不透明だと言われてきた日本の住宅市場
かつて、住宅市場は情報が不足しており、消費者にとって不透明な市場であると言われてきた。しかし21世紀に入ってからは、国だけでなく民間部門においても情報を積極的に開示または生産し、多くの情報が手軽に入手できるようになってきている。パソコンや車のような耐久消費財を購入しようとしたときと比較して、住宅市場特有の問題は残っているのであろうか。または、他の国と比較して日本固有の問題はあるのであろうか。まず、後者の国際的な比較問題から考えてみよう。
市場情報は、一つ一つの財やサービスの取引価格情報と、それを用いて推計された価格指数のような集計情報とに大別される。リーマンショックの反省を受け、多数の国際機関が協力して2009年から始まった、国際的な不動産価格指数を中心とした統計整備のための作成指針(以下、「国際作成指針」とする)の制定過程では、各国の不動産情報の整備状況について調査が行われた。
その公刊されたレポートを見ると、わが国の価格指数のような集計情報の整備は、他の国と比較して最も進んでいることがわかった(Eurostat(2013))。代表的な日本不動産研究所の「市街地価格指数」は戦前までさかのぼることができるし、国土交通省の「公示地価」による価格変動率は、日本の多くの地域を1975年からカバーし、市町村別など任意に集計できる。さらには、国土交通省の「土地情報総合システム」(https://www.land.mlit.go.jp/webland/)には、不動産取引価格情報といった集計される前の取引価格情報(統計の専門用語では、「非集計情報」と呼ぶ)も開示されている。
しかし、依然として「レインズ(REINS)」の一般公開問題などが議論の対象となることがある。レインズとは、国土交通大臣から指定を受けた不動産流通機構が運営しているコンピューターネットワークシステムのことを呼び、「Real Estate Information Network System(不動産流通標準情報システム)」からとられた通称である。1980年代初頭に検討が始まり、中ごろには運用が開始されている。レインズ情報の一般公開問題がしばしば議論される理由は、レインズには実際の成約価格情報が記録されているからである。その情報がレインズに加盟する不動産会社しか閲覧をすることができないために、情報を囲い込んでいる、といった指摘がなされることがあるのだ。
しかし、国土交通省が不動産取引価格情報を開示しているわけであるから、どうしてレインズ情報の開示が、屋上屋を重ねるように求められているのかといった疑問が出てくる。また、そのような情報は、本当に諸外国でも開示されているのか、という疑問もある。
3種類の不動産価格情報
ここで、非集計情報の一般的な入手可能性を、住宅市場を対象に考えてみよう。
研究者がデータを分析する際には、情報の信頼度やカバレッジ(網羅率)などを認識するために、情報の発生プロセス(Data generation process)に配慮する。不動産価格指数の国際作成指針においては、住宅価格の発生プロセスに着目し、次のように不動産価格情報を分類した。 a) 不動産流通市場で収集される情報、b) モーゲージの発行過程で収集される情報、c) 不動産登記手続きの過程で収集される情報、である。
わが国では、a)に該当するのが「レインズ(REINS)」である。その他、民間企業が運営する不動産ポータルサイトによって蓄積されている情報もある。米国においては、各リアルター協会が運営しているMLS(Multi Listing Service)と呼ばれる情報がレインズに該当する。
b)は、各金融機関がローンの発生する過程で収集するデータ資源である。米国では連邦住宅金融局(FHFA)が、ファニーメイまたはフレディマックの住宅ローン・保証を受けた価格情報を蓄積している。英国でもモーゲージバンクが住宅価格指数を公表していることを考えれば、同社の中には分析可能な形で非集計データが存在していることは容易に予想できる。また、そのような情報は、金融庁や中央銀行に集積されている。しかし、すべての住宅取引で住宅ローンを使うわけではないので、全数が網羅されているわけではない。
c)は、不動産取引が実行され、最後に権利を保全するために登記が行われたときのデータで、取引価格が登記簿に記録されることで蓄積される。その価格を法務局に申告することが義務付けられている国では、この情報源は取引の全数を捕捉していると考えてもよい。多くの国においては、この段階の情報が蓄積され、一般に流通していることが多い。
そこで、これらのどの情報を信じていいのかといった問題が生じる。もう少し丁寧に、住宅の売却・購入プロセスに応じて、これらの情報の性質について考えてみよう。売却プロセスを図として整理した。
住宅を売却しようと思った売り手は、不動産会社に売却の依頼を出し、媒介契約を結ぶことが一般的である。そして、売却依頼を受けた不動産会社は、広告を出す。この段階(ここではT1とする)で、市場では、売り手の最初の売り希望価格(P1)が出現する。
このような売り希望価格は、買い手が登場しない限り、適宜、変更されていく。そして、買い手が登場した時や、売り手が売却を断念した場合にデータベースから抹消される(このタイミングをT2とする)。ここでは、最終的な売り手の売り希望価格(P2)が記録される。
さらに、買い手が登場した後にさまざまな交渉が始まる。物件の品質を精査したり、住宅ローンの申請をしたりする。多くの買い手が住宅ローンを利用することが一般的であることから、ローンが承諾された後(T3)で初めて契約が成立し(T4)、すべての売却活動が完了する(T5)。その段階での価格(P3)は、P2からさらに変化している可能性が高い。
このようなプロセスを経て契約が成立した後に、不動産登記が行われる(T6)。そして、その登記が完了した後に、わが国では、登記に価格の記載が義務付けられていないために、国土交通省が価格調査を実施し、「取引事例」と呼ばれる価格情報を生成している。
わが国においては、価格調査をアンケート調査に頼っている。そのため、アンケートを発送し、回収して初めて価格(P4)を知ることができる(T7)。
図1では、このような取引過程とデータが入手できる時間間隔を図示化した。まず、市場に初めて売り希望情報(P1)が提示されてから、平均10週間で買い手からオファーがくる(T1-T2)。この段階の価格は最終的な売り希望価格であり、買い手の最初の買い希望価格(P2)となる。さらに、物件調査が完了し、住宅ローンの申請などを含めて、その後の媒介契約が完了するまでに平均で5.5週間が必要になっている(T2-T4)。この段階で、レインズに成約価格登録が行われる(T5)。
不動産価格情報の性質と問題点
ここで、日本特有の問題である取引が発生してから取引価格情報を入手できるまでの時間ラグに注目すると、次のラグが生まれている。
まず、多くの取引の場合契約日(登記原因日)と登記日が同じであるが、中には契約完了後から登記がなされるまでに、数ヶ月が過ぎているものも含まれる(T4-T6)。ここに、第一の時間ラグが発生している。これは欧米諸国では、制度の違いから発生しない。
また、アンケートを実施し、価格情報が回収できるまでに15.5週間が費やされている(T4-T7)。これが第二の時間ラグとなり、日本特有の大きなラグである。これは平均的な時間差であるが、それを分布としてみると、アンケート調査によって収集される取引価格情報においては、最初に価格情報が提示されてから1年以上が経過した後に情報入手しているケースも少なくない。
さらには、物件特性を調査されるといった工程が入るために、T7以降でも時間が必要になる。これが第三の時間ラグである。ここまで来なければ、取引された不動産が、住宅か、商業不動産かもわからない。このような時間ラグは、研究者にとっては重要な問題となるのである。
続いての論点は、価格水準の違いである。まず、a)不動産の流通段階で記録されるP1および P2は、売り手の売り希望価格(Asking Price)である。市場に登場した初期の段階での情報といった意味で、もっとも情報鮮度が高いが、実際に取引された価格ではないといった問題がある。すべての情報がレインズやポータルサイトに集まるわけではないし、また、すべての売り希望が成約にたどりつくわけでもないので、市場から撤退していく情報も含まれている。研究者にとっての情報の入手可能性といった意味では、現段階のレインズは研究者が活用できるほど規則が明確ではなく、利用可能性は限定的である。
続いて、b)のモーゲージの申請およびその成約過程で収集された情報もまた、二つの種類の情報が記録されている。ローン申請がなされた情報とローンの認可が下りた情報である。最後に、c)法務局(Land Registry)データであるが、米国・英国等の多くの国で、すべての取引価格情報を登記簿に掲載することが義務付けられていることから、すべての取引が網羅されている。わが国においては、登記簿に記載義務はないため、価格情報を収集するために、国土交通省がアンケート調査によって情報を収集している。そのため、網羅率は必ずしも高くなく、その時々によっても回収率は異なる。
このような状況にあるため、情報は開示されてはいるが、それを利用するには、高い知識とデータベースの構築能力が問われるのである。そのため、情報に精通していない、近年において不動産データを用いたサービスなどを展開しようとしている新興企業を中心に、明確な分析や理由なく、安易にレインズの一般公開を掲げてしまうことになっているようにみえる。その背後には、ウェブ・スクレイピングなどで入手しやすいポータルサイトの情報の品質問題がある。
日本の不動産情報は信頼できない?
一般にポータルサイトで見ることができる情報は、募集価格情報であるために、実際の成約情報ではない。そのため、少し高めの価格がついているといった問題が指摘され、正しく市場を写像できないと言われる。その指摘は、本当に正しいのであろうか。
Shimizu, Nishimura and Watanabe (2016)は、わが国の価格情報の性質を知るために、ポータルサイトの募集価格(P1および P2)、レインズの成約価格(P3)、そして、国土交通省が登記情報をもとに整備している取引価格(P4)の関係を統計的に分析した。
同研究では、売り手の最初の売り希望価格(P1)と最後の売り希望価格(P2)については、大手ポータルサイトの情報サイトから東京都区部の中古マンション市場を対象とし、2005年7月から2009年12月までに15万5,347件のデータを入手している。これらは、成約価格または取引価格ではなく、募集価格である。
続いて、レインズ(P3)では、東京都区部の上記の期間において12万2,547件の成約価格が存在していた。また、国土交通省の登記簿情報に基づく所有権の異動通知をもとにアンケート調査を通じて収集できた取引価格(P4)は、同期間で5万8,949件であった。
最初に重要になるのが、網羅率の違いである。ポータルサイトから入手できた情報が最も多い。ポータルサイトとレインズのサンプルサイズの乖離は、運用基準から発生している。レインズに登録が義務付けられているのは、売り手と専属専任媒介契約、専任媒介契約を結んだ物件だけである。その意味で、一般媒介の情報が欠落している。
一方、情報サイトを通じて記録される情報については、一般媒介の情報が含まれるとともに、情報サイトから抹消されたからといって、すべての情報が成約につながっていないために過大になる。ローン申請の段階で契約が止まることもあれば、契約過程で物件の瑕疵が見つかり、契約までに至らないということもある。
国土交通省のデータベースでは、回収率がおおよそ3割から4割の範囲にとどまっているということが報告されていることを考えれば、情報サイトと比較して、その範囲に入っているということで、ここで収集されたデータは、母集団を代表していると考えてもいいであろう。
網羅率だけを見れば、レインズの一般公開を要求するよりも、民間のポータルサイトからデータを入手したほうがよいということになる。ここで、ポータルサイトの情報である募集価格と実際の成約価格との乖離がどの程度あるのかといったことに関心が移る。そこで、価格水準の相違についてみてみよう。
一般に、募集価格であるP1とP2は、実際の取引価格であるP3とP4よりも高くなる。また、最初の募集価格P1は、最終的な抹消価格であるP2よりも高く、レインズの成約価格P3と国土交通省が収集する取引価格P4は、原則として一緒になるはずである(P3=P4)。
ここで、異なる二つの情報源から得られた二つの住宅価格に関しての分布の相違を比較することを考えよう。住宅価格の分布は住宅の性能や属性に応じてもたらされる。そうした場合に、二つの価格の性質が同じか、または異なるのかを判断しようとした場合には、品質を調整した後に比較しなければならない。
Shimizu, Nishimura and Watanabe (2016)は、品質を調整したうえで、4つの価格の違いだけを抽出し、Quantile-quantile (q-q) プロットとよばれる統計的な検定方法で、価格の違いの有無を調べている(図2)。
図2上段の二つの図は、品質調整前の元データによるq-q-プロットの結果である。まず、左上のP1とP4を、P4を横軸に、P1を縦軸にとって比較すると、とりわけ価格帯の低いところで上方へと外れている。これは、P4において低価格帯で厚くなっていることを示している。しかし、品質調整されたP4を比較すると、ほぼ45度線上にプロットされている。このことは、品質の違いを調整してしまえば、ポータルサイトの募集価格情報、レインズの成約情報、国土交通省が集める取引価格情報は、同じ価格分布の母集団から発生しているということが分かったわけである。
この統計実験から理解できたことは、わが国においては、ポータルサイトの募集価格、レインズの成約価格、国土交通省の取引価格のどのデータを用いても、価格水準には大きな差異はなく、いずれの情報も市場を適切に反映していると考えられることである。
つまり、わが国において不動産市場を対象とした研究においては、取引価格にこだわることなく、ポータルサイトの情報もまた有効なデータ資源となるのである。
日本は不動産情報整備先進国である
かつて、日本の不動産市場は不透明であり、その情報整備が極めて重要な政策課題であった。しかし、官民を挙げての情報整備を進めてきたことで、日本は、不動産情報整備においては先進国になったと言ってもよい。このようなことを言うと、民間企業が公表している世界の不動産市場透明度ランキングでは20位程度のところをうろうろしているではないかと指摘されるかもしれない。しかし、そのランキングは、すべての取引慣行を英語に変えるだけで、改善されるかもしれない。透明化ランキングは、英語圏の人たちにとって、その市場がどの程度取引がしやすいのかという指標と考えた方がよい。取引慣行、不動産鑑定評価の価格概念、法制度などが異なれば、仕事がしづらいので、ランキングは低下する。
そのような中で、レインズの一般公開に関して議論がなされることがあるが、その理由は理解できない。レインズは、不動産会社の情報の囲い込みを防止するために設立された情報流通システムである。その運用費用は、すべて会員によって負担されており、公的な資金が入っているものではない。いわば、民間のインフラであると考えてよいであろう。その意思決定は、その運用団体にゆだねられるものである。不動産情報を持っている民間会社に、あなたの持っている情報を公開してくださいと言って、それを断られたからといって問題視する人はいないであろう。
もっとも大きな問題は、成約価格情報の開示が外圧によって実行されたときに、本来の目的である囲い込みをなくそうとして登録を義務化してきた努力が水泡に帰すリスクである。虚偽の申告をしようとすることも出てくるかもしれない。そうすると、レインズそのものの存在が問われることになりかねない。欧米諸国やシンガポールなどの同様の仕組みにおいて、一般に公開されている事例はないのではないか。
しばしば米国のMLSなどが例に挙げられるが、米国のMLSの開示レベルのデータでは、全く統計分析にも耐えることはできない。そのために、他の民間企業が介在して、商品化をしている。ほとんどの不動産テック企業は、データを購入している。シンガポールでも英国でもフランスでも、私がデータ分析をしてきた国々では、一般に開示はされていない。繰り返しではあるが、商品化された情報を購入しているのである。
もし仮に政府に対して要求をするのであれば、政府による不動産取引価格情報の網羅率の向上であろう。取引価格情報のアンケート調査による回収率が3割から4割にとどまっているが、米国・欧州、シンガポールを中心とする主要なアジア諸国では、10割近くまで情報が整備されている。
日本の不動産情報整備は、レインズの一般公開などといった1990年代の橋本政権下での規制改革委員会で議論されたような時代遅れの問題から、もっと未来を見つめた新しい視点が求められているものと考える。
参考文献:
Eurostat(2013), Handbook on Residential Property Prices Indices (RPPIs), https://ec.europa.eu/eurostat/web/products-manuals-and-guidelines/-/KS-RA-12-022
Shimizu,C, K.G.Nishimura and T.Watanabe(2016), “House Prices at Different Stages of Buying/Selling Process ,”Regional Science and Urban Economics, 9, 37-53.
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