日本の狭小住宅の金字塔「塔の家」
東京・外苑前の通称“キラー通り”に立つ「塔の家」。
この家を「日本の都市住宅の金字塔」と呼ぶことに異論のある人は少ないだろう。なかには「生きる神話」とまで言う人もいる。キャッチコピーが強烈過ぎて、予備知識のない人にはちょっと怖い印象すら与えるかもしれない。
だが、安心してほしい。この家は、住まいにとっての“普通”の意味を気づかせるからこその金字塔であり、神話なのである。
建築家・東孝光(1933~2015年)が1966年、33歳のときに建てた自邸だ。住まい手は東と妻・節子さん、当時は小学生だった長女の3人。ご存じの方も多いと思うが、この家で育った長女の東利恵氏は、父の背中を追って建築の道へと進み、「星のや軽井沢」「シーパルピア女川」「星のや東京」などの話題作を次々と生み出すスターアーキテクトとなった。
涼風が吹くかのように爽やかな利恵氏の作風を知っている人は、「あの人がこの家で育ったとは…」と意外に思うに違いない。
三角形の変形狭小敷地に建つコンクリート打ち放しの住宅
敷地はわずか6.2坪。建築面積3.6坪。しかも三角形の変形敷地。
そこに地下1層、地上5層(中3階含む)の建物。外部の仕上げはコンクリート打ち放し。竣工から60年近くがたち、コンクリートの表面は黒ずんで遺跡のようだ。
これは時間のせいだけでもなくて、竣工時の写真を見ても、その外観は遺跡のように荒々しい。型枠の小幅板(細長い木の板)の精度が低く、コンクリートの表面はゴツゴツ。板の継ぎ目の部分もガビガビ。予算が潤沢でなかったことは一目瞭然である。
室内は全体が階段室のよう。道路から数段上がった玄関から室内に入ると、2階部分に台所兼居間。その先には、壁から突き出すコンクリートの階段が上へ上へとらせん状に伸びていく。内部には仕切り壁はおろか、1枚の扉もない。全体が階段状のワンルーム空間で、階段で言うところの「踊り場」が生活スペースになっている感じだ。室内も、ゴツゴツ、ガビガビのコンクリートの壁で包まれる。
立体的に機能を納める工夫として雑誌などでよく紹介されるのは、2階の台所だ。
調理場の天板が居間のソファの方に伸びてそのまま食事用のテーブルとなる。天板は白い大理石で、その中にステンレス製のシンク(洗い場)が埋め込まれている。大理石の天板はこの家の仕上げとしてはぜいたくにも見えるが、大きさは幅120㎝×奥行90㎝しかない。
要注目はシンク。天板の中にシンクが埋め込まれているが、48㎝×65㎝のシンクを通常のように横長にして収めると食事のスペースがなくなってしまう。そこで、シンクを縦長方向に埋め込んだ。なんという発想転換。これには意外なメリットがあって、妻は食材を切る際、まな板をシンクに架け渡して使っていたという。
背後の壁には造り付けの棚があり、振り返るだけでほとんどの食器を手に取ることができた。
こういう「えーっ?」「なるほど!」という工夫の数々が縦に積み上がってこの住宅は出来上がっている。
東孝光は、完成するまで妻にはほとんど相談せず
夫婦でこういうアイデアを徹底的に話し合って実現したんだな…。そう思ってしまうが、現実はどうも違うようだ。東自身が後にこう振り返っている。
「台所に限らず我が家のプランは、完成するまでほとんど、家内には相談しなかった。その時間もなく忙しかったということもあるが、簡略化が激し過ぎて相談の仕様がなかったというのが事実だったかもしれない。」(『「塔の家」白書』から引用、初出は『住宅建築別冊9』1982年9月)
東はもともと大阪市の出身で、この家の設計段階では坂倉準三建築研究所のスタッフとして、「新宿駅西口地下広場」を担当していた。同広場が完成するのは1967年なので、現場のピーク時にこの家を設計していたわけだ。そして広場の完成とともに独立し、塔の家の地下1階に自身の設計事務所を開いている。おそらく、設計段階から独立のビジョンはあったのだろう。
