に問い直す時期に来ていることを告げているのかもしれない。

【参考文献等】
(1)国土交通省(2025年3月31日)「景観法の施行状況」
(2)荒川区(2009年3月)「荒川区都市計画マスタープラン」
(3)台東区(2019年3月)「台東区都市計画マスタープラン」
(4)荒川区(2012年3月)「荒川区景観計画」
(5)台東区(2011年12月)「台東区景観計画」
(6)荒川区、「景観法・荒川区景観条例に基づく届出・事前協議制度」
(7)荒川区(2025年3月18日)「第10回荒川区景観審議会議事録」
(8)渋谷和司、中井検裕、中西正彦(2012年4月)「行政界を越える眺望景観保全に関する研究ー景観法に基づく景観計画および景観条例に着目してー」、都市計画論文集Vol.47 No.1、p44-49
(9)X(旧Twitter)、検索ワード「夕やけだんだん 景観 マンション」など

図1 景観形成方針図(抜粋) ※出典:荒川区都市計画マスタープラン(2009年3月)、p56図1 景観形成方針図(抜粋) ※出典:荒川区都市計画マスタープラン(2009年3月)、p56
図1 景観形成方針図(抜粋) ※出典:荒川区都市計画マスタープラン(2009年3月)、p56図2 景観まちづくり方針図(抜粋) ※出典:台東区都市計画マスタープラン(2019年3月)、p49
図1 景観形成方針図(抜粋) ※出典:荒川区都市計画マスタープラン(2009年3月)、p56図3 両区の景観方針図を重ねたもの