ファッション・グルメ・・・

生活といえば、その基本は「衣食住」と何度も聞かされてきた。そして国が富み、生活が充実してくると、衣食住は足りてくる。秋口に発表された空き家率は「住」も充分に足りてきたという話だ。そして、質の時代になったのだが…。

「衣」はファッションと呼べば、日本は世界でもトップクラスの位置にある。
いや、トップと言っても過言ではない。コスプレやハロウィンでは、日本が中心地になっている。もちろん正統派のファッションも決して劣らない。おじさんには奇異としか映らなかったヤマンバファッションも、世界では高い評価を受けていた。衣食住の「衣」は、間違いなく日本は世界をリードしている。

「食」はグルメと呼べば、日本は世界でもトップクラスの位置にある。
いや、トップと言っても過言ではない。フランス・中国・トルコの世界三大料理とまではいかないが、和食も世界文化遺産となった。それだけではなく寿司やラーメンや餃子などの大衆食も、広まっている。その上、日本国内では世界中の料理が食べられる。衣食住の「食」は、間違いなく世界をリードしている。

さて、衣食住の「住」はどうか?
ファッション・グルメと続いて、「住」の文化を表す明確な言葉は浮かばない。とても日本の「住」が世界に自慢できるものになっているようには思えない。それどころか、劣っているように感じることの方が多いようだ。しかし、以前の日本住宅は世界の人たちを魅了していた。だからこそロックフェラーもジョン・レノンも日本流の家を建てた。衣食に比べると、「住」はすっかり置いて行かれた感じがする。

和食が世界文化遺産に登録された。世界をリードする「衣」、「食」。</br>では「住」の現在の日本の住宅は、世界をリードするものとなっているか?和食が世界文化遺産に登録された。世界をリードする「衣」、「食」。
では「住」の現在の日本の住宅は、世界をリードするものとなっているか?

◯◯◯の影には女あり

ファッションもグルメも、女性の集まり方で決まる。「住」もつくり手の目線の話しよりも、「使い手」としての女性の目線で語られることが大事だファッションもグルメも、女性の集まり方で決まる。「住」もつくり手の目線の話しよりも、「使い手」としての女性の目線で語られることが大事だ

住宅もファッション・グルメと同じように、世界に誇れるものになるのには何が必要なのだろうか。答えは陳腐だが、結局、つまるところは「文化の影には女あり」だと思う。もちろん男がダメだと言うつもりは毛頭ない。

ファッションもグルメも、女性の集まり方で流行りの店が決まることが多い。でも、決して男が作っていないわけではない、むしろ作る役柄は男の方が多いようにも思える。特にグルメの世界でシェフといえば男をイメージする。大切なのは、女性目線の評価が大事なのだ。

ところが「住」の世界では、まだまだそのようには見えない。あまりにも評価の要件が多すぎるのか、それともファッションやグルメ以上に女性の関わりが深いと言われすぎているからなのかもしれない。本来はつくり手の要素であることまで、女性の評価として入っているように思える。

例えば、代表的なのは家事動線であり、キッチンの高さや、掃除のしやすさ、収納の取り方などだ。そしてこれらの要素を盛り込むと、女性目線で作られた家として紹介されることがある。でも、これが女性目線なのだろうか。そこに大きな勘違いはないだろうか。

ヤマンバファッションやルーズソックスは、どんな生地でどのように縫製するとか、白いアイシャドウの成分はどうだとかなどは求められていない。グルメだって、料理をしている姿は見てもレシピの詳細を求めてはいない。着て楽しく、食べて楽しめればそれで良い。自分の感性を信じて、組み合わせとしての妙を大切にしているのだ。絶妙であって、微妙ではいけない。その共感が広がって、世界に通じるファッションとグルメを日本の女性が作り上げたのだ。

そのようには考えると、どうやらまだまだ「住」には「いい女が足りない」と思える。家事動線も収納テクニックも関係なく、「いいねッ」って思う女の影が見えてこないからファッションやグルメには追いつかないのだ。

消費者は関係ないって?

ここで話を、秋口に発表された総務省の土地・不動産調査の記事に戻そう。その記事の見出しは、空き家率13.5%。高齢化だけではなく、少子化が進み人口減が顕著になると空き家率は進むとある。

その翌日に国土交通省のデータが記事になった。16カ月連続、前年比よりも貸家の新設住宅着工数が伸びているのだという。この根底には来年はじめより相続税アップの対策として貸家のメーカーの営業攻勢があることも周知のことだ。一方、持ち家や分譲住宅は駆け込み需要減があって落ちている。

ニュースだからどちらも事実で受け止めるしかない。でも、こうして報道が並んでいるとおかしなものだと思えてくる。家が余っていれば、いちばん最初に貸家に影響がありそうなものだ。何人かに聞いてみたら、やっぱり皆そんなイメージだという。

日本人は畳となんとかは新しい方が良いと聞かされる。古い貸家は入居率が落ち、新しくして入居を補おうとするから、貸家はいつも好況なのだ。そしてますます、使い棄ての家が建てられてゆく。

考えてみれば、持ち家から貸家に住み替える人がどれだけいるだろうか。逆に貸家から持ち家に代わる人がどれだけいるのか。普通に考えれば、前者よりも後者の方が多いだろうと想像できる。
こんな状況下で貸家が増えても、住まい手は貸家から貸家に移るだけで、そして住人が出て行った貸家は空き家になるだけだ。そしてまた空き家率を改善しようと、資産価値とは関係ない貸家ビジネスが動き出す。

結局、フランスの経済学者が言う通りに、住宅業界というのは住まい手は関係ないところで動いているのだ。結局「住」は、永遠にファッション・グルメと同列にはならない。

文化としてのアメニティ

いいや、決してそんなことはない。

ヨーロッパやアメリカを見ても、見本となる住空間はあるではないか。日本らしさを感じさせる住空間もありうるはずだ。むしろ彼らの方が、帯や障子を使って日本的なものの手本を示してくれている。そして住空間としての快適さを感じさせる。

こうした快適さを「アメニティ」と呼んでいたことがある。ホテルの室内空間は、さまざまなアメニティグッズで快適さを提供してくれている。衣食住を、ファッション・グルメ・アメニティと並べればグローバル化しているような気がする。

2020年の東京五輪での世界への「おもてなし」を考えれば、日本のファッション・グルメと並んで、アメニティでも迎えてあげたいものだ。世界の人が日本を訪れて自分の国に帰った時に、日本人はウサギ小屋に住んでいたなどと言われたくない。日本人は日本人の国民性にふさわしいアメニティの中で暮らしていたと言われたい。

そのように考えると、アメニティは間違いなくテクノロジーとは関係ない。太陽光発電と電子制御のテクノロジーの家も日本的と感じるかもしれないが、テクノロジーは「住」に対する評価ではない。あくまでも日本のテクノロジーへの評価だ。断熱・気密など土産話にはならない。キッチンや収納などの細やかさもやはり同様だ。テクノロジー的なものは、多くはこれまでにも男の領域でこなされてきた。アメニティは住まい文化なのだ。

日本の良さを感じるほどに、民宿や古民家に泊まる外国人が増えている。そこには女将さんがいてアメニティを仕切っている。もちろんテクノロジーなど関係ない。女将やゲストハウスのオーナーを目指す若い女性が、日本のアメニティを生み出すかもしれない。その感性はもちろん自分の家を求める女性に広まってゆく。広い世界にクールな日本を感じさせるアメニティを生み出すのは、純粋に住んで暮らして人を迎えて楽しむ女性の感性だと思う。住宅の情報系は、このような女性にもっとも目を向けないといけないだろう。

日本らしい趣をもつ民宿などに宿泊する、海外からの旅行客が増加している。</br>それを仕切る”女将さん”に表れるような「純粋に住んで暮らして</br>人を迎えて楽しむ、「いい女性がいれば、きっとアメニティが生まれてくる」日本らしい趣をもつ民宿などに宿泊する、海外からの旅行客が増加している。
それを仕切る”女将さん”に表れるような「純粋に住んで暮らして
人を迎えて楽しむ、「いい女性がいれば、きっとアメニティが生まれてくる」

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