では、なぜ都心のこの敷地に住居兼事務所なのか。東はこう書いている。
「都心から車を走らせること1時間余り、郊外の分譲地を見に行ったとき、自分はどうしてもこんな所に住めそうにないと直観した。(中略)これでは真夜中に数人の友と建築を語り、都市を論じ人間を考える環境にはならないのだ。都市の中で生まれ、終戦後の瓦礫とバラックの中で少年時代を過し、都会の喧騒と混乱の歴史のなかで育った私はこれからの都市の変化をその真っ只中で考え、論じ、見守って行きたいのである。」(『「塔の家」白書』から引用、初出は『建築』1967年6月号)
その文章に「家族のために」というフレーズは見当たらない。やっぱり建築家らしい実験なのか…。
「当人たちにとっては、決して実験などではない」
いや、そうではない、とはっきり答えているのが、若き日の利恵氏だ。彼女が建築家への道を歩み始めた25歳のときのコメントが残っている。
「よく、『この家に住んでいてどうですか?』と聞かれるのだが、私はいつも『普通です』と答えてしまい、質問された方は、わかったようなわからないような顔をされる。(中略)この家が“実験的な住宅”と呼ばれていることは、建築を学ぶ以前から知っていたが、しかし、当人たちにとっては、決して実験などではない。そんな肩をはった暮らしは、私たちには耐えられない。たしかにこの家を作ることは冒険であったかもしれないが、できあがったものは“ちゃんとした住宅”なのである。もし、自分の今の“家”に満足できず、といって、大きな冒険はできないと躊躇なさっている方がおられるなら、私はぜひ、ジャンプしてみることをお勧めしたい。」(『「塔の家」白書』から引用、初出は『住宅画報』1984年6月号)
住まい手に「普通ですよ」と答えられて困り顔の質問者というのは、まるで自分のことを言われているようで恥ずかしくなる。
「実験」と「冒険」は違うというのも名言だ。勝手に補足するならば、「実験」は成功を信じてトライアルすること、「冒険」はトライアル自体を楽しむこと、と言えようか。失敗しても冒険は思い出になる。
妻の手作りの階段の青色シート
家の中を見学させてもらうと、利恵氏だけでなく、母の節子さんも「冒険」を楽しんでいたに違いないと思わせる痕跡が見つかる。
例えば、階段に踏面に貼られた青いビニールシートもその1つ。壁から突き出すコンクリートの板の表面がゴツゴツであることから、節子さんがビニールシートを切って自作したものだという。
鮮やかな青色は空間の視覚的ポイントとなっており、言われなければ最初からこういうデザインだったのかと思う。とはいえ、素人施工なので粗さは目につく。その後の東の活躍を考えれば、内装工事のプロにやり直させてもよさそうなもの。
だが、妻の手作りだからこそ大事に使い続けたのだろう。
2018年末からこの家には利恵氏の事務所のスタッフであるSさんが住んでいる。
利恵氏が「自分が住めなくなった後にこの家をどう残していくか」を考えるために、一度、自分以外の人に住んでもらうことにしたのだ。
入居を希望した事務所スタッフの中からあみだくじで選ばれたというSさんは、すでに6年以上、この家での“冒険”を楽しんでいる。
■概要データ
塔の家(東孝光自邸)
所在地:東京都渋谷区
設計:東孝光
階数:地下1階・地上4階(中3階あり)
構造:鉄筋コンクリート造
敷地面積:20.5m2
建築面積:11.8m2
延べ面積:65m2
竣工:1966年(昭和41年)
■参考文献
『「塔の家」白書』1988年3月
別冊太陽『日本の台所100年 キッチンから愛をこめて』2022年6月
公開日:














